~ 理事長のブログ ~

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2017年11月26日(日)

あれから20年

1997年11月19日、20年前、父・松永春二を自宅で看取りました。
あれから、20年。早いものです。

父と闘い、父から逃れるために、千倉を捨てて東京へ出て行きました。
しかし、父の呪縛なのか千倉に戻ってしまい、大嫌いな父と同じ行動を取っています。
裸足で往診をし、父が使っていたボロボロの往診カバンを持ち、診療所全部に響きわたるような大きな声で診察をしています。

父・松永春二を追い越さなければ・・・。
それが、この私のすべきMission。



この1週間もいろいろありました。
月曜日、私の優秀なスタッフと「赤とうがらし」というお店に行きました。
韓国料理の焼き肉屋さんで、松永醫院から歩いて行ける距離です。
これまた、美味い!なんで今まで知らなかったのだろう。
これから、食べに行きますので、4649!

火曜日、松永醫院の目の前に引っ越してきたインターネット会社「インターコム」。
オープンして1年経って、はじめてインターコムの幹部社員さんと食事会をしました。
食事会というよりは、お得意の「カッポレ」です。
田中さん、鈴木さん、石井さん、これからもお隣さんとして、4649!



水曜日、お江戸の日。午後の訪問診療に研修医の半熟タマゴ先生と同行しました。
患者さんに寄り添う医療をして行こうね。

木曜日、勤労感謝の日。また、在宅医療の日でもあります。
例年、東京ビッグサイトで在宅の勉強会が開かれ参加してきました。
今年、何でか忘れてしまって特養「花の里」の施設診察など残務処理をしていました。



金曜日、亀田メディカルセンターの研修医のアユ先生が来ました。
「あなたはアユ先生ですか?」を英訳すると"Are you Ayu Dr?" となります。
10年未来の患者さんのいのちを守ろうね。ゴチャマゼが良いよね。



土曜日、娘の病院受診にお供をし、お江戸へ。
夕方から、品川で、何でか専門外の整形外科のお勉強へ行ってきました。
それにしても、品川がビッグシティーになっていました。その後、銀座で徘徊。

日曜日、朝からお江戸に向かい、アレルギーと血液サラサラの勉強をしてきました。
医学は進歩しています。薬学部出身の私は、もう少し薬にこだわった方が良いかなぁっと 呟いております。



本日の夜、越前かにを食する予定。
つまり、今宵もカッポレ!
美味しく食べるためにサンキュー・ジョギング 3.9Kmを走り、
これから、マンション1階にある大きな風呂に入ります。

みなさん、この1週間を頑張りませう!
アディオス!


2017年11月20日(月)

今宵もヌーボーで

この1週間、いろいろありました。ヌーボー解禁に、勉強会、会議と続いています。
新しく覚えた大切な言葉、「一日28時間働く!」、善い言葉です。

木曜日、館山で生涯大学の学生さんたちに講義をしました。
女学生、男子学生さんたちですが、元美女、元美男子のほとんどシワだらけの学生さんたちばかりでした。 体は歳を取りますが、心は20代のままのヤングオールドの方たちです。

「館山はデンマークこえ」という題目で1時間30分とチョッと、吠えまくりました。
いつもの通り、指定時間をチョビッとオーバーしてしまいました。
昼食後の眠い時間ですが、寝ている人はいなかったと思います。

デンマーク、給料の半分は税金にもっていかれ、25%の消費税があるためにメチャクチャ物価が高いです。 (私のフェイスブックでマクドナルドの時給とハンバーグの値段を参照)
でも、教育費、医療・介護費がタダ、どころかケアスタッフの養成が必要と判断すると給料を出してまで教育をする国です。 100年未来を見据えているのです。

老後を心配する必要がないので貯金する必要がないです。 日本は何かに備えてタンス預金までして、結局使わずじまいに人生を終らせてしまっています。 お金は使って価値が生まれますので、タンス預金ではお金は紙くずでしかないです。

そして、デンマークが一番の憧れの国になっているのは、世界一の「幸福大国」であること。
私達の一番の目的は、幸せになること。でも、自分だけが幸せになることができないので、最初に幸せは周りに配ることが大切です。医療の世界でいう「利他」の世界です。

館山は安房地域の一番中心の街。頑張って安房を引っ張り上げる街でなければなりません。
東京からアクアライン、館山道を使って約1時間半のアクセス、風光明媚な館山が、是非、安房のリーダーとなり日本一の幸福街になりませう!ってな話しをしました。

11月16日(木)は、ヌーボー解禁の日。今年のヌーボーは美味しい!
香り華やかで、フレッシュな甘みと適度の酸味があり、もう4本飲んでいます。
青木屋さんにおかわりしに行ったら、既に売り切れ。早すぎます。



11月17日(金)、笑顔グループの幹部会がありました。
今をみて、未来をみる場です。みんな、お金の向こうにある幸せを求めて頑張っています。
そして、善いことを実践し、時代が私達の後についてくることを夢見ています。


11月18日(土)、松永醫院の患者会「コットン」を開きました。
雨にもかかわらず多くの患者さんが来て下さいました。良い医療を実践するためには、患者さんと共に双方向性の医療変革が必要となります。



最初に私が「かかりつけ医」とは何かを話しました。
笑顔グループには女優、男優がたくさんいます。ですので、次に認知症の寸劇をしました。
「私、薬、のんでいません」と「チョッと出かけてきます」です。

私が尊敬する佐久総合病院のカリスマ院長であった若月俊一先生が、「講義をたれるな、劇をしろ!」「地域の中へ」と言っていました。実践しました。
そして、認知症サポーター養成講座をし、オレンジリングを患者さんに配りました。

最後は、認知症予防と運動を取り入れたコグニサイズをみんなで行いました。
全部で約1時間とチョッと。そしてお茶を飲みながら振り返りをしました。
私は午後5時から東京で会議がありましたので、途中でお暇をいただきました。

そして、何よりも誇らしいことは、私が何も指示していないのに松永醫院のスタッフ全員が患者会「コットン」を手伝ったことです。松永醫院、スタッフに支えられています。
また、最近の松永醫院、スタッフの優しい対応などで褒められることが増えています。

私を支えてくれているスタッフ、いつも有難うございます。
感謝していますよ。



11月19日(日)、埼玉の大宮でプライマリーケア連合学会地方支部の学会が開かれました。
午前中はエコーの勉強会。弘前大学総合診療科の小林只先生は、まだ若いけど天才ですね。
午後は福井県名田庄の中村伸一先生のお話しが感動的でした。

くも膜下出血の患者を見逃してしまった時、患者家族から「間違いは誰にでもあります。だから気にしないで下さい。 お互い様ですから。」と言われ、人口2000人チョッとの名田庄に骨を埋める覚悟を持ったそうです。

医療、介護、福祉の協働拠点センターをつくり、家で看取る文化を育て、地域包括ケアを推進し、その結果一人当りの医療費、介護費を大幅に減らしました。
そして、な・な・なんと、NHKのプロフェッショナルに出演したのでした。

中村伸一先生が地域医療において大切にしたいこと
・プラス思考:どんなに辛いことがあっても、常にプラス思考で行動することが大切
・地域親和力:地域を、人を大好きになることが大切
・寄り添い力:人のことを自分のことと考え、温もりを伝え合う優しさが大切
・バランス医療:経営的にも、人間的にもバランスを取ることが大切
・枠越え力:医師でありながら行政マンである発想で、ゴチャマゼ力と言っても良いかもしれません。

プライマリーケア連合学会には、亀田メディカルセンターの若手医師がたくさん来て、ポスター発表もしております。 頑張っていますね。勉強になりますものね。
来年のこの学会、千葉で開かれることになっております。楽しみです。
私もお手伝いをする予定となっています。



もっと、もっと、もっと、頑張らなくちゃ!
全力疾走でフルマラソンを息も注がずに走らなくちゃ!
一日28時間働なくっちゃ!

と妄想しながら、今宵もヌーボーで沈んで行きました。



患者会 コットン
~ かかりつけ医とは ~

平成29年11月18日(土)
松永 平太

<安房の医療は日本一、地球一>

<誕生してから亡くなるまでを診る>
 平均寿命84歳の命全てを、医師が診る

<選択肢の少ない田舎の豊かさ>
 選択肢の多い都会の貧しさ

<臓器別、疾患別の専門医療>
 「専門なんか内科!」っと言っている私
 患者さんの丸ごと命を守ることは負けない

<日野原重明先生、永井友二郎先生、松永春二>

<かかりつけ医とは>
 家庭医、総合診療医、プライマリーケア医・・・
 いのちに関して何でも相談できる
 困った時には、温もりある手を差し伸べる
 信頼され相談される、病気95%は診られる
 診られない場合には専門の医師に紹介する
 健康教育や健康管理にも熱心、予防医療
 患者さんの自分自身の健康を守る意識向上
 早期発見、早期治療でいのちを守る
 病診連携がうまくいっている
 命を支えるのが上手い
 命を支える医療保険と介護保険を駆使する
 元気にさせ、笑顔を作る
 看取るまで診る、在宅医療の提供
 医師同士からも尊敬される
 常に最新の医学を勉強し、研究し、教育する
 いのちに優しく、こころ豊かな、幸せを感じる
 ことのできる社会を創る


2017年11月15日(水)

アンナバレエ2017



11月12日(日)、南総文化ホールで子供たちが煌びやかに踊るバレエの発表会がありました。
1000人以上が入る大ホールで、大きな音響と彩り鮮やかな光と色鮮やかなコスチュームを身にまとった子供たちが舞台の上を跳びはね、優雅に踊っていました。

今年のお題目、Don Quixote ドンキホーテ
午後1時開演し、午後5時過ぎまでの濃密な4時間、みんなで頑張りました。
Don Quixoteは3幕あるのですが、普通1幕ごとの公演となるところを一気に全幕公演しました。ボリューム満点!スゴすぎます!



よくも子供たちは4時間もの公演のバレエを覚えました。感心します。
小さい子で5歳から、小学生と中学生が中心となり、夏のお盆明けからバレエの発表会のための練習が始まります。

9月に入ると平日の練習に加え、週末、土曜日、日曜日も練習が始まります。
発表会直前には、中学生は夜11時過ぎまで練習があったりします。

「バレエの発表会」という一つの目的のために、みんなが一つになり、それぞれが頑張り、
家族全員が一致団結し、いろいろなことを犠牲にしながら、先生方の指導の下、成し遂げた「バレエの発表会」の達成感は何物にも代えることができません。人生の宝になるでしょう。



今回、高校3年生のマオちゃんの最後の発表会となりました。
マオちゃん、バレエも上手で一生懸命、下級生にも優しく、練習中にお勉強もして成績優秀。
そんなマオちゃんの最終バレエ発表会のため、東京バレエ団のプリンシパルであるダン先生をお呼びしての公演会でした。

実は、私、6年前からマオちゃんのファンでした。
バレエのこと何がなんだかよくわかりませんが、私、見る目があるようです。
マオちゃんには、どんな未来が待っているのでしょうか。期待しています。

「アンナバレエ」スタジオ、良い指導者に恵まれました。
マヤコ先生、ケンジ先生、キヨミ先生、有難うございました。
そして、今回、0歳児の赤ちゃん、マヤコ先生のご令嬢も初舞台で参加しました。
三世代にわたっての出演、おめでとうございます。
これからも、安房地域の文化の向上に貢献してください。


2017年11月13日(月)

鈴木篤先生

この週末、11月11日(土)、私がお世話になった鈴木篤先生の古希のお祝いがありました。
鈴木篤先生、東京大学出身の外科の先生で、私が初めて医師として真面目に勉強していこうと思った時の指導医でした。

1992年、東京医科歯科大学を卒業し、医師になり、埼玉県三郷市にあるみさと健和病院へ入職しました。 その時の同期は私一人。独りぼっちでした。 仲間がいないのは寂しいもので、こんなことで悩んでいるんだぁ・・・と相談することができなかったのです。

いのちを預かるので自信のないことはしないと決意しました。
しかし、いのちに関して初めてのことだらけなので自信のない世界で独りボッチになって
何もできずに戸惑っていたのです。

私の車の運転、以前は、何人たりとも私の前を走らせない!っというノリでした。
赤いテールランプを見ると、アドレナリンが分泌され、どの様に追い抜こうか・・・。
でも、今は安全運転に心がけています。だって、患者さん、スタッフ、家族がいますものね。

そお、私にはライバルが必要なのです。
私は、同じ仲間がいることにより、互いに切磋琢磨され、伸びていくタイプの人間なのです。
っと振り返ってみると、そんな風に思えます。

医師になって二年目のとき、鈴木篤先生の下で外科研修を行いました。
外科に対する見方が一変しました。
自分自身がもう一度医師としてスタートするなら、外科医を目指すでしょう。

父・松永春二は外科医でした。だから、外科が嫌いでした。
血を見ることが嫌い、人間の皮膚、筋肉、臓器を切り開くなんてとんでもない!と思っていました。

外科はチーム医療になるので体育会系のノリがあり、先輩後輩の立て関係が厳しい。
手術が夜までに及び、終ればみんなで深夜まで飲み歩く。
私は、外科医にそんなイメージを持っていました。

「手術をして飲み歩く」ではなく「手術をして標本をつくる」という世界を知りました。
手術のレポートをつくり、切除した組織を切り開きピンで留め、標本をつくる。採ったリンパ節を部位ごとに分け、顕微鏡の世界への準備をするのです。とっても地味な仕事でした。

そして、術後の患者さんの命を全身管理して守るのです。
場合によっては病院に泊まり込んで、看護師さんと一緒になって、患者さんのいのちを守るのです。

みんな手術をしなければ死んじゃう患者さんたちばかりです。だから、必死です。
術後元気になり、笑顔で、歩いて家に帰る患者さんを見ると、本当に医者になって良かったなぁ~っとつくづく思いました。



私は良い医者になろうと覚悟を持ったのが、鈴木篤先生と一緒に仕事をしたこの時です。
鈴木篤先生、40代半ばで東京北千住にある柳原病院の院長となり、外科部長であり、良き指導者でもありました。 院長でありながら一緒に当直したり、深夜までエコーの読影をしたりと、患者さんのために尽くしました。

鈴木篤先生は、東大医学部時代は学生運動で闘い、仲間のために自己犠牲を払いながら奔走していたそうです。 医師になってからは、市民のための医療活動をしたいと地域へ出て行き、柳原病院を中心に地域医療を実践していました。

埼玉県三郷市に地域医療の拠点病院を作ろうと市民と一緒になってみさと健和病院を開設しました。 私が東京医科歯科大学を卒業して、研修医としてみさと健和病院を選び入職したのは、医療者と市民が一緒になって新しい地域医療を作ろうとした機運を肌に感じたからだと思います。

鈴木篤先生の世代の優秀な医師たちが集結し、一つのモデル地域医療を実践しました。
ということは、鈴木篤先生と同様に70歳前後の世代となり、次の世代に引き継いでいかなければならない時期となっています。

私も、困った人に温かな手をさし伸べる、弱者に対する視点を持った医療を実践する文化は
この時に身に付けたような気がします。
とっても大切にしなければならない文化だと思います。

鈴木篤先生、その後も地域医療を実践し、地域を越えて医療グループである全日本民医連の会長まで勤めたそうです。 いつまでも元気で過ごしていただきたいです。
そんな鈴木篤先生の背中を追い求め
私もこれから全力疾走でフルマラソンを息継ぎもせず走りたいと思います。

今回のパーティーは、「Tapis Rouge(タピルージュ)」という名の北千住にあるフレンチレストランで行われました。 東京芸術センタービルの20階にあり、おそらく最高のフレンチレストランです。








2017年11月09日(木)

「ありがとう!」と言ってくれる仕事



千倉中学2年生の優秀な3名の女の子が、職場体験で松永醫院に3日間来ています。
しかも、3名の女の子は優秀だけでなく、将来ベッピンさんになること間違いなし!
どんな未来が待っているのでしょうか。10年未来が楽しみです。

初日、朝のミーティングにて

心臓って一日何回拍動していると思う?
一日、10万回もだよ! っということは一月で300万回、ということは一月300万円!
一年では3600万円にもなっちゃうよ!す・す・スゴイね!しかも、死ぬまでだからね。

ってな感じで、拍動数をお金にすり替えて人体の不思議さを伝えたつもりです。
その後は、松永醫院のドタバタ外来をみてもらいました。
一緒にレントゲンを撮り、エコー検査をみて、経鼻内視鏡検査をみて、走り回りました。

「いのちを助けること」と「いのちを守ること」の違いは何?
知識も経験もない君たちが、今、患者さんに対してできることは何?
⇒ 気持ちの良い挨拶だよね
肝臓は何しているの? 腎臓は何しているの? 胸とお腹を分ける臓器は何?
長生きは○? それとも×?

人生の目的は何? お金持ちになること・・・じゃなくて、「幸せのため」だよね
でも、自分だけ幸せになることはできないよね。だから、先ずはまわりに幸せを配れば
グルン、グルン、グルンと回って幸せは戻ってきて、みんなが幸せになるよね。

「楽しい」と「悦び」の違いってわかる?
マラソン、走っていると苦しくて、辛いよね。でも、頑張ってマラソンを走り終えた後には、悦びが待っているような気がするよね。

「辛い」ことを頑張って乗り越えた時、「辛」が「幸」に変わるんだ。
字は似ていて、意味は全然違うように見えて、本質は似ているだね。

「ありがとう!」と言ってくれる職業って良いよ!
「ありがとう」と言われると、疲れが吹っ飛び、もう一つ、二つ、三つ頑張っちゃうよ。
人間は、他の人のために頑張っちゃう動物だからね。



研修医、医師、薬剤師、大学生さんと松永醫院に地域医療の勉強に来ます。
それなりの満足度を得ながら、それぞれの仕事場に戻って行きます。
おそらく、「スキルよりマインド」「10年未来のいのちを守る」という私の医療に触れて、
忘れてはならない医療の心が残っていることを感じてくれるからでしょう。

千倉中学2年生が松永醫院へ来るのは今年が初めて。
何を伝えたら良いのだろうか。

いのちの不思議さ、いのちの大切さを伝え、いつか消え行くいのちの行方を伝えよう。
いのちを助ける医療だけでなく、いのちを守る医療、いのちを支える医療を紹介しよう。
いのちを助け、いのちを元気にし、いのちを輝かせる医療、それが優しい医療だと思います。

そのためには、薬剤師、看護師、ケアスタッフ、リハビリスタッフ、栄養士、事務スタッフ
などの様々なスタッフがキレイな虹色になり、多職種が協働しながらチーム医療を提供し、
無色透明のゴチャマゼケアを提供することが必要です。

今回の千倉中学2年生の職場体験、私の上司である外来看護師長であるミサさんの協力で成り立っています。 いつも、工夫をしてくれて、ありがとう!
そして、なんと、今回の職場体験、ミサさんの娘が参加しています。



親の背中を、子が追う。
働く親の存在を認め、感謝し、未来に憧れる瞬間でしょう。

松永醫院、すでに日本一、地球一の田舎診療所になっていると思います。
でも、まだ、まだ、まだ、努力します。工夫をします。
そして、より良い松永醫院へ、いのちに優しく、こころ豊かな地域を創るよう努力します。

「ありがとう」と言ってくれる職業、有難いです。頑張っちゃいますよ。
もし、未来、お医者さんになったら、この松永醫院全部あげちゃうよ!


2017年11月06日(月)

Living well with dementia

今週末も東京に台風が来た。正確に言うとハリケーン「トランプ」。
花札でもなく、オイチョカーブでもなく、トランプである。
こんな話し、どうでも良いのだが・・・

東京で認知症のお勉強をしました。
認知症初期集中支援チームの役割など、認知症になっても誰もが幸せに生きられる地域を目指して開かれた勉強会です。

私が尊敬する東京慈恵会医科大学の繁田雅弘教授が司会を行い
東京大学の名誉教授である松下正明先生が特別講演をしました。
松下先生、有名な先生だそうです。初めて認知しました。

その松下先生の講演の一部をメモ書きにして、みなさんにもお裾分けをしますね。

認知症診療の基本姿勢
・「認知症に人の声や心を聴く」ことの大事さ
・診察時の言葉の大事さ、「人生経験豊かな人」への敬意
・診察時の目線などコミュニケーション・スキルの大事さ
・ユマニチュードとは、「優しさを伝えるケア技術」
・ユマニチュードは「あなたは私にとっても大切な存在である」というメッセージを伝える技術である
・認知症の人が、これまでにどのような人生を送ってき、現在、どの様な精神状態にあり、
 今どのような思いや気持ちでいて、何を訴えたいのかを知ることが大切
・そのためには「知る」ことが大事。
・BPSDいわゆる問題行動は、記憶、人間関係、仕事、家事など、これまでの長い人生の中で獲得して
 きた大切なものが認知症によって失われていくことに対する不安、恐怖、絶望としての症状である
 と思われることが多い。
・BPSDは、認知症の人自身の切実な訴え・心の叫び、ときには抗議行動かもしれない
・BPSDを通して、認知症に人の心情を理解することが大切
・Ageismは高齢者偏見、歳を取り老いていくことを良くないことと考える概念
・Ageismは、人類の歴史上いつも存在し、今も社会の至るところに存在する
・障害者施設「津久井やまゆり園」の事件、高齢者虐待、介護施設における事故
・認知症になると、生きることに値しない生命か

松下先生、最後に述べた言葉

知を深め、技を磨き、人間理解に努め、それを基礎として、社会に穏然として存在する、
高齢者や認知症に人などの弱者に対するステレオタイプ、偏見と差別、虐待、そして排除・抹殺という思想や行為に対する闘いへのリーダーシップを発揮して、厳然と立ち向かっていくMission社会的使命がある。
それはまさに、人間の尊厳を守るための闘いでもある。



お勉強会が終ったら、直ぐに千倉へ帰還。
部屋の片付けをした後、松永醫院でいつものサンキュー・ジョギング(3.9Km)で体をリセットし、介護保険の意見書を書き、いつもの青木屋さんでワインを買い、今宵もカッポレ!準備を開始しました。

すると訪問看護から連絡が入り、認知症で独居のおバアちゃんが頭から血を流して道路に佇んでいるところを発見されたとのこと。私の患者さんです。
市民から110番で警察へ、血が流れていたので119番で救急隊要請。

歩けるし、意識状態も普通で、出血も止まりかけている。ヘノカッパ状態。
しかし、血を出しているからと言って館山にある医療センターに搬送しかけていた時に
そのおバアちゃんの持ち物の中に訪問看護ステーションへの電話番号のメモが見つかり
訪問看護師を通じて私の携帯電話にかかってきたのです。

「私が診ますよ」と松永醫院まで救急搬送し、軽く処置をし、自宅へ帰ってもらいました。
あのまま病院受診していたら、遠くの家族が呼び出され、地域の民生委員が呼び出され、
またこんなことが繰り返されたらたまらない、何かあったら大変だ!といって施設収容型問題解決
「施設に入って一丁上がり!」の世界が待っていたような気がします。

訪問看護との連携が上手く行きました。
なにかあったらと救急隊には私の携帯電話をお伝えしています。
こんな風にして、救急の負担を減らし、認知症の人が地域で暮らせる社会に通じるのだろう。

そうだ、昼ご飯、食べていなかった。。。




2017年11月01日(水)

インフルエンザ・ワクチン

本日11月1日、11月に入りました。早いもので今年も残すところ二月余りとなりました。
また、インフルエンザ・ワクチン接種の季節を迎えました。

泣き叫ぶ子供を羽交い締めにして、痛いことをしてもっと大きな声で泣き叫ばせ
親から銭を巻き上げ、最後に礼まで述べさせる 悪~い人は誰でしょう?

答えは、そお、私達医療者です。
普通はお金を持っているお客の方が偉く、威張っているのが普通です。
しかし、医療の世界ではお金を支払う患者さんのほうが弱いのです。

それは、私達医療者はお金の向こうのいのちを守るために頑張っているからです。
痛みの向こうの健康を守るために、我慢してインフルエンザ・ワクチンを接種するようお願いしています。 予防にまさる治療は無いと考えて下さいね。

日本一長生きの長野県は、ひとり当りの老人医療費が日本一少ないです。
つまり、お金をかけずに日本一、ということは世界一の長生き地域となっているのです。
長野県がなぜいのちを守るコストパフォーマンスが高いのかは、予防医療と在宅医療が進んでいるからだと言われています。

病気になってから治すのではなく、病気にならないように予防することが大切なのです。
車と同様に定期的な検査、予防を行うことで、健康的に過ごせて、安上がりとなります
もう一度述べます。予防にまさる治療はなし!っということです。

インフルエンザ、重症化しやすい風邪の親分だと考えて下さい。
肺炎だけで無く、髄膜炎、脳炎を引き起こすことがあります。

髄膜炎、脳炎は頭がパァ~になっちゃう病気なので、なったら大変なことになります。
髄膜炎、脳炎になっちゃったら、自分自身の人生が辛くなっちゃうだけでなく、家族にも大きな影響を与えてしまいます。

インフルエンザ・ワクチンを接種することにより重症化を予防し、髄膜炎、脳炎を起こす危険性がゼロ近くになります。 だからこそ1500円と少ないのですが、公費助成になっているのです。なってからでは遅い、髄膜炎、脳炎。
みなさん、インフルエンザ・ワクチンを接種して下さいね。

インフルエンザウイルスと肺炎球菌は仲がよいです。
インフルエンザ感染症はウイルス感染症。抗生剤が効かなく、自分の免疫力で治ります。
だからインフルエンザに安易に抗生剤を処方することは、意味が無いどころか薬が効かないやっかいな多剤耐性菌を生みやすく注意が必要になります。

肺炎球菌ワクチン、これも大切です。
インフルエンザウイルスと肺炎球菌は仲がよく、インフルエンザ・ワクチンと肺炎球菌ワクチンの両方を接種することにより、入院する危険性は三分の一へ、死亡する危険性は五分の一に減らすことができます。

だから肺炎球菌ワクチンに公費助成をして国は推奨しております。
ただ、問題は肺炎球菌ワクチンの公費助成が65歳の一回だけであることです。
65歳、国際的には老人の入り口です。しかし、ここ日本ではヤングオールドです。

肺炎球菌ワクチンを接種すべき人は、肺炎を起こして亡くなる危険性の高いCOPDなどの呼吸器疾患を持っている人、免疫力の低い人、肺炎を起こすと要介護状態になる危険性の高い人などが対象となります。つまり、虚弱高齢者も対象となります。

肺炎球菌ワクチンの有効期間は5年ほどですので、5年ごとに接種する必要があります。
肺炎球菌ワクチンの接種代は約8000円(当院は7000円)、65歳で打ち始めると70歳、75歳、80歳・・・と接種する必要が生まれてきます。

日本の高齢者の入り口は65歳でよいでしょうか。75歳にしようという動きもあります。
肺炎球菌ワクチンを65歳で接種し始めることは良いことですが、お金がかかります。
私は、虚弱高齢者となる80歳か85歳ほどで接種スタートするのが丁度良いと考えてます。

インフルエンザ・ワクチン接種の季節となりましたが、ワクチンの供給量が少なくワクチン接種しようにもできない状態となっています。現場は少々混乱しています。
でも、大丈夫ですよ。ワクチン供給量は約2500万本、例年より約250万本不足となりますが、ワクチン2回接種を1回接種にするなど工夫をすれば、全員打てますよ。大丈夫!






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