「地域教育」とは、地域の子供たちは私たちの子供と考え、学校の先生方と「ともに」保護者が教育に参画し、地域で子供たちを育てることだと思います。
私は、今の子供たちに最も大切だけど足りないものは豊かな心を持つことだと考えています。
「放課後子どもクラブ」、一生の中で最も多感な時期にある小学校5年生、6年生のゴールデンエイジの子供たちに、週1日金曜日の放課後に学習塾を開いております。
授業は2時限、前半は浅井先生による英語レッスン、後半は学校先生OGである代田先生、鈴木先生による四方山授業があります。どちらも楽しい授業で、参加児童も増えて来ております。
私は、英語レッスンと四方山授業の間の15分間の休憩、その休憩時間の内の5分間を用いて
「心の授業」、「心に働きかける授業」を試みております。その試みを紹介します。
第1回:2015年10月30日(金)
「セラピー犬シャネル」 両足マヒで安楽死の道に行ってもおかしくないシャネルが、緩和ケア病棟で病と闘っている人を癒してくれる。死んでもおかしくない動物が、死に行く人を癒す。
でも、そのシャネルも亡くなる。動物も、人も、いのちの限りがあり、いのちの大切さを伝える映像を紹介しました。
第2回:2015年11月13日(金)
「楽しい」と「悦び」の違いを伝えました。
ゲームは楽しい、でも悦びではないです。「楽しい」と「悦び」は似ている言葉だけど違います。
「楽しい」の反対の言葉は、「苦しい」「辛い」。しかし、「悦び」と「苦しい」、「辛い」は反対の言葉ではない。
マラソン、登山のように99%が「苦しい」「辛い」けど、最後の1%に悦びがある。
その悦びを求めて生きている人がいるのです。
「悦び」には幸せにする力があるんだよ!「幸せ」「辛さ」は似ている文字で、「辛さ」のむこうに「幸せ」が待っているんだよ!と伝えたつもりです。
第3回:2015年11月27日(金)
11月20日小学校6年生の薬物乱用防止の授業を受けての復習です。
「たった一度だけの人生」が、「たった一度だけの薬物」で壊れてしまうことを伝えました。
これからは、特に、「タバコ」ということになるのでしょう。喫煙するから禁煙するのが難しいのです。
タバコを吸い始めなければ、禁煙など頑張る必要がないのです。
第4回:2015年12月18日(金)
12月15日(火)の沖縄戦語り部の平和学習を受けての復習です。
戦争は、多くの尊い命が犠牲になり、様々なものを破壊し、友情をバラバラに消し去るものです。
平和であること、何もないこと、普通の毎日に感謝する小学校1年生の詩が心を打ちます。
「へいわってすてきだね」という絵本、千倉小学校にプレゼントしますね。
「私は、サンタさんの親戚のヘータさんでぇ~す!」と言うシーズンが終わってしまった。
「この中には銀座四丁目交差点が三つ入っていますヨ!」と在宅の患者さんにプレゼントを配り歩きました。
介護保険が始まる前までは、要介護者の虚弱高齢者は自宅で野ざらしになっていました。
目の前に出てきたものを、好き嫌い関係なく、冷め切ったものを、ただ黙々と食べていました。
あれ食べたい、これ食べたい、夢の夢です。外出はほぼゼロです。
いのちの重さの違いもありました。
脳卒中、片麻痺の患者さん、ある田舎では寝たきりになり死んでいきました。
都会では、電動車いすに乗りスーパーマーケットに買い物に行っていました。
介護保険が始まり、いのちの重さの地域格差が縮小しました。
デイサービスに行き、お風呂に入り、温かくて美味しい料理を食べることができます。
デイケアに行き、リハビリテーションを行い、元気になっていきます。
季節折々のアクティビティーが実施され、健常な私たちよりも多くの季節の風物詩を堪能しております。
羨ましいというか、歳をとり、お爺ちゃんになることが楽しみになってきます。
介護保険の有難みを感じます。
今週もいろいろありました。
亀田メディカルセンターからは、研修医の玉井翔先生が来ました。
「長生きは〇か×か、どちらか?」
「医者がぼろ儲け、〇か×か、どちらか?」
なんて質問をしながら、私の医療活動を見てもらいました。
玉井先生、将来は脳外科医を目座しています。
てっきり、神の手を用いて手術しまくる医者を目指そうとしているのかと思ったら、手術をして自宅へ退院していった後の生活に興味津々になっていました。
介護保険の身体的自立度をちゃんと覚えている研修医は、玉井先生が始めてです。
10年未来のいのちを守って下さいね。いのちを支えて下さいね。
本日、125回目のブログとなります。ブログを書き始めて1年が経ちました。
文章能力の低い私が書き続けたことは、自分のことながらスゴイと思います。
大学受験時の共通一次試験で国語は200点満点中135点、平均点ぐらいでしょうか。
私の失点の80%が国語によるもので、国語さえできれば東大も狙えたかも・・・という思いと
国語ができないのが平太!だから国語ができちゃダメなんだ!という思いがありました。
「。」の付け方はわかっているつもりですが、「、」の付け方は今でもよくわかりません。
「です・ます」調もお構いなく書き、起承転結の意味も良く分かっていないです。
受験英語で学んだ文法で、SVOOとかSVOCなどと理論的に考えたりもします。
亀田メディカルセンターからの研修医から、ホームページを作り、ブログを書くべきであるという助言を受け、素直な平太くんは書き始めたのです。
⇒ No.6 「太平洋を見ながら」(2014年12月20日)
出来、不出来のあるブログの中で、私の好きなブログが丁度1年前
⇒ No.7 「Merry Christmas!」(2014年12月24日)
途中、娘の夢のおかげで2015年3月の1カ月間、テレビを観ず、酒を断ちました。
そして、暇になって空いた時間を使い、1カ月間毎日ブログを更新しました。
オレって、スゴイなぁ~!!!
自分のリハビリテーションだと考え、ブログを書き始めたのですが
「ブログを読んだよ」と言われて、恥ずかしく思ったのが次第に嬉しくなり
ブログを読まれることを意識するようになり、ブログを読まれるよう工夫をするようになりました。
スタッフには読むように強要するようにもなりました。
朝の朝礼で、「トロピカルフルーツであるパパイヤは、松永家では何と呼ぶか?」
なんて質問をしたりしています。
⇒ No.115 「パパイヤ」(2015年11月14日)
ブログを書くことは、チョビッと苦しいです。でも、足跡ではなく筆跡が残ります。
考えを整理整頓することができ、何となく過ぎてしまう毎日のことを見つめなおすことができます。
これからも、頑張らず、チョビッと頑張って書いていこうと思います。
娘たちが読むことを意識して書いているのですが、まったく、読んでいないようです。
心が優しく、幸せを感じられる、豊かな社会を創りたいと願い、千倉小学校PTAへ参画してきました。
幸せ大国は教育大国だからです。
教育は、未来への投資なのです。教育は、武器の必要のない、最大の国防策なのです。
私が目標設定してきた二つのイベントが終わりました。
「東日本大震災の語り部」と「沖縄戦の語り部」です。
災害と戦争、どちらも多数の尊い命が犠牲になります。
災害は起きるものと考え、戦争は起こさせないものと考え、日頃から備えていなければなりません。
2015年11月18日
宮城県石巻市から242人もの児童の命を助けた門脇小学校の元校長先生である鈴木洋子先生に来房していただき、災害に関して4回も講演していただきました。
千倉と石巻、太平洋と心でつながっています。
⇒ No.117 「東日本大震災・魂の語り」(2015年11月22日)
鈴木洋子先生からは、「災害は起きるもの」と考え、災害がいつ起きても対応できるよう、日頃から災害に備える大切さを教えていただきました。
日頃から、廊下は静かに歩くこと、集会は静かに素早く並ぶこと、人の話は静かに目を見て姿勢よく聞くことの大切さを教えていただきました。
また、学校運営に関する助言も沢山いただきました。
良い学校を創るためには、学校と保護者が「ともに」一緒になって教育参画することです。
高木千倉小学校校長先生と山口PTA会長は、ともに素晴らしいボスです。連動しています。
義道(ぎどう)カリスマ教頭先生もいます。
2015年12月15日
沖縄から27歳の若き語り部である大田光先生に来房していただき、戦争の事実を教えていただき、戦争は不幸の極めであること、平和であることの有難さを教えていただきました。
千倉と沖縄、太平洋でつながっています。
私が唯一行ったことのない県沖縄、ギャラクシーフライトを使って来夏行ってみたいです。
⇒ No.122 「沖縄から届いた平和・27歳の美ら」(2015年12月15日)
⇒ No.123 「沖縄から届いた平和・27歳の美ら・その2」(2015年12月16日)
大田光先生、大田の大は点がないです。点のある太の太田は爆笑問題の太田光です。
間違えないでください。27歳の美ら、女性です。
沖縄とは何のつながりもなかったのが、大学の研究を行うために行った沖縄で沖縄戦体験者から衝撃的な話を聞いて、魂が震え、沖縄に向かったエピソード、すごすぎます。
戦争体験者が戦後70年となり、どんどん亡くなっております。
戦争の事実を知るチャンスが減り、平和に関して無関心となってきています。ま・ず・い!
戦争体験者だからこそ言えない事実があることも知りました。戦争体験者の限界です。
あまりにも悲惨すぎて、家族に戦争の事実を話すことができないのです。
大田光先生は戦争体験者でないから、戦争体験者から戦争の事実を知り、代弁者として戦争の悲惨さを社会へ伝えることができます。大きく期待します。
鈴木洋子先生も大田光先生も、災害と戦争の事実を語り続けて行くことがMissionだと言っております。
特に大田光先生、今回の千倉小学校の平和講演会は初めての沖縄県外でのお話だそうで、平和を維持するために東京などの都会での講演活動を強く希望します。
昨日まで一緒に遊んでいた友達が流されていった。
昨日まで一緒にご飯を食べていた家族が吹っ飛ばされ、バラバラになってしまった。
私達も災害と戦争の事実を知ることからが始まりで、これからが大切です。
「ヤマダさんは沖縄戦で生き残り、ミヤギタツオさんは沖縄戦で亡くなりました。
その生き残ったヤマダさんから聞いた物語です。
ヤマダさんとミヤギタツオさんは、小さな時から大の仲良し、沖縄県立第一中学校に進学していました。
そして沖縄戦、ともに沖縄一中学徒隊として戦場に駆り出されたのです。
砲撃が破裂して飛び散る金属片、小さくても重たい金属片が人間を襲うのです。
その飛び散るスピードは時速1500Kmを超えるそうで、音速より速いスピードです。
ミヤギタツオさんは、砲撃を受けた金属片で大腿をえぐられ骨盤に達するほどの重傷を受け、一人では歩くことができない状態となりました。
一人で移動できない兵隊を重症兵隊と言い、重症兵隊は毒殺されていたそうです。
ヤマダさんは助けたい一心で重症兵隊であるミヤギタツオさんを処置のできる部隊まで負ぶって移動しようとしていた時、アメリカ軍が迫ってきたのです。
パニックに陥っているヤマダさんにミヤギタツオさんは、「お母さんの所へ連れて言ってくれ・・・」と言うのです。。。そして、立ち尽くすヤマダさん。
続いてミヤギタツオさんは、ヤマダさんに「手榴弾をくれ」と言ったのです。
ヤマダさんは、二つあった手榴弾のうちの一つを震える手でミヤギタツオさんに渡し、走って逃げました。
その直後に、後方から爆発音がしたのです。振り返ることができない・・・」
涙が出ます。
大田光先生、学生時代に沖縄に行き、沖縄戦の体験者・ヤマダさんからお話を聞き、神からのMissionとして、平和のために、いのちのために、沖縄に行こうと決断したようです。
沖縄へ突き動かされたのです。
第2次世界大戦の末期、多くの犠牲を出して貧息極める日本の中で、唯一の地上戦になった沖縄、20万人もの犠牲を出しました。そのうちの12万人が沖縄市民だったそうです。
小さな青年、中学生も学徒隊として戦争に駆り出されたのです。
戦争は、家族をバラバラにし、友情を消し去り、多くの尊い命を犠牲にします。
私は医師ですので、命にこだわります。どんな理由があろうと戦争に反対します。
そして、戦争のない平和な社会を創るためには
平和に対して無関心にならないこと
平和は、平和のための実践により実現できることを改めて確認しました。
「平和のため」というと何か高いところにあるように思えますが、大田光先生は
「戦争をするためには敵が必要です。敵を作らなければ戦争を起こす理由が無くなります。
自分の身の回りの人たちの良いところを、二つ見つけてくださいね!」と言っていました。
「敵を作らない」すぐにできる大切なことです。
バレエのレッスンが終わった後の夕食の時、小学校6年生の娘・夢(ゆめ)と初めて平和に関してのお話をしました。
これからも平和のことを話そうね。
「平和」、とっても大切な言葉です。でも、最近、とっても遠い存在の言葉にも思えます。
その平和に関して、大田光先生を沖縄からお呼びして、千倉小学校6年生の子どもたちと考えました。
大田光先生、27歳の若き女性の沖縄戦の語り部です。しかも、チュラです。
人類史上、現在が最も平和な時代で、戦争による被害が最も少ない時代だそうです。
パリ多発同時テロ事件が起こり、IS基地に空爆を繰り返しています。報復です。
報復に対して憎しみしか生まれてきません。
憎しみが起きると報復が生まれ、報復合戦となります。
今の欧米の対応の仕方にブレーキをかける発言をしている人は、あまりいません。
憎しみからの行動は、報復合戦しか生まれません。
報復合戦は不毛であり、大切な市民の命が多数犠牲になるのです。
イスラエルとパレスチナ、パレスチナ人がイスラエル人に石ころを投げる。
怒ったイスラエル人がパレスチナ人に、ヘリコプターからミサイルで打ち返す。
圧倒的な力の差があっても、イスラエルとパレスチナは60年以上戦い、解決の糸口が見えません。
今の日本、平和のことを語ろうとすると、変な宗教家か危険な活動家ではないかと思われる雰囲気があります。
これでは、今の有難い平和を維持することは難しい。。。
戦争体験者がどんどん亡くなり、戦後の臭いが消えて行っています。
戦争ゲームで若者がボタン一つで人を殺し合っている、戦前の臭いがしてきているのです。
そんな日本、現在、平和に関して勉強しました。そして、涙を流しました。
大田光先生の言葉、子供たちの心に届いたことでしょう。
太田光、お笑い芸人「爆笑問題」の人です。違う人です。
平和を教えていただいた大田光先生、大阪生まれ、福岡の大学を卒業した後、沖縄に移住した27歳の女性です。
繰り返し書きます、チュラです。半熟卵のようでもあります。
大阪生まれで、修学旅行で沖縄に行ったことがある大田光先生は、沖縄戦のことを大人になるまで知らなかったそうです。
その大田光先生が、沖縄に移住し、沖縄へ修学旅行に来る学生に平和学習を案内することになるまでのいきさつを教えていただきました。
大田光先生の感性、しなやかです。人間として大切に持っておきたい感性を持っています。
「平和への授業」、魂を揺さぶってくれました。1時間という授業がアッという間でした。
12月11日金曜日、笑顔グループの忘年会が行われました。
朝は暴風と大雨、内房線もストップし、一体どうなっちゃうのかなと心配しました。
昼過ぎには太陽が顔を出し、でも青空に雨が降ったりで、何か変。
夜は、12月なのに気温が20度を超える中、コートを脱ぎ、コスプレ・フェスタが始まりました。熱い夜となりました。
コスプレ優勝は、デイサービスセンター「あそぼ」の年金友の会・バーチャンズ(元・美少女)によるセーラームーンです。
70歳代でも、Old‐Young Powerが炸裂していました。
そして、"Best Stuff Of The Year 2015"を受賞したのは、老人保健施設「夢くらぶ」の管理栄養士である三木亜矢子さんです。
カップヌードルを出したら日頃食べなかった人が食べ始めたり、「心の居酒屋」で元・飲んだくれ爺ーチャンにノン・アルコールビールを出したら元気になってきたりと工夫の連続を実践していただきました。
誕生日を迎えた入所者さんに特別食を出すのはもちろん、ラーメン週間を作り気分転換を図ったり、毎日の食事に一工夫をしてきました。
私は医者、三木さんは食医。生きる基本である「食べる」ことに関するお医者さんです。
箱根にある、1年先の週末はすぐに満室となる最高のおもてなしの高級宿に行ってもらいましょう。
美味しい料理に、美しい景色を見ながら温泉につかり、最高のサービスを堪能していただきましょう。
そして、「アンチエイジング エステ」もプレゼントしますね。
私、今年もやられてしまいました。宇山さん、有難うございます。
渋谷の女子高生コスプレ、チョベリグ~!です。(超ベリー・グッドの意味です。)
この一瞬のために、1年間働いてきたようなものです。
そして、来年のために気合を入れて働きまくります。
12月12日(土)は、介護保険が施行となった2000年の時にケアマネの資格を取った仲間の同窓会を、鴨川の山の中のレストランで開きました。
Cafe LAMPという名のレストランです。
地元の野菜をふんだんに使った、とっても美味しい料理でした。
12月13日(日)は、お江戸で骨格器エコーの勉強をしてきました。
整形外科に革命が生まれます。いったい今までの整形外科は何だったのでしょう。
整形内科も生まれるでしょう。
エコーを用いて診察し、生理食塩水を用いて筋膜リリースをし、その場で患者さんの痛みを取ってあげる治療があるのです。チャレンジしてみます。
人生は楽しいですね。毎日が勉強です。プラス1%頑張ります。
12月に入りX'mas の臭いがプンプンし、忘年会、ボーナスの季節にもなりました。
その向こうには正月の臭いもしており、年賀状作りも待ち受けています。早いものです。
昨日、面白い青年に会いました。
心の病気になり、死んでやろうと東南アジアに1か月半ブラブラの旅に出たら
自分より貧しくて、汚くて、困っているだろうと思われる東南アジアの人たちが、
自分より楽しそうに、笑顔で生きている姿を観て、人生の価値観が変わった!と。
病んで、死んでやろうと思って出た旅だが、元気になって日本に戻ってきたのです。
今は、夏になれば青い空の下で、海に潜りこみ、海の幸を採り
普段は朝から夜遅くまでバイト、その日暮らしの、一生懸命の毎日を暮らしています。
「夢」 人生のKeywordです。
千倉に戻って20年、いろいろありました。
地域のために!患者さんの10年未来のいのちのために!と走り続けてきました。
力のない私は、「一人の百歩」より「百人の一歩」と考え、少しずつ工夫をして来ました。
そしたら、知らない間にスタッフが100人を超し、150人を超すようになりました。
私の大切なスタッフを支えようと、そしてスタッフの家族のことも思って法人運営をしてきました。
スタッフが車を買ったり、買い替えたり、家を建てる。嬉しい限りです。
私の趣味は、夜中にコッソリ、スタッフの家を見に行くことです。
ドロボウと間違えないでくださいね。
ここから、暗い話です。ボーナスが減る話です。
私を支えているスタッフは頑張ってくれています。
しかし、介護保険のマイナス改定による減収があり、医療保険も同様のプラマイ減収があるため、利益が例年の半分しかないのです。ボーナスも0.5ヶ月分ほど減らさざるを得ません。ごめんなさい。
私どもは経営危機に陥っているのではなく、銀行からは優良法人と評価を受けておりますので、ご心配しないでください。
ただ、私の中の目標数値があり、今まで毎年クリアしてきたものが、今年に限っては役半分しか達成していないのです。
私自身、毎年ドンドン忙しくなってきております。やることが増えています。
しかし、私の給料はこの10年以上、上げていません。経営コンサル会社からは高く評価を受け、法人としてまず一番目にやることは私の給料を上げることとの助言を受けています。
しかし、できません。なぜなら、今、スタッフが安い給料で働いているからです。
まずは、スタッフの給料を上げよう。私たちと一緒に働き、ともに人生を歩んできたことに満足できる法人を創りたい!創ろうと思います。
みんなで工夫をしませう。少しでも多くの、少しでも命が輝くように、社会貢献しませう。
この12月、4代目プリウスが発売になる予定です。
でも、いつも一番を狙う私ですが、あきらめました。来年こそは・・・
現在、亀田メディカルセンターにいます。4年ぶりの下水道工事が始まります。
人に肛門を見せるなんて・・・。耳に心と書いて、なんと読むんだっけなぁ~!
たまには患者さんの立場に立つものも、勉強になります。
ニフレックという下剤を2L飲むんですが、同じく内視鏡検査をする周りの患者さんから
「飲みっぷりが素晴らしい!」と褒められました。照れちゃいますね。
「日頃から鍛えていますので。」と伝え、私が田舎のヘッポコ開業医であることも伝えると、
「ホぉ~!」と驚いてくれました。照れちゃいますね。
胃癌で死ぬのはもったいない時代。なぜなら、胃内視鏡があるからです。
松永醫院では「松永ラーメン」と呼び、七味唐辛子が大盛りのったラーメンで、鼻から食べてもらいます。
みなさん、「うまい!うまい!」と言いながら涙を流しながら御賞味して頂いています。
「辛さ」の向こうにある「幸せ」を求めて頑張ってもらっています。
同様に、大腸癌で死ぬのはもったいない時代となっています。
ただ、検査が大変です。2Lの水分を摂り、腸を洗い、水様便として排泄する。
胃内視鏡は横たわっているだけで検査が可能です。なので、寝たきり患者さんでも可能です。
大腸の場合、まず、2Lの水を飲むのが大変です。寒いので尚更飲むのが大変となります。
高齢者は飲み切ることが難しく、飲みながらの水様便を処理することも大変難しいです。
オナラと一緒に失禁したり、自宅へ帰る途中に失禁したりと、尊厳が傷つくことがあります。
胃癌にしても大腸癌にしても早期に見つければ命は助かるし、開腹手術ではなく内視鏡的に切除することができます。
入院期間が1か月かかるところが、1泊あるいは1週間ほどの入院期間で済みます。
癌を意識することは病・死を意識することになります。
死を意識することは、「死」の向こうにある「生」が見えてきます。
今の自分にとって何が大切なのか見えてくるのです。
今回の大腸内視鏡、亀田メディカルセンターの若きホープであるN先生に直接電話をかけ依頼しました。
N先生、外来をしているにもかかわらず、丁寧に、痛みなく検査をして頂きました。
また、来年とは言いませんが、数年後に下水道工事をお願いします。
今年もあと1月。早いものです。
プリウス、良い車です。2代目プリウスから乗っているのですが、2代目プリウスを購入したのは安房で2番目でした。
ならば、3代目プリウスは一番目を狙おうと頑張ったら千葉県で第1番目となりました。
この12月、4代目プリウスが発売になるそうです。日本一を・・・。