

					1997年、大好きな母が亡くなりました。あってはならないことが起きてしまいました。
					次に、母を追いかけるように、父が亡くなりました。
					松永春二・松永医院が閉院となり、松永平太・松永医院が新たに開院となりました。
					父を慕って通院していた患者さんを、引継ぎ診させていただく有難さを感じ
					私が鼻たれ小僧だったころから知っている患者さんたちが、「ベータくん」と呼ばれていたのが「へーた先生」と呼ばれるようになり
					小学校で教えていただいた恩師から、逆に、「平太先生」と呼ばれるようになりました。
					年上、恩師から先生と呼ばれる違和感、面白い世界です。
					優秀だった父の晩年の医療をみて、医師も歳をとり、老いていくことを強く感じました。
					開業医は密閉社会となりやすいです。そして、開業医の限界を感じました。
					閉ざされた社会は、カビやすく、腐りやすく、縮小しやすく、バランスが崩れやすいです。
					個人の限界を感じ、集団で医療を提供しようと、館山病院の法人に入ろうとしました。
					しかし、結果は断られました。「もう少し実績を積んでから話し合いましょう」と。
					ならば、違う医師と手を組んでグループで医療を提供しようとしたら、倫理的に言ってはならない嘘を、平然と嘘をつく医師に騙された。。。
					そんな時に出会った人が、本吉高志(もとよしたかし)さんでした。運命の人です。
					私より20歳以上年上の大先輩で、私に人としての生き方を教えて下さったり、人を束ねる方法を教えていただいたりと、人生の大先輩として私に様々な助言をして頂きました。
					そして、ともに一緒になり、笑顔グループを作ってきました。
					
					2000年の介護保険が施行されるときに、有限会社「ハイピース」を立ち上げ「そよかぜ」という名の訪問看護ステーションとヘルパーステーションを作りました。
					2001年、松永医院を法人化し、「優和会」という名の医療法人を作りました。
					2002年には、父が赴任した平舘(へだて)病院跡地を使い、デイサービスセンター「あそぼ」を作りました。
					2006年には老人保健施設「夢くらぶ」を作りました。
					また、同年、社会福祉法人「おかげさま」を立ち上げ、グループホーム「夢ほーむ」1ユニットと認知症対応型デイサービス「おかげさま」を作りました。
					2009年、松永醫院を父の開業した地に戻り、松永醫院をリニューアルオープンしました。
					2010年、グループホームである夢ほーむを、もう1ユニット増床しました。
					2012年、老人保健施設夢くらぶの新館・「和々(にこにこ)」を増床しました。
					これで作るべき施設は作りました。
					いのちを元気にさせ、いのちを輝かせるツールはほぼ出来上がりました。
					しかし、現在も工夫は続きます。
					千倉の大先輩方が、大好きな千倉で、その人らしく、尊厳を持って、生き生きと生き切ることのできるサービスを創ろうと思います。地域文化も創りたいと思います。
					楽しみにお待ちください。
					
					
					松永醫院は、父である松永春二が約50年前に南房総の千倉に開院しました。
					半世紀が経ちました。早いものです。そして、私が東京から千倉に戻ったのが20年前です。
					父・松永春二は、非常に怖かったためか、「軍医上がり」というふうに勘違いされています。
					松永春二は、九州大学を卒業した後、父の故郷である長崎に戻り、長崎大学の外科医としてメスをふるいました。
					長崎大学からの派遣で、高知・中村市(現・四万十市)の病院に勤務していた時に松永平太が生まれたのでした。
					足摺岬のたもとに産み落とされたのです。
					その後、長崎大学に戻り、長野日赤に移り、院長とケンカしては勤務地を変えていたようです。
					大学医局からの派遣で移動していたのですが、院長とケンカしては次の勤務病院へと変えていったようです。
					長野日赤病院を辞めてからは、初めて自分で病院を選び、赴任したのが千倉の平舘(へだて)病院なのです。
					平舘(へだて)病院で外科医として働いていた時、またもや、院長とケンカをしたのです。
					父・松永春二は、千倉の漁師気質と気が合って、千倉を好きになっていたのでしょう。
					「こんな病院、ペンペン草生やしてやる!」と言って、歩いて数分の普通の民家に開業したのです。
					そして、本当に、平舘病院が閉院になってしまいました。
					昔の診療所は入院施設を持っているのが当たり前で、松永醫院も入院ベッドがありました。
					普通の民家に開業しておりますので、私達家族が食べる食堂であり居間の隣の部屋が入院室であり、患者さんのイビキが聞こえてくる距離の中で私たちが生活していました。
					母は看護婦です。そして、優しい母親でもありました。
					今でいう日勤、準夜、深夜のすべての時間、つまり24時間365日すべてを看護婦として働き、入院患者さん1日3食の食事を作り、兄、妹の3人の子供の母親もこなしていました。
					母は、入院患者さんの真夜中の服薬を手伝ったり、夜中に患者さんからかかってくる電話の対応をしたり、診療所の掃除、診療の準備、後片付け、そして母親としての仕事をこなしていました。寝る間を惜しんで、働きまくりました。
					私が小学校4年生ごろに、松永春二が作る鉄筋コンクリート3階建ての新・松永医院が完成しました。
					昭和45年ごろの南房総千倉町ですので、3階建ての建物は町役場と松永医院ぐらいだったでしょうか。
					しかも、洋式の水洗トイレを千倉で一番早く導入しました。
					皆さんは、初めて洋式トイレと出会った時の驚きを覚えていますか。
					前向きアプローチに違いないと思っていたら、お尻からアプローチだったなんて・・・。
					便座の上に乗って用を足したり、便座に触らないように中腰で用を足したり、
					用もなく水を流したり・・・。
					1995年、父・松永春二がぶっ倒れました。
					そして、松永医院を閉めるために、紹介状を書くために、私は千倉に戻りました。
					お爺ちゃんも、お婆ちゃんも、父も、母も、子供たち、孫たちも診てもらった・・・。
					「松永医院が、なくなるのは困る!」そんな地域の声に動かされたのです。
					また、父を支えて長年働いてきたスタッフがいました。
					スタッフの生活のことを考えると、東京に戻ることができませんでした。
					千倉で骨を埋め、千倉のために尽くそうと決断した年になります。
					
					
					
					私の仕事は、地域医療です。私たちの地域のいのちを自分達自身で工夫して守ることです。
					地域医療という言葉があるのならば、「地域教育」という言葉があっても良いと思います。
					私たちの地域の子供たちを、私たち自身が参画して、工夫をして、育てることです。
					「千倉の子供たちは、私たちの子」という思いを持つことが大切です。
					小学校5年生、6年生の子供たちの年齢をゴールデンエイジと呼ぶそうです。
					一生の間で最も多感な時期であり、その時に学んだ経験や思いが一生の宝となるからです。
					私たち大人は、子供たちに、いかに多くの良き思い出を作らせるか、一生の糧となる種をいかに多く植え付けることができるのかが問われます。
					子供たちが幸せになってもらいたい。そのためには、心の教育が大切です。
					より多くの良き思い出が必要だし、より多くの一生の糧となる種が必要でしょう。
					新生・千倉小学校の先生方は、朝早くから夜遅くまで子供たちのために魂を費やしてくれています。
					感謝します。 ⇒ No.60 「千倉小学校の未来へ」(2015年4月17日)
					日本一の千倉小学校を創る!という思いでPTA活動に参画してきたこの1年半、これからの残り半年が真価を問われます。
					千倉小学校の先生方は頑張っており、千倉小学校の地域教育にPTAを含めた保護者、そして地域市民の方たちも参画し、地域全体で子供たちを育てることが日本一に通じていくような気がします。
					千倉小学校放課後子どもクラブの対象は、小学校5年生と6年生の児童です。
					毎週金曜日の午後4時から6時までの2時間、その内の1時間は自由学習時間となり、残り1時間が寺小屋人生塾を開き、ゴールデンエイジの子どもたちに心の教育を行っていきたいと思います。後半の1時間が、人生における宝の時間となるよう努力します。
					困っている人がいれば暖かい手を差し伸べる子供たち
					寒そうにしていれば暖かい毛布をかけてくれる子供たち
					お腹を空かせている人がいれば暖かいご飯と味噌汁を差し出す子供たち
					そんな当たり前の優しい行動を、自然に行える子供たちを育てたいです。
					人が喜んでいれば、ともに一緒になり喜びを分かち合い
					人が悲しんでいれば、ともに一緒になり涙を流し
					ともに共感し、涙を流しながら、共に支え合う社会を創りたいです。
					千倉小学校で放課後子どもクラブが始まります。
					学校の先生のOB、OG有志が協力して下さいます。有難く、心強いです。
					現役の先生もボランティアで協力して下さるようです。
					石井南房総市長も、三幣教育長も、高木校長先生も、義道校長先生も、山口PTA会長も
					いろいろな人が手伝ってくれる約束をしております。
					千倉の子どもたちは、私たちの子供。未来への子供。です。
					私たち皆が、優しくて、心豊かな、幸せを感じられる子供たちを育てます。
					それが「地域教育」だと思います。
					
					
					現在、北の大地・北海道・札幌にいます。
					到着時気温9℃、すでに紅葉が始まっております。冬の訪れです。
					昨日、羽田発6時半の一番機に乗り札幌に向かいました。
					そのために千倉を朝5時に出発したのですが、なんと私の車の前を私の診療所のスタッフが走っていたのです。マ・リ・コ と申します。
					予定よりも若干遅く千倉を発ったもので、チンタラ「8・16」を摘便しました。
					おかげでスムーズに羽田に到着し、北の大地に向かうことができました。
					NPO在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク
					という全国の集いがあり、全国から私のような在宅ケアを実践している医療者が集まってきました。
					当然、医師も多いですが、医師を使いまくる看護師、訪問看護師、歯科医師、薬剤師、セラピスト、ケアスタッフ、管理栄養士、事務スタッフたちも参加していました。
					全国の集いは年一回開かれるのですが、今年で21回目の開催となります。
					私が千倉に戻ったのが20年前になります。
					
					第1回目の集いに参加した覚えがないのですが、おそらく第3回目から全部参加しておりますので19回目となるのでしょうか。
					地域では、診療所から出て患者さんのもとに行き、患者さんの笑顔を求めて、看護師などのスタッフと一緒になり、在宅ケアを実践してきた医師たちが集まります。地元の医師会からは変った医師とみられていましたが、時代は私たちの後を追いかけて来ています。
					そして、一番の魅力は「在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク」という名前の中に「市民」という言葉が入っていることです。市民も参加しているのです。
					他の医療関係の学会で、「市民」という言葉が入っているものを見たことがないです。
					市民目線の医療、介護、ケアを実践することは大切なことです。
					昨日は、「育てあい」という言葉で勉強しました。
					教えるということは、自分の勉強にもなります。人を育てる、未来への投資です。
					強い「思い」を持ち、人との「つながり」を大切にし、様々なことに挑戦し、それを振り返り、人生・仕事を楽しむことが大切であることを学びました。
					将棋の名人・故米長邦雄さんが40代でスランプに陥った時、弟子になぜ勝てないかを尋ねたら、「師匠の必勝パターンを研究し切っているから師匠に絶対に負けないのです。」と弟子は答えたそうです。その場で、師匠は弟子の弟子になり、修業し、また名人になったお話を聞きました。面白い話です。
					今まで築いてきたものをすべて壊し、そして、再挑戦をする。
					全てのことを壊すことをアンラーニングと言うそうですが、なかなかできることではないです。
					ノーベル賞の発表が続いていますが、受賞する方はこのアンラーニングを繰り返しているのでしょう。
					今日一日、また、勉強です。
					
					
					10月10日、本日は私のご主人様の誕生日。「私25歳、ご主人様は18歳」と言ってました。
					末娘の心優が6歳となりましたので、ご主人様は25歳となり、私と同級生となりました。
					10月10日、昔は「体育の日」で祝日、全国で私のご主人様の誕生日を祝っておりました。
					1964年10月10日東京オリンピックの開幕日だったので、「体育の日」となったのです。
					「体育の日」は、現在、10月の第2月曜日となっています。
					10月10日は何の日?
					目の愛護デー
					10と10を、縦書きにする眉毛と目の形となります。そんなわけで目の日!
					千寿の日
					私が通っている東京の病院、北千住にあります。千住を千寿と書き、1010となるのです。
					北千住駅前のマルイでは、千寿まつり、FESTA1010が行われています。
					そして、北千住地域は東京の下町、人情の街です。
					自宅に風呂があっても、銭湯へ風呂に入り行くのです。
					そこで、10月10日は「銭湯の日」!ウッソォ~!!
					野菜を食べるのならトマト。私はフルーツトマトに凝っています。
					アメーラトマト、美味しいです。長崎の高島フルーツトマト、もぉ最幸です!
					今凝っているのが、南国高知のトマト、狼桃(おおかみもも)という名の野生派フルーツトマトです。知っています?
					トマトが、(ト~)マ(ト~)、そして、10マ10となるのです。
					野球ではなく、サッカー賭博の日
					totoの日
					トイレの日
					LIXILではなくTOTOの日
					私たちにとっては、「転倒予防の日」
					転(10)倒(10)を予防する日となるのです。
					そして、本日のご主人様の誕生お祝いディナーは焼き肉です。
					なぜならば、「10~10~」=「ジュ~ジュ~」、焼き肉を食べに行くのです。
					
					
					
					今、ゆったりと千倉です。娘たちをバレエに送り、伸びきっております。
					本当は始発の新幹線に乗り、大阪の地域医療研究会という勉強会に行く予定でした。
					この1週間は忙しかった。。。
					昨日は、千葉で在宅医療・介護連携のお勉強会があり、今流行りのKJ法だったかJK法を用いたグループ・ディスカッションを行いました。
					その後に、認知症サポート医に関する会議が午後7時半過ぎまで開かれ、千倉に帰還したのが9時半ごろ、それから初めての食事をとりました。
					千葉から千倉へ帰還する際、やっぱり、明日はゆっくり過ごそうと決めたのです。
					10月2日(金)、千倉小学校の6年生の女の子二人が、職場体験で松永醫院、スマイル薬局と
					デイサービスセンター「あそぼ」に来ました。
					松永醫院では、いろいろな職種のスタッフが集まり、10年未来のいのちを守ろうと皆で頑張っているということを伝えられたかな。医療と介護の連携、大切です。
					「あそぼ」では、車椅子を押したり、おじいちゃん、おばあちゃんに囲まれながら美味しい食事をとったり、遊んだりと、温もりを伝えあうことができたかな。
					スマイル薬局では、白衣を着て、ラムネを分包し、写真を撮って、良い思い出になったかな。
					水曜日は「お江戸の日」、ご主人様に対しては「秘密の日」です。
					ご主人様は、「東京は楽しそうね?」と私に言います。私は、「へ、へ、へ・・・」。
					水曜日の午前中はフリーで、面白い医療を実践しているところに見学に行ったり、勉強会へ出席したりと研修の時間に充てております。しかし、毎週研修があるのではなく、場合により銀座をブラブラと散歩したりと、自由な時を過ごしていました。「秘密の時間」です。
					しかし、水曜日の午前中ブラブラしていることがばれてしまい、午前中外来の依頼が来てしまいました。墨田での仕事が開始になりました。これから、忙しくなります。
					松永醫院での診療以外に、認知症など介護関係の活動、生活保護など行政との活動、教育関係で千倉小学校PTA活動、講演など地域への活動、そして医学の勉強と、やらなければならないMissionは拡散しています。
					丁寧に生きて行きたいと思います。(夢、が・ん・ば・れ!)
					