4月が終り、夏の匂いがしてきました。太陽の高さは、8月と同じです。
もう一度振り返りたいと思います。
海外に行くと、日本の良いところ、悪いところに気付くことができます。
日本の常識が世界の非常識、世界の常識が日本の非常識なところがあります。
【デンマークの高齢者ケアの3原則】
1.人生の継続性の尊重
2.自己決定の尊重
3.残存能力の活性化
日本では施設での老いぼれ人生が待っております。
本人は自宅へ帰りたがっているのに、家族の不安で施設へ入ってしまいます。
施設へ入って元気になり、介護度が下がった人、ほとんどいません。
日本、不思議な国です。
老いぼれ人生で人生が分断され、本人の希望が聞き入れられず、元気になれない国です。
デンマーク、 バスタブがなく、シャワー浴の国です。
デンマークへ視察研修に行ったら患者さんから「先生、温泉かい。たまには遊んでおいで!」
と言われました。私は「いや、いや、牛乳を飲みに行くんだ!」と答えていました。デンマークには火山がないから温泉がないです。そのためにバスタブ文化が無いのでしょう。
デンマークの男便器、位置が高く、小さく、便器間のついたてが無かったです。
デンマークの男子は、テポドンではなくトマホークなのでしょうか。
そして、シャワートイレ、一流ホテルでも見ることは無かったです。
やはり、日本のトイレは世界一ですね。
我が家のトイレ、自慢のトイレです。
トイレに入ると自動的にフタが開き、便座に座ると優しく温かいです。
便器はLEDライトが輝き、竹取物語のかぐや姫が輝いているようです。
そして、音楽が流れ、使ったことが無いのですが温風が出て、最期に自動で流れていきます。
デンマーク、理念が根っこにあり、その理念に基づく原則でケアが提供されていました。
日本、理念が見えない、お金に振り回されている萎縮ケアが提供されています。
しかも、日本、病識が無い!
認知症ケア
デンマークでは、認知症の人の人生を振返り、その人にあった個別ケアが提供されています。
日本では、認知症の人の人生なんて理解しようとせず、十羽一唐揚げのケア、みんなで音楽療法とか学習療法を提供しております。
もっと、高き理念に基づくケアを提供して行きたいです。
ほとんどの高齢者が希望している在宅療養できる千倉を創りませう。
どんどん元気になる地域・千倉を創りませう。
デンマークを超え、地球一の千倉を目指して努力します。
日ロ首脳会談が開かれています。実は、私にはロシアの血が流れているのです。
ラーメン屋さんの前に長~い行列ができていると、思わず並んでしまいます。配給制の・・・
糖質制限をしているつもりの私、絶対禁忌の深夜ラーメン、食しています。
人間って、弱い動物です。
ところで、松永醫院にも美味しい松永ラーメンがあります。
極太のイカ墨入りの、アルデンテのラーメンです。
ワサビと唐辛子がたんまり乗っているラーメンで
しかも、鼻から食べるのです。
美味しいですよ。
私、年1回、食しています。
今週、そのラーメンを食しました。
術者、自分自身だったりして・・・
皆さんも御賞味、どうですか?
今、松永醫院があり、私が住んでいる平舘(へだて)がおもしろい!
なぜなら、日本一高齢者が元気で、デンマークを越えようとしているからです。
そんな決起集会が開かれ、約40分の私のお話を聞いて頂きました。
この4月から、要支援1、要支援2のデイサービス利用者が介護保険から外れて、各市町村単位の総合事業というものに組み変わりました。この総合事業とやら、わけがわかりません。
サービス利用料金は、今までの介護保険と同じ料金で何が変わるのか良くわかりません。
行政も、サービス利用者も、サービス提供者も、何が何だかわかりません。
でも、私、見えてきました。将来、サービス料金を安くしてケチることです。
おそらく、単価は今の半分ほどになり、サービス提供時間が短縮し、風呂も付かなかったり、食事も付かなく、ケアスタッフも減ると予測しております。
ケチって、サービスが低下して良いのか?
良くない!でも、しょうがない部分もある。
この介護保険制度の変化を上手く乗り越えて、互いに助け合うコミュニティーを創ることができる作戦を考えました。
しかも、この作戦は、日本国中どこでも可能だと考えています。
まずは、私の住んでいる平舘で実行しようと思っております。
今の日本、人生90年、ヒョッとすると人生100年の時代です。
60代で定年退職した方達がたくさんいます。現代の60代、元気です。まだ、ヤングです。
70代もヤング・オールドです。まだまだ、元気良いです。
80代はオールド、90代はべーリー・オールド、100歳を超えれば「た・か・ら・も・の」
チョイ元気な人が、チョイ元気でない人を元気にさせるシステム、創ります。
定年後で時間に余裕があり、社会貢献を望んでいるヤング・オールドはかなりいます。
生活費をバンバン稼ぐというより、社会とつながりながら社会貢献をし、お小遣いが稼げるならなおさら嬉しいと考えていると思います。
現在の年金で老後を過ごすことはできません。
余裕ある老後を過ごすためには、年金+5万円、年金+10万円の5万、10万を稼ぐことができれば余裕が生まれてくるかもしれません。
社会貢献をしながら、お小遣いを稼ぐためには、この総合事業を上手く使えば可能だと考えています。しかも、ヤング・オールドが人生のチョイ先輩にケアを提供することにより、
歳の取り方、老いていくこと、死んで行くことを知ることができます。
チョイ元気でない人が、チョイ元気な人に歳をとることを伝える。
「風邪をひいたから1週間ほど安静にしたら、こんなになっちゃったよ。安静はダメだよ!」
「歳をとれば物忘れが出てきて、み~んなぁ、ボケるもんだよ!」
チョイ元気な人が、チョイ元気でない人を看ることにより
歳の取り方、老いていくことを知り、いのちをどの様に守るべきかを知ることができます。
各地区の集会所を利用しながら、互いにいのちを支え合う互助の社会が待っています。
地域の茶の間が、その場にもなると思います。
いつも人がいて、なんか楽しそう。あそこに行くと温かくて居心地が良く、元気になる!
だから、何となく人が集まる場、元気になる場、助け合いの場となります。
そこにはコミュニティーが生きていて、誰かが閉じこもり状態となり足腰が弱くなっているとか、物忘れがひどくなり徘徊している・・・などの情報が入ってきます。
ボロボロになる前に、弱り切る前に適切なケアを提供すれば、すぐに元気になります。
そんな高齢者同士が互いに支え合うシステムとして、「チーム平舘」を結成し
日本一、いや地球一、そしてデンマークを超えたコミュニティーを創るぞ!
この週末も、いろいろありました。今話題の銀座シックスにも行ってきました。
看取りもあったり、深夜ラーメン食したり、病状不安定で夢くらぶへ行ったりと様々でした。
土曜日、千倉保健センターで開かれた医療・介護・福祉の勉強会に始めて参加しました。
千倉産、東京いや日本国中で活躍されている田村さんが主催している勉強会です。
午後2時からの勉強会で、東京へ行く予定がありましたので午後2時半までの参加でした。
私は、初参加の挨拶をし、デンマーク報告をしました。
デンマークの高齢者ケアの3大原則、人生の継続性の尊重、自己決定の尊重、残存能力の活性化がありますが、日本ではどれも逆方向へ向かっています。おかしいですよね。
参加していた10名弱の方に、「認知症で独居の方が自宅で最期まで過ごすことは可能ですか?
それとも難しいと思いますか?」と質問したら全員「難しい」と。
「地域包括ケアで最後まで自宅で!」と言いながら、本音は「不可能!」と思っている日本。
地域包括ケア(自宅で最期まで生き切ることのできるケア)が広がらない理由がわかります。
デンマークへ行って、認知症があって独居であっても御本人が希望すれば自宅で最期まで過ごすことが当たり前のように実践されています。できるのです。
日本では、介護保険があります。独居で認知症があっても介護保険を適切に使えば最期まで自宅で過ごすことが可能です。
在宅で最期まで過ごすことが可能かどうかは在宅に戻らなければわからないのに、在宅へのチャレンジさえもしていない現実があります。
なんか熱くなってきましたが、止めておきます。
一方的にしゃべって、混乱させてしまったような気がしますが
田村さん、これからもご指導お願い申し上げます。
土曜日午後2時半過ぎ、東京へ向かおうと思っている時、気になる患者さんがいるのでグループホームへ伺いました。
すると、丁度、その気になる患者さんの息が止まりました。
何という偶然か。前日の夜は、娘さんが添い寝をしました。最期の親孝行です。
娘さん、涙を流しながら笑顔で「お世話になりました。」と言われ
私は、満足死を達成した瞬間だと感じました。
合掌!
私どもの東京研修所、小岩にあります。私が学生時代に住んでいたところです。
小岩、「こいわ、恋を話すところ」と私は言っています。
世間では、スモール・ストーンと言っています。
24時間365日、パジャマ姿で飲みに行ける街です。ずいぶんお世話になりました。
深夜、徘徊しました。
美味しいラーメン屋さんがあります。気になっていたラーメン屋さんに行ったら閉店後。
2件目、「武士道」という名前のラーメン屋さんに入りました。
深夜ラーメン、糖質制限治療では絶対禁忌です。
身体に悪いとわかっていながらも食べてしまう患者さんの気持ちが理解できます。
そして、その後、東京研修所に戻ってから、また飲み直しました。
翌日、日曜日。いつもの"カ~ッツ!"を観た後、糖尿病の勉強会へ向かいました。
外国人が何かスピーチしていました。
午後、銀座へ向かいました。今、銀座が面白いです。
イトシアができ、銀座三越が増床し、東急プラザができ、
そして今、銀座シックスが誕生しました。なぜ「銀座シックス」という名が付いているのかは、銀座6丁目にあるからでしょう。
歩行者天国も加わり、スゴい人でした。
地下2階にある食料品売り場、「いまでや銀座」という名のショップがありました。
日本酒、日本のワイン、焼酎と日本のお酒にこだわったお店です、
「IMADEYA」なにか見たことのある文字。っと思い出したら、患者さんの御家族から頂いた日本酒の包み紙に書いていた文字でした。千葉から銀座へ初進出だそうです。
千葉から銀座へ、千倉からデンマーク越え、宇宙規模で拡充しています。
秋田の銘酒「新政」、なかなか手に入れることのできない酒蔵とコラボレーションした"6"という名のお酒が売られていたのもので購入し、早速夜にカッポレしました。
青木屋さん、野村屋さん、ごめんなさい!
丁度千倉へ戻ろうとしている時に、老人保健施設夢くらぶに入所してリハビリテーションを行い自宅へ帰ろうとしている患者さんの酸素飽和度が上がらないという連絡が入りました。急遽、夢くらぶへ向かいました。
患者さん、自宅にいると千倉のトランプ大統領。
入院して治療をしている間に、頭も身体も弱くなってしまいました。かなり重度の介護状態となり、BIPAPという簡易人工呼吸器を用いているため病状不安定です。
普通であれば後方病院へ行くところを、夢くらぶへ移っていただき、抑制を解放し、離床し、起立着席訓練を行った結果、歩行可能なほどに元気になってきていました。
千倉のトランプ大統領、結構元気にしているものだから家族と相談して夢くらぶでできるだけ治療をしましょうということになりました。元気になれ!
夜、いつものようにカッポレ!
っと沈んで行きました。
今年の桜シーズンは長かった・・・。前立腺肥大症の小便のように、細く長かった・・・。
やはり太く勢いの良い小便のほうが気持ち良いように、一気に桜が咲き、春風に吹かれながら花吹雪桜散るのが良いと思います。
今シーズンの私、日比谷公園で桜スタートしました。
首都高速道路を走りながら隅田公園、千鳥ヶ淵の桜を横目でチョビッと愛でました。
この前の桜は、館山にある城山公園で見てきました。桜散り、5分咲きくらいでしょうか。
今、葉桜満開の季節となりましたが、木によっては桜がまだ咲いています。
1ヶ月近くの桜シーズンとなったような気がします。
私が好きなお花見コース
竹芝桟橋から船に乗り、春のそよ風に揺られながら隅田川をのぼり、浅草で下船します。
その後、浅草界隈をちらっと観光した後、隅田公園の桜並木をお花見し散策しながらのぼり
桜橋というX型曲線を描く橋で隅田川の対岸へ渡ります。首都高速6号向島線の高架と並行した桜並木を両国方面へと隅田川を下り、目指すは両国チャンコ料理屋さんです。
これ、最幸!
入ったお店は、たしか、チャンコ川崎という名前でした。美味かった!
東京足立区千住の柳原、2本の道路に並行して桜並木が並び、知られていない名所です。
新宿御苑の桜、まばらに綺麗です。最近ではケンズ・カフェのショコラを食べてお花見か
千鳥ヶ淵の桜、これまたスゴい!お堀の船をこぎながら見上げる桜、ライトアップされた桜、
是非、大切な人とみて下さい。汚れた心が、綺麗になって行きますよ。
靖国神社、隣の千鳥ヶ淵から流れてきた外国人が写真をたくさん撮って帰ります。
当然、中国の観光客も多く来られ、靖国神社をバックにピース&スマイル写真です。
日本と中国、過去に縛られて政治的に戦っていますが、一般市民は今を楽しんで日中仲良くしています。未来に向けて、建設的に生きたいですね。
桜、日本のお花ですが、ワシントンに、パリに、世界に日本が拡散しています。
桜で結ぶ縁が広がり、平和な地球にしたいものです。
みなさん、トランプ大統領を誘ってお花見に行きませう!っね!
幸せな人生を歩むためには、豊かな人間関係が大切です。
豊かな人間関係は、豊かな人生と元気な人生を作ってくれるそうです。
だから、今年は豊かな人間関係を作るためにチョビッと努力しようと思っております。
4月15日(土)の午後、日比谷公園の見える日本プレスセンターで「えにし」の会が開かれました。
人と人の縁(えにし)を大切にしましょうという会で、全国から医療・介護・福祉を中心として頑張っている人、日本の未来を拓こうとする行政マン、マスコミの人たちが大勢集まって情報交換を行いました。
「えにし」の会の中心となる人が大熊由紀子さんです。朝日新聞論説委員を経て現在国際医療福祉大学大学院教授となっています。よくわからないのですが、ものすごい人です。
今年は、大熊由紀子さんの聴講生となり日本と世界の医療介護の勉強をします。
⇒ ゆきさんの「えにし」ネット
国際医療大学のインターネットを用いたゆきさんの授業を聴きます。
⇒ 題名は「世界の実験、日本の挑戦」
年1回開かれる「えにし」の会、始めて参加したのですが、知っている先生方もいました。
尼崎の長尾和宏先生、鹿児島の中野一司先生、千葉県副医師会長の土橋正彦先生など、いろいろな場面でも良く会います。
私たちは、社会の中の医療を実践しております。
菅原由美さん、20年以上のお付き合いですが、看護師でキャンナスという組織を作り
「ナースオブザイヤー賞」、「ヘルシー・ソサエティ賞」、「インディペンデント賞」「ウーマンオブザイヤー賞」などのカタカナ賞をもらいまくり、ボランティア、被災者支援など社会貢献をしまくっている同志にもお会いしました。頑張っているなぁ!
菅原さん、大熊由紀子さんの門下生として「えにし」の会を手伝っていました。
偉ぶらない、おごらない、謙虚に生きる、感謝の気持ちで生きる。見習います。
しかも、和服姿で活動されており、存在するだけで栄える存在です。
飯島惠子さん、栃木県塩原で市民活動をしております。彼女ともお付き合いが長いです。
なじみ庵、しもつかれいど、ゆいの里などNPOとかわけのわからない組織を作り、当たり前と思って作ったサービスですが時代の一歩先のサービスを作り上げてきました。
でも、まだ、私は飯島さんのことをきちんと把握、理解しておりません。
そのうちに呑みながらでも、教えて頂こうと思っております。呑・み・ま・せ・う!
⇒ 「えにし」の会のプログラム
1部に精神医療革命、2部に医療安全、3部にやまゆり園事件と人材育成となっていました。
日本のトップランナーは、心がこもっております、魂が輝いております。
医療介護福祉の流れは、尊厳の尊重、その人らしさの復活へ、つまり脱施設の方向であり、どのようにしてこの流れを作っていったら良いのか考えさせられた一日となりました。
フィギュアスケートの浅田真央さんが、引退表明をだしました。
ソチ冬季オリンピックでのフリーの演技を思いだすと、あのときの感動がよみがえり涙がこぼれてきます。
バンクーバー冬季オリンピックでは、チョンボをしてキムヨナ選手に負けてしまいました。
そして、次のソチ冬季オリンピック、ショートプログラムで失敗し16位と出遅れ、絶望とあきらめの気持ちが日本中に流れました。
ソチ冬季オリンピックフリーの演技、完璧な演技を行い、滑り終った時の自己満足の表情を思い出します。
笑顔でもない、苦渋のような表情でもあったような、やり切ったという自己満足の表情です。
「辛い」を乗り越えた向こうの「幸せ」が待っていた瞬間だと思います。
絶望からは何も生まれてきません。暗闇です。
絶望状態になったとき、いかに希望の光をたぐり寄せることができるのか。
浅田真央さんは、このことを実践してくれました。
人は失敗から成長することができます。
新しいことにチャレンジする場合には、失敗はつきものです。
ただ、失敗を失敗で終らせるのか失敗を成功の元にするのかで、その後の人生が大きく変わります。
誰からも愛されていた浅田真央さん、オリンピックで金メダルがとれなかったけど
今は、真央ちゃん、お疲れ様でした。
そして、これからが大切です。
およそ40年ぶりにJR総武線本八幡駅で降りました。懐かしかったです。
東京医科歯科大学医科同窓会千葉県支部会の集まりがあったからです。
私が高校生の頃、早く千倉を脱出し東京へ家出をしたいと願っていました。
安房高校を卒業して「さあ東京へ行くぞ!」っと思ったら、本八幡で一年間の浪人生活を送ることになったのです。
両国予備校という予備校の寮があり、寮の監督に24時間監視され、牢獄予備校とも呼ばれていました。
その時に「臥薪嘗胆」という言葉も覚えました。
本八幡、パワーがありました。
小さいお店がたくさんあり、若者がたくさん徘徊しておりました。
オシャレな焼き鳥屋さんが多く、焼き肉屋さんも多く、炭焼き系ショップから醤油が焦げたような甘い匂いが漂っていました。
あの頃の私は若かった。。。田舎から出てきた美少年だった。。。っと思う。
私の10代、自由がなく青春もなく良く覚えていないのですが、この本八幡辺りぐらいからの思い出があるような気がします。
始めて焼き肉放題のお店に行ったこと。肉は固かったけど、旨かった。食べまくりました。
夜間他室訪問禁止になりながらも、監督に隠れて友の部屋でカップラーメンを食べたこと。
同じ予備校の可愛い女子にチョッカイをだしたこと。私はタヌキとキツネでは、キツネ派。
若かった。。。無色透明でした。
翌年、念願の東京へ進出しました。新宿二丁目です。
新宿三丁目には伊勢丹デパートがありますので、その隣で、新宿御苑前でもあります。
伊勢丹、マルイ、紀伊國屋、高野フルーツパーラーのある新宿通りが私の通学路でした。
新宿二丁目、「黒鳥の湖」という名の店のある、オカマの街です。住んでみてビックリ!
私が住んでいた下宿は、女子禁制、男子のみの下宿で、部屋の入り口はフスマの6畳です。
門限もあり、午後10時半でした。な・つ・か・し・い!
東京医科歯科大学の同門意識、メチャクチャ低いです。一匹狼が多いように思えます。
でも、豊かな人間関係を持つことは健康で幸せな人生に通じる!ということを学んだ私は、
千葉県支部会でチョビットだけ頑張ろうと思っております。
本日、娘たちの新学期が始まりました。千倉小学校2年生と千倉中学校2年生となります。
明日は入学式になります。子供たちの未来のために、幸せになるために、何ができるのか。
私の友人が校長となり、現場に戻ってきました。これから、楽しみです。
「幸福大国」は「教育大国」です。
唯一の被爆国である日本が、国連の核兵器禁止条約の交渉会議に不参加を表明しました。
エイプリルフールかと思いました。エイプリルフールと思いたいです。
一瞬にして10万人を超す普通の人たちの命を奪った原爆。
全ての人は原爆の事実を知るべきです。長崎と広島の原爆資料館へ見に行くべきです。
広島の原爆資料館を見たオバマ前アメリカ大統領は、核廃絶の方向へ向かおうとしました。
現在のトランプ大統領は、アメリカの威信のために軍事増強し、核増強の方向へ向かおうとしています。
強さを求めると、社会は優しさを失います。
国のプライドの戦いは戦争につながります。そして、一番の被害者は市民となります。
戦争は憎しみを生み、報復合戦に拡散し、テロ行為を生み出します。
武器による、力による解決は不可能です。
日本は唯一の原爆被爆国として、核兵器禁止の実現へのリーダーにならなければならないし、核保有国と核非保有国との橋渡しをしなければならない国です。
その日本が核兵器禁止条約への交渉会議に参加しない・・・。
世界が日本に驚いています。
私自身、もっと驚いています。
理念なき日本にあきれています。
絶望状態です。でも、絶望ではないです。
絶望状態からのスタートです。絶対に希望あふれる国を創りたい。
沈み行く日本を、いかに縮充させるか、豊かな国に持って行けるか。
豊かさとは何だろう。幸せになるためには何が必要なのだろうか。
まずは、高き理念を創ろう。
その理念の実現のために、原則、ルールを考えよう。
最新の幸福大国は、ノルウェーが第1位、デンマークが第2位です。
日本はアンケートがあるたびに順位が下がり、現在世界第51位。G7では最下位。
どうして、こうなっちゃったんだろうか。。。
「使ったら戻す!」「開けたら閉める!」「食べたら片付ける!」「脱いだらたたむ!」
そんな当たり前のことをご主人様から厳しく指導を受けております。
そんな私、テストで偏差値100を超えたことがあります。
偏差値100、滅多に出ることがありません。
問題が難しくて、満点近い点数を取らなければならないからです。
100点満点で平均点が約20点の難問テストで、ほぼ満点の点数を取ったのです。
偏差値100以上、正規分布で標準偏差5倍を超える上位に位置することです。
上位0.00002%であること、日本の一学年100万人とするとトップを取ることになります。
大学受験、私の得意科目は数学と化学。
満点を取れば全国一番になるので、数学と化学は全国一番を何度でも取りました。
全国模擬テスト、英語・数学・理科の総合成績でも、全国一番になったことが2度ほどあります。
逆に苦手な科目が国語。まったくできませんでした。
本当は、日本一難関な東大理科Ⅲ類を受験したかったのですが、国語があるため断念しました。大学を卒業しての再受験でしたので、早く医師になるためにも東京医科歯科大学を受験しました。
その年、滑り止めと思った東京医科歯科大学に落ちました。
翌年、塾の先生をしながら東京医科歯科大学に合格しました。
「使ったら戻す」ことのできない私は、実は、天才なのです。
なんでもそうなのですが、トップを取ることはスゴイことなのです。
本日、私の妄想を書いてしまいました。
4月1日、毎年同じ内容を5回書こうと思い、今年で2回目。
本日、4月1日、新年度が始まります。
松永醫院の朝のミーティング、スタッフ全員に「とっても美しくて、若い!」と言おう。
本日は、一年に一回だけ素直になれる日だからです。
「真美子、君はきれいだよ!」