~ 理事長のブログ ~

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2019年06月23日(日)

川嶋みどり先生

医学が進歩することにより、高度医療、専門医医療がシンカしてきます。
シンカという言葉には、進化、深化、真化、新化、神化、心化などがあるでしょうか。
シンカしている過程で、忘れてはならないのに忘れかけている大切なことがあります。

患者さんの側に行き、手を当てて、心の言葉に耳そばだて、癒やそうとする寄り添うケア。
患者さんの側に行き手を当てることから始まるのですが、電子カルテになり患者さんの側に行かなくても医学管理できるようになりました。医局でPCをカチャカチャの世界です。

受診前に自動血圧計で測定し、外来を受診。外来担当の先生は電子カルテのモニターばかり見て、「変わりないですね。いつものお薬を出しておきますね」っと一度も顔を見もせずに終る外来風景。みなさん、皮膚を触ってもらう診察を受けていますか。

走り回っている看護師さんたち、呼んでもなかなか直ぐに来てくれない。「チョッと待っててね!」と言いながら、忘れてしまって来ない。忙しすぎるのです。バイタルチェックも自動測定器を使いますので皮膚を触らない、心電図読めるのがエライ!という看護師の世界があります。

患者さんの側に行き、手を当てて、心の言葉に耳そばだて、癒やそうとする寄り添うケア。
そんなケアの原点を、私たちは忘れかけています。ケアの原点を忘れかけているという病識を私たちは持ち、ときに反省し、何か工夫する必要があります。

2019年6月7日(金)川嶋みどり先生の「ケアの文化と看護の力」という題で講演会がありました。魂を揺さぶる良いお話しでした。何度でも聴きたいお話しでもあります。
用事があって来るに来れなかった人たちへ、お裾分けしますね。



人間は困っている人に温かい手を差し伸べる本能と才能を有しています。
不安を慰め、痛みを和らげ、その方が人間らしく生きていけるよう手伝うことが看護。モノに頼らず、手を当てて、耳をそばだて、よく看て、技術と心を入れて看護を提供することが大切です。

母の胸に抱かれて乳を飲む赤ちゃん、その営みには母と赤ちゃんが行う双方向性の愛のキャッチボールをしています。絶対的信頼関係があり、無償の愛があり、平和であるからこそ充分な乳をあげることができ、充分な乳には平和の証にもなるのです。

2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が起こりました。津波に襲われ、逃げた屋上で、小雪舞う中、多くの人が一晩過ごしました。その時、寒さに震える多くの市民を助けたのが看護学生だったそうです。

看護学生が、温もりの手で凍える身体をさすり、励まし合い、一晩を生き抜いた結果、多くの市民の命を助けることができたのです。
看護の力って、すごいですね。

看護において「手」と「目」を使うことが大切だと言われています。まずは手を添えることから始まり、目でよく観察し、持っている知識と技術と感性をフル活用し、その人の問題を解決していく。薬も機械も使わない、肌を通じてのケアの原点を語っていました。

今の看護、患者さんの肌を触ることなく、自動血圧計で測定し、体温測定し、パソコンに打ち込んでばかりになっていませんか。お話しする余裕もなく、病棟を走り回っていませんか。
看護って、寄り添うケア、温もりのあるケアではないでしょうか。これで、いいのですか。

80℃の熱湯と大きめのタオルで清拭するケア、とっても大切だそうです。私のところの訪問看護ステーションの小宮所長が「お風呂に入るより、とっても気持ちが良いの」と言っています。病気になって萎えた身体に気持ち良さが染み渡り、自然回復力、免疫力が高まります。

現在の医療、清拭というケアは消え行きつつあります。オシボリ3つほどをテーブルの上に配られ、患者さんが自分自身で拭くように指示されます。蛇口を開いても80℃の熱湯など出てこなく、せいぜい55℃のお湯しか出てきませんので熱いタオルの準備もできません。

大切な、手で触ることから始まるケアが消えて行く。
これでいいのですか。

「食べる」ということは、「生きる」こと。食べる前には「いただきます」、食べ終わると「ご馳走様」。「いただきます」とは、いのちをいただき、いのちを大切に食べて生きますという言葉。「ご馳走様」は、走り回り準備して下さった食事とその人に対しての感謝の言葉です。

日本の食事には、箸、器も沢山の種類があります。取り箸、割り箸、菜箸、揚げ箸、利休箸・・・
食材も新鮮で、味も繊細で、盛り付けも鮮やかで綺麗。うまみ、コクという言葉もあります。
食べるという欲求は最後まで残り、口から食べること、噛んで食べることの大切さを語りました。

川嶋みどり先生のキーワード、「て・あーて」。そして芸術の域まで持ち上げるという意味の「TE-ARTE」。触れて癒やし、励まし、慰め、心通い合わせることが大切であり、知識、技術を持つだけではなく、ケアする人の感性と人格を高める努力も大切であると言っていました。

川嶋みどり先生の講演を聴きましたが、魂が震えました。消化しきれないところもあり、また、何度でも聴きたいと思います。看護と医療、看護とケア、看護師と医師、看護という原点と底力を学んだ1時間となりました。

医師と看護師の持ち分、異なります。医師が良かれと思って提供する医療と、市民が望む医療のミスマッチがあります。そのミスマッチをつないでくれるが看護師でしょう。
看護師が光り輝く社会は、いのちに優しい社会になることでしょう。


2019年06月17日(月)

令和最初の太陽の日

令和最初の6月16日、何の日か知っていますか。太陽が一番高い季節、太陽の日です。
私が良く買いに行くお肉屋さん、ニュークイックです。安くて美味しいお肉を売っています。
良く行くのは新宿店、学生時代に住んでいた小岩にもあり、福島店ではツイン玉子を売っています。



ニュークイックのクイック≒919から、6月16日は「逆さニュークイック」の日で山形牛を安く売っていました。 霜降り肩ロースを購入し、夜シャブシャブにしてポン酢味で食しました。また、チーズフォンヂュも自宅で初めて食しました。美味かった!最幸!



6月16日、どうでも良いのですが父の日です。知っていました?
母の日は、クリスマス商戦に次ぐではなく、クリスマス商戦に匹敵するプレゼント・デイとなっているようです。それに対して、父の日は・・・。カレーライスの福神漬け状態です。

私はご主人様、娘たちに6月16日は何の日か知っている?っと事前にプレッシャーをかけていました。末娘のココロは、そ~っと私のところへ近づいて「お父さん、6月16日は何の日なの?」と尋ねてきたので、「父の日」とそ~っと答えたら目が点になっていました。

東京の女子校へ行ってしまったユメも含め家族全員がそろうのは週末。
6月15日(土)は雨が土砂降りでした。翌日、6月16日(日)は雨が上がり、久しぶりに見る晴れの日でした。でも、ものすごい風が吹き、千倉の夕方、停電になってしまいました。



午前の用事を済ませ、午後早めに千倉へ帰還しました。夕方、松永醫院でいつものサンキュージョギング3.9Kmを走り、身体をリセットし、海の側のお風呂に入りに行きました。
そして、自宅へ戻って、父の日カッポレの準備をしようとしていたら停電。

電気のない不便さを知り、電気の有難みを再確認しました。
ロウソクの明るさに助けられ、暗くて明るい世界を知りました。
めったにない停電、いや意外にある停電ですが、暗い中でサラダを食べ、刺身を食べました。



末娘のココロからはラブレターをもらい、ご主人様からは浴衣を頂きました。
長女のユメからは、来週プレゼントしてくれるそうです。覚えていますかね。
それにしても、ご主人様からの浴衣の購入、私のカードを使っていたような気がしますが。。。




2019年06月12日(水)

看護師に育てられた医師

私は看護師に育ててもらった、変わった医者だ!っと言っています。
だから、看護師の言うことを尊重し、看護師の指示に従います。
しかし、いい加減な看護師をみると腹が立って、6秒間我慢するができず気絶します。

大学の卒業した同級生は76人、そのほとんどが大学医局に入り専門医を目指しました。
大学医局に入らず、地域医療を実践している一般病院に就職したのはたったの一名。
その変わり者の医者の名前は「ボク」と言い、「ヘータ」とも言います。同期は無し、独り!

東京足立区と千葉松戸市と埼玉三郷市とが交わる地区の埼玉にある「みさと健和病院」という民医連の病院へ入職しました。 地域を守り地域を育てる地域医療をドップリ行いたいと考え、その時の三浦聡院長が歓迎会でバク転をしているのを見て入職を決断しました。

最初の2年間である研修医時代、同期は無し、相談できる仲間はいなく独りぼっちでした。
私の指導医はいるのですが多忙で側にはいません。側にいて、私を指導してくれたのが看護師さんたちでした。 「あんた、医者なんでしょ!もっと、頑張れ!」と指導を受けたのです。

医師と看護師、医療と看護、CureとCare、役割と持ち分がチョビッとズレながら支え合ってチーム医療を提供していました。 医師と看護師の関係は、上下関係ではなくパートナー関係、軍隊ではなくサッカーのチームメイト、専門性が異なるも対等な関係でした。

そんな私を指導してくれた看護師のトップが、川嶋みどり先生でした。川嶋先生の教えを受けに全国から熱き、優秀な看護師が集まってきました。また、私の尊敬する先輩医師たちも川嶋先生を尊敬していました。医師から尊敬される看護師、みなさんの周りにいますか。

その当時、私は直接川嶋先生から指導を受けることはありませんでした。なぜなら、川嶋先生、当時家族のために療養中だったのか現場から離れていたからです。川嶋先生の姿は見えないのですが、臭いはいつも嗅いでいました。

私の研修医時代、まだ何も医師としての力量が無いので一日3回入院している患者さんのもとに行き、世間話をして、ただ笑かす。そして、早く元気になり、自宅へ帰ろう!っというメッセージを毎日配っていました。

「テ・ア~テ」「TE-ARTE」手を当てること。手を当てることにより、皮膚の温もりを伝え合うコミュニケーションの大切さとケアの原点を教えて頂きました。だから、今でも、忙しい外来ですが、患者さん全員の血圧を測定し、聴診をするという診察を貫き通しております。

そんな私の医療に大きく影響を与えた川嶋みどり先生に来房して頂き、看護学生を含めて130人以上の専門職に「ケアの文化、看護の力」という題で講演して頂きました。
「忘れてはならない大切なものを忘れかけている」という病識を確認できました。

講演が終った後、ジャ~ジャ~凄い雨が降る中、川嶋みどり先生を囲んでカッポレしました。
改めて自分の自己紹介をし、楽しい一時を過ごすことができました。
川嶋先生、本当に88歳?再び五年後にお呼びしたいと思いますので、御自愛下さい。


2019年06月05日(水)

聴いて勉強

5月25日(土)房総半島先っちょのチクラから房総半島の根元のサクラへ勉強に行きました。
チクラとサクラ、名前が似ており、チクラにお祖父ちゃんおばあちゃんが住んでいて、子ども達家族がサクラに住んでいる患者さんが何人かいます。

午後2時からサクラでの勉強会が始まるため、午前の外来が終ったあと往診1件行き、館山道を北上しました。 途中、富津中央ICあたりで私がそれなりのスピードで追い越していたら、白いマツダの車が追い越し車線に出てきたのでパッシングし抜き去りました。

あとで教えてもらったのですが、その白い車を運転していたのは隣のスマイル薬局の吉田社長でした。 たまによく言われる話なのですが、アクアラインで勢いよく追い抜かれたよ!っとか、追いかけたけどついて行けなかったよ!っとか言われます。照れちゃいます。

サクラ市、東関東道の千葉北ICでおりて20分ほど、チクラからだと車で2時間弱ほどかかります。 京成ユーカリが丘駅側のホテルで「グリーフケア」の勉強会が開かれました。
グリーフとは悲しみ、グリーフケアとは残された遺族への癒やしケアとなります。

発表者は医師だけでなく、お坊さん、牧師さん、葬儀屋さんの社長など死に関わる人たちが語りました。 亡くなることは悲しいこと、当たり前です。私にとってのグリーフケアとは、「死んでも生きている」、心の中で生き続けることのできるケアだと思いました。



翌日、5月26日(日)千葉市の医師会会館で朝から晩までお勉強しました。
「かかりつけ医機能研修会」です。かかりつけ医として知っておかなければならない知識をマル一日で学べる良き勉強会だと期待して行きました。その結果は、ガックリ。

特に生活期リハビリテーションの実際という授業がありましたが、リハビリテーション制度の説明がほとんどで、目の前の困った患者さんを元気にさせるリハビリテーションの具体的方法を提示してくれませんでした。

ただ、産業医科大学の松田晋哉先生の「かかりつけ医の社会的処方」の授業は素晴らしかった。

かかりつけの患者さんが癌になり病院中心に治療を行う場合、患者さんに寄り添いチームを作り、治療しながらでも働けるよう会社に働きかけたり、病院の抗がん剤治療を副作用の出る日を週末に持って行けるよう治療曜日をお願いしたり、家族も支える。

私たち開業医は、地域の中で医療活動をしています。ですので、地域に出て行かなければならない場面が生じ、地域の中でリンクワーカー的活動もします。自分ができなければ行政などに相談し、それなりのリンクワーカーに委ねることになります。薬以外の医療です。

5月30日(木)、安房地方学校保健会があり、発達障害の講演がありました。
LITALICOリタリコという「障害のない社会をつくる」をビジョンとする会社のヤングが語ってくれました。リタリコは外国語でなく、利他利己からつけた会社だそうです。

「発達障害」とは、「その人とその周りの環境との間に生まれるマサツによる生きづらさ」だと学びました。クラスに最低一人はいます。発達障害的な大人も必ずいます。
発達障害の子供だけが問題ではなく、適切な環境を提供できていないことに問題がある。。。

適切な環境作り、100人の子供がいたら100通りの環境つくりが必要な個別性があり、環境をつくっても時と場所が変われば結果はまったく違ってくる偶然性もあります。発達障害対応の正解は準備されておらず、工夫しまくる必要があり、学校だけで対処できるものではないでしょう。

答えのない、底の深い発達障害への対処、家庭と学校と地域で行うチームケアです。
現実には、学校だけにお任せになっているような気がします。学校の先生方も必死に努力しており、私から見るともっと大切なやるべき教育があるのだから気楽に放ったらかしにしようと言いたいです。



右目の硝子体出血で眼底に血液が溜まり、光を通さないために見えなくなって早10ヶ月。
次第に見えるようになっているものの、未だに本を読む気になれません。
ですので、インターネット上での勉強会や講演を聴いて勉強しています。


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