岐阜へ行きました。新幹線で岐阜羽島駅で降りるのかと思ったら、名古屋で降りて乗り換えて東海道線で岐阜へ行くのベストアクセス。千倉を朝4時過ぎに出発し、途中名古屋駅できしめんを食べました。全てのホームに立ち喰いきしめん屋があることに驚きました。
岐阜で老人保健施設の第35回全国大会があり、その会場が長良川国際会議場でした。立派な会場で和式トイレもあり、歴史も感じました。介護保険が2000年に施行したので様々な学会もせいぜい25回ほどとなっている中での35回、老健大会の歴史を感じました。
今まで老健全国大会は平日に開催されていましたので、私は外来があるので参加することができないし、参加する気もありませんでした。でも今回は私が尊敬し岐阜大会長である長繩先生からの招聘があり、外来をご主人様にお願いして日帰りで岐阜老健大会に参加してきました。
35回という歴史の重みを感じ、全国から約3000人もの老健関係者が集まり、私たち同様の熱き仲間が理想のケアを求めて集まっていることに感動しました。デンマーク視察以来の2回目となりますが、松永醫院の外来をご主人様にお願いして行った甲斐がありました。
地域包括ケアとは、望むところで生き切ることのできるケア。ほとんどの高齢者は住み慣れた自宅で、家族、知人に囲まれながら最期を過ごしたいと願うも、在宅看取り率はたったの8~9%しかありません。つまり、地域包括ケアは全く推進されていない。マズい!
地域包括ケアが広がるためには、老人保健施設が頑張ることが必要であることを知りました。全国老人保健施設協会の顧問を長年務めてきた高椋(たかむく)清先生から、「老健施設は地域包括ケアシステムにおける唯一のハブ施設」であることを教えていただきました。
医療保険と介護保険とのハブ、治療の場から療養の場へ移るかなめ。病院と自宅とのハブ、リハビリをして元気になり在宅復帰するためのかなめ。安定した在宅療養のハブ、レスパイトショートステイ、メインテナンスショートステイで元気になり在宅療養を安定化させるかなめ。この世とあの世とのハブ、看取りの場としてかなめ。
ハブとは、マングースの敵ではありません。ご注意を。
ハブとは、かなめ、ネットワークの中心部分のことを言います。
つまり、老人保健施設は理想の高齢者ケアを展開する際のかなめになるのです。
ほとんどの老人保健施設はチンタラ老健になっています。老健と特養の違いが分かりにくい運営をしており、施設医師が使用済み核燃料状態の老兵医師がやっていたりします。
これでは、値段の安い特養に老健は負けてしまいます。老健の存在意義がなくなります。
老人保健施設と在宅サービスとがうまくつながれば、地域は優しく、豊かになるだろう。
私は、そんなお話を20分ほど長良川国際会議場で吠えてきました。気持ちが良かったです。尊敬する長繩先生に導かれ参加した老健大会、東(ひがし)憲太郎会長とも知ることができた充実の一日になりました。
老人保健施設の素晴らしさを、もっと日本全国の皆さんに知ってもらう必要があると思いました。
私が中学生のころ、校内試験があると母は夜10時過ぎに鍋焼きうどんをつくってくれました。これが美味しくて楽しみで、ろくに試験勉強もせず夜10時過ぎまでボォーと起きて、鍋焼きうどんを食べて寝ました。この習慣、私の血液のDNAに組み込まれています。
末娘のココロ、昨日、今日と校内試験。頑張っています。
なもんで、ココロに父さん特製のスイーツをつくって食べさせています。
次第にココロも楽しみに待っているようで、私も楽しくスイーツをつくっております。
普通のバニラアイスにオリーブオイルをかけ、粗塩を少しのせる。
一気に高級デザートにかわります。
みなさんも、お試しあれ!
初日の夜のデザート、信玄餅の上にストロベリーアイスをのせました。
二日目の夜のデザート、取り寄せシャインマスカットと抹茶アイスの饗宴。
ココロ、美味しいと。父さん、喜ぶ。
こんな思い出に残るようなイベントを残したい。
親から私たちに、私たちから子どもたちへ。
松永家の匂いを、文化を、伝えていこう。
11月3日(日)、4日(月)、福岡で地域共生の勉強をしてきました。
病院、診療所からの医療者と介護、福祉関係の人と市民が集まり、いのちに関しての勉強でした。いのちを助け、いのちを支える方を中心に討論しました。
一日の午前一発目、地域医療、在宅医療では超有名な黒岩卓夫先生のお話を聴きました。
黒岩先生の理念、思いを知り、黒岩イズムを学ぶためには朝一発目の眠気もない元気な時に聴くしかないと思ったからです。聴診器とカンジキをはいて雪深い地域の中へ入って医療活動をした話でした。
午後は、地域医療、地域ケアの実践で働くスタッフの実践報告会があり、私も「千倉みらいプロジェクト 100年未来を創る」という題で発表してきました。少子で田舎は衰退し、消滅してしまう。未来へ向かうチャレンジ、10次産業で未来を切り開くことを説明しました。
二日目の一発目、認知症の人にも優しいまちづくりということで建物の作りのポイント、デザインの大切さ、外構などの街づくりの大切さを学びました。トイレサインは、大きくピクトグラムと文字で表し、目線の高さでわかりやすく示すことがユニバーサルなのです。
かつて大空間に高齢者を集め、回廊型の施設をつくっていたのが、現在は全室個室のユニットケアの施設になっています。その方向性はあっているが、その理由をきちんと理解している人は少ないと思いました。コアとクラスターと説明していたのが印象に残ります。
二発目はコミュニティホスピタルの勉強でした。地域のいのちを守るために、中小病院の地域医療とは何をすべきか。総合診療とは、家庭医とは、かかりつけ医とは何か、何をすべきなのかを学びました。地域の中へ出て行き、地域から信頼を得て、地域を元気にすること。
午後は、気合の入った現場の話を聴き、涙を流しました。
困っている人に手を差し伸べることが、私たちの仕事。
いのちの生業、その原点を思い出させていただきました。
2025年は、山形鶴岡でこの会が開かれます。
2026年は、千葉か東京で開かれるでしょう。
私は、その会で大いに協力をすると約束してきました。
博多駅前では、ハロウィンからクリスマスへバトンタッチするイベントが開かれていました。ガラス細工の店、ロウソクのお店、料理とアルコールが取れるなどの出店がたくさん出て、奇麗なイルミネーションの中、多くの博多市民が夜遅くまで繰り出していました。
博多ラーメン、食べました。博多ホルモン鍋も食べました。博多鶏も食べました。松永家のルーツは佐賀、元本籍は長崎、かつて九大を目指しました。私は九州の血が流れる九州男児です。俺について来いと言っていた私が、ご主人様について行っている現在ですが。まあ、それでよかと。
開業医は60歳代が一番脂が乗っているとき。と尊敬する先輩医師に助言をいただき、毎週東京へ出張していたのをやめて千倉に集中してきました。内向きのベクトルです。今回のこの大会、外向きのベクトルの大切さを感じ、忘れかけているパワーをいただきました。
もうちょっと頑張れる。よし、頑張ろう。