~ 理事長のブログ ~

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2016年10月30日(日)

病気は自分で治すもの、ここはそれを手伝うところ

医者にかかっていながら何で病気になるんだ!
病院に入院していながら何で死んでしまうんだ!
っと怒られる時代になってしまっている。何かが変だ!

胸部X線検査で異常陰影があったので病院に胸部CT検査を依頼しました。
私の知らないところで大騒動になり、嫁が、娘が、家族が心配になり大挙して病院にCT検査に同行したそうです。 依頼検査なので後日結果が松永醫院に行くと病院スタッフから説明を受けると、ほとんど会ったこともない嫁が検査の意義をなぜきちんと説明しないのかと怒り始める。。。
「これでは松永醫院を受診する意味合いがなく、直接病院を受診した方が良かった・・」と

こんなクレームは初めてで、驚きである。
「かかりつけ医」ということを理解してくれていない。

「なぜ、納得するように説明してくれないのか」という問いには「なぜ、納得するよう聞いてこないのか」と答えたい。
できるだけ患者さんに納得して頂くよう説明しているつもりだが、いつも完璧は無理。
患者さんご自身、ご家族も良い医療を受けるためには、私たち医療者と信頼関係を構築し、情報交換を行い、共に一緒になりながらBest Interestを目指すことが必要です。

また、国も日本医師会も勧めている「かかりつけ医」というシステムも理解する必要があります。
健康に関して、いのちに関して、何でも相談できる「かかりつけ医」を持つことで、健康を維持し、病気を早期に発見し、重症化させないようにする。かかりつけ医ができないことは、効率的な検査を依頼したり、専門医に紹介したりとゲートキーパー的な存在で市民のいのちを守ることです。

「かかりつけ医」を持つことで、安心を提供し、無駄な高度医療を防ぎ、無駄な救急要請を減らすことができます。 とっても大切なことです。
皆さんは、自分たち家族のかかりつけ医をきちんと持っていますか?

朝から調子が悪いのに深夜になって救急受診する。
車もないし、早く見てくれるからと言って、救急車にて受診する。
待合室で子供が走り回り、騒いでいるのに、お母さんはスマホでゲームをしている。

日本の社会は決して豊かにはなっていない。どうしたらよいのだろうか。




2016年10月26日(水)

継続は力なり

本日のブログ、200回目です。日増しに文章が長くなっていると文句言われそうです。
文章能力の無い私、受験時は唯一偏差値50代、試験失点の8割が国語によるものでした。
そんな私が、なんとなくブログを書き、日頃の出来事を頭の中で整理整頓し、文字にして記憶化してきました。

継続は力なり。少しは文章能力が高まったでしょうか。
毎日リハビリを繰り返し、元気になろうとする患者さんの気持ちが理解できます。

私がブログを書き始めたのが2014年12月からです。
1年間に約100個のブログを書いて来たことになります。
だいたい週2回ほどブログを更新してたことになるでしょうか。

振り返って、気に入っているブログが2014年12月24日「Merry Christmas」です。

私が尊敬する尼崎市で開業している長尾和宏先生が、朝日アピタルで2000日毎日ブログを書いていました。 5年とチョットの期間、毎日ブログ更新をしていたのです。
「長尾和宏の町医者だから言いたい!」(外部リンク)

継続は力なり。
口で言うことは簡単。不平不満を言うだけで終ってしまったら、ロクでもない。
実行するかどうかが大切です。思いを実行に移すことが成功の秘訣となります。
そして、できそうでできないこと、最も大切なことは継続することです。

私の住む千倉町で、土曜日の夜7時半から9時半まで卓球の練習が行われています。
卓球を愛する仲間たちが集まり、2時間汗をかくのです。
その同好会で中心的に運営してきて下さったのが、伊藤良則先生と斉藤さんご夫婦です。

土曜日の夜のSaturday Night Fever、やることたくさんの楽しい時間帯
私は、勉強した後の楽しいカッポレ時間帯、だいたいがお江戸で沈んでいきます。

この卓球同好会を、なんと40年間にわたり運営してきたことに尊敬の念を持ちます。
卓球が好きだからできることかもしれませんが、普通の人はできません。
尊敬します。

伊藤良則先生は、元校長先生、私を卓球に導いて下さった方であり、現在私の娘・夢が教えて頂いております。 私が千倉へ来てからだから50年以上のお付き合いになります。

斉藤さんご夫婦の奥さんには、習字の師匠としていくつかの私の介護施設でお祖父ちゃん、お祖母ちゃんに書道を教えて頂いております。ボランティアで15年ほど続いています。

私が松永醫院を引き継いで約20年、目の前の患者さんの10年未来のいのちを守るため、様々な工夫をしてきました。 生きることは、食べること、笑うこと、愛されること。
美味しいものを食べて怒る人はいません。思わず笑って怒る人もいません。

これからも、死ぬまで千倉のいのちを守るために地域医療をやり続けます。
千倉が日本で、地球で最もいのちが輝く地域に、こころが優しい地域に、しあわせを感じられる地域になるよう努力し続けます。




2016年10月20日(木)

街に暮らす

18日(火)の夜、「街の中で生きて」というスウェーデンの映画を観ました。
大きな障害者施設を解体し、障害者たちを地域の中にあるグループホームなどの住居に引っ越していただき、街の中で暮らす政策をスウェーデンがとったのです。

目からウロコでした。

お化粧をし、きれいな服を着て、自分で選んだネックレスを付けて外出しています。
レストランでは自分でメニューを決め、そしてお金を支払う。買い物もする。
当たり前のことを、オシャレをしながら、自分で選択しながら、外出しているのです。

大型障害者施設に入所していた時にはあり得ない光景でしょう。
施設から与えられた衣服を着て、ただ目の前に運ばれた食事をとり、決められた一日のスケジュールに従うのみです。 何も考えずに、ただボ~と一日が過ぎていくだけです。

施設に入っているお祖父ちゃん、お祖母ちゃんに「何を食べたいですか?」とたずねると
「別に・・・」
「何をしたいですか?」という質問をすると
「別に・・・」とノッペリ状態となっています。

朝起きて、「今日、何しようかな」「今日、何食べようか」と考えることが「その人らしさ」
施設に入ると、「その人らしさ」が消えていきます。
一日のスケジュールが決まり、1ヶ月先のメニューが決まっています。

「今日、なにしようか」「今日、何食べようかな」と考えても、叶わぬ思いとなります。
叶わぬ思い、考えることだけで悲しくなるのなら何も希望せずに生きた方が楽になります。
施設に入ってしまうと「その人らしさ」が消えていくのです。


ハンセン氏病、社会的に偏見を持たれ、社会的虐待を受けていたため、ハンセン氏病の患者さんたちが自分たちで自分たちのユートピアを作ろうとハンセン氏病の施設を作りました。
しかし、そこでは看る側、看られる側による立場の強さの違いがあるために、強者と弱者が生まれてしまいました。

そして、生きることを社会的に消されてしまい、尊厳も無く、虐待も日常的に起きていたハンセン氏病患者さんの収容施設になってしまったのです。

閉ざされた社会は歪み、カビやすく、腐りやすく、バランスを崩しやすいのです。
開業医の世界も、閉ざされた社会に陥りやすいです。
一生勉強しなければならないのが医師の世界。でも、一生勉強しなくてもどうにかなるのが開業医の世界。

ゴチャマゼが良いのです。
障害児だけ、障害者だけ、高齢者だけ、の世界はバランスをとることが難しく、崩れやすい社会なのです。
やっぱり、ゴチャマゼが良いのです。

施設に入っていた障害者が、街の中で暮らしてもらう。
国の方針で街の中で暮らすことになったのですが、障害者自身は不安に思ったでしょう。
しかし、それ以上に障害者のご家族は不安に思ったことでしょう。

一歩を踏み出す、実際に街の中で暮らしてみる。そうすることにより革命が起きたのです。
お化粧をして、ペンダントを付けてオシャレになり、レストランへ食事に行く。
たくさんのメニューの中から自分の好みに合うものを選び、自分で食べる。
ノッペラだった顔に笑顔が増え、「その人らしさ」が復活してきたのです。

映画の中では、地下鉄に乗り仕事に向かい、自転車に乗り買い物に行っていました。
障害者が街の中に出ていくことにより、普通の市民との会話が生まれ、困っている障害者がいると市民が手伝ってくれます。

市民と障害者がゴチャマゼになることにより、何が足りなく、何が問題なのか見えてきます。
そうすると市民同士の工夫が始まり、互いに助け合いが始まります。互助の世界です。
障害者が街の中で生きることにより、地域力、福祉力が育つのです。

日本の普通の社会、何か問題が起こると老人でも障害者でも施設に収容される施設収容型問題解決社会です。 どこの施設でもかまわないから施設収容すれば一丁上がり!の社会です。
そうすると、問題が地域から消えていきますので問題を解決する工夫が始まりません。
地域力、福祉力が育たないのです。

障害者だけでなく高齢者も一緒になりながら、街の中でゴチャマゼになりながら暮らす。
「その人らしさ」が復活し、笑顔が生まれ、地域力、福祉力が育まれるだろう。
私たちは、そんな方向を目指していくべきではないだろうか。

街の中でゴチャマゼになりながら暮らす。やっぱり良いことです。大切なことです。

障害者施設で看てもらっていた障害者が街の中で暮らして、社会的に自立して生きていくことは困難です。 やはり、障害者の生活を支える支援者が必要になります。生活支援員です。

映画では8人の障害者が暮らすグループホームに、その倍以上の20人近くの生活支援員がかかわりを持って障害者の自立を支えていました。それだけ多くの生活支援員がいないと、障害者を人として支えていけないということでしょう。

スウェーデンでは、日本の配置基準の倍以上のスタッフが障害者を支えているのです。
つまり、障害者だけでなく要介護状態の高齢者を支えるスタッフの数は日本以上にスウェーデンの方が多く、介護福祉に使われる社会保障費の割合は日本以上に多くなっているでしょう。

本当に、障害者が増え、要介護状態の高齢者が増え、社会保障費が膨らむと日本は沈んでいくのでしょうか。 全てのマスコミが、多くの有識者が、「高齢者が増え、社会保障費が膨らむと日本はつぶれる」と言っています。 本当でしょうか。

私は、この論理は間違っていると思っております。
このスウェーデンの映画「街に暮らす」を観て、尚そらその思いを強くしました。
命を守るために医療、介護、福祉にお金を費やすことは、未来への投資であること。
決して無駄なコストでは無いということを証明しているように思えます。

あと、映画を観ていて気になることがあります。
医師の臭い、医療の臭いがあまりしていなかったことです。なぜだろう。
私たち医師は、いのちにこだわっています。どんないのちであろうと、輝いてもらいたいと。

無色透明のゴチャマゼへ
地域医療とは、優しく地域へ突き返すこと






2016年10月18日(火)

平日の夜に東大病院で

10月13日(木)平日にもかかわらず東大病院で行われた在宅医療の勉強会に出席しました。
日本医師会会長である横倉義武先生、国立長寿医療研究センターの大島伸一先生、元厚労相トップ・現東大教授の辻哲夫先生の超有名なビッグ3の話を聞きに行ったのです。

平日の夜にもかかわらず、お江戸の勉強会に出席できるのは吉岡玲奈先生が松永醫院へ来て下さったからです。 私が留守にしている間、吉岡先生が患者さんのいのちを守ってくれるからです。
感謝します。そして、もっとその恩恵を活用していこうと思っております。

日本医師会会長の横倉先生からは、かかりつけ医の大切さを教えて頂きました。
かかりつけ医制度の浸透と質の向上のために日本医師会が道を作り、各地域の医師会が地域に合わせたかかりつけ医制度を構築していく道標を語って頂きました。

いのちに関わることは何でも相談にのり、治せるものは治し、治せないものは専門医に紹介する。
そんな当たり前の医療を実践する医師をかかりつけ医と呼びます。

いのちのゲートキーパー、相談役です。かかりつけ医を持つことにより
風邪で大学病院を受診する、咳をしただけでCTと撮りに行く、心配で救急車要請をする
そんな無駄な医療を減らすことができます。

ただ、私、かかりつけ医としてすでに実践しております。

大島先生からは、医師として、プロフェッショナルとは何なのかを突きつけられました。
私に足りないことは、学問。 と思っておりますので、痛かったです。

辻先生からは、元厚労相トップ、政策立案者としての発想、そして実践する工程を学ばさせて頂きました。
虫の目、鳥の目が大切です。目の前の一人一人を大切にし、10年未来の日本を守る考え方です。

今回の勉強会、超高齢化という津波が襲ってくるというお話を伺いました。
少子高齢、高齢多死の時代、介護難民の時代を迎えることになります。

超高齢化という津波、来るのがきちんと分かっているのだから今から準備をしなければなりません。
しかし、人間ってアホな動物。命題、課題は明らかにわかっているのに、解決することができないのです。

タバコは百害あって一利なしなのに、いまだに販売している。
戦争は誰もがNOと考えているのに、世界のどこかで戦争を繰り返している。
温暖化で地球が壊れてきているのに、有効な温暖化対策を打てないでいる。

高齢者は子供の10倍医療費を使いますので、高齢者がドンドン増えてくれば医療費が増えるのは当たり前です。 バランスの取れた適切な医療費の伸びが必要な中、現在の日本の医療費は異常に圧縮され過ぎていると考えています。

胃カメラ・上部消化管内視鏡、日本は1万2千円ほど。アメリカは10万円ほど
大腸ファイバー・下部消化管内視鏡、日本は2万円からおつり。アメリカでは30万円ほど
盲腸の手術、日本は50万円ほど、しかも1週間の入院。アメリカは250万円、しかも日帰り手術

日本の医療技術代、こんなにも安くたたかれているのです。知っていました?
利益を確保するためには数をこなすしかなくなります。2時間待って3分診療の世界です。
年々医療単価が下がるも材料代はそれほど下がらないので、人件費を削るしかなくなります。

メディアでは、医療費が膨らむと日本が沈んでいくと言っております。
本当に、高齢者が増えて医療費が膨らむと、高齢者が日本をつぶすのだろうか。
本当だとすると、高齢者は社会のお荷物になってしまいます。
私は、高齢者を大事にしない社会には未来が無いと考えています。

今から30年ほど前、大学病院よりも大きな病院が鴨川にあり、鴨川は亀田につぶされてしまう!という噂がありました。 それが今、大切な若手の働き口となり、都会に行かなくても最先端の医療を受けることができ、いのちの安心安全が日本一の地域となっています。
亀田メディカルセンターは、安房地域の無くてはならない産業となっているのです。

本当に、医療費が膨らむことは、日本が沈んでいくことになるのだろうか。
私は間違っていると考えています。医療に費やすことは、未来への投資だと考えています。
医療を一つの産業だと考えれば、医療費が伸びるということは医療という産業が伸びることになります。 つまり、医療は成長産業なのです。

「医療に費やす、いのちに費やす」大切なことです。
コストがかかる、無駄な消費では無いです。
いのちの安心安全のため、未来への投資だと思うのです。

130万人もの人が亡くなり、100万人の子供が生まれてくる日本。

超高齢化問題が問題だとは思っておりません。
実は、一番の問題は少子化問題だと考えています。
子育て対策ではなく、子作り対策。適切な少子化対策が図られていないと思います。

平日の夜、東大病院で勉強をしました。
東大の在宅医療に対する気合いの入れ方を感じたのです。

勉強会が終った後、久しぶりに湯島にある「大喜」(だいき)でとりそばを食べたのです。




2016年10月13日(木)

10月10日

急に涼しいを通り越して寒くなり、初冬の趣です。1週間前には気温30℃を超えていました。
夏と冬が隣り合わせになり、温暖化の影響で地球が壊れてきているのでしょうか。

10月10日、久しぶりの体育の日です。東京オリンピック開会式のあった日です。
焼き肉の日でもあります。(ジュ~ジュ~)
目の日、眼鏡の日でも有るようです。
転倒予防(テントー)の日、転ばないよう元気を維持する日でも有ります。
そして、私のご主人様の誕生日でもあります。

「お父さん28歳!お母さん26歳!」と娘たちに言っております。
末娘、小学校の1年生の心優、去年までは信じて「おめでとー!」と言っておりました。
今回、「ち・が・う」と一言、通用しませんでした。

ご主人様、昔は日本全国誕生日を祝っていてくれたのに・・・と残念がっております。
体育の日が10月の第2月曜日となり、今年は久しぶりの10月10日となりました。

10月10日の私の一日
朝6時半に千倉を出発し、朝8時から開かれる新宿京王プラザホテルで行われる第30回日本臨床内科医学会に出席しました。 この会、初めての参加です。

臓器別、疾患別に診る専門医療ではなく、人を丸ごと見る医療の流れには
 1.開業医を中心に、人を丸ごと診る実地医家の流れ
 2.大学病院などの大病院における総合診療の流れ
 3.アメリカから導入されている家庭診療の流れ
 4.自治医科大学を中心とした過疎地域医療の流れ
 5.在宅医療も行っている一般病院の地域医療の流れ
があります。

私の医療のスタートはみさと健和病院ですので、5番目の在宅医療も行っている地域医療病院の流れになります。

そして、今、私が大事にしたい流れとしては、1番目の実地医家の流れです。
実地医家の創始者である永井先生から、かつて「町医者なんだから24時間、365日、常に患者さんのために尽くしなさい!」というメッセージをもらいました。

今回の日本臨床内科医学会は実地医家の流れがあることを知り、参加したのです。
普通の学会は朝10時頃から始まるのですが、朝8時からのスタート。
テーマが「真の健康長寿社会を目指して ~今、実地内科医がすべきこと~」です。

午後1時過ぎ、少し早めに京王プラザホテルを出て、新宿のデパ地下で買い物をしました。
夜の誕生日晩餐会の準備のためです。相変わらずの肉祭り、ときどき魚のパターンです。
誕生日ケーキも買いました。Troisgrosのチョコレートケーキです。

千倉に戻ったのが午後4時。直ぐに往診に1件うかがい、診療所に戻って溜まった介護保険の意見書を書き、ジョギングをして自宅に戻ったのが6時頃でした。
途中、Birthday Wineを青木屋さんへ、ソムリエ彦ちゃんにお願いして選んで頂いたブルゴ赤のエシュゾーを買いに行きました。

かつて住んでいた海の前に立つマンションの大風呂に入りに行き、御飯の準備をして、
美味しい御飯を食べ、一日が終りました。

ご主人様、いつも有難う。
だんだんと、子供たちが怒られるように私も怒られているような気がしています。

使ったら、戻す!
開けたら、閉める!
付けたら、消す!

できないんです。
私、パンツをメガネ状態で脱ぐ人。
整理整頓ができないんですよね・・・。

今週も、整理整頓する時間がなかった・・・。











2016年10月10日(月)

プリウス

先週末、4代目プリウスがきました。おろしたての真っ赤なパンツ状態です。
おろしたてなのでおさまりが悪く、座っていて違和感があり、ボタン操作に慣れていません。

おろしたてなので無茶な運転は控えています。優しく運転しています。
でも、この1週間で東京4往復し、1000 Km走っています。一般道はエコドライブを意識し30 Km/Lで走り、高速道路は時速120 Kmを超えないように走り25Km/Lほどで運転しています。

ところが
アクアラインの下り、時速120 Kmを超えてしまいました。
大井ジャンクション、一番右端のETCゲートに入り、一気に8車線ほど左へ横断して新宿に向かったりします。

プリウス PRIUS ラテン語で「~に先駆けて」という意味です。未来へ通じています。
4代目プリウス、燃費がさらに良くなっています。運転の安定性も高くなっております。

道路から外れようとすると警告音が鳴り、ハンドルがわずかに元に戻そうと作動します。
そのため、ハンドルがガタガタすることなく、スムーズに道路に沿ってハンドルが動きますので乗り心地の良い運転ができます。

困ったことは、田舎道路をショートカットして運転をすると警告音が鳴りっぱなしになり、「休みを取るように!」というメッセージが出てくることです。余計なお世話です。

初めて乗ったのは2代目プリウスからです。
1代目プリウスは、燃費が良くなるためにタイヤ幅が細く、乗り心地があまり良くなく、車の形も今ひとつでした。あまり走っているところを見たことがなかったです。

2代目プリウス、感動しました。とにかく燃費が優れています。
それまで乗っていた車の燃費はせいぜい15 Km/Lだったのが20 Km/Lに達し、居住空間も広く感じ、静かで、パワーもあることでした。セリカと同じパワーだそうです。

その当時、こんなに優秀な車なのにそんなに乗っている人がいませんでした。
みんながあまりプリウスに乗っていないことに苛立ちを覚えました。

それが、今、ベストセラーの車になっています。

2代目プリウス、安房地域で購入したのが3番目だと教えて頂きました。
ならば、3代目プリウスは地域一番目の購入を目指そうとしました。
結果は、千葉県で一番目を獲得しました。ディーラーの人に日本で一番ではないですか?と質問をしたら、千葉トヨタだから千葉県のことしか分からないと答えていました。
私は、日本いや地球で一番早く3代目プリウスを購入した!といまだに信じています。

そして、今回の4代目プリウス。発売から1年ほど遅れての購入。

ご主人様に、「次の次の車の色は何色がよろしいでしょうか?」と私が質問しました。
ご主人様、「次の車の色ではないの?」と返事をしてきましたので、私は「次の車の色は青色と既に決まっていますよ!」と答えました。
ご主人様と娘たち、「じゃ~、赤かな!」。

ってな訳で、赤いプリウスが私のところへやって来ました。




2016年10月5日(水)

ノーベル生理学医学賞

ノーベル生理学医学賞、3年連続で日本人が選ばれました。日本人の勤勉さのたまものです。 大隅良典先生、おめでとうございます。オートファージ、細胞の老化と密接に関わっています。
実は、私も少年時代、ノーベル賞を夢見ていました。将来は科学者になり、アメリカあるいはヨーロッパの国に留学して、研修生活をしてみたいと夢見ていたのです。
芝生が広がり、大きな屋根の家に住み、白人のWifeがいたり・・と妄想が広っていました。

いったい、私がノーベル賞を諦めてしまったのは、いつの頃だろう。
東京理科大学薬学部を卒業し東京医科歯科大学へ再入学した時、友人から「お前は目の前の患者さんの命を一つ一つ丁寧に救え。俺は何億人ものの命を助ける薬を開発するよ。」と言われました。遠い世界ではなく、肌の温もりの感じられる地域へ。世界は小さくなりました。

父・松永春二の診療所を受け継ごうと千倉へ戻った時、私は「英語と医学を捨てた!」と思ったのです。
でも、私も医者。やはり医学を求めたい。学問もしたいと考えています。
「ノーベル症とは、ノーベル賞を求めたいと夢見て忘れかけている、でも、一念発起し人類のために、地球のために努力・実践しようとする状態のことをいう」と勝手に定義します。

少しだけ、英語の勉強を開始しました。
少しだけ、プライマリーケアの勉強をしています。

3年前の山中伸弥先生、iPS細胞で受賞しています。でも、落ちこぼれの整形外科医でした。
昨年の大村智先生、イベルメクチンを開発し、発展途上国の何億人ものの命を助けました。
疥癬の薬でもあります。大村先生は、医師ではなく、元高校教師の化学者です。
今回の大隅良典先生も、医師ではなく科学者です。
医師でない科学者がノーベル生理学医学賞を取っていることが、ポイントです。
医師ではノーベル賞をまず取れません。

ノーベル賞を取るような研究はオリジナリティーが高く、24時間365日、朝から夜遅くまで研究に没頭した天才しか取ることのできない賞だと思います。
天才とは、誰も止めることのできない努力をしまくり、ただ、本人はそれを努力と思っていない人です。

医師としての仕事は、臨床と研究と教育の3つです。どれも大事です。
医師になっての数年は、朝7時頃から夜8時頃まで病院の中で外来、病棟、検査をし、後輩の教育も並行しながら行い、やっと夜9時過ぎに動物実験室に行き研究を行います。

睡眠時間は3時間ほどの毎日。おかげで、どこでも寝られるようになります。
深夜の実験も、眠くて集中できないことも多いです。
こんな環境で、オリジナリティーの高い研究ができるのだろうか。無理です。
24時間365日研究している人たちに勝つことができるのだろうか。不可能です。
だから、医師では無理なのです。

辛口をもう一つ。

3年連続のノーベル生理学医学賞の受賞、今の日本が頑張っているように勘違いしてしまいます。 今の日本、頑張っていません。頑張った昭和の時代、1990年代の努力の結果、ノーベル賞を取ることができたのです。 過去の日本が、頑張ったのです。
遊ぶこともせず、家族のために家族を捨て、社会から切り離れ、努力、工夫をし続けて研究し続けた結果なのです。

過去の日本が評価されただけなのです。
そして、これからが大切です。

タバコを禁止し、健康長寿の国を創りましょう。
戦争のない平和な国を創りましょう。
温暖化対策を実践する、環境に優しい、世界をリードする国を創りましょう。
こころが豊かで、しあわせを感じることのできる国を創りましょう。




2016年10月2日(日)

食欲の秋

もう10月です。すっかり秋めいて来ました。今年もあと3ヶ月、早いものです。
実りの秋、実り多き穂ほど頭を垂れる。
秋は、夏の太陽のエネルギーを溜め込んで、実を結び、厳しい冬に備える季節です。
食欲の秋でもあります。

皆さんは
朝日と夕日、どちらが好きですか?
春夏秋冬、いつの季節が好きですか?
エビフライは最初に食べますか?最後に食べますか?

千倉は、太陽が海から昇り、山に沈んでいく町です。
ですので、山裾が赤く映えて見えますが、夕日を見ることができません。
若い頃は朝が苦手であることもあり、朝日を見ることもなく、滅多に見ることのできない夕日に憧れていました。 今は、歳のせいもあって朝早く目を覚ますので、日本一の朝日を拝んでいます。

少年平太は、夏休みがあり、海に潜れる夏が一番好きでした。
青年平太は、東京に出て行き、東京砂漠の猛暑にやられてしまい、夏が一番苦手になってしまいました。
オッサン平太は、少し前は桜が咲き、日が長くなる春が好きでした。
今は、日が短くなる下り坂の季節で、実りが多き季節でもあり、食欲の秋が大好きになってきています。

エビフライ、私は一番最後に食べます。
私のご主人様、一番最初に食べるそうです。
私は、一番美味しいものを最後に食べることを楽しみに食事をとりますので、最初に食べてしまうと目標を失ってしまい、何を目標に食べたら良いか分からなくなってしまいます。
ご主人様、一番美味しいものを、一番お腹が減っているときに食べるのが、一番美味しい!

食欲の秋
娘と待ち合わせする場所の直ぐ近くに、気になる料理屋さんがあります。
美味しそうに食事をするお客、楽しい会話をしながら食事を提供するスタッフ、美味しそうな料理を楽しそうに作る板さんの姿が、外からガラス窓越しに見えるお店があります。
「菊うら」という名のお店で、先週、とうとう行ってきました。秋の味を堪能しました。











この週末、とっても気になっていた大先輩と食事をしました。
千倉の大先輩で、田舎の大企業である町役場を若くして辞め、日本を代表する企業で活躍し、執行役員になられ、国の政策にも精通し影響を与えている方です。千倉を思う気持ち、強いです。
静かにお話しをし、争うことを嫌い、根気よく実行し続ける大先輩だと思います。

その大先輩と、私が日頃とってもお世話になっている本吉さん小宮さんと、千倉の美味しいイタリアンレストラン「テラッツァ」で食事をしました。

シルバーを超えたプラチナ軍団です。これから、いろいろ教えてください。


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