昨日は11月29日、美味しいステーキ食べました?
私は千葉で会議があり、久しぶりに千葉駅に立ち寄りました。革命が起きていました。
昔、万葉軒の立ち食い蕎麦をよく食べたのですが、エキナカというお洒落な場所に変わっていました。
日本人の寿命84歳、男性81歳、女性87歳です。世界一の長寿国・日本です。
男81歳、男は弱い!でも、ガンや事故で若くして死ぬ人も含めて平均が81歳ということは、老いて介護保険を使い枯れて死ぬ高齢者は90歳まで生きます。人生、長いです。
女87歳、女はしぶとい!女性高齢者は90歳を超えて枯れて亡くなることになります。
しかも、数歳年上の夫と結婚しますので、平均寿命の差が6歳を考えると未亡人の期間が10年ほどになります。
10年間も独り暮らしになりますので夫が亡くなると、女性は力強く羽ばたいて生きます。
90歳を超えてまで生きますので、区切りよく100歳まで生きちゃえ!っとなります。
そして、100歳になれば「タ・カ・ラ・モ・ノ」と呼ばれ、みんなから大切にされます。
しかも、最期の寝たきりは短くなり、朝は普通、昼はあまり食べない、夕にス~と旅立つ。
そんな、子供孝行までします。
ちなみに100歳以上の高齢者は7万人、そのうち男が1割、女が9割です。女は強い!
50年ほど前、100歳以上の高齢者は300人ほど。「ダ・イ・ヤ・モ・ン・ド」でした。
日本全国、100歳を迎える高齢者は3万人、100歳以上で亡くなる高齢者は2万7千人ほど
100歳以上の「タ・カ・ラ・モ・ノ」はドンドン増えているのです。
世界一の長寿国・日本、その25年未来を行くこの安房地域で世界最先端の高齢者ケアを提供し、人生の大先輩達のいのちが輝く地域を創りたい。そのためには、地域の人たちと行政と一緒に協働し、汗水を流し、工夫しなければなりません。
日本一、地球一の安房・千倉・平舘へ
努力します。
独りぼっちのご飯よりも、みんなで食べるご飯の方が美味しい!しかも元気になる!
独りぼっちの散歩よりも、みんなで散歩した方が元気で、続く!
独りでできないことでもみんなでやればできる!そして、みんなでやれば幸せになれる!
日本全国、高齢者サロンとかカフェとか高齢者が集まる場がタケノコのように生えてきています。
私は日本人ですので、子供も高齢者も集まり、地域全体が家庭であり、地域住民が家族となり何となく集まってくる、居心地の良い場所を地域の茶の間と呼びたいと思っております。
人と人とのつながりを、自分が強くてワガママであると「しがらみ」と言い、うっとうしいものとなります。逆に自分が弱くて困っていると「絆(きずな)」と言い、有難いものとなります。自分の状態で、うっとうしいものにもなりますし、有難いものにもなります。
人間は、歳を取り、病気になり、死にます。死なない人はいません。
災害に見舞われたり、生死を彷徨う病気になったり、辛いことが襲ってくることがあります。
人間、かならず弱ります、困ります。人の温もりある手が有難く感じる瞬間がかならず来ます。
だから、人と人とのつながりが大切です。「絆」が大切になります。
「人」という字、互いに支え合う字です。
「人間」という字、人と人との間に大切なものがあるという字です。
介護の「介」という字、人を下から支えましょうという字です。
絆を感じ取る場が「茶の間」です。その「茶の間」に通うようになると
・健康について意識するようになった
・人との交流が増えた
・「地域には助け合いの気持ちがある」と思うようになった
・「地域の人は信用できる」と思うようになった
・気持ちが明るくなった、将来の楽しみが増えた
そして、「幸せを感じるようになった!」という思いを持つことができるそうです。
スゴいですね。
互いに助け合い、支え合い、国が求めている互助の世界が広がります。
"Trust&Respect&Smile"なHappy Worldが広がります。
みんなで、幸せな社会を創ろうね。
平舘「区民の茶の間」日本一、地球一になれるよ。
松永醫院があり、私の自宅のある南房総市千倉町平舘(へだて)地区の「区民の茶の間」が、厚生労働省スマート・ライフ・プロジェクトの「健康寿命をのばそうAWARD」を受賞しました。スゴいことです。
『第7回 健康寿命をのばそう!アワード』
受賞プロジェクト事例のご紹介
地域の人が互いに助け合い、支え合う互助機能が働く地域を目指そうと約2年半前に作られた平舘「区民の茶の間」が高く評価されたのです。
高齢者が主役!受け継ぐ地域の活力ということで60代以上の、70代、80代の高齢者が中心となり地域創りをしてきました。
平舘「区民の茶の間」は月二回定期的に開かれています。世間では高齢者サロンとかカフェとか呼ばれているものです。
ただ平舘「地域の茶の間」が他と違うのは、コミュニティーが生きて互助機能が働き、世代を超えて元気になっており、地域の歴史を振り返っていることです。
夏休み、春休みになると毎朝7時からラジオ体操が開かれ、小さい子供たちからシルバーカーをおしながらの高齢者までが集まり、元気になっています。
子供が少なくなり夏祭りの準備が大変で手伝ったり、盆踊りが再開されたり、餅つき等の季節の行事も頻回に行われるようになりました。
高齢者が中心となり、子供たち、親も集まりゴチャマゼになりながら互いに助け合い、地域のつながり「絆」を感じ取り安心し、互いに励まし合いながら健康寿命をのばそうという平舘「区民の茶の間」が高く評価されたのでしょう。
待つ人がいるところへ行く悦び、自分を心配してくる人がいる有難さを感じる場でもあります。
地域は日本全国、星の数ほどあると思います。
その中で、高齢者が中心となり、若い人もゴチャマゼになりながら、2年半の短い期間で厚生労働省の賞を取ったことはスゴいことだと思います。
平舘地区の堀江区長さんの決断力の早さ、行動力の素晴らしさを尊敬し、堀江区長さんをサポートする鈴木さん、平舘区民のみなさまに感謝します。そして、それを取り上げて形あるものに導いてくれました南房総市看護師の石井さんに感謝します。
もう少し足跡を辿ってみますね。
良い医療を提供したい!しかし、医療者側だけの思いだけでは良い医療になるとはかぎらない。
やはり、医療の受け手である患者さんと一緒になり、温もりある地域医療を創っていくことが必要である!
っと考え、松永醫院患者会「コットン」をつくって頂きました。
その患者会「コットン」が、11月10日(土)午後1時より松永醫院で開かれました。
多くの患者さんが来て下さいました。患者会「コットン」、今回で6回目となります。
今回の内容は、「もしもの時・・・、まさか自分が・・・」です。
安房消防千倉分署の方に来ていただき、災害時のことをお話していただきました。
映像を流しながらの約40分、日頃からの準備、避難訓練の大切さ、災害時の対応はどの様にするべきかなどをお話していただきました。
そして、私が30分ほど、「もしも、自分が癌になったら・・・。まさか、死ぬ時に・・・。」
というお話をしました。大切なことは、困らないと、病気にならないと気付きません。
病気、死のことを考えると、その向こうにある健康、生きることが見えてきます。
私は、今までに死んだことがない人を見たことがありません。
100歳のおジイちゃんに「どこで死にたいですか?」と外来で聞くと、「縁起でもないことを言うな!」「その時になって考える!」と怒られる時代にもなっています。
まさか寿命が来た時、その時になって考えても、慌てて救急車を呼んでしまいます。
そうすると、心臓マッサージが始まり、救急蘇生をしながら病院に運ばれ、管がたくさん入れられ、お別れの言葉も言えなく、警察まで入って、大事になります。
歳を取り、枯れて、どこで最期を迎えたいか。日頃から決めておくことが大切です。
最期は心臓が止まります。心臓マッサージなどの暴力的な蘇生を希望するのか。
最期は食べられなくなります。食べないと死んじゃうから、経管栄養を希望するのか。
人には寿命があります。寿命が来れば、食べられなくなり、心臓が止まります。
心臓マッサージをしても心臓は動きません。寿命が来て食べられなくなっているところで経管栄養をして数年長生きしても、辛いことが伸びるばかりで余計なお節介となります。
「もしもの時・・・、まさか自分が・・・」は日頃から考えて、準備をするべきことです。
その時、必ずその時は来ます。その時になって慌てて対応するのではなく、こころも含めて日頃から準備をしておくことが大切です。
そして、何はともあれ、嬉しくて、自慢なことは松永醫院のスタッフです。
今回の患者会「コットン」、私はテーマに関して助言を少々しただけで、消防署との折衝を含めあとは松永醫院のスタッフが全てコーディネートしてくれました。
土曜日の午後1時から3時まで、各スタッフが自発的に動いてくれたこと、計画し、折衝し、連動しながら患者会「コットン」を開催できたことが嬉しいです。思いつきで何でも言ってしまう私をスタッフが支えてくれています。有難いです。感謝します。
午後5時から東京での勉強会へ出席するため、話すだけ話をして患者会「コットン」を離れ、後片付けもせずお江戸に向いました。思うことは誰にでもできます。思ったことを準備し、実行することの方が大変で、実行力があるのかどうかで社会的な差が付きます。
翌日、11月11日(日)、私の末娘のバレエ発表会がありました。
南総文化ホール大ホールという安房地域で一番の晴れ舞台で開催されました。
午後1時から午後4時までの3時間、子供たちが舞台の上で跳びはねる至福の一時でした。
「アンナ」バレエスタジオ、末娘ココロがお世話になっているバレエ教室です。
夏のお盆が過ぎると発表会の練習が始まります。最後は土曜日、日曜日も朝から晩まで子ども達全員で練習をします。
子ども達も大変ですが、終るのを唯ひたすら待つ親達も大変です。
バレエ発表会という目標のために、いろいろなことをガマンし、犠牲にし、みんなで力を合わせて練習をすることの大変さを学びます。そして、最後にバレエ発表会という大舞台で目標を達成すると、辛さの向こうには悦びが待っていて、幸せになることを学ぶのです。
犠牲の向こうに悦びが待ち、幸せになることができる。
独りではできないことでも、仲間がいると励まし合い、頑張れて、大きな悦びになることができる。そんなことを学んできた、この3ヶ月でした。
幼い子ども達が化粧をして大人びて、煌びやかなコスチュームを着てステージを跳ね回り、踊り、夢のような至福の3時間を楽しみました。ココロ、頑張ったね。
そして、アンナバレエスタジオの先生方に感謝します。また、来年もよろしくお願いします。
今年も千倉中学2年生の子ども達が職場体験で松永醫院に来ました。
松永醫院は2人、隣のスマイル薬局には1人、デイサービスセンターあそぼには2人
全部で5人となり、全員が女の子です。男子はなぜか来ないのです。。。
松永醫院の外来師長ミサさん、つまり私の上司となりますが、子ども達受け入れのおもてなしの準備をしていました。
人体のイラスト、テイクホームメッセージなどの資料作りも素晴らしいのですが、ゴチャマゼケアが体験できるプログラムを作ってくれたのです。
いのちを助けるだけでは足りない時代が来ています。
いのちを支える医療の大切さ、つまり、いのちを助け、いのちを元気にし、いのちを輝かせる医療が求めるべき優しい医療だよ!っと伝えました。
いのちを支えるために様々な職種が集まり、チーム医療、チームケアを提供しています。
いろいろなスタッフが集まり、ゴチャマゼになりながら、人生を支えるゴチャマゼケア
一人一人が質の高い綺麗な虹色のサービスを提供する「無色透明のゴチャマゼケア」。
そんな無色透明のゴチャマゼケアの実践を見て頂きました。
薬だけでは元気になれいない、医師だけではハッピーにさせることのできない いのち を支える現場を見て頂きました。
どんな感想を持ったのでしょうか。
ちなみに去年のブログ → 「ありがとう!」と言ってくれる仕事
「ありがとう!」と言ってくれる仕事、そう多くないようです。有難い仕事です。
人間は他の人のために頑張っちゃう動物。だから「ありがとう」と言われると、どんなに疲れが溜まっていても吹っ飛んでしまい、もっともっと高いところに登って行こうとします。
私は、本当はグ~タラな人間です。何もせず唯ボ~っとしていたいです。
っと考えている私ですが、本当に30分何もせずにボ~っとしていると、どこかしらからエネルギーが湧いてきて、何もせずにはいられなくなり全力疾走してしまうのです。。。
私は、本当はグ~タラな人間です。いつまでも寝坊して寝ていたいのです。
っと考える私ですが、松永醫院で患者さんが待っていると思うとスクッと起き上がり、歯を磨き、顔を洗って、全力疾走で松永醫院へ向うのです。
子ども達に、人のために頑張っちゃう仕事をすすめました。
だから、いのちに携わる仕事をすすめました。
「ありがとう!」と言ってくれる仕事に、あらためて感謝します。
11月が流れて行きます。
房総半島の先っちょには、まだ紅葉シーズンが届いておりません。
これからが色づき秋本番、実りのシーズンとなります。
11月初旬は硝子体手術を覚悟しておりましたので、予定をフリーにしておりました。
でも、これから、やらなければならないこと盛りだくさんです。
予定のないフリーの日は、ほとんどないです。
今週末土曜日は、松永醫院の患者会「コットン」が開かれます。
医師だけの思いだけでは、必ずしも良い医療になるとはかぎりません。
良い医療を実践しようとすれば、私たち医療者と患者さんが双方向性の意見交換が大切となり、その場として「コットン」が開かれます。
今回のテーマ「もしもの時・・・、まさか自分が・・・」です。
安房消防千倉分署と共同開催で、押本さんに災害・防災について語って頂きます。
私は、どこで、どのように最期を迎えたいか、認知症になったらどうするかなどを考えます。
日曜日は、末娘のバレエの発表会が南総文化ホールで開かれます。
幼い子ども達が艶やかな衣装を着て、大人びて、美しく踊る宝の3時間となるでしょう。
アンナ・バレエスタジオの先生方、子ども達、親たち、感謝します。あと少し頑張りませう!
その次の週は、千葉で開かれる『第7回 日本プライマリ・ケア連合学会 関東甲信越ブロック地方会』に参加します。
なぜか田舎の開業医である私が先端医療を実践する学会の中で、エコーセッションの責任者となっております。
頑張るしかないです。
エコー、超音波検査ではなく聴診器のようにエコーを用いて全身を診察し、その場で治療を開始する時代となってきています。
お腹、心臓だけではなく、血管、肺、皮膚、目、骨、筋肉など、何でも診ます。
ハイドロリリース、その場で腰痛、肩こりなどを治しちゃうのです。
そして、その次の週は在宅関係の勉強会、禁煙指導の勉強会などが続き
月末は、地域包括ケア推進会議で千葉との往復をします。
ウイークデイはいつもの医師会理事会、介護認定委員会、勉強会などがモリモリです。
今年も残すところ2ヶ月を切りました。
右目が良く見えない、手術になるだろう っと全力疾走できないこれまで
手術はない!だろう っと息を継がず、全力疾走で走ります。
本日11月1日(木)、右目の手術の予定でした。でも、延期となりました。
8月8日の台風の夜、スシローにて突然右目が飛蚊、霧視、視野が見難くなりました。
硝子体出血と言う透明の目ン玉の後ろに血が溜まり、光が通らなくなり、視力障害を起こす。
車のバックミラー、サイドミラーを見るたびに、「また、出血した・・・」。
1週間後、病状が落ち着いたかなと思いランニングをしたら、また出血。
そんな毎日の繰り返しで、2週間後には指の数が見えない手動弁状態となりました。
浜辺に流れ着いた塩と藻がこびりついたビンの底から見ている感じ。
視界の悪いドブ水の中から見ている感じ。
視野の丁度ど真ん中に昆布がユラユラ揺れて、光も通しません。
糖尿病もなく、網膜静脈閉塞症みたいな血管病変もなく、リスクファクターとしては血圧です。
でも、血圧も弱い降圧薬を服用していますが、薬を服用しなくても良いぐらいの110/70mmHgとコントロール良好です。
あとは、強度の近視でしょうか。
突然の右目の視力障害、見えるものが見えなくなり、ワインをグラスではなくテーブルの上に注ぎ、やたら右肩がものとぶつかったりしました。本も読む気が無くなりました。
暗いところ、人がたくさんいるところ、ものが早く流れてくるところも苦手になりました。
目の調節能力は高い!っと呑気なことを言っていた自分自身を反省します。
途中障害者の気持ちが何となく理解することができました。
それから毎週のように亀田クリニックへ通い、堀田先生に診てもらいました。
眼底は見えませんから超音波Bモードで網膜剥離がないかを確認し、視力も僅かながら改善していることを確認しました。
しかし、実生活上では何の改善も感じることができません。
硝子体出血して2ヶ月、本も読めるようになれない、右目が外斜視になりつつあるというコスメティックな問題もあり、硝子体手術の覚悟を決めました。11月1日(木)に手術日を設定し、午前松永醫院外来、午後手術、そして入院、3日(土)退院の予定で調整しました。
松永醫院の診療調節をご主人様、玲奈先生、スタッフにお願いしての硝子体手術です。
右目に25Gの針を3本差し、1本は光源、2本目は透明の人工眼房水を入れ、3本目はメスなどの処置を施す管を刺して、右の目ン玉をキレイにするのです。
目を刺せば確実に白内障が進行するとのことで、白内障の手術も同時にする予定でした。
手術を回避できれば避けた方が良いこと、僅かではありますが改善していること。
そんなこんなで、手術延期。
右目の中央に昆布が揺れていて、ものが見えない。その昆布の隙間から時々チラッとものが見えるようになっています。そして、その昆布が次第にワカメになってきています。
ワカメが揺れており、ワカメの隙間が次第に増えております。でも、まだまだ本は読めない。
毎週水曜日の午前中は亀田クリニックに通い、午後の仕事までの間に徘徊しました。
9月の日本橋高島屋の新館、ショッピングセンターのオープン、行きました。
10月の日本橋三越のグランドオープン、フランス展にも行きました。
10月最後の水曜日、両目とも散瞳したため活動は控えて、私の友人が経営する君津のラーメン屋 麺屋寛虎に始めて行きました。津金澤くん、一クセある天才。医療介護福祉の世界へ来ていなかったら、ヤクザになっていたのでは。。。