本日、梅雨が明けたそうです。6月29日、まだ6月ですよ。長い夏になりそうです。
昨日、千倉小学校6年生の女の子5人が職場体験で松永醫院へやって来ました。
毎年、やって来る子ども達が増えて、人気の職場体験場所となっています。
女子5名、聞いてみたら将来医師になりたい子が3人、看護師になりたい子が2人でした。
楽しみですね。夢が叶えられたら、この松永醫院全部あげるよ!と約束しました。
嬉しいですね。20年後の千倉のいのちを守ってくれるプロフェッショナルに期待したいです。
千倉小学校の子ども達が来るにあたって、わが松永醫院のスタッフも頑張ってくれました。
手作りのナースキャップ、裾上げして準備したナース制服、手作りの職場体験ノート
スタッフみんなが、いろいろな迎え入れの準備をしてくれました。オ・モ・テ・ナ・シです。
子ども達に伝えたこと、「ありがとう」と言ってくれる仕事は有難い。
人間は、自分自身に対してはグ~タラ、でも他人のためにはいくらでも頑張れる動物です。
だから、「ありがとう」と言われると、疲れは吹っ飛び、もう一踏ん張りしたくなります。
大切なこと、もう一つお伝えしました。いのちは大切であることです。
一日に心臓は約10万回拍動します。10万回の拍動は、1回を1円とすると10万円。
っということは、一月にすると300万円。1年にすると何と3650万円。ス・ス・スゴイね!
橈骨動脈の拍動をみてもらい、内視鏡検査を一緒にみて、血圧を測定し、筋膜リリースまでみてもらいました。腹部エコーをいじりながらお腹の中もみてみましたね。
寝ている間にも心臓は休まずに動き、呼吸しています。人体ってスゴイね。
いのち、いのちって大切なもの。
いのちを大切にすれば、いつかは笑顔がやって来るよ。忘れないでね。
そんなことを伝えた一日になりました。
亀田メディカルセンターから医師になって二年目の研修医、小川尋海先生と津村成美先生の二人が地域医療のお勉強に来ました。
私は田舎のヘッポコ町医者、その町医者の心を伝えることができたのでしょうか。しかも私は二代目、父の後を継いでしまった開業医です。
亀田メディカルセンターの初期研修プログラムには二つあって、一つは将来専門医を目指そうとするするSコース(Specialist)、もう一つは幅広く守備範囲を持ち患者さんを丸ごと診ようとするGコース(Generalist)があります。
小川尋海先生はGコース、津村成美先生はSコースです。
松永醫院での研修は、Gコースは3日間、Sコースは1日だけとなっています。
今回のようにGコースとSコースの先生が同時に研修に来るのは初めてでした。
患者さんの人生という名のドライブで、いのちを支える車の両輪が医療保険と介護保険です。
当然、乗り心地の良い人生という名のドライブをするためには医療保険と介護保険の連動が大切となります。
お医者さん、意外と介護保険のことを知りません。
介護保険を用いながらいのちを支える仕組みを知ってもらいました。
いのちを支えるとは、いのちを元気にし、いのちを輝かせること。
いのちの輝きとは、どのくらい笑顔をしてくれるか。
目の前の患者さんの笑顔にトコトンこだわる私たちの医療、ケアをお見せしました。
私は、人生丸ごと応援医療とか先発完投型医療と言っています。
病院の中からは見えない医療、ケアになります。
独居のユキエさん、2年前の冬、自宅で動けなくなっていたところを隣に住むおバアちゃんが発見し、松永醫院へ連絡してくれました。死にかけ入院する必要があると判断したものの、インフルエンザ簡易キット検査をしてみたところ陽性。
自宅でチョビッと頑張って治療しました。娘二人も実家へ戻り、代わり番こでお母さんの面倒を看て、訪問看護師さんが点滴、薬の投与、病状管理を行い、1週間が経ち命の危機から脱出したのです。でも、体がイカレポンチ。頭も少しイカレポンチになってしまいました。
老人保健施設夢くらぶへ入所し、離床し、起立着席訓練などのリハビリを行ったら、食事も摂れるようになり、足腰しっかり、声も元気になり、目もしっかりし、頭も戻ってきました。
そして、自宅へ戻り、デイサービスセンターあそぼに通うようになり、笑顔満点状態となりました。
私たちが往診に伺うと、自宅前のイスに座って待っています。
自宅近くまで外出することができるようになり、あとは松永醫院まで通院できるのを待つばかり。消えそうになった魂が、再び輝いています。
「あなたの笑顔が 私たちのエネルギー」
これからフェニックス・ユキエさんと呼びませう。
世界一の長寿の国・日本、その25年未来を行く安房地域で、世界最先端の地域医療を目指す!
と高らかにラッパを吹き、安房医師会理事に立候補しました。安房医師会理事に入り、医療介護連携、地域包括ケア担当理事になり、強力に世界最先端の地域医療モデルを創ろうと考えたのです。
昨晩、安房医師会理事会が開かれ、各理事の担当区分が決定しました。
私は、学校保健が主担当、医療介護連携が副担当となりました。
私の希望とズレていました。ズルっ!
「日本一高い山は?」 ⇒ ほぼ100%の正解率で「富士山!」
「じゃあ、二番目に高い山は?」 ⇒ 「北岳」と答えられる人は多くないです。
富士山の絵を描けない人は、ほぼいません。
北岳の絵を描ける人は、ほぼいません。
一番と二番の差は、このように、圧倒的な差があります。
私は、世界最先端の地域医療モデルを4年間で創る!と設定しました。
そのためには(主)医療介護連携担当理事になる必要があると考え、(副)はイヤだと伝えていました。
安房医師会長は原徹先生、今回から医師会長になった鼻息荒い、豪腕医師会長です。
原先生は、政治活動も含め社会活動が大好きな先生です。医師であり、活動家でもあります。
今までは、県医師会で活躍していましたが、県医師会長までは登り詰めることはできませんでした。
医療という社会と一般社会、社会の中に医療という社会が入っているべきです。
しかし、医学の進歩で医療の情報量が莫大なものとなり、医師が日進月歩の医学を学ぶことに精一杯となっています。
その結果、医療という社会と一般社会は、分離してしまっています。
原先生は、泌尿器科の専門医であり、優秀な臨床医として活躍しております。
政治的趣向は私とは異なりますが、政治家に選挙事務所を提供したり、応援活動もしたりと政治的活動も好きで行っているようです。社会を常に意識した、社会の中の医療を実践しております。
そんな活動家である原先生のもとなら、私の夢を実現することは可能かと考え、安房医師会理事に参画することに決めたのです。ところが、ところが、原先生、私を医療介護連携のトップに持ってこようとしていない情報が入ったのです。
私の考え、思いを原先生に執拗にメールを送りました。
ところが、原先生、聞いているのか聞いていないのか・・・。
結果は、医療介護連携のトップではなく、サブ。。。ガックリ!
勝手に私が暴走するのでは・・・との噂があるとか。
私は法人のトップでもありますので、組織論も少しばかり勉強しております。
公と私、個人と組織、私も大人ですので使い分けができます。
医療介護連携のトップは小林剛先生、YOUNG&FRESH&NICE DOCTORです。
サブは田中かつら先生と私の二人となりました。
この三名で世界最先端の地域医療モデルを創ります。
それは、『望むところで生き切ることのできる地域』を創ることです。
日本国中で地域包括ケアと叫ばれてどこでも達成できていない地域包括ケアを、この安房地域で実現させることです。
まずは、山田先生とかつら先生と思いの共有化を行わなければなりません。
そして、目標設定して、その目標に向って垂直登坂して行きます。
つまり、安房地域の文化を変えること、そのためには行政、市民を巻き込んでいかなければなりません。
富士山より高い、チョモランマを垂直登坂することになるかも知れません。
高ければ高いほど、難しければ難しいほど、目標を達成できた時の喜びは大きいと思います。
世界一長寿の国・日本、その25年未来を行く安房地域で、世界最先端の地域医療を創ります。
6月17日(日)は父の日、みなさんどの様な日曜日を送りましたか。
お江戸に社会保障の勉強に行ってきました。
講師は山崎史郎さん、介護保険の土台を作り、元厚労相社会援護局長、内閣府政策統括官(共生社会)、地方創生総括官を歴任した方で、国のトップだった人です。
見た目は若く見え、歳下だと思ったら64歳でした。
驚いたことに、実は「社会保障」全体のことをキチンと理解できている人は専門家でも多くは無いそうです。
山崎史郎さん、自分の人生を振り返り社会保障のことを理解していないと考え、「人口減少と社会保障」という本を書きまとめたそうです。
私自身も社会保障のことをよく理解していないという病識を持ってこの勉強会へ出席したのですが、社会保障全体をバランス良く網羅できている人はほとんどいないという意見に、やっぱりという思いを持ちました。
この20年間で、格差の少ない日本の格差が年々拡大しており、一人当りのGDPもかつては世界第二位だったのが今や20位ほどとドンドン下がり、家族の年収も増えないどころか減少し、6人に一人が貧困な子どもとなっています。
しかし、私たち日本人は沈み行く国民となっていますが、病識もなく、餓死することもなく、平和の内に衰えて行っています。これはマズい!っと思うが、どうしたら良いのか。
貧困な子ども達のはずが、スマホを持ち、ゲームで遊んでいる。これが日本、病識がない。
人間って、賢いのだろうか、アホなのだろうか。どちらでしょう。
私は、人間ってアホだと思う。
タバコは健康に良くないと明らかにわかっているのに、禁止することができない。。。
戦争って絶対にあってはならないのに、同じ過ちを繰り返そうとする。。。
温暖化で地球が壊れて行くのに、欲望のためにコントロールができない。。。
情報と知識と知恵、情報は流れてくるもの、知識はそれを拾うもの、知恵は未来へ使うもの。
私たち人間は、ドンドン便利になっていますが、決して幸せになっていません。
もっと、知恵を使い、幸せを感じられる社会を創りたいものです。
シンガポールでアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長が握手をしている映像が流れています。非核化への流れ、とっても大切です。
疑いと憎しみ合いからは、報復の連鎖しか生まれません。
信頼と尊敬から、未来が生まれてくるでしょう。そして、笑顔が生まれてきます。
2018年6月6日午前4時40分、100歳を手前に99歳のおバアちゃんが亡くなられた。
ロウソクの炎が消えるようにフウッと消えました。
名前がはなさん、まさにお花に囲まれながら自宅で生き切ったのです。
はなさんの家、立派です。自宅玄関は節のない無垢の木で飾られ、ハウスメーカーではなく大工さんに建てて頂いた家です。
縁側、神棚、欄間があり、鴨居に賞状が飾られていました。
自宅周囲にはお花の鉢が置かれ、家の中にも蘭などのお花が飾られていました。
はなさん、子供と娘夫婦に囲まれながら自宅で穏やかに過ごされました。
口数はそう多い方では無かったです。99年の人生の間には両足の骨は折っておりますし、入院も何回かあります。
「生きてきたように、死んで行く」
はなさん、家族から愛されていました。よっぽど、家族のために必死に生きてきたのでしょう。
東京に嫁に行った孫娘とその娘であるひ孫も、しょっちゅう千倉の実家へ帰ってきました。
とっても豊かな家族なのでしょう。
みんなで孫の面倒も看ながらはなさんも看て、家で看取るとみんなで覚悟した矢先、99歳の命の炎がフッと消えたのです。
最後の親孝行、頑張ったと思います。
生まれてきた以上、生きて、逝くのです。
そのいたって当たり前の最期をキチンと受けとめ、最後の親孝行を行ったのです。
満足死を静かに達成できたと思っています。
はなさんのご家族、ご苦労様でした。死んでも生きている世界があります。
はなさんを支えてきた、訪問看護師さん、あそぼ、夢くらぶ、ご苦労様でした。
はなさん、あとチョいで100歳でしたが、良い人生だったと思います。
6月6日、他にもいろいろありました。
前日、最後の命を私に託そうと、亀田メディカルセンターで診て頂いていた男性が松永醫院を受診しました。
その男性患者さんのお父様も、お母様も診させて頂き、看取らせて頂きました。父・松永春二から引き継いだ患者さんでもあります。
人生最後の1%を託されたので、気合いを入れて診ていこうと思っておりました。
6月6日早朝、息苦しくなり、救急車を呼び亀田メディカルセンターへ搬送されました。
私が東京に行っている水曜日だから迷惑をかけるのが申し訳ないと考え、救急要請したのです。
その患者さんの奥さんから電話が入り、その経過、気持ちをお聞きしました。
一旦入院すると、家に帰って来られないかも知れない。っと奥さんは感じていました。
ご本人を中心に、最後どこで生き切りたいかを考えて生き切りましょうと伝えました。
明日、往診で伺いましょう。
東京で重度の障害を持っている子供たちを在宅で診ている診療所へ伺いました。
法人名が医療法人「はるたか会」、青空を「はるたか」と呼ぶからです。
子ども在宅クリニックあおぞら診療所という名前の診療所です。
土曜日夕方は目黒で便秘のお勉強会、日曜日は午前中お江戸で糖尿病のお勉強会、午後は千葉で禁煙のお勉強会の予定でした。ところが人生思うように流れていきません。
日曜日の朝、お江戸に向う途中、館山道で1時間以上の待ちぼうけ・・・。
富津中央インターチェンジの北側つまりロシア側、君津パーキングエリアから南側つまりハワイ側の館山道上でトラックがロッキングしてしまい動けなくなってしまいました。
そのトラック、私の車の5台ほど先に走っていたのです。
館山道、君津以南は片側1車線の対向高速道路です。車がビュンビュンすれ違います。
制限速度70Km/hなのですが、たまに60Km/hほどの殺人的に遅いスピードで走る車がいます。そんな、みんなをアンハッピーにさせている車を、どうか誰か摘便して下さい!
結局、約1時間半の渋滞。いつもより15分ほど早く千倉を発ったのですが、あと1分早く出れば渋滞に捕まらずにお江戸へ行けたのに。。。
思うように行きません。人生ってこんなもんでしょう。
ケガ人も、死亡者も出なかったこの事故って言えない事故、館山道下り君津インターチェンジで閉鎖し、上りの車両を対向車線に誘導して渋滞解消していました。
千倉に戻るときには、渋滞も何もなかったように車が飛ばしていました。