21年前、1997年、父・松永春二が認知症になり、GISTという悪性疾患で亡くなりました。
お世話になった千倉町へ恩返しをしたいと考え、父の遺産を国へ寄付し、社会福祉法人「おかげさま」を創立し、認知症対応小規模デイサービスとグループホームを作りました。
幸せを感じられる、戦争など無い平和な社会を創るためにはどうしたら良いのだろうか。
互いに信頼し、互いに尊敬できる社会、つまりTrust&Respectを大切にする社会を目指すことをデンマークで学んできました。Trust&Respectを日本語に訳すと何なのか、「おかげさま」になるだろうと考え、社会福祉法人の名前を「おかげさま」と名付けました。
人生におけるKeywordは「夢」です。
常に私たちは、「夢」を持ち、「夢」を語り、「夢」を追い求めることが大切です。
私が医師になって良かったなと思うことは、「夢」を語ることができることです。
だから、私の娘にも「夢」という名を付けました。
認知症の方を「夢人さん」と言い、私たち一般市民を「夢追い人さん」と言っています。
「夢人さん」と「夢追い人さん」という言葉は似ており、お隣さん同志みたいな存在です。
さらに、互いに尊敬しあえる心豊かな幸せを感じられる社会を「夢追い村」と名付けました。
歳を取ればボケるもの。85歳の高齢者は、4人に1人が認知症。
5歳歳を取るたびに認知症の罹患率は倍になると言われています。となると90歳になると2人に1人が認知症、100歳になるとほとんどの人が認知症となることになります。
社会は「ボケたら最後」と言っています。自分だけは認知症にならないだろう願っているだけで、認知症になってもよい準備をまったくしておりません。「ボケたら最後という社会」を、「ボケても安心して暮らせる社会」へいかに醸成させるか問われます。
2006年社会福祉法人「おかげさま」で、「夢ほーむ」というグループホームと「おかげさま」という夢人さん対応型小規模デイサービスを開設しました。父・松永春二から与えられたMission、認知症に関して勉強をし、優しい認知症ケアを提供できるようになりました。
病院で抑制され壊れていた患者さんが、自宅で暴れ回っていた患者さんが、優しい認知症ケアを受けることで次第に穏やかになり、笑顔が出てきて、「ありがとう」と言い始めます。
こんな命が輝き始める場面をみると、嬉しくて、嬉しくて、たまらなくなります。
「あなたの笑顔は 私たちの力」 悦びです。
認知症、ともう一つのKeywordである「リハビリテーション」。
命が輝くためには元気になること、リハビリテーションが大切になります。
命の輝きは何を指標に評価するかは笑顔、とびっきりの笑顔と考え、笑顔を目指しています。
元気になるためにリハビリテーションを実施できるところ、そして多くの高齢者が願っている在宅療養を支援できる施設を持ちたいと考え、2006年、老人保健施設「夢くらぶ」を作りました。
夢くらぶは、在宅復帰支援施設と在宅療養支援施設の2つの機能を発揮しています。
在宅復帰支援施設とは、いのちを助ける過程で弱くなってしまった身体と頭と心を復活するためにリハビリテーションをするための施設です。
在宅療養支援施設とは、家族の介護疲れを癒すためにショートステイができる施設です。
在宅で次第に動きが悪くなっている人のメインテナンス・リハビリテーションを行ったり、
いのちを支えて、支え切って、看取る、看取りの場にもなっています。
デイケアも運営しておりますので、在宅も入所も、自宅でも施設でもいのちを支えています。
老人保健施設「夢くらぶ」は、私のご主人様が医師として健康管理し、看護師さんも一日中いて、たくさんのリハビリスタッフ、ケアスタッフ、管理栄養士などたくさんのスタッフが無色透明のゴチャマゼケアを提供しております。
老人保健施設「夢くらぶ」は、医療保険施設ではないですが医師がいますので医療施設です。
また、小さな病院にたとえることができます。そして、小規模多機能サービスより優れている大規模多機能施設でもあり、医療保険と介護保険をつなぐ施設でもあります。
老人保健施設「夢くらぶ」は、ものすごいポテンシャルを持っている施設なのです。
夢くらぶが頑張れば頑張るほど、地域の老人たちは元気になり、笑顔が増え、いのちが輝いていくと思います。
2009年、千倉に骨を埋める覚悟を持った私は、自分のお城である松永醫院をリニューアル移転しました。父・松永春二が開業した地に戻り、平屋の松永醫院をつくったのです。
貧弱な介護保険側のリハビリテーションのボトムアップを図り、風呂も飯もつかないリハビリテーションに特化したデイケアも同時に開設しました。
今、既に、松永醫院は田舎で命を丸ごと守ることのできる日本一、地球一の診療所になっていると思います。優しいスタッフが集まり、無色透明のゴチャマゼケアを提供しているからです。
でも、まだ、まだ、より高いところを目指し、私たちは頭と心を使い工夫をしまくり続けます。
お楽しみに!
土曜日の夕方、便秘のお勉強に行きました。便が秘めると書いて便秘、おもしろいですね。
秘めるなんて、ウンコがメルヘンチックな世界に突入してきます。
便秘はCommon Diseaseで、日常診療でよく診る疾患です。
でも、医学生の時の授業で習ったこともないし、医師になっても勉強したことがないです。
そんなウンコのお勉強を聴き、感動しました。
便秘をしている人は、便秘をしていない人に比べて確実に早死にだそうです。
便秘をしている人は、癌になりやすいだけでなく、糖尿病にも、高血圧症にも、脂質異常症にも、認知症にもなりやすいそうです。便秘は万病の元なのです。
便秘症、私はなめていました。便秘症は、しっかりした疾患なのです。
ウンコ、個人の体質だけでなく生活環境、生活習慣、文化にも関連した結果のたまものです。
臭い、私のウンコの臭いはメチャくさい。ご主人様、無臭、無味なり。
ウンコの色、これまた大切。黒いウンコは出血性胃潰瘍。赤いウンコは痔からの出血。白いウンコは胆道閉鎖?緑のウンコは消化不良。ブルーベリー色のウンコは大腸癌?
ウンコの性状も大切。コロコロウンコ、ソフトクリーム状ウンコに下痢、最高のバナナウンコなどなど。
約2時間チョッとの便秘に関するお話しを聴きましたが、その中でも京都府立医大 内藤裕二先生の腸内フローラに関するお話しはとってもためになりました。目からウロコ、感動です。
腸内フローラとは腸内の細菌叢のことで、様々な種類の細菌が共存共栄している状態のことです。
腸内の細菌数は100兆個、人間の細胞数は40兆個と言われていますので、腸内の細菌数は人間の細胞数より倍以上あることになります。ものすごい数ですね。
長生きする人、病気になりにくい人は、共通する細菌叢を保有しているそうです。
代表する善玉菌はビフィズス菌が有名ですが、ビフィズス菌が少ない人がいくらビフィズス菌入りのヨーグルトを食べても腸内のビフィズス菌は増えないそうです。食事内容だけで決まるものではなく、体質、環境社会因子などで決まるようです。
最近注目されているスーパー善玉菌はアッカーマンシア菌という名の細菌だそうです。
逆に、腸内フローラが、パーキンソン病、潰瘍性大腸炎、クローン病、多発性硬化症などの疾患と関係しているそうです。悪玉菌があるようです。
とにかく大腸フローラ、未知の部分がたくさんあるそうです。
内藤先生、長生きしている人、スーパー元気な人、死にそうもない人のウンコを集めているそうです。スゴイ趣味ですね。
元気なみなさんも、ウンコを提供します?
あと一つ驚いたことは、今生まれた人が100歳まで長生きする確率は50%を越えているそうです。
これまたスゴイことですね。その内に死ぬことを忘れてしまったりして・・・。
先週はベルギーからのお客ザビエルの接待をして、城西国際大学で講演しました。
1週間がウソのように早く過ぎていきます。
人生というマラソンを、100メートル全速力で、息を継がずに走ろうとしている私。
本日、日曜日。千倉でゴソゴソしています。ボ~っとしています。
いつものように日頃処理できていない書類等を処理し、散髪に行き、サンキュー・ジョギングをし、ブログを書いています。この後は、海の見えるマンションの大風呂に行き、夕食。
ご主人様はNHK大河ドラマ「西郷どん」を観ながら、私の作った料理を食べる予定です。
メニューは、豆腐の豆乳鍋、サラダ、ザブトンのステーキ、マグロソテー、銀座天龍のジャンボ餃子、トロアグロのコロッケ・・・と中食。
21年前の1997年2月16日、私の大好きな母が亡くなりました。
それを追うように父が亡くなり、私が松永医院を引き継いだ1997年です。
千倉を捨てて東京で医師として活躍しようと思っていた私が、千倉に戻った年になります。
東京から千倉に戻るにあたって、私は「医学」と「英語」を捨てた!っと思っていました。
何となくノーベル賞を目指し、科学者を目指していた私は、千倉に戻れば臨床の現場に集中するしかなく、研究を行うことは困難だと考えていました。「医学」を諦めたのです。
千倉で「英語」を用いる場面は例外的にしかないと思いました。
町医者になれば海外旅行は無理。なぜなら、呼ばれたら直ぐに行けないから。
最近行っていない国内旅行も、普通は1泊まで、無理して2泊までと決めています。
千倉を捨てて東京に行った私が千倉に戻り、捨てたつもりの「医学」と「英語」を再び勉強することになったのです。先週のことです。
人生、不思議な流れがあるものです。
千葉県東金市にある城西国際大学で、特別講演ということで私が約1時間のお話しをさせていただきました。お話をする対象は学生かと思いましたら、学生は少し。
なんと大学教員が中心で、少なくない教授も私のお話を聴いて下さいました。
千葉県東金市、初めて訪れました。
訪問看護ステーション、ヘルパーステーション「そよかぜ」の社長で私がお世話になっている本吉高士さんの故郷であり、上司であり松永醫院外来師長ミサさんの故郷でもあります。
千倉から城西国際大学まで約120Km、車で約2時間かかります。
千倉から東京銀座まで約110Km、車で約1時間半かかります。
東金、東京より遠く、人口は約8万人だそうです。城西国際大学の存在は大きいでしょう。
城西国際大学に予定より早く着いたので、予め講演会場を見たらビックリ!
綺麗すぎます。パワーポイントを用いてプロジェクターで映し出されるのはなく、テレビ画面に直接出力されます。電灯を消す必要がないのです。ビックリ!
城西国際大学、千葉大学、千葉科学大学の3大学が、学生を通じて交流している実習の発表会がありました。その前座として、私は「地域へ 踏み出そう」という題で魂を入れて話をしました。昼食後の午後1時過ぎでしたが、誰も寝ていませんでした。
その前の週、東京・大森で開かれた「命の森プロジェクト」でナオミさん&息子さんがつくってくれた映像も用い、スライドも100枚以上、かなりVisual Impressiveなお話になったと思います。最後には中村先生が作ってくれたDVD映像を流して念押し。
病院の中から見えない風景がある。薬局のカウンター内から見えない風景がある。
地域へ出いていかないと、大切なこと、困っていることが見えてきません。
困っていることを知ると、なんとかしたいと工夫が始まり、地域が動き出すことを伝えました。
大学の立派な講堂で、私がメインスピーチ。それを教授が聴く。信じられません。
千倉がある南房総市とベルギーのBlankenbergeブランケンベルゲ市は長年にわたり交流を続けています。昨年の夏、私の長女・夢が10日間ベルギーへホームステイし、ベルギーからルネという名の女の子と手をつなぎながら日本に戻ってきました。
ベータのブログ : 「JIUとBelgium」(2017年8月30日)
そして、この週末、千倉町でフラワーマーチという2Days Marchが行われ、ルネのお父さんザビエルが我家に来たのです。3泊しました。英語を捨てたつもりの私は疲れました。
でも、楽しかったです。充実していました。
ザビエルと一緒に大きな風呂に入りました。少しばかり熱めの湯船につかり、プッハ~!
「うな陣」で、日本受け入れ側の仲間と一緒に、Yakitoriを食べ、Sakeを呑み、Kapporeしました。Belgian、ホルモン苦手のようです。Belgian、コンサバティブです。
ザビエルの娘、ルネに美味いタンシチューを出したら涙を流し、私が最後の晩餐会で食べるであろうタマゴかけご飯を出したら無口になった苦い経験があります。
すき焼きを作り、タマゴに付けて食べるようザビエルに伝えたら、"Delicious!"とペロン。
ザビエル、良い奴でした。一生懸命、英語で話しかけてくれました。
おかげで、私、少しずつ英語が上手くなってきたような気がします。
それにしても、ベルギーという英語、オランダという英語はないのですが日本語はあります。
我家での英語力は
スピーキング:ご主人様 = ベータ > 夢
ヒアリング :夢 >> ご主人様 > ベータ
2020年、東京オリンピック有りますが、ザビエルの末息子と奥さんが千倉に来る予定です。
その時に、Best Hospitalityを提供できるよう英語の勉強もしますね。
週末、2月10日(土)、東京大田区にある大森医師会館で「命の森プロジェクト」というイベントがありました。
田舎に住む両親の命をどの様に支えていくかというテーマです。
その基調講演として私がお話しをさせて頂きました。
この「命の森プロジェクト」は、在宅ケアの日本のトップランナーであり、地元の開業医でもある鈴木央先生が中心となり、市民とほんわかに、温かく、繋がりながら、いのちの勉強をしようというネットワークです。
鈴木央先生とは20年以上のお付き合いです。っというか、央先生のお父様、鈴木荘一先生は医科歯科大の大先輩で、日本にホスピスを導入したレジェンドで、荘一先生から央先生への流れがあります。央先生のことをズ~ッと「オウ先生」と呼んできましたが、本当は「ヒロシ先生」と呼ぶことを今回知りました。
そして、今回のプロジェクトの仕掛け人がナオミさんです。年齢不詳です。
ご両親が千倉に転地療養し、お父様のNさんを私が在宅医療で診させて頂いております。
ナオミさんが私を選んだ理由、老人保健施設夢くらぶを持ち、このブログを読んでチョイスしてくれたとのこと。嬉しい限りです。
Nさんご夫婦、在宅で診ている患者さんの中で最もOut Of Control です。
日中はベッドから離れて過ごして下さいね!と言っても、往診するといつもOn The Bed。
夢くらぶのデイケアには行って下さいね!と言っても、デイケア中断中。
在宅酸素療法は死ぬ直前にするものと思っていたので、導入するのに四苦八苦。
在宅酸素療法を導入しても、診察時に慌ててカニューレを付け、口呼吸するためブザーが鳴る。。。
それ以外にも、数々の武勇伝。昼間からワンカップ酒を2本、いや4本。
田舎で療養する親をいかに看るか。それは簡単、ケアはプロにまかせ、家族は愛を注ぐ。
そして、ご本人はできることは自分でする。できないところは介護保険を用いて自律して過ごすことが大切です。近眼なのを、メガネを用いて自立して生きることと同じです。
では、どの様にして独りぼっちでも自宅で最期まで過ごすことができるのかを紹介します。
人生のゴールは亡くなる2週間ほど前になってやっと見えてきますので、それでも頑張る。
そして、亡くなる1週間ほど前になったら、子供たち全員を集め、「最後の親孝行をしなさい!」と指示。これ、人生の終い方のポイントです。
お殿様介護、お姫様介護の開始です。
「風呂!」「飯!」おおっとその前に「酒持って来い!」と威張るのです。
集まった家族が入れ替わりながら、24時間365日不眠不休の介護を尽くしてくれます。
っというか、実は、久しぶりに集まった家族が互いに近況を語り合い、子供家族同士が集まり、孫、ひ孫もたくさん集まり遊んで、楽しんで、毎晩宴会の楽しい1週間となるのです。
そのついでに、ジイちゃんの面倒を看る。毎晩、誰かがジイちゃんの添い寝。
家族全員、楽しく、ほどよく疲れ切って、ジイちゃんを看取る。
ジイちゃん自身は、最後の親孝行をみて、自分の子育て方法は間違っていなかった!と満足。
家族は、これ以上の親孝行はないと満足する。
親戚、友人たちは、「良い最期だったね!」と満足する。
関わり合ったスタッフは、共に涙を流しがら満足する。
QOD(Quality Of Death)、「満足死」を達成した瞬間です。
本当は、鈴木央先生と対談しながらの進行にするべきだったのが
私の未熟さ、私の思いを一方的に喋りまくった1時間チョッととなりました。
独居であっても、認知症になっても、自宅で最後まで。「生き方、逝き方」です。
それにしても、ナオミさん、ナオミさんの優秀な息子さんがつくってくれたオープニングとエンディング映像には感心してしまいました。俺って、格好良い!っか?(私の妄想)
☆オープニング映像 → 「ちいきの英雄」
☆エンディング映像 → 「一人じゃない」
(期間限定で暗証キーを入れる必要は無く、「ダウンロード開始」をクリックすると観れるようです)
先週、房総半島の東の先っちょから南の先っちょへ、お客さんが6人も来られました。
銚子で開業しておられ、千葉県医師会の認知症、在宅ケア関係の理事もされており、私が尊敬している海村先生の診療所のスタッフ6人です。
食事も風呂もついていない、短時間デイケア・通所リハビリテーションの見学です。
松永醫院のデイケアの責任者であるPT嶌田くんが頑張って案内し、説明しておりました。
短時間デイケアの狙い、運営の実際、予想外のニーズ、経営的視点などを説明してました。
元巨人軍監督である長嶋さんが、突然心原性脳塞栓症になり重度の右片麻痺と失語症になっちゃいました。
リハビリテーションをした結果、東京ドームで右手をポケットに入れ、マイクに「やぁ~」と言っている風景がテレビに流れました。
その番組を観ていたチョイ前の木更津市民、「オレの周りにはあんなに元気になった人はいないよ。
あんなに元気になれたのは長嶋さんが有名人で金持ちだからだ。」と言っています。
木更津よりも田舎、安房地域の市民、「あそこまでかどうかわからないけど、長嶋さんの様に短下肢装具を付けて、杖で歩いている人がいるよ。」と言っています。
みなさん、この現象をどの様に考えますか。
木更津には回復期リハビリテーション病棟がありませんでした。(現在はありますよ)
安房には亀田リハビリテーション病院があります。つまり、リハビリ病棟があり、そこで早期に集中的に適切なリハビリテーションを行えば元気になれるのです。
しかも、医療保険を適切に使えばお金があろうと無かろうとリハビリテーションの結果はほぼ同じになります。つまり、お金の有る無しで命の差別が生まれるのではなく、適切なリハビリテーションをしたかどうかで結果が異なってくるのです。
長嶋さん、自宅にランニングマシーンを置いて、自分お抱えのセラピストを配置して、一生懸命にリハビリテーションをしているでしょう。その結果が、今の長嶋さんです。
つまり、お金があって、どんなに一生懸命にリハビリテーションを行っても、元の元気な長嶋さんには戻れません。
医学の限界があるのです。
脳卒中になって適切なリハビリテーションを行っても、元の状態に戻ることは難しいです。
せいぜい、元気な頃の8割がた位までしか回復することができない医学の限界です。
お金が有る無しによる命の差別はなく、医療保険を適切に使い、適切なリハビリテーションを行えば最大の到達点に達することができます。しかし、医学の限界があります。
どのくらい回復して元気になるのか、どのくらい笑顔が生まれてくるのか。
私たち医療者は、目の前の患者さん一人一人の人生を託されています。
その重みを感じながら、日々精進しなければなりません。
このあたりのこと、銚子からのお客さんにお伝えしました。
そして、在宅療養を希望する高齢者のためにリハビリテーション施設をつくることを強く勧めました。
つまり、夢くらぶと同じ老人保健施設を創ることを勧めました。
いのちを助け
いのちを元気にし
いのちを輝かせる
これが優しい医療だと思います。
いのちを助ける場としては、病院が中心になると思います。
私たち開業医は、Post Hospital である「いのちを元気にし、いのちを輝かせる」ことに頑張らなければなりません。
そして、日本一、地球一、笑顔を集めることのできるグループになります。
本日、2月14日。バレンタインデーです。
チョコレートが嫌いなはずの私が、チョコレートを少しばかり食べるようになっています。
チョコレートには、甘さだけでなく、トロ味、旨味、苦味、風味があり、他のお菓子と違う特徴がありますね。
緩やかなる糖質制限を始めて、確実に麺類を食しています。ラーメン、パスタ、うどん・・・
私はロシア系日本人、ロシアの血が流れています。なぜならば、お店の前に行列があると思わず並んでしまうのです。配給制度の名残でしょうか。
恵方巻きに続き、おちゃらけラーメンです。
先ずは千倉。
元肉屋である相川肉屋が「龍神」という名前のラーメン屋をだしています。
私は、店の名前にもなっている「龍神ラーメン」が好きで、トンコツラーメンです。
さすが元肉屋なのでチャーシューが旨い。
次に「チャイナハウス」。
もと美味しい中華料理店なので、ラーメンだけだとモッタイナイ気がします。
土日、結構混んでいますが、手際が良くそんなに待たずに食することができます。
私が食するのは「チャイナラーメン」。ここもチャーシューが旨い。
千倉には幻のラーメン屋がありました。名前が「あやきよ」。
そこの「アジにぼラーメン」が絶品!アジの煮干しを用いた魚介系スープと豚骨系スープをブレンドした、今までに食したことのない絶品のラーメンです。
「あやきよ」閉めちゃいました。残念。無念。
お江戸に移ります。
ミシュランに載っているラーメン
「篝」(かがり)というラーメン屋さん。ホワイトスープのような鶏白湯SOBAが絶品。
銀座4丁目店はリニューアルのため閉鎖。10席に満たない小さい店なので大行列になっていました。
そして、銀座6丁目にあります自家製麺「伊藤」の中華そば。
化学調味料無使用の煮干し系ラーメンです。ラーメンとスープとネギのみ。
Simple is the Best.系ラーメン。麺がアルデンテで、真ん中直球で勝負!の世界です。
ミシュランもう一丁、「むぎとオリーブ」という銀座6丁目にあるラーメン屋。
特製 鶏・煮干・蛤トリプルSOBA。大山鶏の低温チャーシューとスープ、三重桑名から運ばれる蛤を使っております。サイドメニューにあるカレーライスも美味でした。
銀座6丁目には美味しいラーメン屋さんが並んでいます。
東京油組総本店「油そば」。汁なし、お酢をかけながらのマゼそばです。
やはり日本一のラーメンは「富田製麺」でしょう。
東京駅にある「ソラノイロ」。ベジソバが野菜スープになっています。
またも東京駅にある「俺式」豚骨ラーメン。
新宿に移り、最近私のマイブーム「GACHI」
激戦地である西新宿にあるに辛いラーメン屋さん「中本」
笑顔グループの東京研修所がある小岩にあるラーメン「一燈」(いっとう)
魚介系豚骨スープのつけ麺です。
最後に、水曜日はお江戸の日。東京の夜間診療が終った後に食べに行くラーメン屋「神髄」
ジェノベーゼ風味の鶏チャーシュー、大きな豚チャーシュー、ゴボウ天、パクチー等の具たくさんにトリュフオイルをかけて食べるらーめん。
人類は麺類。おお神よ、「ラーメン」。
おちゃらけラーメン。すっ飛ぱして下さい。。。
2月に入り、節分の日が終りました。正月が来たと思ったら、あっという間に2月。
ピョンチャン・オリンピックが始まり、バレンタインデーがやって来ます。
しかし、その前に、最近盛り上がってきているイベントがあります。
「恵方巻き」です。
関東ではそんな風習なんてないっと断言できます。
セブンイレブンの策略に乗らないよっと思っている私。
しかし、デパ地下ではもの凄い賑わいで恵方巻きが売られていました。
関西では恵方巻き、関東では太巻きでしょうか。
一つ1万円の恵方巻きも売られており、海苔の代わりに金箔でした。
とにかく、どこもかしこも、焼き肉の、サンドウィッチの、ケーキの恵方巻きが売られていました。
私の従姉妹が、ニッケイスタイルのグルメクラブで「恵方巻きはなぜ太巻き」(日経電子版)を書いています。
結構人気サイトみたいですよ。
馬鹿げていると思っても、クリスマス、母の日も、おまけの父の日も、カボチャの日も、
これから来るバレンタインデーも、みんな文化になりつつあるイベントです。
恵方巻きも、メイド・イン・ジャパンで定着していくのでしょう。
それにしても、2月3日(土)夕方7時半過ぎ、大量に売れ残っている恵方巻きが半額で売られていました。
当然、私、1個だけ買いました。
そして、南南東を向きながら「社会貢献!」と叫びながら喰らいつきました。
さあ、これからはバレンタインデー商戦が始まります。
銀座4丁目交差点が二つほど入っている高級チョコレートしか食べない私にとってはどうでもよいイベントではありますが、娘たちにとっては気合いが入るイベントのようです。
ついでにグルメ編
「いのちを助け、いのちを元気にし、いのちを輝かせる」医療・ケアを求め努力しています。
私たちは、「人生丸ごと応援医療」とか「無色透明のゴチャマゼケア」とも呼んでいます。
そんな笑顔グループの歩みを振り返ってみたいと思います。
自己犠牲を払いながらこんなにも豊かな日本を作って下さった高齢者が、住み慣れた自宅で家族・友人に囲まれながら最期を迎えたいと願っているのに叶えられない現実。
「これはおかしい!どうにかしたい!」という私の思いがエネルギーとなり、在宅ケアを推し進めてきました。
2000年、最初に本吉高士社長と有限会社「ハイピース」を作り、在宅の生活を守るためにヘルパーステーション「そよかぜ」、在宅のいのちを守るために訪問看護ステーション「そよかぜ」を設立しました。
住み慣れた自宅の窓を少し開け、気持ちの良いそよかぜが吹き込んでくるようにサービスを提供したい。診療所のなかで吹いてくる風もそよかぜ、往診途中で吹いてくる風もそよかぜ。診療所の中でも、地域へ出て行っても気持ちの良いそよ風のような医療を提供したいと考え、「そよかぜ」という名を付けました。
次にデイサービスセンター「あそぼ」を作りました。高齢者は、元気だったあの頃の自分とイカレポンチになってしまった今を比較し、自宅でションボリしています。そんな高齢者を「あそぼに行って、遊ぼ!」と誘い出し、行くと、みんながイカレポンチになっているではないですか。
歳を取るということはイカレポンチになること、仕方がないことと認め、自分の居場所を見つけて安心するのです。そしてゴソゴソ、そしてニコニコが始まります。
デイサービスの良いところは笑顔を作り、QOL(Quality Of Life)を上げることです。
「あそぼ」には檜の風呂があります。機械浴はないです。入浴作業ではなく入浴ケアを提供したいのです。
そして、30年以上レストランを運営してきたシェフが、赤、黄、白、緑などの色鮮やかな美味しい食事を作ってくれます。
おやつも全て手作りです。
どんどん、元気になってきます。どんどん、笑顔が生まれてきます。
そして、「あそぼ」には、施設内通貨「ユーメ」があり、自分で選ぶメニューなどがあり、
その人らしさが復活する工夫が散らばっており、いのちがどんどん輝いてきます。
みなさん、昨晩の皆既月食を観ましたか。スーパー・ブルー・ブラッドムーンとのことです。
スーパームーン、地球に月が近づいてみえる月のこと
ブルームーン、満月のこと
ブラッドムーン、皆既月食で赤銅色になる月のこと
東京墨田のスカイツリーには、たくさんの人が集まっていたようです。