昨日、2月21日(土)、リニューアルした千葉県医師会館にて地域包括ケアのお話しをしてきました。
新しい千葉県医師会館は、おろしたての真っ白いパンツ状態でした。新しくて気持ちは良いが、なにかおさまりが悪く、緊張感がありました。
(⇒ 千葉県医師会(※外部リンク))
これから高齢多死の津波が襲ってき、療養する場所、死に場所が足りなくなり、医療・介護難民があふれる時代を迎えます。
この高齢多死の津波を乗り越えるための進むべき道が、在宅療養です。
人生の大先輩である高齢者は、人生の最期を自宅で過ごしたいと願っています。
また、在宅医療は入院医療の約10分の1の費用ですみます。高齢者の願いであり、医療費の節約となる在宅療養を伸ばすことが、
高齢多死の津波を超えることができる最大の方法です。
自宅で家族、友人に囲まれ、その人らしく、尊厳を持ちながら、生き切るシステムを地域包括ケアシステムと言います。
そして、そこで提供されるサービスを地域包括ケアと言います。ケアマネ、看護師、ケアスタッフ、セラピスト、
管理栄養士、相談員・CSW、歯科医師などの多職種が協働連携しながらケアサービスを提供します。
私は、地域包括ケアのことをゴチャマゼ・ケアと呼んでいます。
色々な色をゴチャマゼ混ぜ合わせると黒になってしまいます。
色々な光をゴチャマゼ混ぜ合わせると無色透明になります。
ゴチャマゼ・ケアが黒くなるのか、無色透明になるのか
ゴチャマゼ・ケアの質を担保する責任者は誰なのか
医療、介護、いのちに関する最終責任者は医師であると考えます。
地域包括ケアの普及が叫ばれていますが、同時に地域包括ケアの質を問いたい。
ゴチャマゼ・ケアが、きれいな光原色が集まり、どこまでも無色透明な光になるよう
高齢者のいのちが輝き、笑顔が少しでもあふれるような社会を、これから創ろう。
この週末、2月14日(土)15日(日)、東京で勉強をしてきました。充実の二日間でした。
「SkillよりMind」と考えている私の進む道は、あらためて間違っていないと確信しました。
私はチョコレートが嫌いだ!
でも、好きだった。そして、今は好きになった?
ただし、高級チョコレートに限る。中に高級外車が入っているチョコレート
とか、銀座4丁目が二つぐらい入っているチョコレート
ならWelcomeです。と、言っています。
15日の夕方、千倉に戻ると娘・夢と心優から手作りのチョコレートをもらいました。
うれしかったです。美味しかったです。
写真を撮ることを忘れてしまいましたが、コップにも愛がへばり付いていました。
小学校5年生の夢は、女の子同士のチョコレートの交換をしているようです。
男の子には興味がないよう・・・。OKです。
スタッフからもチョコレートを頂いていますが、私を通過してチョコレート大好きな妻に流れて行きます。来月は、スタッフに倍返しをしなければ!
肝心かなめの妻からは、No Action!
御主人様と飲んだワインです。
山形県飯豊(いいで)町の小学校と南房総市千倉町の小学校の子供たちが交流しました。山の子と海の子との交流です。
1月10日~12日、海の子たちが一面銀世界の飯豊町へ行き、初めてスキーをし、かまくらの中で遊び、
山の子の家に泊まり、最高のおもてなしを受けました。
1月30日~2月1日、友だちになった温もりが残っている3週間後、山の子が雪もなく、お花が咲く千倉町へ遊びに来ました。
久しぶりに会う子供たちが、肩を抱き合いながら再会の喜びを分かち合う姿を見て、出会いの大切さを改めて知り、
飯豊町と千倉町の不思議な縁に感謝し、40年以上続いた海の子と山の子との交歓会の意義を感じました。
山の子と海の子が一緒に船に乗り、少々荒れている太平洋に乗り出て、ジェットコースターのように翻弄され、
海水でびっしょりと濡れ、手荒な迎え入れをプレゼントしました。その後は、山の子がそれぞれ海の子の家に民泊し、
それぞれのおもてなしを受けました。
私のところは、海の見える風呂に入り、イチゴ狩りに行き、房総半島南端の野島崎灯台へ行き、お花摘みをしました。
飯豊で受けたおもてなしのお返しをしたのです。
翌日の昼、サザエカレーを食べ、雪のないグラウンドでサッカーをし、みんなで自然の家に泊まりに行きました。
海の向こうに見える富士山からも歓迎を受けました。
初めて見る銀世界、初めて見る大海原、一生の思い出になるでしょう。
私たち大人の仕事は、いかに子供たちに多くの思い出を作ってあげることだと思います。
その時に出会う出会いを大切にし、そして出会いを育み、2世代、3世代に渡って家族で付き合う、
人のつながりの大切さと維持することの大切さを学びました。
開業医の世界はclosed society であるため、カビ易く、縮小する方向に、バランスを崩す危険性をはらんでいます。
その閉ざされた社会に窓を開け、風を入れて健全状態を維持しようと、週1日東京へ研修に行ったり、学生、研修医の受け入れを行っています。
SONYを辞めて医師となり、亀田メディカルセンターで初期研修医、現在、聖路加国際病院で呼吸器内科を専門にしている谷川先生が、
3日間の地べたにメリ込んだ地域医療を学びに来ました。
私の行っている地域医療に関して、欠点、改善点がないか助言を求めました。
谷川先生は、「先生の行っている医療は素晴らしい。ただ、先生の考えている思い、理念を現場のスタッフがどれぐらい理解しているのかが気になる。
是非、全てのスタッフに先生の思いを伝えてください。」と言いました。
それから毎年、年頭に、全スタッフを集め、私の思いを伝えることにしました。
今年も、1月23日(金)にお話をしました
(後日、徐々に、書きこんでいきます)。
私たちの進むべき方向、私の思いをどれくらい理解してくれたでしょうか。期待します。
これから、家族同様のスタッフと共に理想の医療、ケアを求め、社会貢献をしていきます。
笑顔グループの運営方針演説のために、それなりの準備、気合、時間を割きました。
翌日の土曜日、夕寝を2時間ほどした上に、夜普通に寝ました。疲れていたのでしょう。
昨晩、飲んだワインが1995年もの、Beaujolais Nouveau ボジョレー・ヌーヴォー。
軽めのボトルに、お味は私の御主人様(妻)のような味で "OLD-NEW"でした。
けっこう美味しかったです。
今から20年前となる1995年は、社会的にも、私にとっても大きな節目の年となりました。
1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が起こり、その当時に住んでいた東京も大きく揺れたことを覚えています。
被災1週間後、一番犠牲者を出した東灘区にある住吉病院に医療支援に行きました。
途中の大阪までは被災の臭いはまったくせず、阪神電鉄は途中の青木(おおぎ)駅までしか通っていませんでした。
その青木駅から住吉病院まで歩いて向かっている途中、戦後の廃墟のような世界が広がっていました。
2階建ての1階部分が潰れている家、「生きとった!よかった、よかった」と市民同士が抱き合い、
家族・友人が亡くなっていることを涙を流しながら語っていました。
病院では、被災者でもある地元医師が、御自身の家族が被災者となっているにもかかわらず、
不眠不休で家にも帰らず医療活動を行っていました。ただ、ただ、普通に生きていることが有難く感じました。
3月20日には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こりました。
私の外来にも、軽症ではありますが、事件に巻き込まれた電車に乗っていた患者さんがきました。
そして6月、私の父が交通事故を起こし、鴨川の大病院に入院しました。
父は、特別病室のベッドの上で仁王立ちし、部屋の片隅で小便をし、夜中でも吠えていました。
千倉を捨てて東京へ出て行った私は、父がやっていた松永医院を閉めるために、患者さんの紹介状を書くために戻りました。
松永医院を閉めるために、一時的に千倉に戻った・・・。
そのはずが、現在、千倉にいます。今では、どっぷり千倉につかりきっています。
あれから20年、いろいろありました。思いもよらない人生の流れもありました。
ただ、自分の決断で選んだ人生を、後悔しない生き方をしようと思いました。
そして、今、自分が決断してきた人生は間違っていないと確信しております。
これだから、人生は面白い。
(もうじき千倉はお花の季節・・・)
今日は1月10日、土曜日。早いもので2015年も残すところ355日となりました。
この残された355日が充実した一年になるよう、精一杯生きて行こうと思います。
2009年 松永医院を移転リニューアルして松永醫院となり、6回目の正月を迎えました。
おろしたての真っ白いパンツも黄ばんでくるころです。
しかし、森さんをはじめとするスタッフが、日々清掃してくれるおかげで綺麗を維持しております。ありがとう。
ですので、松永醫院は新品同様、私の妻同様と考えております。
良い診療所にしようと、日本一、地球一の診療所にしたいと日々努力し、試行錯誤をしております。
そのためには、私一人の努力だけで達成することはできません。各スタッフの創意工夫が必要となります。
「診察まで2時間以上待った!」という文句を言われます。申し訳ないです。
待つ時間の中で少しでも癒すことができるよう、スタッフも工夫をしております。
外来事務スタッフの季節を感じさせるおもてなし、正月のお飾りをご紹介します。
あけましておめでとうございます。2015年が始まりました。
「いのちに優しく、こころ豊かな、しあわせを感じられる地域を創る」ことが私の願い。
大きな目標が4つあります。すべて地域へとつながっています。
#1.医療の質を上げる
#2.教育へ 特に小学校教育へ
#3.旧・忽戸(こっと)小学校校舎の再利用
#4.医師会活動
#1.医療の質を上げる
医師として、いのちを助けるための医学的知識をバランスよく身に着けよう。いのちを支える医療である、地域包括ケア(ゴチャマゼ・ケア)の質を高めよう。
#2.教育へ 特に小学校教育へ
地域医療があるように地域教育という言葉があって然るべきだと思う。地域とつながっている教育、それが小学校教育だと思う。子どもたちに優しさの芽を植え付けたいと思う。
#3.旧・忽戸(こっと)小学校校舎の再利用
「コットン・プロジェクト」と名付け、地域の茶の間として再生させよう。
#4.医師会活動
状況に応じて、再開するかもしれません。
…・…・…
本当は、これを一番に持って来なければならないことだと思います。
私は、私を支えてくれる全てのスタッフの人生を守ります。
スタッフは空気中の酸素、彼等、彼女等なくして私の存在はないです。感謝します。
この一年を、楽しく、工夫を凝らして、笑顔をたくさん集めませう!
(2015.01.01 南房総に降った雪 … 娘たちが作った雪だるま)
2014年の暮れは看取りの連続でした。
12月31日は、90歳を超える独居のお婆ちゃんがクレアチニン8以上(正常1以下)の慢性腎不全のため自宅で静かに看取られました。
隣人のよう子さんのサポート、訪問看護師、ヘルパーさん達でゴチャマゼ・ケアを提供した結果、満足死を達成することができました。
涙を流しながら、笑顔でお別れをしました。遺影には私が撮った写真が使われるそうです。
いつも「ありがとう!ありがとう!」と言い、みんなから愛され、みんなから心配されていました。
亡くなる直前の「何か口にしたいですか?」という私の質問に、「ワインを飲みたいわ」と答える。
最後の晩餐ではないがワイン、最高のワインを準備しました。私の上司である松永醫院の外来師長、
彼女が嫁に入っているワイン屋さんに依頼し、デカンタージュまでして香を立たせて、最高のワインを最高の状態でのんでもらいました。
その前日、12月30日には、あと3ヶ月で100歳を迎えるお婆ちゃんが施設で亡くなりました。
段々と食事摂取量が減り、枯れて、施設看護師が御家族に説明している通りの経過で看取られました。
老衰です。あと少しで100歳だったので、私は残念に思いました。
しかし、御家族は、南房総市からは肖像画をもらい、国からは銀の杯をもらっており、すでにもらうものはもらっているし、寿命が来たのだと言っています。
その通りでしょう。
私の仕事は、「満足死」を求めることです。涙の中、笑顔で看取ることです。
そうすると、10年経っても思い出しながら涙を流すことができます。存在していないけど、存在している。
私たちの心の中で生きているのです。
人里離れた老人病院で、ただ死を待つ老人たち。築地の冷凍マグロ状態、あるいは廃線となった鉄道枕木状態と言っています。
存在しているけど、存在を忘れられている。「愛・Love」がない状態は不幸であると、マザーテレサが言っています。
「存在しているけど存在していない存在」より「存在していないけど存在している存在」を目指したいです。
私たち医師は、死の三徴候(心拍停止、呼吸停止、瞳孔散大)をもって死亡確認します。そして、死亡診断をします。
死亡診断は医師しかできない重要な医療行為です。
死の三徴候があるのならば、生の三徴候もあるのではないかと考えました。
これを持って生きている、これを失ったら死んでも構わないという三つとは何なのか、考えました。
世間では「ボケたら死にたい!」と言っています。実は、癌や事故などで死ななかったら、加齢に伴いほぼボケます。
ということは「ボケたら死にたい!」を認めてしまうと、「全員死になさい!」となってしまいます。
私たちが進むべき道は、「ボケても安心して生きて行ける社会」創りです。
私はこの三つを大切に生きてきました。医療活動をしてきました。
これからもこだわり続けます。
そして、笑顔グループを創りました。
一昨夜、笑顔グループの忘年会がありました。
例年は12月上旬に開かれていたのが今年は12月26日と年末となり、
一年を締め括るのにふさわしい工夫を凝らした、とっても楽しく、思い出深い忘年会となりました。
忘年会幹事のみなさんに感謝します。
みなさんはサンタさんにお会いしたことがありますか?
私はサンタさんにお会いしたことはないですが、毎年サンタさんをしています。
みなさんの心の中にサンタさんは生きているのでしょう。
実は、私、サンタさんの親戚のヘータさんなのです。
昨日、90歳を過ぎたお婆ちゃんをグループホームで看取りました。
色白のお婆ちゃんで、ホッペがピンク色に滲んで、とても亡くなっているように思えないサンタさんのような最期の姿でした。穏やかな最期です。
病院では、亡くなると人知れず病院の裏玄関から退院していきます。
サンタさんのお婆ちゃんは、長年一緒に生きてきた仲間と最後のお別れをして、正面玄関からお見送りをしました。死ぬことは、生きることと同じ。
最期の最期まで、いのちを支えてくれたスタッフに感謝、
最期の最期まで、私たちにいのちを託してくれた御家族に感謝します。
早朝に看取った後はひと眠りをし、散髪をし、往診を数件し、縄跳びの練習をしたいという末娘のリクエストに従いアクアラインを通ってお江戸に向かいました。
歩行者天国の雑踏の中、縄跳び23回の自己新記録を達成したのでした。
私が学生時代に、ブラック・ジャックのモデルとなった東京医科歯科大学 胸部外科教授の鈴木章夫先生(※外部リンク)が講義で、
「君たちは本を読む人間になるのか、本を書く人間になるのか、いったいどちらなんだ?」という質問を受けました。私は本を読む人間ではなかったので、まずは、本を読む人間になろうと思いました。
隣にいた友人は、本を書く人間になろうと思ったそうで、たくさんの本を実際に書いています。
松永醫院に地域医療、地域包括ケアを学びに研修医、学生がきます。東京医科歯科大学、虎の門病院、みさと健和病院、最近では亀田メディカルセンターからの研修医がきます。
病院視点とは異なる町医者の魂を学んで帰ってもらっています。また、来た研修医に私の行っている地域医療に対する問題点を指摘してもらったり、助言を求めたりしています。
私の理念を現場で働くすべてのスタッフに理解させるべきであるという助言に対して、全てのスタッフを集めて年1回年頭に私の思いをお話しています。
ホームページを作るべきであるという助言に、高齢化率40%を超える千倉で増患を狙うホームページ作成は期待できないと思いながら、ホームページを作りました。意外と私は素直なのです。
そして、とんでもない「本を書くべきである!」という助言を受けました。無理です。と想いながら、文章を書くことが苦手な私が、文字に残すことを決めました。
少しずつ文章を残すことにより、もしかして将来1冊の本を書くことができるのではないかと考えています。
頑張ってみます。
(写真は2014.12.21の早朝、自宅下の千倉町海岸にて)
※おかげさまで、多くの皆様にご参加いただき無事に終了いたしました。
ありがとうございました。
”在宅医療で認知症患者をどう支えるか”をテーマに『千葉県認知症地域支援懇話会』が開催されます。
日頃、千葉県内で在宅医療・認知症患者を支える先生方の活動や取り組み内容についての講演を予定しております。
私も『外来・在宅・施設のシームレスな認知症ケア』と題し、南房総市千倉町を中心に展開する笑顔グループの認知症ケアへの取り組みをご紹介させていただきます。
参加費は無料です。皆さまお誘いあわせの上、是非ご来場ください。
日 時: 平成27年1月18日(日) 14時00分 ~ 16時30分
テーマ: 千葉県認知症地域支援懇話会
~在宅医療で認知症患者をどう支えるか~
場 所: アパホテル&リゾート東京ベイ幕張 ホール2階
※詳しいご案内は、こちらをご覧ください。
※おかげさまで、多くの皆様にご参加いただき無事に終了いたしました。
ありがとうございました。
私もお話しをさせていただく講演会のご案内です。是非ご参加ください。
(参加お申込みなど詳細につきましては、後日改めてご案内させていただきます。)
日 時: 平成27年2月21日(土) 15時00分 ~ 17時30分
テーマ: 千葉県医師会第3回終末期医療に関するシンポジウム
「地域包括ケアシステムにおけるかかりつけ医の役割」
場 所: 千葉県医師会会館
※おかげさまで、多くの皆様にご参加いただき無事に終了いたしました。
ありがとうございました。
第5回地域医療連携交流会を開催します。今回のテーマは”家で過ごすこと ~医療の関わり~”です。
地域住民の方が出来るだけ住み慣れた土地、家で過ごせるよう、地域に根付いた医療機関としての関わりなどをご紹介させていただきます。
日 時: 平成26年12月1日(月) 18時30分 ~ 21時30分
テーマ: 家で過ごすこと ~医療の関わり~
場 所: 亀田医療技術専門学校2階ホール
日本は、世界有数の経済大国となり、長寿世界No1の国となっている。今の高齢者世代が、我が身を犠牲にしながら、世界中の人々が憧れる「お金持ちで、長生きの国」日本を作ってくれた。しかし、その高齢者たちは、歳の取り方を知らず、老いて行くということを理解していない。「申し訳ない。」と寂しそうに呟き、肩身を小さくしながら歳を取っている。長生きで、豊かな、平和な社会をつくってくれた人生の大先輩たちが、それに見合うだけの人生の最期を送っていただきたいと思う。
ほとんどの高齢者が、人生の最期を住み慣れた自宅で、家族に囲まれながら過ごしたいと望んでいる。しかし、自宅で最期を迎えるのは13%ほどとなっており、家族に囲まれながら最期を看取られるのはその半分ほどとなっている。多くの高齢者が自宅で最期を迎えることを望みながら達成できないのはおかしい。ならば、望めば最後まで自宅で、その地域で、尊厳を有しながら生き切ることのできるモデルを創りたいと考える。
私の仕事は、目の前の患者さんの10年未来のいのちを守ることだと考えている。今をだけ守るのではなく、未来も守ろうとする医療は、
優しい医療へと通じるものと考える。いのちを助けるだけでなく、いのちを支える医療を実践したい。いのちを助け、いのちを元気にし、いのちを輝かせたい。目の前の患者さんのいのちを輝かせ、笑顔を集め、いのちに優しく、こころ豊かな、しあわせを感じられる地域を創りたいと思う。
しあわせとは、気付くこと、見つけること、拾い上げることだと思う。足りないことを探し出すのではなく、当たり前のことに感謝し、空気中の酸素に感謝しよう。
私たちは、日本一、地球一、笑顔を集め、地域に社会貢献し、平和な地球貢献を目指す。
※トップページのご挨拶を再掲。
笑顔グループのホームページを開設しました。
これから少しずつ内容を充実させていきますので、末永くお付き合いいただければ幸いです。