この週末、28日(日)、千葉市でケアマネを対象にお話しをしてきました。
実は、出だし前に既に転んでしまっていたのです。
講義会場を間違えてケアマネ事務所へ向かってしまい、そのケアマネ事務所も建物が取り壊されて荒れ地になっていたのです。
慌てふためき確認したら教育会館という違う場所で開かれており、余裕を持って到着する予定が4分遅れの到着で、ギリギリ・アウチ状態となってしまいました。
昼ご飯を食べて全身の血液が胃・腸に流れ込んで脳が虚血状態となる午後一発目、
スライド100枚以上を準備し、DVD映像も流して、
「居宅療養管理指導」という更に眠気をさす内容を、自分なりに工夫して講義しました。
人のいのちをみる上で医療保険と介護保険は車の両輪、その両輪が上手く連携しながら乗り心地のよい
「人生という名のドライブ」を楽しみます。
運転手は高齢者御本人、御家族も同乗し、歳とともに次第にシフトダウンを繰り返しながら静かに
「人生という名のドライブ」を終わらせます。思い出多く、思い出深きドライブになるよう願うばかりです。
医療保険で処方箋を書くことができるのは医師のみ。医師に絶大なる裁量権を任せられています。
介護保険でケアの処方箋を書くことができるのはケアマネージャーです。
ケアマネージャーに社会的に大きな裁量権を与えられているのです。責任重大です。
「それまでの人生の99%が不幸せでも、最期の1%が幸せだったら、ハッピーな人生だ!」
と患者さんから教えてもらいました。終わり良ければ全て是(よし)。最期が大切なのです。
その最期を託されているのが、医師とケアマネージャーなのです。頑張らなければ。
日本は世界一の長寿国家、しかもお金持ちの国となりました。
世界は、日本のような国になることを憧れています。
そんな日本を作ってくれた今の高齢者達は、それに見合う人生の最期を送ることができなく、歳の取り方もわからず、寂しそうに、申し訳なさそうに過ごしています。
そんな人生の最期の過ごし方を見ていると、私たちの方が申し訳なくなってしまいます。
「住み慣れた自宅で、家族、友人に囲まれ、その人らしく、尊厳を有しながら生き切る。」
高齢者だけでなく人であれば、人生の最期をこのように締めくくりたいと願っています。
私は、ほとんどの人がこの思いを達成することができると考えています。
しかし、現実には、高齢者の思いは受け入れられず、家族の不安が先行し、在宅復帰のチャレンジもせずに施設へ入れさせられてしまいます。
ケアマネージャーは誰の見方なの?
昨日6月21日(日)は何の日か覚えていますか?
そお、どうでもいい、父の日です。
何かいいことありましたか。
私は、日頃頑張っている自分自身にA5等級の飛騨牛をインターネットで購入し焼いて食べました。
美味かった!
日頃、娘たちの好み、いや、わが御主人様のためにウエルダンの焼き加減ですが
昨日、自分自身のためにミデイアム・レアで焼きましたのでチョ~美味かった!
そして、驚いたことは焼いて出てきた牛脂が冷えても無色透明であること。
普通、冷めたら白く凝固するものです。
無色透明にこだわっている私にとって、糖質制限している私にとって、最高のデザートになりました。
御主人様、娘たちからプレゼントをもらいました。
アロハシャツです。
ただし、私の通帳からお金が落ちます。
そのシャツを購入するとマッカラン12年のオールドウイスキーをプレゼント!
となっていたので、デパート6階、岩の上・オンザロックで頂きました。
これが、本当の父の日のプレゼントになるのでしょうか。
全国のお父さん、家族のため、日本のため、平和のため、しあわせのために頑張りませう!
この週末、つくばで行われたプライマリーケア連合学会へ勉強しに行ってきました。
人を丸ごと診ましょうというお医者さんの勉強会だと考えてください。
深い専門性を必要とする病気別、臓器別の医療ではなく、広く、できるだけ深く人を診ようとする医療です。
公衆衛生的な観点もあったり、社会に働きかけ予防、健康増進に寄与し、障害者でも安心して生きて行けるユニバーサル社会を創ろうという社会の中の医療でもあります。
人を丸ごと診ようという科として、プライマリーケア、総合診療、家庭医診療などがあり、
私のような開業医の観点からみる医療、病院の観点からみる医療、アメリカなどの海外から導入されてきた医療が統合されてできたゴチャマゼ学会です。
以前は、周りを見渡せるようになる中堅どころの医師、アラ・フォー(40歳前後)の医師でしょうか、
いのちを助けるだけでは足りなく、いのちを支える医療が必要であると考えている医師が集まり、熱く語り合い、互いに触発しあっていたように思います。
現在のプライマリーケア連合学会は巨大化してしまい、全体像が見えにくくなっています。
また、災害、予防、スポーツ医学、医療経済、看護などを含めた多彩なケアと、いろいろな方向へ拡散しており、自分の立つ軸を意識していないと方向感覚が失われてしまいます。
拡散、薄まりすぎるカルピスはまずい!
ほどよい濃さの、美味しいカルピスを求めて行かなければなりません。
本日のお話、思いが拡散し過ぎて、何を書いているのかわからなくなってしまいました。
私の医療も、目の前の患者さんのいのちを守るために何でもしようと、拡散しています。
拡散すると、薄まります。
ほどよい濃さの、美味しい医療を求めたいです。
みなさん、ポカリスエットを飲んだ時のマズサを覚えていますか。
味が薄過ぎてマ・ズ・イ! 宴会の罰ゲームでポカリ一気飲みがあったりしました。
それが今、スポーツした後にはみんなが飲んでいます。
薄過ぎるポカリスエットが市民権を得ています。
私も、医療が拡散し、味が薄まっちゃいますが、
薄過ぎるポカリスエットを目指そう。。。と思います。
水曜日は「お江戸の日」、東京の医療機関へ週一度お勉強をしに行きます。
このお江戸参りも、父が倒れてからになるので、20年経ったということになります。
千倉には不在となりますので、在宅で診ている患者さんの急変に対しては訪問看護師との電話で対応することになります。
今週の水曜日、とっても残念なことがありました。
90代のお婆ちゃん、元気になり夢を探しに出られたら、お空の上まで行ってしまったのです。
3月、腰痛で病院に入院、4月退院後、往診で診てくれるよう依頼があり、在宅ケアが始まりました。
入院する前は、自分のことは自分で行い元気に過ごされ、物忘れも歳相応のようでした。
人間は、辛いことがあると自分を守るためにボケてしまう防御本能があります。
腰痛、骨折が契機で、認知症が発症することはよくあります。
また、入院によるOn The Bedで足腰が弱くなり、環境の変化で頭が弱くなってしまうのです。
お婆ちゃんは腰痛もあり、環境の変化もあっため、退院後は認知症が発症してしまいました。
4月から在宅ケアを提供し、排泄もままならい状態ではありましたが次第に動けるようになり、頭の配線も再びつながり始めました。
かつてのお婆ちゃんが復活しかけていました。
しかし、元気になってきたことがアダとなり、家に不在であるという連絡を受けたのが水曜日の午後早くの時間でした。
東京で訪問診療をしている最中です。
気になり、1時間後に訪問看護師に連絡してみたら発見されたと。冷たくなって。。。
私たちは、失敗からイッパイ 学ばなければなりません。
外では、また、冷たい雨が降っています。梅雨でしょうか。
1995年6月、今からちょうど20年前の6月、父が交通事故を起こし鴨川の大病院に入院しました。
そして、昨日まで外来をしていた父が、吠えて、暴れて、ボケて行ったのです。
その当時、認知症という病名はなく痴呆症と呼ばれていました。
痴は知の病、呆は口をあんぐり開けて迷い歩く、痴呆は人間としての大切なものが壊れてしまった状態を指すのでしょう。
家族の顔も忘れてしまい、1分前のことも忘れてしまう。
過去の積み上げで今があり、今の連続で未来が生まれてきます。
認知症は過去が亡くなってしまうことですから、今を迷い、未来が亡くなってしまうことになります。
医師である父がボケたということを社会的に公表することはできませんでした。
社会が認知症を受け入れていなかったからです。人間として悲しい最終像でした。
父は、ドンドン壊れて行きました。
自宅診療所は3階建てで、1階が診療所、2階が入院室、3階が自宅でした。
父は、3階の自宅から1階の診察室へ降りて来ようとしていました。
父にとってはいつも通りの日課をしようとしたのでしょうが、しかし、私にとっては診療の邪魔になるのです。
3階の自宅の出入り口のドア、父の目線の高さの少し上に簡単なフックを取り付けました。
父はちっぽけなフックに気が付くことができなく、ドアを開けることができませんでした。
認知症である父を外に連れ出すことができませんでした。
自宅である診療所3階で、チョッと横になっていると思うと起き上がり、いつ寝ているのかわからない状態で
昼夜問わず常にさまよい動き回っていました。
夜中に突然の音、食器棚が倒れて食器が壊れて散乱した音が響き渡りました。
床についている小さな傷が気になりいつまでも指で削り取ろうとしたり、裸になり廊下を歩いていました。
原爆にあっても死ななかった父、常に本を読み、常に勉強をしていた強くて怖い父が弱く、壊れて行きました。
悲しいものです。
その父をいつもそばで介護していたのが母でした。
母も弱って行きました。
今、外では雨が激しく降っています。
梅雨に入っていないということですが、冷たい雨が降り、梅雨入りも時間の問題でしょう。
あれから20年、早いものです。