朝丘雪路(あさおかゆきじ)さんが亡くなり、その死因がアルツハイマー型認知症と報じられています。
認知症って怖い病気なの?死んじゃう病気なんだ!っと負の広がりがある反面、有名な人でもなるんだ!っと
認知症=Common Diseaseであると正の広がりもあります。
死亡診断書は、医学的診断書というより社会的診断書だと考えています。
だから、死因に認知症という言葉を入れると、社会は「ボケで死んだ」と噂されてしまう危険性があります。それが良いのか、悪いのか・・・。
私は医師になり25年以上経ちましたが、死因に認知症を書いたことは1回だけあります。
その方は若年性アルツハイマー型認知症と診断され、70歳過ぎに亡くなられました。遺族にはレーガン元大統領と同じ「アルツハイマー型認知症」という診断名を書くことを了承して頂きました。
運良くガンや事故で死なない限り、歳を取り、介護保険を使い、最後はボケて死にます。
死なない限り、いつかはボケるということです。人は、既にボケてしまった人と、これからボケて行く人と、ボケる前に死んでしまった人の3種類しかありえません。
そんな認知症がありふれたCommon Diseaseなのに死亡診断名になることはまず無いです。
今回の朝丘雪路さんのおかげで、認知症が市民権を得ることができたと期待したいです。
私もボケて死んで行くでしょう。そして、死因「トノサマ型認知症」と書かれているでしょう。
朝丘雪路さんの夫は津川雅彦さんです。役者として有名です。
私、その津川雅彦さんに似ていると言われたことがあります。芸能情報に疎い私は、芸能人に似ていると言われて喜び、津川雅彦さんを調べるとスケベオヤジ俳優。ん・ん・ん~。
その他に似ていると言われたことがある芸能人、私お得意の妄想も含めて
ジョンレノン、私が高校生の時に外国人に似ていると言われビックリし、写真を見てガッカリしたことを覚えています。それ以外にも400勝投手金田正一氏の息子・金田賢一とか、
ドラえもんののび太くんであったり、草刈正雄(っと聞こえたのですが)と言われたこともあります。
自分に似ている人は3人いると言われています。
みなさんは、誰に似ていると言われますか。
かつて糖質制限で1ヶ月チョビッとで体重10Kgを減らしました。
84Kg⇒74Kgとなり、目標体重を72Kgと設定していましたが、現在78Kg。
こんなはずでは・・・。2歩進んでは、3歩後退している。
人間って弱い動物ですね。低きところへ流れていこうとします。
先週末、「腰塚」の焼き肉弁当とコンビ-フ弁当を買って帰りました。
「腰塚」は、現在お江戸で赤丸急上昇の肉屋さん、特にコンビーフが有名です。
翌朝には焼き肉弁当もコンビーフ弁当も空っポになっていました。
私の体重、3Kg増えていました。アヘッ。
この週末、今週糖質制限を復活させるつもりなので、米が喰える最後の週末。
焼き肉弁当の中で最も美味しいと考えているのが、米沢牛を使った「うめばち」の焼き肉弁当です。コンニャク、ゴボウ、レンコンが入っており、タレが濃いためご飯が黒くなっています。
六本木炭火焼肉の「An」の牛めしも美味しいです。
このお店、焼き肉も美味しいのですがサラダもとっても美味しいのです。
娘たちもこの店のサラダドレッシングをかけると美味しいと完食してくれます。
あと、柿安のすき焼き弁当がありますが、写真は無し。
ゴボウがたくさん入っており、トロ~リ半熟タマゴが入って来ます。
さあ、たんまり焼き肉弁当を食べました。現在の体重78Kg。
今週から糖質制限が再スタートします。予定では約2週間と考えています。
いったいどれくらいダイエットに成功するのでしょうか。また、報告しますね。
土曜日、朝は曇りときどき雨、その後晴れときどき雨。千倉小学校の運動会でした。
今の太陽の高さは真夏の太陽の高さと同じ。だから、陽が出ると蒸し暑く、初夏です。
私は千倉小学校の学校医ですがほとんど参加せず、ご主人様の作ったお弁当を食べに行くぐらいです。
長女の夢が6年生の時はPTA役員でもありましたので、運動会に気合いを入れて参加し、
楽しい思い出をたくさん作りました。前日はテント作製などの運動会準備、当日朝6時に運動会開催のノロシである花火の打ち上げ、プログラム進行の手伝い、終った後の先生方との打ち上げと楽しみ、疲れ切りました。
現在、末娘の心優(こころ)は小学校3年生です。かわいいです。
左目に入れて右目から取り出します。週末は逆に右目に入れて左目から取り出します。
でも、心優を目の中に入れても全然痛くないのです。
心優の運動会、ご主人様の撮ったビデオで観ました。
100m競争、6人中2位。エライ! ソーラン節、フロントセンター。ウマイ!
心優の赤組、優勝!ヨッシャ~! っと親馬鹿・・・。
今週、亀田メディカルセンターから来た鈴木崇浩先生、ナイスです。
憧れの千葉高(玲奈先生と同じ)出身、なぜかハワイ大学、そして千葉大学医学部に編入し医師になりました。
医師になって2年目ですが、センス抜群でした。
挨拶抜群、謙虚な学びの姿勢、積極的質問、なんと言っても待合室・患者さんの前で歌う「故郷」は最高でした。
最幸! 外来診察が始まる前のショータイム、松永醫院始まっての以来のイベントでした。
亀田メディカルセンターからの地域医療研修、たくさんの医師が来ています。
医療保険と介護保険の連携、「いのちを助ける医療」の向こうにある「いのちを支える医療」とは何か、地域医療とは地域へ突き返すこと、10年未来のいのちを守る心を伝えたつもりです。
しかし、私たちの笑顔グループと亀田グループの連携が私の期待しているほどの積み重ねがありません。
私はスタッフに「亀田、医療センターのおかげで助かっている。だから、私たちは亀田、医療センターを助けよう!」
と言っています。
病院医療が終結したけど足腰がフニャフニャになっちゃった、頭がイカレポンチになっちゃった、異常が無いけどなぜか食べられない、など入院に伴う廃用症候群によると思われる壊れちゃった高齢者をいち早く引き受け、離床し、リハビリをし、ご自宅へ返そうとしています。
そのために、老人保健施設・夢くらぶでは在宅復帰のための特別ベッドを作って待っているのですが、なかなか期待するほど運用されていません。私を理解してくれる医師が増えれば医療介護連携がすすむだろうと思いましたが、実際にはうまく医療介護連携ができていません。
私たちの病院の相談員への働きかけが下手くそなのかもしれません。
老健・夢くらぶへ来て日中離床し、起立着席訓練をする。すると、無表情で動こうとしない患者さんが食べ始め、二本脚で立つことができるようになり、歩き始め、笑顔が出て、家に帰る。
そんな症例を見て動かない医師、相談員はいません。でも、積み重ねがないのです。
私たちの病院の医師、相談員へのプレゼンテーションが下手くそなのでしょうが、それだけなのだろうか。そんな私の思いに鈴木崇浩先生が答えてくれました。
せっかく松永醫院での地域医療研修をし、いのちを支える医療を学んでも、病院の病棟に戻って多職種連携、病診連携をしなければ意味が無くなってしまいます。研修医プログラムの問題で、松永醫院での研修で学んだことを病院内に持ち帰り実践できるよう研修順番を考慮したいと、鈴木先生が言っていました。
鈴木崇浩先生、自分の大きな夢を目指して頑張って下さい。
千倉、ディープな海辺の街です。これからも美味しいものを一緒に食べたいね。
そして、10年後、また松永醫院に来て「故郷」を歌って下さいね。
どんなケアを提供したいか、それは魂が輝いてくるケアを提供したい!
魂が輝いてくるケアとは何なのか、何を目標にしたら良いのか。それは、笑顔。
美味しいものを食べて怒る人はいません。綺麗な笑顔の人を見て怒る人もいません。
綺麗な笑顔の人はその場にいる人に安心を提供し、笑顔が笑顔を引き出してくれます。
笑えば笑うほど笑顔が大きくなり、平和になり、みんなが幸せになると思います。
だから、私たちは日本一、地球一、笑顔を集めるクループになると決意しています。
では、どうすれば笑顔を集めることができるのだろうか。
それは、元気になっていただき、夢を叶えていただくことだと思います。
元気になればニコニコ、ニコニコが増えれば生き生きとなって行きます。
とにかく、患者さんが元気になるよう工夫しまくります。
元気になっていただくためには、ゴソゴソ動いてもらいます。
当然、転倒、骨折のリスクは高くなりますが、リスクより元気を優先します。
転倒、骨折を恐れるのなら、ベッド、柱に縛り付けるしかないです。
しかし、これは進むべき方向でもないし、私たちにはできません。
リスクを最大限配慮しながら、ゴソゴソして、元気になり、ニコニコ、生き生きしてもらいませう。
では、元気になって、笑顔が生まれたあと、私たちには何ができるのでしょうか。
ご本人が望むところへ戻し、いのちを支えることでしょう。
ほとんどの高齢者は、自宅へ帰ることを希望しています。だから、手伝います。
施設を希望する人もいます。施設で過ごされるいのちも輝くようチャレンジします。
私のやっている地域医療とは、地域に突き返すこと。
一度診たら、最期まで看る。
「人生丸ごと応援医療」 とか 「先発完投型医療」 と言っております。
本日より亀田メディカルセンターの研修医が地域医療の勉強に来られます。
田舎のヘッポコ二代目町医者の心を伝えませう。
鈴木崇浩先生、3日間よろしくね。
昨日、ご主人様を故郷・浜松に帰るために東京へ送り届け、アクアライン大渋滞で、戻るに戻れず、お江戸・徘徊しまくりの一日となりました。
そして、本日、ご主人様を迎えに夕方東京駅へ行かなければなりません。
日曜・祝日のアクアラインの大渋滞、午前中は南房総への下り方向がメチャ渋滞です。
午後、夕方は、東京方向の上り線がメチャ渋滞します。しかも、渋滞する時間帯が次第に早まっております。
でも、普通の日曜日は午後2時千倉出発をすれば余裕のヨッちゃんです。
でも、GW中の交通渋滞は普通ではありません。東京方面へ行くためには通常より1時間早めの午後1時に出発しましたが、結局、アクアラインが渋滞し始めており、千葉経由で東京に向う方が早いだろうと判断しました。
アクアライン経由の南房総の行楽帰りのポイントは、夕方少し早めに帰るのではなく、南房総の海の幸をユックリ食べ、午後7時ころユックリ出発し帰ることです。
渋滞がほとんど解消されて、ゆっくり帰ることができます。これ、通常の日曜日です。
東京に戻るアクアライン上り方向、GW中の大渋滞は午後10時過ぎまで交通渋滞が続いていました。
アクアラインの海面下57mのトンネルの中、戻るに戻れずのチンタラ渋滞、通常であれば5分ほどで通過できるのに1時間以上かかってしまいます。
私の人生哲学、「渋滞は人生の無駄使い!」。
午後1時に千倉を出発するために、午前中に往診1件、介護保険の医師意見書を10通ほど書き、国際医療福祉大学の大熊由紀子先生のWeb上の授業を聴き、散髪をし、簡単に掃除をして、お江戸に向ったのです。
ご主人様は午後6時ころ、浜松から東京に戻ってくるだろう。
私は渋滞を避けて東京に向うためには午後1時千倉を出発、お江戸に着くのが午後3時過ぎになるだろうと予測していました。となると、空いてしまう3時間をどうやって過ごすか。
GW、とっても天気が良かったです。
スギ花粉も飛んでなく、木陰で静かにしてれば肌寒く、太陽の下で運動をすると汗をかく、一年の中でも一番気持ちの良い季節です。今の太陽の高さも、真夏の太陽の高さと同じです。
前からやってみたいことがあります。それは、皇居1周のジョギングです。
私の趣味、サンキュー・ジョギング。松永醫院リハビリスペースに置いてあるトレッドミル(ランニングマシーン)で3.9Kmを走ることです。室内で、人知れず走っています。
西銀座駐車場に車を置いて車の中で着替えて、数寄屋橋交差点を出て、ペニンシュラホテルを横に見ながら、日比谷公園を通り、皇居1周へ。皇居1周が約5Km。
久しぶりというか初めて、太陽の下、そよ風が吹く中、人の中を走り抜きました。
皇居2周したい気持ちでしたが1周に留め、追い越される人の数と追い抜いた人の数は同じくらい、若い姉ちゃんと張り合い走ったり、白髪の爺ちゃんにいとも簡単に追い抜かれたり、息が切れ、アゴが上がり、皮膚呼吸をしながら、死にそうになりながらも完走しました。
途中からは股関節辺りが痛くなりましたが、休まず走り切りました。気持ちが良かったです。
「辛」の向こうにある「幸」を獲得した瞬間です。
全行程30分ほどでした。走り終った後は、脚が笑っていました。
日頃、3.9Km走るサンキュー・ジョギングで鍛えていますので、距離的には問題ないはずです。
なのに膝が笑う。屋内と屋外で走るのでは使う筋肉が違うのでしょうか。
階段が辛かった。。。とくに、階段を下りるときが辛かったです。
このGW、最初はこんなに休んで良いのだろうかと思いました。
こんなに休んじゃうと、人間腐っちゃうぞっと思いました。
でも、GWが終っちゃうとBlue Monday。"あ~っ、仕事が始まるぅ・・・"
みなさん、8月31日をどんな気持ちで過ごしていましたか?
私は、夏休みの宿題をやっておらず、どうすれば良いかわからない状態でした。
1年で最もイヤな日です。結局、夏休みの宿題、新学期始まっての放課後にやっていました。
仕事のために休養をとり、エネルギーを貯め、社会活動をする。それが休日だと考えています。
でも、休み過ぎると逆に仕事をする気力が無くなっちゃいます。
生活保護の人の気持ちがわかるような気がします。
人間は動物。動物は動くものと書きます。つまり、人間は動かないと死んじゃうんです。
GWは、日本にとってプラスになるのか、マイナスになるのか。
そんな中、2019年5月1日から新しい年号が始まり、祝日にしようとする流れがあります。
すると、4月30日も5月2日もお休みになり、最低1週間が休みになっちゃいます。
これで良いのか。。。
まとまりのないことを書いてしまいました。
まあ、どんな流れになろうとプラスに持って行くことが人間の知恵。
私にとっての今年のGW、一番大きなトピックスは「皇居1周ジョギング」です。
次回は2周しませう。そして、その次はホノルルマラソンに出ましょう。。。妄想です。。。
私のご主人様、ウナギの故郷・浜松出身です。浜松生まれ、浜松育ち、浜松医科大学出身。
ズ~ッと浜松だったのが、悪い男にだまされて東京へ嫁に行ったと言われ、実は東京を通り過ぎてハワイの方まで嫁に来てしまったのです。ようこそ千倉へ!
浜松の銘菓・ウナギバイには、夜の調味料ガーリックが入っています。知っていました?
浜松、電力は中部電力、新聞は中日新聞、天竜川の西側だから、十分に西日本だと思う。
しかし、ご主人様に「浜松は西日本?それとも東日本?」と訊くと、「中央日本!」と答えます。
浜松と千倉、同じ緯度にあります。しかも、目の前には海があり同じ温暖な気候があります。
浜松はもの作りの街です。ホンダがあり、スズキがあり、ヤマハがあり、河合楽器があります。
日本の高度経済成長を支えてきた昭和の街だと思います。
浜松まで新幹線で1時間半ほどですので、千倉より東京に近いのですが。。。ご主人様は、故郷である浜松になかなか帰れません。老健・夢くらぶの管理が大変なのでしょう。
だからこそ、GWに浜松に帰らせてあげようと思うのです。
5月4日、ご主人様が浜松に帰るために朝6時半過ぎに千倉を出発しました。娘二人も同伴で、私は浜松に行かずに東京まで送りました。千倉を出発し東京駅まで1時間15分ほど。
私の車、新幹線より速いのです。スゴイでしょう。
GWのアクアライン、目茶苦茶メチャクチャ混んでいます。
南房総の行楽で、マザー牧場へ、潮干狩りへ、木更津アウトレットモールへ、アクアラインに入るために羽田飛行場どころでなく大井ジャンクション辺りまで渋滞が伸びていました。
ご主人様を東京へ見送る際にこの大渋滞を見ているため、午前8時には東京駅でフリーになりましたが千倉へ帰還する気にはなりませんでした。インターネットで交通渋滞情報を見ながらスムーズに帰れそうだと判断したのが午後3時。暇な暇な7時間となったのです。
午前8時、いつも大行列を作るラーメン屋さん、東京駅ラーメンストリートにある「六里舎」の朝ラーメンを食べようと思ったら既に大渋滞。私はロシアでなくオランダの血が入っていることが判明したので、行列に並ばずに徘徊しました。
まずは午前十時開店の日本橋三越に向かい、駐車場に止めたのが午前9時過ぎ。
それから開店10時までの約1時間、日本橋辺りを徘徊しまくりました。
日本橋三越と高島屋の位置関係を覚え、日本銀行を見て、ビル街の中の神社へお参りしました。
日本橋三越で藁焼きカツオを購入。そして、場所を銀座に移し替え、ランチにはスープカレーを食し、歩行者天国の銀座通りを徘徊し、ギンザシックス、銀座三越へと行きました。
ジョアンでパンを購入し、牛すね肉を購入しました。
その時、午後1時半。アクアラインはまだ渋滞がひどいことを確認し、新宿伊勢丹へ移動。
スターバックスでコーヒーを飲み、伊勢丹7階でリビング関係グッズを見て、デパ地下へ。
デパート、こどもの日を見据えて、その先にある母の日を意識した陳列をしています。
母の日商戦、クリスマス商戦に次ぐ商戦ではなく、匹敵する商戦です。
やっぱり、死ぬときには「お母さ~ん!」と言って死んで行くでしょう。「お父さ~ん!」と言う人はいません。父の日はどこに行ってしまったのでしょうかね。
午後3時、インターネットで交通渋滞情報を見るとアクアラインの渋滞はまだ続いています。
でも、渋滞解消の方向へ向いていますし、私自身が疲れ切りました。
千倉へ帰還することを決めて、新宿を出発しました。
羽田辺りのアクアラインに入るところが渋滞していました。アクアラインもトロトロ状態。
世間では自然渋滞と言っていますが、人が作る渋滞なので人工渋滞となぜ言わないのでしょうか。おもしろいものです。
千倉から東京へ1時間15分、帰りはインチキしながら2時間チョビッとかかりました。
長い半日となりました。そんなことをご主人様に報告をしたら、「だったら、一緒に浜松まで来れば良かったのに!」と。確かに。
千倉に戻ってからは、本日病院から退院して来た患者さんのお家にうかがい、サンキュー・ジョギングを走り、買ってきた牛すね肉を圧力釜で下ごしらえをし、独り夕食を食しました。
テレビでは世界卓球選手権を観て、「ヨッシャ~!」と独り雄叫びを上げていたのです。
私、かつて、東京医科歯科大学卓球部のキャプテンだったことを知っていました?
ゴールデンウィークの前半、晴天に恵まれました。
私は、品川のグランドプリンスホテル新高輪で開かれた日本在宅医学会第20回記念大会に参加してきました。
ホテルでは鯉のぼりが泳ぎ、緑栄える日本庭園が心を和ませていました。
とっても天気の良い日なのに、部屋の中でお勉強の二日間でした。
大会長は東京医科歯科大学の一年先輩の川越正平先生で、在宅ケアでは有名な松戸にあるあおぞら診療所の院長先生でもあります。
3年の準備をかけたというだけあって、質、量ともに高いレベルの大会となりました。
これは聴く価値があるという内容の講演が同時に並列で10近く開かれ、朝から晩までギュッギュッと詰め込まれ、二日目の朝など午前8時スタートでした。
今回の大会、医師ばかりでなく看護師、薬剤師、セラピスト、ケアスタッフ、事務スタッフなどの専門職がたくさん参加していましたし、一般市民の方も多く参加しておりました。
うれしいですね。総勢4000名を超えていたそうです。
4月29日(日)
午前:「認知症になっても安心して暮らすことができる地域を目指して」というシンポジウムへ
昼:「在宅医療で知っておきたい高齢者てんかん」意識消失を伴なわないてんかん小発作を見落とすことが多く、てんかん発作を起こすたびに脳が傷つき認知症が進行するそうです。
何となくボォ~として、口をモグモグしている人、要注意です。
振り返ってみると、私の父もてんかん小発作を繰り返していたなと反省しています。
午後:じっくり「認知症」検討会
東京北区にあるオレンジほっとクリニック所長の平原佐斗司先生が、「アウトリーチ」の大切さを伝えました。平原先生、20年以上前から知っていますが相変わらずカッコ良いです。
その後、「人生最終段階における意志決定の支援」という講演
「わがまちの在宅医療・介護連携推進事業」というシンポジウムへ参加しました。
そして、最後はカッポレ! 懇親会に参加して、アクアラインを通り千倉へ帰還しました。
4月30日(月)
午前8時から「住民が地域の医療・介護を守るということ~住民の立場で考え、主体的に活動する極意~」というシンポジウムに参加しました。東金市に住む藤本晴枝さんのお話を聴き、医療の貧しい地域の地域医療の豊かさを学びました。「私の夢カルタ」という市民のボトムアップスキルを知ることができましたので、活用して行きたいです。
午前:「看護小規模多機能のすすめ」、カンタキのお勉強をしました。
望むところで生き切るためのサービスとして重要ですが、伸び悩んでいます。
ケアマネも変えなければならないシステムになっているのが原因だと思います。
昼:医師会も行政も市民も頑張っている松戸、そこで行われている「まちっこプロジェクト」
子供を通じて地域を変える力が、子供たちにはある。それを醸成させる取り組みを学びました。
午後:コミュニティーデザイナーである山崎亮さんのお話を聴きました。
相変わらず笑いの50分間の講演で、ジーパン姿のいい加減チャラ男に見えるのですが、実はものすごい勉強家で、実践力もあります。プロジェクトを進める上で、楽しさが大切!
最後は「次の10年を展望する~まちづくり」を聴きました。
並行しながら、認知症当事者である丹野智文さんと長尾和宏先生のセッション、テレビでよくみる尾木直樹さん、国のトップだった唐澤剛さんたちのまちっこプロジェクトセッション、プロフェッショナルにも出演した小山珠美さんたちの食支援セッションなど、最後まで盛りだくさんの内容で終了したお勉強会でした。
会場では、亀田メディカルセンターの若き先生方ともたくさん会いました。
田村さん、小山さんなどの市民とも、なぜか会うことができました。
でも、安房地域の開業医の先生方とは、玲奈先生以外に会うことができませんでした。
そして、な・な・なんと、私のパソコンを学会会場に置き忘れてきたのです。
「忘れ物で白いパソコン落ちていませんでしたか?」と質問したら、「1個だけありました!」と。
パソコンを落としたアホは、私一人。入れ歯を落としたのと同じレベルなのでしょうか。
さっそく、昨晩、品川のホテルまで取りに行きました。
大井南ICで高速道路を下りて一般道路を気持ちよく走っていたら、突然、私の後ろの車が赤く点滅し始めたのです。。。