~ 理事長のブログ ~

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2022年03月31日(木)

千倉小学校卒業

本日の朝、娘のココロをスクールバスに送り、12年間の小学校業務が終了しました。
長女のユメが千倉小学校を卒業して末娘のココロが新1年生で入学しましたので、全部で12年の経過となります。振り返ると、アッという間の12年間です。早いものです。



長女のユメが6年生の時の校長先生は、私より年上でした。
末娘のココロが6年生の時の校長先生は、私より年下でした。ですので、PTAでは「ココロの父です。おジイちゃんではないです。」と自分が傷つく前に自己紹介していました。

私の仕事は地域医療。地域医療という言葉があるのなら、地域教育という言葉もあるのだろう。地域の子供たちを育てるのは地域の住民。そんな地域教育の場が小学校となり、歩いて登校する子供たちの笑い声が地域の潤いとなり、挨拶が地域の元気になります。

小学校5,6年生はゴールデンエイジと呼ばれ、その時に得た知識、思い、優しさと思い出は一生の宝となります。だから、できるだけ多くの優しさと思い出を経験してもらいたいと願い、したことがなかったPTA活動、学校医として学校経営に参画してきました。

東日本大震災で津波に襲われながらも犠牲者を作らなかった宮城県石巻市の門脇小学校の鈴木洋子校長先生をお呼びしました。そして、命の守り方、日頃から災害訓練を真剣に行うことの大切さを教えていただきました。石巻とは同じ海でつながっています。

東日本大震災・魂の語り

日本で唯一の地上戦が行われた沖縄から20代の美ら語り部太田光さんに来ていただき、戦争の悲しさを語っていただきました。国民を守るはずの兵隊さんが、防空壕に逃げこんだ女、子供たちを押し出し、生き延びようとした戦争。絶対に避けなければなりません。

沖縄から届いた平和・27歳の美ら
沖縄から届いた平和・27歳の美ら・その2

田舎は、学力的には都会には勝てません。しかし、挨拶がしっかりとでき、困っている人がいれば温もりのある手を差し伸べる優しい子供たちを育てたいと思い、千倉小学校に参画し、心の授業を行いました。その中で、子供たちに観せたYouTubeを紹介しますね。



教育は、日本の未来を創る国家プロジェクト。でも、今一つ。
今の子供たちは、大人同様に幸せを感じていないように思えます。
しかし、私は、命を大切にし、心豊かな、夢を語れる子供たちを創るために努力しよう。


2022年03月23日(水)

3月の雪

3月、順調に暖かくなり桜が咲くかと思ったら突然の雪。驚いちゃいますね。
でも、「なごり雪」という曲を思い出し、卒業、別れ、新しい門出の季節でもあることを思い出します。青春時代に聴いたイルカ、作詞作曲のかぐや姫の伊勢正三、懐かしいです。



小学校を卒業したココロ、松永家初めての田舎からの中学受験を経験しました。
お姉ちゃんの学校へ行きたいという言葉で始まり、ならば日本一の女子学校を目指そうと頑張ったこの1年。結果は間に合わなかった、残念。でも、良い経験になりました。

私の小学生時代、夏はスイカの種を飛ばし、冬はコタツでミカンを食べていました。
今の中学受験、理科なら物理、化学、生物、地学の全分野を広く、深く学ぶように大学受験より多くの知識を学びます。しかも、膨大な問題量を解きますのでスピードが大切です。

時事問題も出ますので、気候温暖化、オリンピック、ノーベル賞など様々な社会現象を理解し、自分なりの考えをまとめます。また、ものすごい量と質の学力形成と同時に、人間形成も意識して塾では指導しております。中学受験は引っ張り上げる教育、スゴイです。

中学受験はたった1回のチャレンジ、何度でもチャレンジできる大学受験とは違います。
小学生から勉強する習慣が既に獲得され、高い目標とレベルの高いライバルと競い、地球貢献を意識している子供たちがいることを知り、日本の未来は明るいと安心を得ました。

ユメ、より良い社会貢献をするためには質の高い知識と知恵を学びたいと東京の女子高へ行きました。しかし、コロナ禍のためにボストン留学流れ、学校の行事が中止となり、非常に薄っぺらい高校生活になってしまいました。そして卒業、そして修行の身となります。

3月、私の誕生月でもあります。ご主人様と娘たちから誕生プレゼントを頂きました。
肛門に優しいパンツ、ウクライナの青い空の色をしたコットン100%のパンツです。
肛門を優しく包み込んでくれますが、色が派手で皆様には見せられません。

あと、名札入れとキーホルダーを頂きました。
何故か、イタリア製と書いていながらMADE IN CHINAと書いてあるのです。。。
青木屋の彦ちゃんからのお勧めのイタリアンワインを美味しく呑み、毎日に感謝します。



娘たちは互いに卒業アルバムを見せ合いながら、学校生活を懐かしんでおります。
傘をなくすのが得意な私、今までの全ての卒業アルバムをなくしております。
どこに行っちゃうんだろうか。懐かしい青春。ウクライナにも春が来ますように。


2022年03月15日(火)

がん教育

私たちは、子供たちのために頑張れる。
子供たちのためにということは、未来のためにということ。
だから、子供たちを通じて地域を変える試みをしました。

社会のためにと思い、自民党、共産党など様々な政党を応援します。
国のためにと思い、戦争を起こしているプーチンがいます。正義は人それぞれ。
でも、子供たちのためにということは、全ての人の願い、共通目標となります。

Child to Child:マスク、手洗いの大切さを教え、家に帰ったら弟、妹にも伝えようね。
Child to Parent:タバコの害を伝え、もし親が吸っていたら止めるよう伝えようね。
Child to Community:子供たちのために、環境を守り、戦争など絶対に起こさないと誓う!

子供たちも、家族、地域、社会を変える力を持っています。
「がん教育」は、命の大切さを伝え、命を守る方法を伝える健康教育の国家プロジェクト。そのがん教育を、私の母校であり、学校医をしている南房総市立千倉小学校で試みました。



100人の村があります。半分の50人ががんにかかり、1/3の33人ががんで死にます。
1/2―1/3=1/6である17人は、がんになったけど助かった癌サバイバー。助かるがんを見つけることが医師としてのミッションなので、がん検診を受けてもらうことになります。

アメリカの医療費は高く、癌にかかると治療半ばでお金が無くなり、治療中断し、自己破産する現実があります。なので、アメリカ人は安いがん検診を受けます。それに対し、日本は医療アクセスが良いので困ってから医療にかかり、がん検診を受ける人は国際的に低いです。

がんから命を守るためには早期発見、早期治療が大切。症状が出てからでは間に合わないと考えた方が良いです。若くて健康な人を襲い、いのちを奪うのががんです。ですので、定期的にがん検診を受ける必要がありますが、日本では若い人ほどがん検診を受けません。

子供たちにタバコを吸うな!ウンチは毎日出せ!とがん予防を伝え、がんという病気は何か、早期発見早期治療の大切さを伝えました。そして、今日学んだことを自宅へ持ち帰り、親に説明し、がん検診を受けるよう伝えることを宿題としました。

コロナ禍のためがん検診を受けることが困難な現在です。しかし、子供を通じて親世代ががん検診を受けるよう促し、がん検診受診率を上げ、助かるべくいのちを助けたいです。
子供たちにも社会を変える力があります。学校医として、それにチャレンジしました。


2022年03月09日(水)

鈴木篤先生

卒業式の季節となりました。振り返ると、時の流れは早いものです。
私が東京医科歯科大学を卒業したのが1992年、今から30年前になります。同級生のほとんどが大学医局に入る時代、地域医療をやりたくて独りぼっち民間病院に入職しました。



全日本民主機関連合という共産党系の病院群で、みさと健和病院、柳原病院という東京の東を拠点とした健和会という医療法人に入職しました。何故そこに決めたのか、それはタダ酒を飲んで、三浦院長のバク転を見て驚き、酔った勢いで入職宣言をしたからです。

みさと健和病院は、拠点病院を作りたいと病院側と市民が一緒になってつくり上げた病院で、医師だけでなく、看護師、スタッフなど医療職と患者会を組織していた市民側の熱意までも感じたからです。医療スタッフ、市民の目が煌めいていました。

また、都会の佐久総合病院を目指すと先輩医師たちが言っており、地域の中に健康講座を話に行ったり、看護婦さんたちと在宅医療も行い、患者さんを人生丸ごと診ようと思っていました。でも、同期はいなくたったの独りだったので大きな壁にぶつかっておりました。

不完全燃焼の研修医生活を送っている時に、鈴木篤先生のもとで外科研修をしました。鈴木先生は東大卒の外科医、まだ40歳代の若き院長として手術をし、外来をし、院長業務もし、夜間当直までもしておりました。私は、鈴木先生の背中を見て目覚めました。

外科は、切った、張った、血が出た、助けたと。手術が終われば連日連夜、飲みに行くぞ!と思っておりました。実際は、手術終わっても切除組織の標本作りで数時間かかり、術後患者の下で泊まり込みながら全身管理と、内科以上に繊細であることを知りました。

あの外科研修の半年間は、有難かった。鈴木先生は、独りぼっちで奮闘、壁にぶつかっていた私を救ってくれました。優しく、厳しく、レントゲン読影、超音波検査の読影なども夜遅くまでしました。きつかったと思いますが、今となれば楽しい思い出です。

そんな鈴木篤先生が、私の医療活動を見てみたいと女房と来房して下さいました。
有難く、嬉しいです。
鈴木篤先生も70歳を過ぎてしまいましたが、今だに理想の医療を求めております。



私も、鈴木篤先生同様に医師としてのまとめと未来のことを考えなければなりません。
東京と田舎の環境の違いがありますが、房総半島の先っちょで、より質の高い地域医療を目指して今まで以上に努力して行こうと改めて思いました。

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