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「覚悟の瞬間(とき)」(↓ クリック!)
覚悟の瞬間 医療法人社団優和会 松永平太
2024年03月25日(月)

千葉日報・地域きずな賞

2024年3月、忙しかったです。私の誕生月でもあります。
私、プチ芸能界デビューしました。ニッポン放送の「黒木瞳のあさナビ」に出演したのです。


優和会理事長の松永平太さんに聞く「高齢者の幸せな最期」。

そして、何よりもうれしいことは笑顔グループが千葉日報社から地域きずな賞をいただいたことです。住みよい古里へ地道に貢献したとのことで4部門の4団体が受賞するのですが、私たち笑顔グループは福祉部門からの受賞で、医療ではなく福祉から、病院ではなく地域からの受賞となります。




地域で生き切る文化をつくろうとしていることが評価されました。
まだまだ道半ばの状態での受賞ですが、もっともっと頑張れ!というメッセージだと考えています。誰にでもいつか必ず訪れる死への文化を復活させる活動なので、この賞を励みに頑張ります。



笑顔グループの次年度2024年度の運営方針・事業計画を発表しました。一区切りです。
笑顔グループには、医療法人社団優和会と社会福祉法人おかげさまと会社法人ハイピースがあります。「地域のいのちが輝きますように、いのちの輝きは笑顔」と考えて笑顔グループと名付けました。


人生100年、思いのほか長生きして、ゴロゴロして弱り、周りに迷惑をかける時代になっています。認知症で独居の人もドンドン増え、人と人とのつながりが大切な時代にもなっています。そんな時代、眼鏡をかければ普通に生活できるように、介護保険を使えば地域で生き切ることができるのです。

デンマークの高齢者ケアの三大原則を笑顔グループの三大原則にすることを伝えました。
・自己決定の尊重
・残存能力の活性化
・人生の継続性の尊重

看護小規模多機能サービス「にこにこ」がオープンし、介護保険サービスはほぼ出来上がりました。次なる目標として、地域の文化つくりと考え地域包括支援センターがこの4月に開設になります。名前は南房総市地域包括支援センター「えがお」、南房総市と協働して地域つくりが始まります。

ノーリフティングケアの浸透を目指し、スタッフと利用者の両方を守ることを伝えました。
また、給料を上げることを、働きやすい仕事場にすることを伝えました。
そして、この南房総を地球一いのちが輝く地域にしようと宣誓しました。

世界一長寿の国・日本の25年未来をいく南房総で、地球一いのちが輝く理想の地域になるよう精進します。


2024年03月14日(木)

こだわり、育てる

12歳で東大合格する知能を持っている天才少年!その後の彼の成長の話を聞くことはない。
小学校のころ頭が良かった子が順調に成長していくかと思うと、意外と「頭が良かったけど」と。おそらく、頭が良すぎて努力し続けることを忘れて怠けることを覚えてしまうのでしょう。

年齢にともなう成長カーブというものがあり、身長と同じで初めに大きくても意外に伸びない子もいたり、小さい子でも意外にあとからドンドン大きくなる子もいます。年齢に見合う成長スピードがあり、バランス良く成長し続けることが大切なのでしょう。

天才とは、努力して努力して努力しまくり、誰も彼を止めることができない人。
ただし、天才は誰も止めることができない努力を努力とは思っていない。
天才にとって才能と努力が大切で、藤井聡太プロ棋士が当てはまるでしょう。



日本一、世界一のプロフェッショナルは、はじめから日本一、世界一になっていません。
日本一、世界一の技術者になりたいと覚悟し、休みの日にも夜遅くまで勉強し、練習する。
日本一、世界一になれるとは思わなかったけれど、こだわり続けてやってきたら日本一、世界一になっていた。

「こだわる」これも大切なことだと思います。
楽しいことがあふれる現代に流されることなく、一つのことにこだわり続ける。登山と同じかもしれません。苦しくても足元を見ながら登り続けて、気づいたら登頂していた。。。

あと、大切なことは「育てる」ということ。自分自身を育てるということです。
現状に満足するだけでなく、あとチョビットだけ工夫、努力をし続けること。
自分自身を育て、伸びているという成長感を楽しむことも大切でしょう。

当初の天才少年は、自分の才能におぼれて成長し続けることができなかったのでしょう。
日本一、世界一を目指さなくても、小さな自分の強みにこだわり続けて努力し、自分自身を育てていけば、気づいたら富士山を登り切っていたというのがプロフェッショナルなのでしょう。

私はやればできる!という自信だけを持ち、何もしてこなかったのが人生の3分の1。
残りの3分の2で、根拠のない強い自信を持ち医師になることを目指し、元気で豊かな地域を創りたいと町医者にこだわり続けている今があります。まだ、まだ、道半ばです。

「こだわり続け、自分自身を育てる」
このブログを書きながら、この言葉は改めて長い人生において大切なことだと思います。
成長する。成長感を感じる。気づいたらチョモランマに登っているか、月に行っているかも。


2024年03月04日(月)

人生の風

私は医学部に行きたくて行けなく、薬学部に入り、薬学部の落ちこぼれになってしまいました。薬学部を卒業していますが、薬学士ではありますが薬剤師ではありません。つまり、薬剤師の国家試験に落ちたのです。もう一度、人生をやり直そうと思い医学部再受験を目指しました。

地元の千倉中学の同窓会に出席したとき、社会の先生から「平太、お前、医者になれたんだってなぁ。良かったな。人のいのちを扱うんだから真面目にやれよ。」と言われました。
私の小学校、中学校、高校時代の社会的な評価は、こんな感じだったのだろう。

宿題はしない、夏休みの宿題は9月1日の放課後から。本も読まない。
卓球部に入っていましたが、決勝戦で誰かに負けて優勝は夢の夢。朝起きたら寝ることが楽しみで、午後9時半が来るのが待ち遠しかったです。思い出もなし、卒業アルバムも全て失くしました。

負けても悔しいと思うこともなく、青春などない青春時代を送っていました。
机の前で空想し、世界地図を広げては将来どの国へ行って研究しようか考えていました。
ただ、授業で寝たことはないし、質問しまくるし、将来はノーベル賞を目指していました。

人生をやり直そうと思い、真剣に生きるようになり、人生の風が吹き始めました。
成績は見る見るうちに伸び、偏差値100を取り、全国の模擬試験では一番をとるようになりなりました。授業は150%理解し、一日が終わるころには頭を使い過ぎて頭痛が起きていました。

東大理Ⅲを志望したかったのですが、苦手な国語があるので安全を取り東京医科歯科大学を目指しました。当時、住んでいたところは江戸川区の小岩。教養学部があるのは隣の市川、大学病院があるのはお茶の水でもあり、丁度よいところに住んでいたからです。



負けてもへのカッパだった私が、いつの間にか負けず嫌いになっていました。
負けると悔しい、それが原動力になります。
赤いテールランプをみると追い抜いてやるとアクセルを踏むようになりました。

今までを振り返り、医師という職業を選んだおかげで人のために頑張れる人間になることができました。頼られる有難さを感じ、幸せを感じております。
もうチョッとだけ患者さんの笑顔が増える工夫をしたい。そう思いながら、日々努力しています。


2024年03月01日(金)

「黒木瞳のあさナビ」放送日の訂正

「黒木瞳のあさナビ」、ラジオのニッポン放送番組です。
その番組に出演することを私のブログ(「黒木瞳のあさナビ」2024年01月19日(金))でお知らせしました。
その際の放送日を間違えて載せていましたので、訂正します。

放送日:3月4日(月)~ 3月8日(金)
 ⇒ (修正)3月11日(月)~ 3月15日(金)
時間:午前6時41分 ~ 6時47分



黒木瞳さんへ私の思いをメールしたら、黒木瞳さんからお手紙が届きました。
私、舞い上がっております。
黒木瞳さん、流れる石です。大女優ですね。

私が送ったメールの一部を抜粋してみますね。



「黒木瞳のあさナビ」って素晴らしい番組ですね。朝からためになる情報を得ることができ、程よいアドレナリンが分泌され、黒木さんの優しい声で一日が始まることに感謝します。

また、番組制作もチーム医療、チームケアと一緒なんだなと感心しています。
台本の質問内容も質が高く、魂を感じました。そして、私の向かい入れ・送り出しが丁寧で、説明も黒木さんをバックアップする雰囲気が醸し出され、あっという間の収録1時間となりました。ラジオ出演することなど想定外なので、最高のクリスマスプレゼントだと思っております。
黒木瞳さんのお人柄、感性の良さを感じました。そんな黒木さんにたくさんの人が集まり、互いに混じりあい工夫しあい、チームとしての質の高いラジオ番組ができることを知り10年も続く理由と大変さと素晴らしさを感じました。無色透明のゴチャマゼ「黒木瞳のあさナビ」でしょう。適当な色を混ぜ合わせると真っ黒に、それぞれが調和のとれた魂の入った虹色プレイをすると、チーム全体一緒になった「黒木瞳のあさナビ」は無色透明になるという意味です。

反省点
言葉のキャッチボールが大切なのに、できなかったこと
「イエス」からスタート会話なのに、できなかったこと



今の私の夢、もう一度「黒木瞳のあさナビ」に出演し黒木瞳さんと言葉のキャッチボールをしたい。もう一つの夢、ラジオのプロフェッショナル紹介の番組に出演しましたので、残るはテレビでのNHKのプロフェッショナルに出演することです。






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