今日一日のことを考えると、今晩に食べるものを探します。
1年という単位で考えると、来年に収穫するための種を植えます。
10年という単位で考えると、森を育てます。
100年という単位で考えると、人間を育てます。
人間を育てること、とても大切なことです。
その結果、100年経っても笑顔グループが繁栄し、社会貢献し続けていることを願います。
そのために、私はもっと教育に魂を入れなければなりません。
日本を代表する電機メーカー「パナソニック」の社長であった松下幸之助さんが
「私どもの会社は、物を作るメーカーではなく、人を育てる会社です」と言いました。
私も、笑顔グループを人を育てるグループにしたい。そうなるよう努力します。
人間は人のために頑張れる動物です。
しかし、人間には一生懸命に人のために尽くそうとする表の部分とグウタラしようとする裏の部分の両方があります。
グウタラしようとする弱い部分を減らし、人のために努力する本能を育てなければなりません。
人を育てる。そのためには教育が大切です。特に新人教育が大切です。
私たちが10年で得た知識と知恵を、後輩である新人たちには3年で伝えよう。
そんな総論的な、大和魂的な思いを叫んできました。
しかし、実際には、具体的な新人教育がなされていないことが判明しました。
途中入職する新人教育の具体的な教育プログラムがしっかりと整備されていないのです。
4月入職するスタッフの研修プログラムはありますが、途中入職するスタッフの研修は未備となっているのです。
6月1日から働き始める新人がいます。至急、新人教育プログラムを作ります。
私自身、日常の診療業務に忙殺されていますが、もう少し現場スタッフの教育に関心を持ち、新人教育に参画し、私の思いを
伝えなければなりません。
来週、新人スタッフを集めて仕事の大切さ、いのちの大切さ、歳を取るということ
10年未来のいのちを守るということを伝えよう。
外来に来る子供の患者さんに「将来の夢はなに? 将来どのような仕事に就きたい?」
という質問をよくします。
「将来、ジャイアンツのエースになるか、4番を打つ!」という少年はすでに絶滅!
「アイドルになる!」という少女は絶滅危惧種かな。
「セブンイレブンの店員になる!」と言う時代になってしまいました。
これでいいの?
私は、「『ありがとう』と言ってくれる仕事に就くといいよ。」と伝えています。
なぜなら、人間は人のために頑張れる動物だからです。
仕事で疲れ切ってしまっていても患者さんから「ありがとう」
と言われてしまうと、疲れが吹っ飛んでいき、もうチョッと頑張ってしまおうかなと思ってしまいます。
自分に対してグ~タラで何もしようとしない人でも、人のためには頑張ってしまうのです。
私は普通の小さな人間ですが、医師という仕事を持つことにより人間的に成長させて頂いたと思っております。
「ありがとう」という言葉に励まされ、勉強、努力してきました。
医師という高い倫理観と高い志を持たなければならない仕事に就いて有難いと思っております。
外来に来た子供たちに
「看護師さんもいいよ! リハビリのスタッフもいいよ! ケアスタッフもいいよ! 医者になったらこの診療所全~部あげるよ!」
と言っています。
子どもの耳に聴診器を付けさせてあげて、心臓の拍動音を聞かせたりもします。
一般の会社を退職された人生の大先輩の方に、患者さん、利用者さんの送迎をお願いしています。
乗り降りの際に「ありがとう」と言ってくれます。そのおかげで運転手さんの仕事定着率が高いです。
お爺ちゃん、お婆ちゃんに優しいことをすれば「ありがとう」と言ってくれる。
困っている人がいれば、温かい手を差し伸べてあげると「ありがとう」と言ってくれる。
「ありがとう」という言葉をたくさん言えば言うほど、社会はどんどん優しく、豊かになってくると思います。
幸せを感じられる社会を目指します。
昨日、土曜日、千倉小学校の第2回運動会が開かれました。
太陽の高さは真夏の太陽の高さと同じです。しかし、吹く風は涼やかで気持ちが良かったです。
午前中は晴天、午後からは曇りがかってきたという最高の日和です。
私自身、千倉へ戻ってきて20年となり、小学校学校医としては15年以上だと思うのですが、昨年の千倉小学校の
第1回運動会に初めて参加しました。
それまでは、往診したり、東京で行われる勉強会に出席したり、あえて用事を作り運動会に出席しなかったように思えます。
昨年は、4小学校が統合した初めての千倉小学校運動会でしたので、準備周到に会議が何度も開かれ、
私自身も前日の準備から参加し、当日早朝の花火打ち上げにも参加しました。
今年は、5月のGWがあったためフリーの時間を作ることが難しかったことと、
亀田メディカルセンターからの研修医の地域医療研修があったため、私自身は準備に参加することができませんでした。
運動会、スモールスクールの時には行えなかった騎馬戦、棒倒しゲーム、そして選抜リレー競技などが復活し、
応援合戦がスケールでかくなり、見ごたえがありました。
地域の人たちもたくさん来られ、敬老席も満杯状態でした。施設からの車椅子レベルのお爺ちゃん、お婆ちゃんも来られ、
本部席テントの下でゆったりと観て頂きました。
GWが終わってからの約2週間、この運動会のために子供たちは一生懸命練習をしました。
岩崎先生が言っていました。この2週間の子供たちのビフォア・アフターの変化には感動的なものがあったそうです。
初めは応援合戦もてんでんバラバラ、やっと数日前にまとまりがついてきて、運動会当日には魂の入った応援合戦になりました。
今年も、良き運動会となりました。子供たちの良き思い出になったことでしょう。
私たち大人は、子供たちの思い出を一つでも多く創ってあげ、子供たちに心の種をたくさん落としてあげることが大切だと思います。
そして、夜の部、運動会の反省会。
ヤング・ティーチャーが炸裂していました。久しぶりのイッキ合戦です。
私は、ビールの最高に美味しい飲み方を伝授しました。最高のスパイス「表面張力」です。
校長先生、沈んでいきました。そして、みんなで守りました。
魚拓荘鈴木屋さん、美味しい料理を有難うございました。
先生方、保護者の皆さん、地域の皆さん、良き一日となったことに感謝します。ご苦労様でした。
「仕事」、人間として生きて行くために、社会貢献をするために必要な社会活動です。
人生を送る中で、人生の大半を拘束されるものでもあります。
人生というマラソンがあるとすると、仕事は走ることと同じだと思います。
どうせ走るなら楽しく、気持ちよく走る方が疲れも少なく、楽しいマラソンになるでしょう。
走らなければならないマラソンをいやいや走ると、辛くて、長くて、疲れ切ったマラソンになってしまうでしょう。
場合によっては、途中棄権となってしまうかもしれません。
仕事は大切です。人生というマラソンを走らなければならないからです。
大切な「仕事」と「家族」の両方を失ってしまったのが、東日本大震災です。
昨日まで一緒にご飯を食べていた家族が流されていった、昨日まで一緒に働いていた仲間と仕事場が流されていった・・・。
被災者の皆さま、途端に弱くなってしまいました。
仕事は、人生を送る上で絶対に必要なものだと強調しておきます。
しかし、忙し過ぎると、思うようにならないと、辛くなると、「こんな仕事やめてやる!」と思ってしまうことがあります。
しかし、人生はこんな試練の連続です。
実際に仕事を辞めてしまっても、再び同じ試練が襲ってきます。繰り返しです。
高卒3年以内の離職率が50%を超えている。大卒3年以内の離職率が30%を超えている。
これでいいの?
人生は思うようにいかないことの連続です。
その不条理なことに耐えて乗り越え、仕事をやり遂げることにより達成感を得ることができます。
そうすることにより、社会人として、人間として成長することができるでしょう。
「置かれた場所で咲きなさい」精神が大切です。
不本意なことがあるかもしれませんが耐えてミッションを遂行する。
そうすることで組織の中で認められ、責任を持たされ、新たなる次のプロジェクトをまかされてくるでしょう。
そのうちに自分自身でプロジェクトを考え、実行できる立場に立つことができるでしょう。
そうなると仕事が尚更楽しくなり、社会に貢献もし、人生も楽しくなります。
そんな人生を共に創りたいですね!
本日は晴天なり。いつも通りに、夕方、3.99Km走りました。
昨日は曇り、時々雨のあいにくの日で、多くの学校で運動会が計画されたのが本日に順延されたのではないでしょうか。
良い運動会になったことでしょう。
千倉小学校は今度の土曜日、5月23日に運動会があります。
昨年同様、騎馬戦あり~の、選抜リレーあり~の、応援合戦あり~の、涙あり~の
思い出多き運動会になるでしょう。
昨日、海辺の町・千倉町の深山で焼き鳥パーティーが開かれました。
患者さん宅であり、元スタッフ宅でもあり、友人宅でもある深山の家で、
亡くなられた御主人と御父様を偲んで、年1回、5月の土曜日の午後に開かれています。
今は太陽の季節です。
6月がもっとも太陽に近い季節ですが、梅雨の季節で太陽がそんなに顔を出してくれません。
今は、太陽が一番高い時よりも1ヶ月ほど早く、7月下旬の真夏の太陽と同じです。
しかも、爽やかで晴れることも多く、虫もまだ多くない季節です。最高です。
そんな中、日本一おいしい焼き鳥を食べました。
手羽先を上手く加工し、骨もはずして、表面カリカリ、中ジューシー、特製のタレ付き
準備・加工するのが大変で、プロの焼き鳥屋さんである嶋田さんが、一日かけて準備して下さいました。感謝!
ただでさえおいしい焼き鳥を、緑深き深山の自然の中で、楽しい仲間たちと愉快に、その場で焼きたての焼き鳥を
立ち喰いするという、人生最高の喜びを堪能しました。
生きることは食べること。生きることに感謝します。
私は外のテラス席に座りながら、親父軍団の中に埋もれ、いのちに関して、医療介護に関して、スッタモンダと
夜遅くまで語り合いました。ご苦労様でした。
場所を提供して下さいました水上さん、その手料理も最高においしかったです。
焼き鳥の陰に隠れてしまうのですが、焼き鳥の濃厚な味に対し、薄味の美味しい料理が準備されていました。
筑前煮が特に美味しく感じました。感謝!
そして、スタッフの子供たち、私の娘たちとその友人の子供たちが集まり、和気あいあい、キャアキャア状態、そぉいう
野放し状態、地鶏状態で夜遅くまで遊んだことも子供たちの良き思い出になるでしょうか。
研修医の宮本先生、ご苦労様でした。
スタッフの皆さま、また来年集まろうね。
美味しい焼き鳥を焼いてくださいました嶋田さん、長生きして下さいね。
水上さん、これからも宜しくお願いします。感謝申し上げます。
台風6号が去り、東北地方に大きな地震がありました。
大きな災害がないようで安心しました。
箱根の大涌谷も心配します。早く、沈静化しますように。
千倉小学校PTA総会、南房総市小学校中学校PTA総会が開かれ、27年度の新体制がスタートしました。
PTA総会は、新体制の発表と総決起集会でありとっても大切な集会だと思う一方、儀礼的で自分自身が欠席しても
何の問題もなく流れていくものでもあります。
時間があまりない私にとって、大切にするべきものなのかどうなのか迷うところです。
役員でもあり、小学校運営上必要なものですので、儀礼的ですけれど必ず参加するようにしています。
議事の承認に関しても、「何か質問はありますか?」という議長の質問に、昔なら手を大きく上げて
スッタモンダ言っていました。しかし、今は黙っています。
大切な土曜日の午後、結構な数の結構な人たちが集まり、毎年同じようなPTA総会が開かれ、南房総市から
公費までも頂いています。しかし、子供たちのところまで実が届いていません。
ならば儀礼的なPTA総会を、もう少しでも実のあるPTA総会になるよう工夫をしたいですね。
工夫のしようがなくても、工夫をしようとすることはできると思います。
PTA自体も面白いものです。子供の教育に関して小さいころからお母さんたちが学校に参加してきたのが、小学校
高学年になったら突然親父がPTA役員として入って来る。
子供のために、教育を通じて地域貢献など、社会貢献というKeywordで集まってくるのですが、それまで妻
任せにしていたスットンキョウな親父が突然参加してくるのです。不思議なものです。
小学校の子育ては女性が中心になっています。
母子家庭も増えていますので、なおさら女性、母親の意見を集約する環境が必要です。
しかし、PTA役員に女性の姿は絶滅危惧種。
と思ったら、今年度の千倉小学校PTA役員に女性が一人参画しました。小澤さん、期待していますよ。
私がPTAで一番学んだことは、総会が終わった後のPTA交流会、つまりカッポレがすごいことです。
総会が終わって懇親会、それが終わって焼き鳥屋さんで二次会、近くにある居酒屋さんに移って三次会、私はこれで
ノックアウトでしたが校長先生たちは夜の巷に消えて行き四次会、五次会・・・。す・ご・い!
総会に女性が少しばかり参加していたのですが、彼女たちはこの懇親会等をどのように乗り切っていたのでしょうか。
小澤さん、親父たちのブレーキをかけてくださいね。
そして、高木校長先生はすごい。若い役員と同じようなスピードでビールを飲みます。
沈んでいきます。私と同じです。
そして、気が付くと安らかに寝ています。沈殿すると言った方があっているでしょうか。
私たちは、学校を守り、校長先生を守ります。
だから、理想の教育を求めていきましょう。
昨日は母の日でした。晴天で気持ちの良い一日でした。
母の日のプレゼント、母の日商戦は、クリスマス商戦に匹敵するそうです。
クリスマス商戦の次を行くのではなく、同等のプレゼント合戦だそうです。
父の日は、どのくらいの商戦となるのでしょうか。チビっと誤差範囲みたいですよ。
おそらく、私は人生の最期を「お母さ~ん」と叫んで死んでいくでしょう。
決して「お父さ~ん」と叫ぶ人はいないでしょう。
そんなもんです。
私も御主人様も、父も母もいないです。
ですけど、千倉のお爺ちゃん、お婆ちゃんを自分自身のお爺ちゃん、お婆ちゃんと思うようにしています。
お爺ちゃん、お婆ちゃんがいて、私たちがいて、子供たち、孫たちと命が流れて行きます。
命の上流にいるお爺ちゃん、お婆ちゃんを大切にする、尊ぶ文化は大切です。
豊かな社会へと導いてくれるでしょう。
私は、御主人様にビーフシチューを作りました。
牛肉を圧力釜で炊き、友人の達也くんからもらった玉ねぎとニンジン、ナスを入れて作りました。
お肉は柔らかく、美味しく出来上がったと思います。
マグロのカルパッチョ、チーズをのせ、アンチョビペーストをオリーブオイルとともにたくさんかけて、最後に
つまみ菜という得体の知れない野菜をのせて食べました。
ソラマメをたくさん頂いたので、おすそ分けで隣に住んでいる
コンニャク屋さんに持って行ったら、トコブシをたくさん頂きました。倍以上返し、ラッキー!
美味しいワインを飲みながら、自分の作った料理を食べ、御主人様は久しぶりのNHK大河ドラマ
「花燃ゆ」を観て、楽しい時間を作りました。
夢(ゆめ)はお手製のティッシュ布入れを作り、心優(こころ)はハンカチをプレゼントしていました。
さあ、子供たちは父の日を覚えているでしょうか。
私自身、忘れているでしょう。
本日早朝、看取ってきたところです。
相変わらず私はヘッポコです。私の予測より1週間ほど長生きしました。
そのおかげで、このGWに浜松に行くことができましたし、家族も疲れ切りました。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう!」
とお別れの言葉を言いまくり、昨日は入浴もし、穏やかな顔で最期を迎えることができました。
在宅で最期を迎えることは家族にとって大変で疲れ切りますが、最期の孝行をし、疲れ切ることにより
残された家族が癒されます。手間のかかる子供ほど可愛くなるように、手間ひまをかけることにより愛が増強するのです。
家族全員で疲れ切ることにより、目が涙で真っ赤になり、笑顔が生まれてくるのです。
私が診察している横でタバコを吸い始めた無愛想で怖そうな息子も、一生懸命最期の親孝行をし、疲れ切り、涙を流しながら
看取りました。
そこが、自宅で最期を迎える良いところなのです。
医者になって良かった。
昨晩は、安房高校のプチ同窓会をしました。
総勢8名の'もと'美男美女たちです。人生のKeyword「年齢不詳」を目指している連中です。
昔の良いことも悪いことも互いに知っている仲間でもありますし、「実はお前のことを好きだったんだよね。」
と青春時代を振り返りながら告白できる歳にもなっています。
「俺は90歳過ぎまで生きる!」と図々しいことを言う人もいれば、
「じゃあ、死んだら俺が葬儀委員長をやってあげるよ!」と、もっと図々しいことを言う人もいました。
お前はボケて「今日は私のために集まって有難う!」と言うに違いない、と言われたり、
「私は死にません!」と既にボケたことを言う友人もいれば、
「死ぬまでは大丈夫かな!」とわけのわからないことを言う友人もいました。
みんな頑張っています。頑張らないといけない年齢にもなっています。
心を裸にできる友人、有難いです。
今度は、オープンしたばかりの同級生のCafeでプチ同窓会を開くことにしました。
本日は、子供の日。看取りがあったため、急遽、浜松から戻りました。
昨日、浜松の墓参りに行きました。
御主人様は、二人姉妹の長女で大竹家から松永家へ嫁に来たことになります。
妹のしな子さんは、大竹家から太田家へ嫁入りしました。
つまり、オオタケ家からオオタ家へ嫁入りし、大竹家の名を継ぐ人がいなくなってしまったことになります。
このお墓はどうなるの。ということで、将来、私が入ることになるでしょう。
そのお墓参りに出かけようとしていたら、NHKで「奇跡のレッスン」という番組が流れていました。
時間がなく、一部しか観ることができませんでした。
けれども、とっても良いことを言っていました。
日本代表のフットサル監督が、文京区の少年サッカーチームを1週間指導した内容でした。
子供たちには超一流の有名なコーチが教えに来ることしか伝えていなく、子供たちは静かに緊張した状態で
指導を受け始めました。
小学校4年生ごろから6年生ぐらいの子供たちをゴールデンエイジと言うそうです。
身体はどんどん成長し、頭もどんどん成長し、いろいろなことの基本を吸収し、覚え、成長して、一生の間で
最も成長する時期だそうです。
「ゴールデンエイジ」という言葉を強く覚えます。
奇跡のレッスンを受けて子供たちが劇的な成長、変化していく姿が撮られていました。
ボールを追いかける子供たちの目が輝き、これまでよりも生き生きしていました。
そればかりでなく、母親だけでもなくスーツ姿の仕事帰りの父親もレッスンを熱心に見に来るようになったのです。
子供たちの目線に合わせ、決して怒ることなく、優しく、ユーモアを持って、考えることの大切さを伝えていました。
失敗を恐れないで、小さな失敗を繰り返すことで、後で大きな成功を得ることができる。
リスク無しの成功はない。何度でもチャレンジすることの大切さを伝え、子供たちが自信を持つようになる指導をしていました。
そばで見ていた親も、サッカーチームのスタッフも、目の輝きが変わって行くのが感じられました。
番組途中で後ろ髪をひかれる思いでしたが、大切な墓参りに行きました。
先週は盛岡、今週は浜松にいます。御主人様の故郷です。
御主人様は、浜松で育ち、浜松の大学で医師となり、浜松で生きてきました。
悪い男にだまされて東京の方へ嫁に行ったと言われて、実は東京を通り越してハワイの方まで流されてしまいました。
浜松と房州千倉は同じ太平洋に面し、ほとんど同じ緯度です。
浜松は遠州灘という海岸線に日本三大砂丘の一つ中田島砂丘が広がっています。
毎年5月3日から5日まで浜松祭りが開かれ、海岸ではでかい凧揚げ大会が昼間に開かれ、街中では山車が夕方から引かれ
大賑わいとなります。ものすごい人の数となります。
徳川家康が浜松に城を構え勢力を伸ばしてきたので、浜松城を出世城と呼ぶそうです。
徳川家康が晩年過ごしたのは静岡・駿府城であり、富士山を愛していたとのこと。
だから、私が良く見る東京から見る富士山は、富士山のお尻を見ているんだと御主人様は言っています。
ならば、富士山の肛門ってどこにあるのだろうか?
農業先進地域でもあり、日本を支えてきた物つくりの地域でもあります。
ホンダがあり、スズキがあり、ヤマハがありました。
ヤマハ楽器があり、河合楽器があります。
日本を代表する企業があり、日本を牽引してきた街でもあります。
しかし、日本が風邪をひいたように浜松も風邪をひき、企業、工場が外国へ流出してしまい街の空洞化が進んでしまいました。
もう一度、浜松が復活し、浜松が日本を引っ張り上げる街になってもらいたいです。
静岡は東西に長く、東は沼津、島田、富士、中央に静岡、西に浜松が位置しています。
それぞれに文化もあり、東は東京を向き、中央は官庁があり、西にある浜松は静岡をライバル視し
汗水を垂らして頑張ってきました。
だから、新たに医科大学を作ろうとした時に、なにがなんでも浜松に作ろうと浜松医科大学を作ったそうです。
電気は中部電力、新聞は中日新聞、天竜川の西にあるので電気は60Hz。
「浜松は西日本? それとも東日本?」という私の質問に、御主人様は元気よく「中央日本!」と答えます。
浜松は東京から新幹線で1時間半、良い故郷です。
人間は、殺しあう本能を持っている動物だと思います。
人類の歴史は戦争の歴史でもあると言われます。
イスラエルとパレスチナの戦いは、パレスチナが石ころを投げるとイスラエルがミサイルで打ち返すという
圧倒的な力の差があっても、50年以上紛争は続いております。
やられたらやり返すという報復の連鎖は繰り返され、止めることができないのです。
現在、世界のどこかで戦争、紛争が起きています。
しかし、人類史上、現在の地球が最も戦争犠牲者の数が少ない、最も平和な状態になっているそうです。
感情だけだと戦争が続いてしまいます。
感情をコントロールすることが理性であり、文化となり、文明になるのでしょう。
現在の日本国憲法は、第二次世界大戦敗戦国として押し付けられた憲法であり、自主憲法を作るべきである
という意見があります。また、時代時代の流れの中でミスマッチしてきているところがあるので、
時代に合った憲法を作るべきだという意見もあります。
憲法を改正することと憲法9条を改正することを一緒くたに考えてはだめです。
憲法と法律は違います。法律は、社会が健全に運営されるためのルールです。
それに対し、憲法は、間違った法律を作らせないよう、間違った政治が行われないようにするための上位法律なのです。
今の政治を観ていると、正義という名の下で再び戦争ができる環境を作ろうとしています。
選挙状態が違憲状態であるにも関わらず、合憲状態に持っていくことができない今の政治家を信頼することはできません。
私たちの未来を託すことはできません。
人間は、戦うという本能を持っています。その本能をコントロールするものが憲法です。
私は医師です。とにかく命を守ることが、私のMissionです。
ですので、戦争を絶対に起こさせない環境は、維持させなければなりません。
日本国憲法第9条を改正することは反対です。
日本国憲法第9条は、後世に引き継がなければならない世界遺産となります。