隅田川花火大会、東京医科歯科大学の同級生で年1回だけ会う友人がいます。
また、私のご主人様と初めて見に行った花火大会でもあります。30年以上前のことです。
私のご主人様、錦糸町駅内の連絡通路でゲロを吐いていました。
まだ、覚えています。あの頃の私たち、若かったです。
今年の花火大会、7月29日(土)に行われました。
午後2時半、千倉を出発しましたが、アクアラインは既に混雑しておりました。
通常1時間30分ほどの道程が2時間30分もかかりましたが、花火を見ながら食べるオカズを購入するために日本橋三越に向かいました。
夕方、東京では雨が降り始めました。午後7時前には本格的な雨となってしまいました。
隅田川花火大会は翌日へ雨天順延はなく、大雨だと中止になると聞いていました。
しかし、インターネット上で中止のお知らせは流れなく、テレビで7チャンネルを開いてみると花火大会が行われているではないですか。ビックリ!
花火大会が中止になると、花火は次回の花火大会まで取り置きしておくのかと思っておりましたら、湿気て使い物にならなくなるとのこと。全てがパ~っになるとのことです。
ならば、打ち上げられるものならば打ち上げよう!との昨晩だったかもしれません。
もし、花火大会が中止となっていたなら、テレビ中継はどうなっちゃうんだろう。
雨の中の花火大会となりましたが、焼き鳥屋さん、かき氷屋さんなどの露天商の人たちはどうなっちゃったんだろう。
結局、大学の同級生とは会うことができなくなり、
「互いに病気をしないで、死なないで、元気にして、また会おうね!」
と連絡をして別れました。
千倉に戻る高速道路から様々なところで開かれている花火大会が見えました。
袖ケ浦で、富津で花火が打ち上がっていました。
見てはいないですが、鴨川でも開かれていました。
毎週、どこかで花火大会が開かれています。
この千倉でも、日本一小さな花火大会がお盆に打ち上げられます。"BON FESTA"です。
8月13日(日)14日(月)15日(火)の三日間、午後8時から15分間花火が打ち上げられます。
その前8月8日(火)には、館山で水上花火大会が開かれます。これも日本一です。
砂浜に寝転がりながら、花火の根っこから花びら全体をみることができ、しかも目の前の水上でボ~ッンと爆発する光と音がタイムラグ少ない花火を堪能することができます。
3年前に見た日本一の長岡の花火大会も良いですが、館山と千倉で行われる花火大会の方が、
DNAにしみ込んでいて、味噌汁の匂いがしているような、何故かホッとする花火大会です。
是非、みなさんも、日本一を見に南房総へ遊びに来てみませんか。
本日、30日(日)、千葉で朝から夕方まで勉強会が開かれました。
7月も終ります。8月、夏本番となります。
そして今年も、私の夏は熱くなることでしょう。
ベルギーが来るよ
学校が夏休みとなり、今年もラジオ体操が始まりました。
私が住んでいる平舘(へだて)地区では、毎朝7時より地域の住民が50人ほど集まり
小さい子供たち、小学生の子供たち、自称ヤングと思う人たち、ヤングオールドの人生の大先輩たち、千倉小学校の校長先生、私、と様々な住民が集まって来ております。
ラジオ体操第1とラジオ体操第2と膝、首の小体操を行い、正味約5分間の体操です。
朝7時は、とっても忙しい時間帯。
自分自身が地区を盛り上げていかなければならない立場に立っていると考えていますので
頑張って行っています。今のところ、1週間ですが、皆勤賞です。
でも、行くと「おはようございます!」の挨拶で始まり、「今日も集まったね!」と世間話が始まり、終ると「また明日ね!」と別れて行きます。
みんなが集まれば楽しいラジオ体操になり、元気になります。また、行きたくなります。
自分一人だとできないことでも、みんなが集まれば楽しくできます。
みんなが集まるところに集まり、自分を待つ人がいるところに行く悦びもあります。
平舘(へだて)地区が一つになっている一体感を共有することができます。
私が一番嬉しく思っていることは、体力が落ちている人を、閉じこもりになりかけている人を誘って、地域で虚弱高齢者を支え合う世界があることです。
これは、国が求めている「互助」の世界が広がっているのです。
共に支え合い、地域で元気良く過ごし、その人らしく人生を送ることのできる地域
平舘がそんな地域力のある地域になるポテンシャルを感じることができます。
ケンタロウさん、奥さんが亡くなられてションボリしていましたが、元気になりましたね。
ミヨさん、腰がこごんで足腰が弱くなりましたが、また元気になりましたね。
今週、亀田メディカルセンターの研修医、プリティー加藤先生が来ました。
朝7時半に松永醫院に集合となっていますので、ラジオ体操が終ったら一瞬で汗を流し
パ◎ツをはく暇もなく、仕事に向かいます。
ラジオ体操、地域医療の一端です。
地域の中へ、地域住民の中へ。地域の中に溶け込むことは大切です。
「地域の中へ」佐久総合病院のカリスマ院長だった若月俊一先生の言葉です。
第6次産業、ものを作り、加工し、良い商品として提供する産業のことです。
たとえば、アワビを採り、美味しい煮アワビに加工し、美味しい料理としてレストランで提供することです。
第6次産業=第1次産業+第2次産業+第3次産業となります。
房州黒アワビ、絶品です。
東北、北海道地方で採られる小さい蝦夷アワビ、踊り焼きが美味しく、年間を通して食べることができます。
温かい地方で採られる大きいアワビ、マタカと言います。柔らかくて美味です。
房州で採られる房州黒アワビは、この蝦夷アワビとマタカの中間のバランスの取れた、ほどよく大きく、コリコリして、味が凝縮した海のダイヤモンドです。
「注文を間違えるお店」があるそうです。たった二日間の営業。
注文を取りに来る女性は、全員おバアちゃん。しかも、認知症を持っています。
だから、注文を覚えておくことができないのです。
⇒ ”注文を「忘れる」料理店 ふしぎなお店が目指すものは」(YAHOOニュース)”
ミスすること、間違えることを強く非難される現代です。
とくに医療の現場で言われます。ひやり、ハット。再発予防だ!と。
命がかかっているので、この現状を理解できます。
「注文を間違えるお店」、注文を間違えることを期待して、お客が集まって来るそうです。
しかし、注文通りに料理ができてしまうと、お客は残念がるそうです。
おもしろいですね。
人が間違えることを楽しむ、寛容の世界が広がっています。
私たちが忘れてはならない、でも、忘れかけていることが残っているような気がします。
私たちの仕事、第4次産業、サービス業です。
お金の向こうにある幸せのために頑張る産業です。
第10次産業、この第4次産業と第6次産業をゴチャマゼにしたサービスを考えています。
田舎だからできるサービス、地方創生できるサービス、チャレンジします。
第10次産業、この考え方は、亡くなられた村上智彦先生から教わりました。
昨日、私が尊敬する日野原重明先生が亡くなりました。105歳です。天寿でしょう。
100歳過ぎても外来に出て、ミュージカルにも出て、学会演説も行い、生涯現役でした。
私の目指すべき生き方です。
私の母校であり、私が学校医をしていた忽戸(こっと)小学校が閉校となる前、今から7年ほど前でしょうか、日野原先生に命の授業を依頼したことがあります。
聖路加病院の秘書さんが、「1年先のスケジュールまで一杯であり、その先は体調もどの様になっているからないので・・・」と言っていました。今思えば、もう少し粘れば・・・。
とうとう、梅雨が明けました。
九州、西日本の豪雨災害にはお見舞い申し上げます。
それに対して、関東地方は空梅雨になってしまいました。
雨が降るところには豪雨がこれでもか!っというぐらいに降り
雨が降らないところはカラカラに乾き切ってしまっています。
地球温暖化、気温がドンドン高くなれば水分はドンドン蒸発し、登って行った水分はどこかで冷やされて豪雨となって地上に戻ってきます。
自然災害ではなく人的災害だと思いますが、人間の知恵には限界があるのでしょうか。
この1週間を振り返りたいと思います。
7月15日(土)社会福祉法人「おかげさま」で夏祭りが開かれました。
流しソーメンを食べ、ヤキソバ、お稲荷さんなど糖質をがっちり食べ、かき氷を食しました。
ご利用者さん、ご家族さん、お孫さんたちも集まり、賑やかな夏祭りとなりました。
たくさんの地域の人たちも、テンプラ、煮物なども作って来て下さりました。有難いです。
「おかげさま」が、地域の中に溶け込むことは大切です。手伝って下さったボランティアの皆さまには、「ボケた暁には、優しくみていきますね!」とお礼を述べました。
7月16日(日)17日(月)は海の日、私たちの結婚記念日です。
「俺について来い!」と言って結婚したはずの私が、「ついて行きます!」の状態
主従関係が逆転してしまいました。お・か・し・い!
夕陽を見ながら、地上23階の中華レストランで幸せな一時を過ごしました。
生きることは、食べること。美味しいものを食べて、怒る人はいません。
ご主人様、これからもついて行きますので宜しくお願いします。
帰りに新宿に寄り、長女の夢は鼻眼鏡になっているメガネを新調し、末娘の心優は水着を2着買い、ご主人様は伊勢丹で私決済のカードで爆買い!
新宿の気温、37℃。アスファルト、コンクリート、室外機ブンブンの東京砂漠です。
千倉に戻ったら27℃。海洋性気候の千倉、最幸!
7月18日(火)、昼休みに千倉町の民生委員の方全員に私のお話を聞いて頂きました。
認知症の人が地域でトラブルを起こした時、施設に収容して一丁上がり!という施設収容型問題解決ではなく、地域の中で知恵を使い工夫しまくり問題を解決する地域内問題解決が大切であり、地域力が醸成されることを伝えました。
認知症の人が夜中に散歩に行き、失禁して佇んでいた! 転んで頭から血を流していた!
民生委員の方たちがガンバらざるを得ない場面です。でも、これからもこんなことで呼ばれるのは勘弁して!と施設収容に流れていく場面でもあります。
私、言っちゃいました。。。
「そんなときは、夜の夜中でも、いつでも私の携帯電話に連絡して下さい。」と
「ただし、私、ベロンベロンになっているでしょうから、送り迎えをして下さいね。」
認知症になって、地域の中でトラブルを起こすのは時々、しかもその期間は長くて1年。
たった1回の徘徊で地域から閉め出すことは、私たちの進むべき方向ではないです。
自由奔放に徘徊できる千倉町を作るために、今だけ私が頑張って認知症の人を守ろうと思ったのです。
泣き叫ぶ子供を羽交い絞めにして、とっても痛いことをして、もっと泣き叫ばせて、
お金までふんだくり取り、最後に礼までも述べさせる悪い商売は何?
⇒ そお、私たち医療者です。
普通じゃないです。こんなひどい商売は他にあるのでしょうか。
ヤクザでもこれほどの世界は無いでしょう。
私たち医療、介護、福祉の世界は「第4次産業」、サービス業です。
第1次産業は、農業、漁業などの生産業。
第2次産業は、製造業。
第3次産業は、サービス業。
第3次産業と第4次産業は同じサービス業です。では何が違うのか。
第3次産業はお金のために頑張る産業。ウソをついても銭を取ってきた人が評価されます。
第4次産業はお金の向こうにある幸せ、命を守るために頑張る産業。嘘つきはいないです。
第3次産業、お金のためだからお金を持っている人が威張っています。我が儘を言います。
第4次産業、お金を支払う患者さんが「お世話になりました。」と感謝の言葉を言ってくれます。
第3次産業、お金のために集まっている輩だから悪い奴がいる!っという性悪説の世界。
第4次産業、命のために頑張っている同志だから悪い奴はいない!っという性善説の世界。
第3次産業、お金にならない不採算部門は閉じてしまいます。
第4次産業、お金にならなくても質の高いサービスを提供するのに必要な部署は守ります。
赤字部門があっても法人全体でトントン黒字になればOK。ケアプランセンターが・・・
第3次産業、お金が全て。お金を持つお客が強者で、ワガママし放題。
第4次産業、命、健康、幸せのため。「ありがとう!」が対価でしょうか。
医療の世界、第4次産業だと思います。
介護保険の世界、この第3次産業と第4次産業が入り交じっている世界だと思います。
志の高い会社もあれば悪徳業者も入り交じっています。
理念無き金儲け主義の会社は、介護市場の美味しいところだけを食べ散らかそうとします。
ブラックバスを池に解き放つようなもので、在来魚を食い潰してしまう危険があります。
しかし、介護保険には医療機関という安全弁がついています。
元気にしていたジイちゃんが肺炎になり入院し、ヨボヨボ、要介護者になります。
要介護者は医療機関で生まれるのです。
その要介護者になってしまった患者さんを、私たち医療者は良心的サービスを提供している事業所に紹介し、決して悪徳業者に紹介しないという安全弁が働いているのです。
安心して下さい。
千倉の夏祭り、終りました。
人類は麺類。ラーメン食しました。旨かった!
そして、しっかりと体重77Kgに・・・。
この土日、7月8日(土)、9日(日)と千倉の夏祭りがありました。
少子高齢人口減少の過疎地域、高齢化率も40%を超えている千倉町、日本の25年未来を行っています。
そんな千倉町が、燃え切った二日間となりました。
お祭りは毎年7月の初旬に開かれますので、雨のお祭りでもあります。
しかし、今年は快晴の二日間。
私の日頃の行いが良いのか、温暖化で地球が壊れて行っているのか・・・
若者がこんなにもいたのか!っというぐらいに若者が集まってきていました。
大学や就職で東京、千葉などの県北に行った若者が帰ってきた。
お祭り大好きの若者が他の地域から集まってきた。
私が住んでいる千倉町平舘(へだて)地区は、もともと漁港地域です。戸数も多いです。
かつて漁業が盛んなときは、日頃海に出て行き魚釣りをし、陸に戻ったら遊びまくるぞ!っという海の猛者どもが暴れまくった地域でもあります。
漁業の衰退、津波問題などで平舘地区の人口がドンドン減っています。
斑状に空き家も増えています。
でも、60代、70代のヤング・オールド世代の先輩方がパワフルです。
お店も、まだあります。飲みにも行けます。カラオケにも行けます。
平舘には、まだ、パワーが残っています。
でも、このままじゃ、10年未来の平舘は守れない・・・とも思っております。
20代から50代までの若い世代全員が地域作りに参画し、ヤング・オールドの世代と一緒になりながら未来の平舘を自分たちで作ることが大切だと思っております。
夏祭り、こんなにも若者が出て来て、お祭りのために結集できるパワーが残っていることを肌で感じました。
未来へのポテンシャルが残っているのです。
まだ、間に合う。
地方創生、この千倉から、この平舘から、モデルとなるプロジェクトを創ろう。
本日、7月10日。今日は何の日?納豆を食べる日。
夏の匂いがプンプンしている7月、2017年の後半戦が始まっております。
今週もいろいろありました。週末には一年で一番千倉が熱くなる夏祭りが行われます。
船橋整形外科へ行ってきました。患者さんが千倉からも、東京からも集まって来ております。
大腿骨頸部骨折で受傷日に手術し、術後数日で退院となるそうです。
左右膝の人工関節置換術を同時に行い、1週間ほどで退院となるそうです。
たった70床の小さい病院なのに、名前は超有名、社会的な役割は大病院に匹敵します。
外来専門のクリニックが新設され、入院ベッドが20床増えることを認められたそうです。
駐車場の広さを見てぶっ飛びました。甲子園ドームぐらい・・・
千倉を出発したのが午前5時半、船橋整形外科病院に到着したのが午前7時頃でした。
守衛さんに挨拶をしたら「お待ちしていました。」と言われ、私が伺うことがキチンと知らされていました。
そして、午前8時、地域連携室の櫻田さんが現れ、私を導いてくれました。
入院期間1週間ほど、だからこそ退院支援が大切で、とっても大変だと思います。
やり甲斐もたくさんあるでしょう。それにしても櫻田さん、人生のKeyword年齢不詳です。
金山先生、手術前の大切な時間を割いていただき有難うございました。
リハビリ・セラピストさん、看護師さんも優しく説明して下さいました。
優しい対応をして頂き有難く思い、あとは引き継いだ患者さんを元気にするだけです。
船橋整形外科病院、船橋整形外科クリニック以外にも老人保健施設「フェルマータ」があり
このフェルマータがまた素晴らしいです。素晴らし過ぎます。感動しています。
在宅復帰支援施設と在宅療養支援施設として頑張っています。
つまり、リハビリ施設として、ショートステイ施設として機能しています。
隣の船橋整形外科病院で手術した患者さんを大量にフェルマータへ転所し、1ヶ月ほどで自宅にドンドン帰しているのかと思っていました。しかし、このパターン、少数派です。
フェルマータ、全部で97床、その内ショートステイのベッドは60床
認知症のためのベッドは40床
デイケアは風呂も飯もつかない、リハビリに特化した1時間デイケアを一日3回してます。
幹部スタッフが勉強しています。私が行ったデンマークのこと、北欧のこと知っていました。
みんな、若いです(年齢不詳)。夢も持っています。常にチャレンジしています。
責任者である塩原さんに「ここより素晴らしい施設、知っています?」という質問をしたら
「・・・・・」(無回答)。
スプレンディッド!
私たちの新しい目標を持ちました。「フェルマータ越え」です。
ただ、いのちを支えるためには医療と介護福祉の連携が大切です。
船橋整形外科グループの、医療という車輪はデカい。介護福祉の車輪もデカい。
でも両車輪の連動が今ひとつで、本来の乗り心地の良い人生というドライブまでには至っていないかなと思いました。
能力と情熱を持っているスタッフが多いので、介護福祉側の活躍を期待したいと思います。
本日、7月7日。七夕です。
松永醫院の外来風景です。
7月1日(土)、私の大好きなおバアちゃんが自宅で亡くなりました。95歳でした。
デイサービスセンター「あそぼ」をこよなく愛してくれました。
亡くなる当日も「あそぼ」を利用しようかどうか迷うぐらいでした。
耳が遠く、大きな声で喋り、大きな声で笑う、元気なおバアちゃんでした。
存在すると場が明るくなり、みんなも大笑いしてしまうのです。
だから「死んだら地球が暗くなっちゃうんだから、死んだらダメだよ!」と私言ってました。
でも、死にました。今までに死なない人をみたことがありません。
人間、死亡率100%。どの様な最期を迎えるか、私の仕事は「満足死」を目指すことです。
御本人は良い人生だったと最期に思い、家族は家族としてやるべきことはやったと思い、周囲の親戚・知人は良い最期だったねと褒め、関わった私たちスタッフも涙の中で見送る。
そんな満足死を目指して、みんなでゴチャマゼケア、人生丸ごと応援医療を提供しております。
満足死を迎えられる場としては、やはり「自宅」が一番だと思う!
病院で満足死は難しいと思います。病院は命を助けるために我慢しに行く場所だからです。
施設でも満足死を達成することはできます。施設での最期も、意外と良いです。
でも、その到達点の高さと深さはご自宅で亡くなることには勝てません。
と、私は思っております。
なかなか、ご自宅で死ぬことが難しくなっている現在です。
そのため死ぬことが病院の白い壁に隠されてしまって、どんなふうに人が死んで行くのか見えなくなってしまい、多くの人が死ぬことを怖く思っております。
昔は当たり前であった家で最期を迎えるということを忘れてしまっているのです。
老衰、歳を取り枯れて亡くなることです。まさに、枯れて土に戻られることです。
苦しみながら亡くなる方はいません。変に点滴など医療介入するから、浮腫んで、おぼれて、苦しそうに亡くなっていくと思います。
家で亡くなること、大変です。でも、実は、楽なのです。
「家で死ぬ」と御本人が覚悟し
「家で看取る」と家族が覚悟することまでが大変なのです。
不安になる家族に安心を提供し、御本人、家族が望んでいる方向へ導いてあげることが私たち医療者の務めです。
御本人、家族の「覚悟」を導いてあげることが大切なことになります。
「家で看取る覚悟」ができれば、後はゴチャマゼケアを遺憾なく提供するだけです。
病院、施設に毎日通うことは難しく、行ったとしても私はせいぜい30分も居ればバンザイ。
2時間も病室にいれば疲れ切ってしまいます。
自宅にいれば24時間365日のターミナルケアを提供しなければなりません。
心地よく疲れます。夜は添い寝でガァ~ガァ~寝ます。
昼間は畑仕事をしながら、お勝手仕事をしながら、孫の面倒を見ながら、24時間見守りをします。
やることはみんなで見守りケアぐらいです。
加齢にともなう人生最期のゴールは、亡くなる1週間前にやっと見えてきます。
そうなったら都会で頑張っている子ども達家族全員を呼び、「最期の親孝行をしなさい!」
と指示します。
子ども達全員、孫達全員が集まり、最期の親孝行としてターミナルケアをします。
やることは、見守り、添い寝でガァ~ガァ~、時々排泄ケアぐらいか。
久しぶりに子ども達家族全員が集まるので、連日連夜カッポレとなり、楽しい毎日!
最期の1週間で24時間365日の最期の親孝行をし、ほどよく楽しく疲れ切り、楽しく思い出多き中で親を看取る。もう最高です。
死んでも心の中で親は生きています。
戻ります。
みよ子さん、良い最期でした。良い人生でした。
息子である洋一さん、男の介護をしていました。下手くそだけど上手いケア。
「リンゴは何色ですか?」という私の質問に「バナナは黄色い!」と答える洋一さん
話しが噛み合わないところもありましたが、日本一の息子です。
嫁さんも料理上手。少しでも食べてもらえるように作る滋養のスープ。
私も味わってみたかったです。
私たちのケアスタッフでもあるマサミさん、あなたの存在もとっても大きかったです。
気持ちよくオムツ交換していただき、何かあると駆けつけてくれる。
身内に医療者、介護者がいることは安心につながります。
親戚、友人、たくさんの人が何度でも家に来て、何度でも最期の挨拶をし
生きてきたところで生き切る。涙の中で最期のお別れをする。
満足死を達成した瞬間、医師をやって来て本当に良かったなと思いました。