『夢へ』
問題を出したとき、宿題を出したとき、質問をしたとき
食事をするときに何かお話をするよう求められたとき
常に君は逃げている。
お父さんは言ったはず。
「常に波に向かって行け!
波から逃げようとすると やられてしまう。」
お父さんは、君に向かって波を送り続けるだろう。
大きくて、大きくて、
でも、君が乗り越えられるような大きな波を送り続けるだろう。
君は、それに向かって、頭を使い、工夫をして
乗り越える努力が必要だろう。
波に向かって行け。
常に、波に向かって行け。逃げるな。
毎日の少しの努力、+1%の努力、プラスアルファの努力
その少しの努力が集まり、大きな波となり
君の夢の実現が叶うであろう。
8月23日、夢の12歳の誕生日です。そこで、夢と約束しました。
「おそらく不可能だとう思うが・・・、夢、もぉ夢を怒ることはしないよ。」
昨晩、8月24日の晩、お父さん火山が大きく爆発しました。
(その時の夢への手紙が上記です)
台風15号、16号が近づき、海は大しけとなり、今まであった綺麗な砂浜が消えています。
この週末の海岸は最後の賑わいになるかと思いましたが、「海の家」が取り壊されています。
夏が過ぎ去っています。秋風が吹き始めています。
この夏の週末、花火を堪能しました。
隅田川の花火大会、都会の花火大会で高速道路、ビルがあるため、大きさ規制があります。
ビルの谷間から見える花火もオツなもので、ビルを根こそぎもぎ取ってしまいたくなる感情に襲われながら、熱さが残るアスファルトの上で観ました。
大学時代の友人と会うために見る花火大会なので、背中で花火を見ながら、美味しいビールを呑みながら観ました。
それにしても、終わった後の彼方此方の渋滞、すごかったです。
日本一の花火大会と言われている長岡の花火大会を日帰りで観てきました。
花火がとってもデカかった! すごかった! 小山剛さんを偲びながら、日本一を観ました。
花火が終わるのが午後9時半ごろ、東京行きの最終新幹線が午後9時57分長岡発。
大混雑していますので花火打ち上げ会場である信濃川まで行きませんでした。
遠くに花火の大輪、美しい花火の花が光り、長いタイムラグの後に轟音が響きました。
館山の水上花火大会、花火の根っこから花の先っチョまで全部見え、しかも砂浜の上で寝転がりながら観ました。
水上爆弾花火がド~ン!と爆発しながら近づいてきます。
その迫力は長岡の花火と同様にすごいです。
毎年、8月8日夜の館山は熱くなります。でも、大混雑しても電車にはちゃんと乗れるし、渋滞もチョビッとです。
田舎の花火大会は、小さく輝くのです。
千倉の花火大会、日本一小さな花火大会です。お盆の3日間連夜、打ち上げられます。
午後8時からの15分間、実質的には10分間ほどでしょうか。
美味しいイタリアンを食べている途中、みんなで一緒に外に出て、最初から最後まで
花火打ち上げ場所は1か所、花火の花が光るとともに轟音がとどろき、
日本一小さな花火を堪能しました。
そして、この週末、大学時代の友人が来て自宅で花火大会をしました。
最後に、線香花火をしました。みんなで、だれが一番長く線香花火を輝かせるか競争しました。
本日は、娘の夢(ゆめ)の誕生日です。どのような花火を打ち上げてくるのでしょうか。
松永醫院は盆休みが終わり、夏後半戦に突入です。気合が入ります。
人間は賢い動物? それとも アホな動物?
人間、進むべき道は明らかにわかっているにもかかわらず進むことができない・・・。
だんだんと暴力的な熱さの夏になっており、猛暑日が増えています。
北極の氷がまだ残っているから、ラジエータとなり、暑さもこんなものかもしれませんが、
北極の氷が無くなってしまったら、ドンドン気温が高くなり、どうなっちゃうんでしょう。
これは、二酸化炭素が増え、オゾン層が破壊され、地球温暖化が進行しているからです。
気温が高くなれば、水は空に昇っていき、どこかで雨となり戻ってきます。
地球上では、砂漠化が進んでいる場所と、巨大台風で水害に見舞われている場所の極端化が進んでいます。
温暖化の進行のためです。進むべき道は見えています。が・・・。
タバコ、もぉ嗜好品ではないです。毒です。
タバコ、400円ほどでしょうか。
喫煙者は税金を払っているからと言うも、医療費のことを考えれば1,000円ほどにしなければなりません。
国は、国民のいのちを守らなければならないのに、税収が入るからと言い法律で禁止しようとしていません。おかしい・・・。
高齢少子化、子どもがどんどん減っています。
合計特殊出生率、女性が一生の間に何人の子供を産むのかという数字。
現在の合計特殊出生率は、1.4ほどです。夫婦で1.4人の子供を持つことになります。
一人当たりの子供の数は0.7人となり、一世代が30年程と言われていますので、60年程経つと0.7×0.7=0.49で今の子供たちの半分になってしまいます。どんどん減っています。
140年以上の歴史のあった我が母校である忽戸(こっと)小学校、
私が小学生だったころは400人以上の児童がいました。
私の娘・夢(ゆめ)が小学4年生の時に閉校となったのですが、児童数は44名、10分の1。
結婚するのが30歳ほどとなり、それから子供を産もうと思っても生物学的限界があります。
「早く結婚しなさい!」と言い、パートナーを紹介してくれる有難いお節介なおばさんは、絶滅危惧種ではなく、絶滅種となっています。
もっと、もっと、私たちは幸せになりませう!そして、子どもの未来を創りませう!
昨日、8月14日は娘の心優(こころ)の6歳の誕生日でした。
本日、8月15日は終戦の日です。昨晩、「火垂るの墓」(ほたるのはか)というアニメをテレビで観て涙しました。
夜、よく眠られなく、深夜にこの文章を書いています。
8月は、暑く、楽しく、つらい歴史のある月でもあります。
毎週のように花火大会が開かれ、松永醫院に研修医、学生さんたちが地域医療の勉強に来られ、振り返りという名のカッポレを毎週開いています。
8月は暑く、楽しい月です。
昨晩、とっても美味しいイタリアン料理を食し、最高のおもてなしのサービスを受け、心優の6歳の誕生パーティーを開くことができました。
レストランに入職してまだ1年足らずの若い女性スタッフとベテランのキャプテンとのコラボレーションが素晴らしかったです。
ワインを持ち込んだのですが口に含むとわずかに冷たく感じる温度にうまく冷やしており、料理を出すタイミングも丁度よく、手を挙げて店員を呼ぶことは一度もなかったです。
8月、つらい月です。
8月6日は広島原爆の日、人類史上初めて原子爆弾が使われた日です。
8月9日は長崎原爆の日、人類史上2番目、そして最後に原爆が落とされた日になることを祈るばかりです。
私の父と母、二人とも長崎出身で原爆被爆者です。
戦後20年たっても父の背中からガラスの破片が出て来ていたのを覚えています。
8月15日は終戦の日。それまでに、日本中の各地が空襲で焦土となり、北方領土をもっていかれました。
戦争で、子どもたちや女性を含め、たくさんの市民が亡くなりました。
私たちは、戦争から多くのことを学び、平和であることの大切さを学んだはずです。
また、同じ過ちを繰り返さないという重たい誓いをしたはずです。
「火垂るの墓」、とっても良いアニメーションです。
涙が、あふれて、あふれて、悲しかったです。12歳になろうとしている娘の夢と観ました。
母は空襲で全身に火傷を負い、体にウジ虫を這わせながら死んでゆきました。
14歳のお兄ちゃんが4歳の妹を守ろうとし、しかし、残念なことに栄養失調で4歳の節子は死んで逝ったのです。
栄養失調で衰弱する、今の日本では考えられないことです。
私は医師です。だから、なおさら、いのちにこだわって生きています。
報復、暴力は、憎しみの連鎖を生むだけで、イスラエルとパレスチナの戦いのように圧倒的な力の差があっても未だ解決に至りません。
安倍政権、戦争できる環境を作っているように思えます。
すでに、戦争が始まっているような気もします。
やってはいけない同じ過ちを繰り返しているように感じます。
平和であることをかみしめ、未来へ、子どもたちへ、平和を引き継ぐ行動をしなければ。
「火垂るの墓」みなさんも、是非、観てください。戦争の不幸さを強く感じます。
「火垂るの墓」を紹介してくれた千倉小学校に感謝し
千倉小学校の子供たちに、日本において唯一の地上戦が繰り広げられ、多数の市民を苦しめた沖縄戦の語り部を誘うことを改めて心に誓いました。
平和は、待って来るものではなく、みんなで創るものだと思います。
暑い夏の前に「クソ」が5つ付きます。2つ増えております。
あんなに大好きだった夏が、東京に行ってから大嫌いになってしまいました。
千倉は海洋性気候で、冬は温暖でお花畑が広がり、夏は最高気温もそぉ高くはなく、木陰にはいり風が吹けば涼やかで気持ちが良いです。
それに対して東京は、コンクリートのジャングル砂漠です。
コンクリートやアスファルトからの反射熱・輻射熱で最高気温はどんどんウナギ上りで猛暑日となり、エアコンの室外機から出てくる熱風も加わり、逃げ場がないです。
夜もエアコンなく寝ようとしても途中で何度でも目を覚まして熟睡できません。
東京の猛暑を考えれば、千倉の夏はまだまだ優しいです。
と思っていました。。。が・・・
千倉でも、パサパサしているお爺ちゃん、お婆ちゃんが干え上がって、さらにパサパサになっています。
閉め切った蒸し暑い部屋で、食欲が低下し、ゴロゴロしているのです。
松永醫院はエアコンを効かせ、扇風機を回し、冷たい水を準備し、夏のオアシスとして高齢者の避難所にしております。
外から来た患者さんは、みなさん、ホッとしています。
そんな松永醫院に一日中いていいね・・・と言う患者さんがいます。
いったん診たら、最後の最後まで診る。先発完投型の医療を提供している私は、在宅医療も提供しています。
昼休み、太陽がまだ十分に高い時間帯、患者さんのご自宅へ伺います。
エアコンの効いたご自宅も多いのですが、エアコンのない家、エアコンがあっても使っていない家もあります。
閉め切った部屋で、湿度が高く、汗が噴き出してきます。
また、往診をしている車に戻るたびに車内が熱くなっており、移動中に車内が冷えてきたかなという時に次の患者さん宅へ到着します。その繰り返しで、けっこうこたえます。
スタッフが凍結させてくれたお茶のペットボトル、その周りにタオルを巻きつけ、往診最後のほうで半分ほどを一気に飲みます。ユーフォリアの世界です。
在宅を支えている現場のスタッフには頭が上がりません。
十分な睡眠をとって、美味しいものを食べて、この暑い夏を乗り切りませう!
松永醫院、8月13日~15日お盆休みです。
在宅は日曜関係なく、スタッフが動いています。
美味しいスイカ、持っていきますね。
暑い夏、真っ盛りです。暑い夏の前に「クソ」が3つ付きます。
この1週間、いろいろありました。
人間、最期は枯れていきます。苦しまず、時を選び、逝くようです。
在宅酸素療法を行っていた夫を看取り、次に自分自身が加齢に伴い寝たきり状態となり
娘が同居し、近くに住む看護師でもある孫娘がケアを提供し、ひ孫が見守る中、静かに旅立ちました。
いのちがつながっています。
ひ孫、まだ中学生の女の子ですが、将来は母同様の看護師を目指したいようで、お祖母ちゃんが残してくれた優しさを糧に立派な医療者になってくれることでしょう。
私が診ている患者さんで最高齢106歳のお婆ちゃんが亡くなりました。
歩いてトイレへ行き、本を読んでいました。
大好きなデイサービスセンター「あそぼ」へ行き、スタッフに最後にお別れの挨拶をし
ついでに「あそぼ」横にある訪問看護ステーション「そよかぜ」の看護師とも挨拶をし
家族、親戚、そして私に挨拶をし、静かに旅立ちました。
100歳を超えたら「た・か・ら・も・の」と呼ばれ、みんなから大事されるよ!
と私は言っていますが、さすがに100歳を超えると最期は短く枯れていきます。
大事に看てくれた子供たちへの最期の子供孝行です。
いのちを助けるために病院へ行き、いのちは助かりましたが寝たきり状態となってしまったお婆ちゃん。
しかも、ほとんど食べられなくなってしまいました。
ご本人は家に帰りたがり、ご家族も家に帰らせたいと願っている。でも不安。
リハビリ施設である老人保健施設「夢くらぶ」に移り、家に帰るためのリハビリ、在宅復帰の準備をしました。
でも、少ししか食べられません。
好きな食べ物を準備しても、かき氷など口当たりが良いものを差し出しても、食欲増進剤としてプレドニンを処方しても少ししか食べられません。
スタッフが、あの手この手で工夫をしました。家に帰れば食べるのではと・・・。
すると、少しずつ食べ始めました。家には「在宅」という最高のスパイスがあるのでしょう。
念願の自宅へ帰り、私が往診で診て、訪問看護と一緒に在宅医療を提供し
老人保健施設「夢くらぶ」のショートステイを利用し
家族に愛され、スタッフにも愛され、私たちからも愛される可愛らしいお婆ちゃんでした。
昼ご飯をいつもよりすこし少なく食べた後、す~っと旅立たれました。風のようです。
老衰、枯れる。苦しくもなく旅立つ。
姿は見えなくなってしまいましたが、こころの中で生きています。
この週末、8月2日(日)、日帰りで長岡へ日本一の花火大会を見に行きました。
ケアのカリスマである小山剛さん、昨年のちょうど今頃会いに行き、重厚な接待を受けました。
⇒ 「小山 剛氏 逝く」2015年3月19日ブログ
その小山剛さんが急逝され、小山剛さんに礼を伝え、弔うことが一番の目的でした。
日本一の花火を見ながら、いのちの花火は「線香花火」かなと思いました。