今年もバレエの発表会が終わりました。長い、長い、長い3か月間でした。
お盆が終わった、まだ真夏の週末から本日の発表会に向けたレッスンが始まりました。
一つの発表会のために、様々なことを犠牲にしながら、みんなで一緒になって頑張る。
そんな貴重な体験を学びました。
子供たちも頑張りましたが、レッスンが終わるのを唯々ひたすら待つ親も頑張りました。
私も含め忙しく社会活動をしている親が、子供のレッスン終了を予測しながら迎えに行くのですが、スタジオの外で30分以上ボォ~と待つことが当たり前でした。
子供たちは、長い時には、朝10時から午後8時過ぎまでレッスンを
発表会前のリハーサルでは、夜9時過ぎまで練習をしていました。
バレエ発表会の本番、安房地域で最も大きな南総文化ホールの大ホールに多くの市民が来てくださいました。有難うございました。
全部で4時間近くの公演、バレエを実際に踊る時間は約3時間ほどでしょうか
奇麗なバレエ衣装に身を包み、日頃するはずもない派手な化粧をし、スポットライトを浴びながら、指先、足先まで奇麗な姿で表現し、みんなで見事に調和しながら踊るバレエ
華やかさの極めとなります。
そして、感動の発表会を成し遂げた時に、大きな達成感、悦びを得ることができたでしょう。
99%のほとんどが苦しかったことばかりだけど、最後のたった1%の喜びのために
頑張りました。
「楽しい」と「悦び」、親戚関係の言葉です。
でも、ゲームは楽しいけど、悦びとは言えなく、意味が違うと思います。
「楽しい」と逆の意味の言葉には「苦しい」とか「つらい」があります。
「苦しい」「つらい」と「悦び」は逆の意味になるかというと、そうとは限りません。
マラソン、登山、そのほとんど99%が苦しいでしょう。しかし、残り1%の最後の目標が達成した時には悦びになるのです。
悦びには、幸せにする力があるのです。
「幸」と「辛」、似ている言葉です。
⇒ No.64 「Advance Care Planning「辛」と「幸」」(2015年4月23日)
みんなが幸せになってもらいたい。そのためには、何をしたら良いのか。
バレエを通して考え、模索する毎日です。
2011年3月11日、未曾有の地震と津波が東日本を襲いました。
私たちのいのちは、誰かの犠牲の上で守られています。申し訳ないです。
東日本の太平洋沿岸の人たちが、私たちの身代わりとなって被災していただいたのです。
宮城県石巻市の門脇小学校の子供たち300名のうち、小学校に残った242名の子供たち全てを裏山である日和山(ひよりやま)に避難させ、子供たち全員のいのちを守った
被災時門脇小学校校長先生であった鈴木洋子先生に千倉小学校へ来ていただき、
魂を揺さぶる講演をしていただきました。有難うございます。
子供たちを簡単に引き付けることのできる津波が襲ってくる映像を流すことなく、被災時に感じた不安、辛さ、思い、有難さなどを語る子供たちの言葉と映像に涙を流しました。
普通であれば10分ほどで行ける距離なのに、ガレキで道もなくなり20時間かけて泥だらけになり石巻高校で避難している息子を迎えに来たお母さん、唯々、息子を抱きしめ涙を流す。そのお母さんの涙と温かみを覚えている息子は、「うれしかった!」と言っていました。
海岸から800mに位置する門脇小学校、被災した今から見れば門脇小学校を津波が襲うことは当たり前のように思いますが、被災前に津波が門脇小学校を襲うことを想定している人はほとんどいないと思います。なぜなら、私の母校である忽戸(こっと)小学校は海から100mほどに位置しますが、津波のことを真剣に考えている人はあまりいないからです。
石巻では地震から津波到来までが40分ほど、房総沖地震では津波到来するまでの時間が10分と言われています。
千倉は、石巻より厳しい環境にあるのです。
鈴木洋子先生は、次のことを強く助言していました。
日頃から地震と津波を学ぶこと
防災訓練は真剣に行うこと
地震、津波警報が出たら、すぐに高いところへ逃げること
そして、災害時に備えて日頃から大切にしなければならないことは
廊下を静かに歩くこと
集会は静かに、素早く並ぶこと
人の話は、目を見て、静かに、背を伸ばして聞くこと です。
上級生が下級生を守るためにも、日頃から小学校内の縦の関係を育み、自助力を強化し
地域の人たちとの連携も大切で、日頃から互いに助け合う共助の関係を育む重要性を語っていました。
良い学校運営をするためには(学校経営という表現をするようですが)、学校ばかりにお任せをするのではなく、保護者が積極的に教育に参画するが大切だと言っております。
「授業参観で、教室に入らず親同士が廊下で私語していることなどとんでもない!」と語っていました。その通りです。
鈴木洋子先生、防災のことだけでなく学校運営のことに関しても多くの助言をしていただきました。
さあ、これからが大切です。私たちは、いのちを守るために多くの助言に従い、防災の備えを実行して行かなければなりません。
鈴木洋子先生に感謝し、このようなご縁を作って頂いた佐藤文彦先生にも感謝します。
⇒ No.89 「石巻の先輩医師」(2015年7月27日)
歳を取ればボケるもの。人は、全員ボケます。
この週末、小倉に、ボケをハッピーにさせる治療法を勉強に行きました。
コウノメソッドです。
認知症に関して医師が行う仕事は
1.認知症の診断をすること
2.抗認知症薬を処方すること
3.そして療養に関して相談を受けること
の3つです。
病院の認知症専門医の多くは認知症の診断に魂を入れ、脳MR、SPECT、脳血流シンチなどの高価な検査を行い、どの型の認知症かを診断し、あとはチンタラ抗認知症薬を処方し続けます。
認知症の診断は人間の尊厳に触れる医療行為ですが、意外と認知症専門医でも誤診することが20%ほどと言われています。
けっこう誤診しているのです。
なぜなら、経過をみながら診断しなければわからない疾患でもあるからです。
一番大切なことは療養に関する助言をすることですが、ほとんど助言することはないし、
そもそも助言を求められること自体もないです。国民は医師に期待していないのです。
療養の助言を考えると、抗認知症薬を60日間処方する治療など信じられないです。
認知症の診断は、癌の告知と同じです。診断して終わりではなく、それからスタートです。
しかし、多くの認知症専門医はゴールとなっているのです。
抗認知症薬は、認知症の進行を遅らせる薬です。
ですので、インフルエンザワクチンと同じで効いているのか効いていないのか良くわからない、チョッと効く薬です。
統計処理をしなければ、薬の効果がわからないのです。
そう言う意味では、医師は認知症の患者さんをハッピーにさせる力は小さいのです。
と考えている私は、認知症ケアを提供できる体制を構築してきました。
そんな中、薬で認知症の患者さんをハッピーにさせることのできる治療法があることを知りました。
薬とサプリメントを駆使する、コウノメソッドです。
注射をして15分後には、にこやかに笑い始め、歩き始める。信じられないです。
河野和彦先生のお話を、最前列中央に座って2時間聴き、最期に手を挙げて質問しました。
河野和彦先生とのツーショット。
認知症専門医の異端児。未来の正統派です。
クロネコヤマトの宅急便で送られてきた包み、中を開けたら英字新聞に包まられたパパイヤが9個入っていました。
「英語を喋っちゃおうかなぁ~」という雰囲気のパパイヤです。
ハワイに住む妹さんが、家に帰ろうと頑張ってリハビリテーションをしている兄を見舞いに来られた後のことでした。
トロピカルフルーツ、いろいろあります。
パイナップル、パパイヤ、マンゴー、パッションフルーツ
シークァーサ、タンカン、ドラゴンフルーツは南国フルーツ・ジャポニカ
マンゴーとパパイヤ、見た目は似ていて何が違うのか、何がなんだかわからない。
マンゴーが一番高級品のような気がします。
「太陽のタマゴ」という名の宮崎マンゴー、幹の上で完熟させ、マンゴーの実の下に置いてある網に落ちて収穫するそうです。
我が家に届いたパパイヤ
日本語で「ハワイ産パパイヤ」と書かれており、日本語でのクロネコヤマト伝票が貼られていますので、日本で買って贈ってくれたものか・・・な。
でも、英字新聞に包まれており、差出人の住所がハワイ・アドレスになっています。
もしかしてハワイから直接持ってきてくださったのか・・・とパパイヤを見ながら
「あなたは日系アメリカ人? それともアメリカ系日本人?」と質問する。
しかし、NO RESPONSE!
「Are you American? Or Japanese?」but NO RESPONSE!
ちなみに、松永家では「パパイヤ」のことを「パパスキ」と呼んでいます。呼ばせています。
たとえそれまでの99%の人生が不幸せであっても、最期の1%が幸せだったら
ハッピーな人生だった!
患者さんから教えていただいた、大切な言葉です。
終わり良ければすべて良し!です。
かつて、私が医師となってしばらくした頃、山の中の老人病院へバイトに行きました。
呼ばれて入った病室、ベッドは8床、カーテンがあっても使われた気配もなく
男か女かわからない、髪の短い老人たちが横たわっていました。
病室のドアを開けた瞬間、ほとんど動きのない部屋で、8人の計16個の目だけが私を見ようとギョロっと動きました。
その異様さを、今でも覚えています。
ただ、死を待つ存在・・・だと思いました。
マザー・テレサは言いました。
戦争は不幸。でも、貧困であっても、非衛生的であっても、不便であっても、不幸とは言えない。
彼女のkeyword「Love」、愛がないことは、不幸である。と。
自分の存在を認めてくれる人がいないことは、不幸なのです。
山の中の病院で、生きていることを忘れ去られて、死を待つ存在。
人生の最期、このような状態になることは、かなりシンドイことです。
でも、よくあった出来事なのです。今でもあるかも。
老人病院へ行かなければならない人がいますので、否定はしません。
でも、これは、違う。私は認めることのできない最期だと思っております。
私は、「人生最後の1%」に責任を持ちます。持とうと思います。
そんな思いで、10年未来のいのちを守ろうと、毎日精進しています。
普通のクリニック、駅前のビルにテナントを借り、院長と看護師2名、事務スタッフ2名ほど、全部で5人ほどのスタッフになるのでしょうか。
松永醫院のスタッフは、院長、パートナー含め全部で19名もいます。たくさんいます。
全員が私を支えてくれて、全員がエンジンとして働き、全員が私の宝物となっています。
看護師が3名、MSWが1名、事務スタッフが4名、ケアマネが3名、PTが1名、ケアスタッフが3名、運転手が1名、補助パートナーが2名です。
そのうち障害者が1名、引きこもりが1名。最高齢は80歳だったか。。。
超高齢社会、いのちが助かっても、体がイカレポンチになり、頭がイカレポンチになってしまって、魂が寂しそうにしている患者さんが沢山います。
診察室の中だけの医療では、患者さんのいのちは元気になれないのです。
私のプロフェッショナルは、「目の前の患者さんの10年未来のいのちを守ること」です。
今を守ることは、いたって当たり前。今だけでなく10年未来のいのちを守ろうと思うことにより、医療は少し優しく変化して行くと思います。
いのちを助け、いのちを元気にし、いのちを輝かせる。
言い換えれば、いのちを助け、いのちを支えること。
それが私の生業(なりわい)なのです。
予防に勝る治療はない!病気にさせないだけでなく、健康を増進させたいと考えています。
そのためには生活習慣を整え、適度な運動と社会参加するなどの文化創りが大切となります。
短命な県は、青森、岩手、秋田です。寒くて、塩分摂取量が多いからです。
長寿な県は、暖かい沖縄ではなく、なんと寒い長野なのです。しかも、老人一人当たりの医療費が日本一安い県でもあります。
長野は、日本一長生きで、安い医療を提供しているのです。奇跡です。
松永醫院は、20年前からこの「長野モデル」を導入しようとしてきました。
そのために、定期的な検査を行い、看護師による生活支援を行い、地域に出かけて在宅医療を提供したり、健康講座を開いたりしてきました。予防医療と在宅医療の提供です。
歳を取れば、いつかはボケるもの! どうせボケるなら、できるだけ遅らせ、ゆっくりと穏やかにボケよう。また、運よくボケる前に癌になって死ぬのも良し。と私は思っています。
「ボケたら最後!」という社会を「ボケても安心!」という社会に変えて行かなければならないでしょう。
松永醫院は、10年未来のいのちを守ります。
つまり、体の老い、頭の老いを含め、人生を支えて行きたいと考えています。
そのために、医療保険と介護保険を駆使し、様々なスタッフと共にゴチャマゼケアを提供しております。
私は、地域包括ケアをゴチャマゼケアと呼んでいます。
てきとうな色をゴチャマゼにしちゃうと、真っ黒になってしまいます。
それぞれのスタッフが、赤や黄や緑の奇麗な輝く光となり、調和のとれたケアを提供することにより無色透明のゴチャマゼケアを提供することができるのです。
ボケても大丈夫!寝たきりになっても大丈夫! 何があっても大丈夫!
「人生丸ごと応援医療」が、松永醫院の底力です。
今日から11月となり、街中の装いはハロウィンからクリスマスに突然変わっております。
昨日、松永醫院では患者会「コットン」が開かれました。
良い病院であるかどうか、私は次の4つのパラメーターで判断しています。
1.MSW、相談員がどれくらい活躍しているか
2.リハビリスタッフが頑張って、どれくらいの患者さんを元気にさせているか
3.医師以外の人が病院運営にどれくらい参画しているか
4.患者会が存在し、機能しているか
医師が良かれと思っている医療と患者さんが求める医療とが必ずしも一致しているとは限りません。
良い医療を提供するためには、医師だけでなく看護師も含めてのスタッフが医療に参画し、工夫し続けることが大切です。
医療を提供する医療者側だけでなく、医療を受ける患者さん側の参画も大切となります。
医療者側と患者さん側の双方向性の改善が大切です。
そういう意味で、患者会の存在は大切だと考えています。
松永醫院では
1.相談員の清水さんが、頑張っています。
ケアマネも、患者さんが気持ちよく過ごせるよう頑張っております。
2.嶌田くんを中心とするデイケア・スタッフが、患者さんが元気になれるよう、
笑顔が増えるよう頑張っています。
3.私が院長ですが、軍隊の司令官とは考えておらず、サッカーのキャプテンのように
チームプレイを考えています。民主的に運営していると思います。
4.そして、患者会「コットン」が運営されています。
私の診療所は、旧・忽戸(こっと)小学校区にあります。
当然、患者さんは旧・忽戸小学校区に住んでいる人が多いこと
147年の歴史を閉じた忽戸小学校を心に残したいこと
コットン(綿)のような、肌の温もりを伝えあう医療を行いたいこと
そういう意味で、「忽戸の診療所」⇒「こっとん診療所」⇒「コットン診療所」
そして、患者会「コットン」が生まれたと考えています。
スキンシップ、肌の温もりを伝えあう医療を大切にします。