「医者にかかっていながら、何で病気になってしまうんだ!」
「病院に入院していながら、なんで死なせるんだ!」
笑い話ではない、病気を受容していない、死を受容していない家族の必死な思いです。
私自身、「目の前の患者さんの今を守るのは当たり前。10未来のいのちを守るんだ!」と言っています。
そんな思いで、毎日、診療にあたっております。
癌になってしまう人は二人に一人。夫婦二人いれば、どちらかが癌になることです。
癌で死んでしまう人は三人に一人。死亡原因の第1位です。
では、癌になってしまったけど癌で死ななかった人は(癌で生き残った人を癌サバイバーと呼びます)。
100人の村があったとしたら 癌になる人は50人、癌で死んでしまう人は34人。
つまり、癌サバイバーは 50人-34人=16人となります。
言い換えれば 1/2 - 1/3 = 1/6 6人に一人が癌サバイバーとなります。
数学の時間となってしまいましたが、頑張って理解して下さい。
癌サバイバーは 1/6 6人に一人が癌からの生還者、100人の村があったら16人が癌になったけど生き残っていることになるのです。
私の仕事は、癌サバイバー 1/6 を精一杯広げることです。
つまり、死んだらもったいない癌では死なせないことです。
胃癌がそうでしょうし、大腸癌も段々と死んだらもったいない癌になってきています。
だから、当院では内視鏡検査を積極的に行っています。
逆に、ついていない難しい癌があります。膵臓癌が最たるものになります。
今まで、症状が出ていない状態で膵臓癌を何人も見つけていますが、残念なことに全員亡くなっています。
私自身、膵臓癌になったら、ついていないと思って潔く死のうと思っております。
毎年、国民であれば胸部X線写真を撮っていながら、死亡原因No.1は肺癌です。
肺癌の根治を目指す治療は外科的切除ですが、手術まで持って行ける患者さんは肺癌全体の30%ほどです。
大体が手遅れで、レントゲンに写らない肺癌が多いのです。
松永醫院では、この数年肺癌を見つけた患者さん全員が手術までも持って行き、全員が生きており、癌サバイバーなのです。
すごいことです。私は、かなり優秀な医者なのです!
ですが、肺癌を見つけた半年前の胸部X線写真を見直すとレントゲンに写っているのです。
つまり、癌を見落としているのです。ということは、私はやっぱりヘッポコ医者なのです。
私は優秀な医者なのか、ヘッポコ医者なのか
今まで診させてもらった患者さんのカルテを見直してみると、かなりの数の癌サバイバー患者さんがいます。
それ以外にも虚血性心疾患でカテーテル治療、バイパス術を行って助かった患者さん、腹部大動脈瘤で手術に持って行けた患者さんなど、私が治したのではないのですが紹介することにより助かり、社会復帰した患者さんはたくさんいます。
私は、頑張っていると思います。
でも、私は神様ではないです。ですので、失敗がたくさんあります。
そして、その失敗からたくさんのことを学ばなければなりません。
今回の石巻訪問の目的は次の3つでした。
東日本大震災4年後の今の状況を見ること
頑張って石巻市民のいのちを守っている医師と会うこと
東日本大震災の事実といのちの大切さを伝える語りべを探すこと
石巻市民が住む場所が移動していました。
海岸近くに住んでいたのが、高台、海岸線から遠く離れたところに移動していました。
桜の名所であり、石巻高校がある日和山(ひよりやま)高台は、高級住宅街になっており
三陸自動車道の石巻河南インターチェンジ辺りには、もともとイオンモールなどがありましたが、新しい住宅街が散見されました。
石巻市人口は、震災後、多少減っているそうです。
人口が急激に減り、限界集落になっている地域が多い中、石巻は頑張っている方なのでしょう。
日本製紙などの大企業が頑張って残り、石巻再生を図っています。
頑張れ、石巻!
私が研修医時代にお世話になった佐藤文彦先生、とっても優しい先生で、患者さんからも、看護師などのスタッフからも慕われていました。
NOと言えない先生で、静かに、患者さんを促しながら健康、いのちを守っていました。
男3人兄弟の3番目で、3人とも医師となり、若くして亡くなった父親が作った診療所を再開するために石巻に戻りました。
ちょうど、私が千倉に戻ろうとした時と同じ頃でした。
現在は、イオンモールの中に診療所を作り、相変わらず優しい医療を実践し、患者さんで一杯でした。
お姉さんのご主人も医師で、男4人で土曜日、日曜日も診療をし、中浦内科医院というもう一つの診療所も運営していました。
相変わらず患者さんに寄り添う医療を実践しており、患者さんを最期まで診るなど、お話をうかがって共鳴するところがたくさんありました。
ただ佐藤先生、密閉空間が苦手で、新幹線、飛行機に乗れなくなってしまったとのことです。
お忙しい中、私たちのために石巻市内をコンパクトに案内していただきました。
娘の肉リクエストで、仙台牛タン「利久」で牛タンを食べましたが、こんなにも美味しかったのかと驚いてしまいました。
「利久」は全国チェーン店で、美味しくリーズナブルでもあり、地元の人たちも食しているので、皆さんも食することをお奨めします。
このことが、この旅行で一番の目的でした。
東日本大震災の現実といのちの大切さを千倉の子供たちに伝えたいと考え、震災の語りべを佐藤先生に相談しました。そしたら、震災当時に門脇小学校の校長先生をしており、現在は震災の語りべとして全国から呼ばれているという元教師を紹介していただきました。
佐藤先生には今回の旅行で何から何までお世話になり、さらには千倉小学校の子供たちに大きなプレゼントを贈ることができそうです。感謝!
佐藤先生に足を向けて寝ることはできません。感謝。
(石巻は千倉の北側なので、実際には足を北に向けて・・・。)
4年ぶりの石巻、石巻はノッペラボウで、時間が止まっていました。
石巻市民病院が撤去され、ガレキが無くなり、魚が腐ったような臭いも消えていました。
4年前、石巻へ医療ボランティアで3回行きました。
金曜日の深夜に千倉を出発し、翌日早朝に石巻へ到着する。
そして土曜日一日をかけて、被災者の健康チェックを行い、生活状況を調査し、問題点を抽出し、対策を練る。
日曜日の昼ごろに石巻を出発し、夜遅く千倉へ戻るということを行いました。
あの時の日和山(ひよりやま)公園は、桜が満開でした。
綺麗に咲く桜の花の向こうにはガレキの山が広がり、途方に暮れる市民がいました。
昨日まで一緒にご飯を食べていた家族が流されていった。
昨日まで一緒に仕事をしていた仲間が流されていった。
生き残ったことを申し訳ないと、涙も流さず、淡々と話す被災者たち。
毎日、毎日、おにぎりと菓子パンを食べ、文句も言わない被災者たち。
いつまで避難生活が続くのかわからなく、夢を見失ってしまった被災者たち。
日和山公園からの景色、時間が止まっています。
日和山の前に立っている門脇小学校、あの時は車が校舎の2階の窓に突き刺さっていて、校舎が燃えて黒いススがこびり付いていました。
今は、周囲がフェンスに囲まれて、震災遺跡として残すのか取り壊すのか話し合われています。
オープンして2週間も経たなかったセブンイレブンの跡地で、その店長が呆然と自分のお店のガレキを眺めながら、
「お店は無くなってしまった。でも、私は助かった。生きている。生きていればやり直しができる。」と言っていました。
今回、その跡地を確認してきました。跡地のままでした。
娘の夢が大好きな卵掛けご飯を食べさせたいということで、少しばかりのお野菜とお花を持って炊き出しに行ったのが4年前。
その後の今を知るために、家族全員で石巻へ来ました。
私のメールの最後に書かれている文章
【誰かの犠牲の上で、私達のいのちは守られている】
あたりまえの普通の日々に感謝。なにもないことに感謝。
そんなことを 結婚記念日の本日 あらためて思いました。
乳母車に乗せられた赤ちゃんが、お母さんにひかれて坂道を上ってくる。
車椅子に乗せられたお婆ちゃんが、息子にひかれて坂道を下ってくる。
人生の坂道を上り、そして、下る。
その乳母車と車椅子がすれ違う時、お母さんと息子さんが挨拶をし、赤ちゃんとお婆ちゃんが微笑みあう。
「ペコロスの母」という漫画の心に残る一場面です。
長崎出身の岡野雄一さんというハゲちゃびん漫画家が、認知症となった自分の母親を介護する実体験に基づいて描いています。
ペコロス、シチューによく入っている小さな、小さなタマネギ。
ペコロスと後ろから見るハゲちゃびん岡野さんとが似ているのでしょう。
人間、オムツから生まれ、オムツへ還る。
高齢者を診ていると、本当に実感することです。
転びながら、伝い歩きをしながら、フラフラしながら、歩けるようになる赤ちゃん。
フラフラしながら、伝え歩きをしながら、転んで骨折し、歩けなくなるお婆ちゃん、お祖父ちゃん。
赤ちゃんがいると、ほとんど動かないお爺ちゃんが動き始めます。
赤ちゃんがいると、ほとんど表情のないお婆ちゃんが微笑み始めます。
赤ちゃんも、お爺ちゃんの膝の上で気持ちがよさそうに寝てくれます。
赤ちゃんも、お婆ちゃんの差し出す食べ物を美味しそうに食べてくれます。
赤ちゃんとお爺ちゃん、お婆ちゃんのカップリングは最高なのです。
いのちの最初と最後はつながっているのでしょうね。
生まれてきた以上、必ず老いて死にます。
そして、死ぬまでは必ず生きます。
「生きます」と「逝きます」とは同じです。
この週末、いのちのその後の流れを探しに石巻に行きます。
熱い夏が始まりました。
この週末、千倉は一年で最も熱い二日間となりました。夏祭りです。
7月の第2土曜日、日曜日に夏祭りが行われ、梅雨の時期でもあり雨の祭りでもあります。
しかし、日頃の私たちの良い行動のおかげで、いつまでも雨が降っていた毎日が、台風もどこかに飛んで行き、とっても
気持ちの良い快晴の二日間になりました。
太陽が一年で一番高い季節、でも、吹く風は涼やかで、クソ熱く気持ちの良い二日間になりました。
(熱いという言葉の前にクソが付くことがポイントです。)
娘二人も、朝から美容院で結ってもらい準備OK。
長女の夢は、友だちと一緒に初日は神輿をかつぎ日当1,000円を稼ぎました。
楽しく、汗を流しながら得る仕事の喜びを学んでくれたことでしょう。
次女の心優は、昼寝もしないで夜遅くまで山車を引っ張り いや 乗っかっていました。
子供たちは、夜遅くまで冒険のできる二日間となり、思い出になったことでしょう。
都会に出て行った学生が、夏祭りで戻ってくる
都会で頑張っている若い家族が、故郷に戻ってくる。
久しぶりに孫と再会した故郷のお爺ちゃん、お婆ちゃんが、しわくちゃの笑顔で抱える。
少子超高齢で子供たちが減っている田舎、夜遅くまで若い命がはじけ飛んでいました。
まだ、まだ、故郷は頑張ります。
日本一の千倉を目指して、頑張ります。
この週末、土日のまる二日間、秋田へ整形外科超音波学会というお勉強会に行きました。
これから整形外科の世界、革命がおこります。
整形外科において、超音波エコーが聴診器代わりになることを体感してきました。
松永醫院の土曜日は半ドン、午前中は通常通りの外来診療を行い、午後はお休みです。
土曜日の午前中から学会に出席することは今まで皆無、今回が初めてです。
松永醫院土曜日午前中の外来は、御主人様・真美子先生にお願いして代診してもらいました。感謝!
整形外科の日常風景、レントゲンを撮り、臨床症状と関係のないレントゲン所見をスッタモンダ述べ、結果はみんな
痛み止めと湿布の処方を受けて帰る。それを繰り返しています。
場合によっては、いわゆるデンキという物理療法を行ったり、ゴールのないリハビリを開始しています。
医療機関に通えるだけ通ってもらう、死ぬまで通ってもらう世界です。
今、問題になるのは骨だけでなく骨の周り、腱、靭帯、軟骨、筋、筋膜などです。
痛みの原因となるのは骨が10%ほど、それ以外の痛みの原因のほとんどは骨の周りによるものです。
つまり、痛みの原因のほとんどがレントゲンに写らないのです。
そぉいう意味では、レントゲンの治療的意味合いは少なく、骨折をしていないかどうかを見るぐらいになってしまいます。
骨の周りを写してくれるのはMRI、そして現在、赤マル急上昇で普及している道具が超音波エコーです。
超音波エコーで痛いところを探り、診断し、その場で治療を行う。
さっきまで痛かったところが軽くなり、痛みが取れ、楽になるのです。
診察室の中で、診断と治療が同時に行えるのです。すごいですね。
整形外科超音波学会、当然整形外科が専門医である人が中心に集まり、ペインクリニックの麻酔科医、放射線科医が
集まっており、私みたいな町医者はほとんどいない・・・
っと思っていたら、若干名いました。痛みを取ってあげたい一念から集まっているのでしょう。
秋田、日本で二番目に行かない県。一番は高知だそうです。
比内地鶏、きりたんぽ、稲庭うどん、ハタハタ、森岳のジュンサイ、男鹿の岩ガキ
そして美味しい日本酒、全て堪能してきました。37年ぶりの秋田、最高でした。
居酒屋でお会いした平野先生、また会いましょうね。
「ケア・マネージャー」日本語で「お世話の管理人」となるのでしょうか。
「ライフ・マネージャー」と呼びたいです。「人生の水先案内人」です。
私たち医療・介護者の中でよく使う言葉としてADL(Activities of Daily living)と
QOL(Quality Of Life)があります。
Lifeという言葉は生活と訳され、ADLは日常生活動作、QOLは生活の質と訳されています。
しかし、「Life」という言葉は「生活」という小さな意味だけではなく、「人生」、「いのち」、「魂」など、もっと広く、深い意味を持つ言葉です。
ケア・マネージャーはライフ・マネージャーとして、人のいのち、人生をサポートする水先案内人として、高い使命感と倫理観を持ちながら仕事をするべきだと思っております。
ケアマネの世界でよく言われる、公平中立なんていう言葉はどうでもよいです。
自宅に帰るという約束でリハビリテーション病院に転院してきた御祖母ちゃん
横には綺麗に身繕いしている嫁、その嫁がいきなり「家には帰れません!」と約束を破る。
「それはなぜですか?」と質問すると、嫁は「私の実の両親も介護状態になっているからです。」と答える。
「それは大変ですね。その御両親は今どこにいらっしゃるのですか?」と質問すると、「特別養護老人ホームです・・・」。
実の両親も看ようとしない嫁が、姑を看ようとはしないのは当たり前。
患者、家族が私たちとの約束を破ることも日常茶飯事。許せる。
許せないのは、嫁が「だって、私のケアマネも家で看ることは無理と言っています・・・」
私の頭の血管が「ピッキッ!」と音がなる瞬間です。
93歳の御爺ちゃん、91歳の御婆ちゃん、高齢の二人暮らし。
チョッと前まで車の運転をしていた御爺ちゃんが、脱水で入院てしまったら重度の要介護状態になってしまいました。
御爺ちゃんは家に帰って元の夫婦二人暮らしを送ることを目標にリハビリ施設へ転所し、実は妻も家に帰ってくることを願っていたのです。
ところが、ケアマネが「共倒れになったら・・・」「何かあったら・・・」と言うものだから大騒動。
家に帰ってくるために頑張っている御爺ちゃんの思いも聞かず、次の施設を探そうとしている。
いったい、ケアマネは誰の味方?
ケアマネは、ライフ・マネージャー。いのちの、人生の水先案内人。
医師と同様、高い知識と知恵と良心を持って、目の前の患者さんのために尽くす。
そのために、日々精進し、私たち医師とバランスのとれた連携を取りたいものです。