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「覚悟の瞬間(とき)」(↓ クリック!)
覚悟の瞬間 医療法人社団優和会 松永平太
2024年02月26日(月)

認知症になってもあんしん

「認知症になってもあんしん」という題で市民にお話しをしてきました。
南房総市が主催する認知症サポーター養成講座の講師として約1時間のお話、その前には南房総市の職員が「夕暮れ症候群」と「財布泥棒」の二つの寸劇をして会が始まりました。



長野県は、極寒の環境にもかかわらず日本一長生きで、一人当たりの高齢者医療費が日本一安い県です。つまり、お金をかけずに長寿を達成しているのです。その理由はいくつかあるのですが、一番大きな理由としては予防医療が発達しているからだと思います。

長野県の代表するところが佐久地域で、佐久総合病院長を務めてカリスマ医師である若月俊一先生が地域医療を実践していたからです。若月先生のお言葉、「地域の中へ」、「地域の中に入って劇をしろ」。つまり、難しいことを言うのではなく笑いの中で民衆の心の中に刻み込めということでしょう。

南房総の地域の中にいき、南房総市の職員が劇をした。スゴイことをしてくれました。
俳優たちはチョッとはにかみながらも、劇は面白かった。市民の心に刻み込まれたと思います。私ども笑顔グループにも俳優たちがいますので、今度は一緒に公演したいと思います。



そして、その後に私が講演をしたのです。。。市民だけでなく市の職員もたくさん参加していただきましたので、高齢者のいのちが輝く地域に持っていくよう工夫をしました。認知症だけでなく、いのちが萎びれて、枯れて、朽ち果てていく老いの過程も語りました。

認知症とは脳がタクワンになること!良い風味を出しながら、スカスカになること。
全ての人が認知症になるのだから、認知症になっても安心できる地域にしましょう。
認知症って良き家族関係を破壊する悪性疾患かも。だから、ケアはプロへ、家族は愛を!

認知症の人に大切なこと、居心地の良い居場所をつくること。
認知症のケアで大切なこと、叱らない、責めない、怒らせない。要は優しくしてね。
最期に樋口了一さんの「手紙」という曲を聴いていただき、そして涙を流しました。



人生100年時代の到来。高齢者とは80歳が入り口。ズルズル90過ぎまで生きる時代。
高齢者が入院すると具合が悪くなるよ。ゴロゴロすると知らぬ間に弱っちゃうよ。
自宅って、元気になるよ。でも、自宅だけでは萎びれるからね。

人生の所有権は誰のもの?自己決定の尊重、クソ喰らえの今の日本だよ。
もう一度自宅で最期を迎える選択肢をひろげ、いのちが亡くなる現実を見える化したい。
そうすると、老衰が自然なことと思え、死ぬことが怖くなくなると思う。

「死への文化」を再復興するためには行政と共に協働することが大切でしょう。
理想の生き生きする高齢者社会をつくるためには行政と共に協働することが大切でしょう。
100年経っても生き残る南房総にするためには、官民一体となりプロジェクトをすすめる必要があるでしょう。

2024年02月15日(木)

いのちの負担は幸せへの投資

バレンタインデー、私が中学一年生のころに突然現れました。私は、チョコレートが好きで嫌いでした。小学校に入る前、チョコ好きでした。チョコレート欲しさで電柱に上り、電線を触って感電し、気が付いたら自宅のベッドの上で寝ていたのです。それから嫌いになりました。パブロフの犬実験状態です。



なので、チョコレートは高級外車が入っているチョコを、銀座4丁目交差点が二つ入っているチョコをお願いね!と言って断っていました。でも、いつの間にかチョコレートを食べています。やっぱり、チョコレートは美味しいからです。



チョコと言えずコチョと言っていたココロも中学2年生となり、テスト期間中でもあり残念ながらまだコチョをもらっておりません。ご主人様からは、いつも通りの義理チョコをいただきました。スタッフからも、患者さんからもプレゼントをいただきました。感謝します。



千葉県保険医協会から社会保障に関する投稿依頼がきました。
「いのちの負担は幸せへの投資」という題で文章を書いてみました。
みなさまにも、おすそ分けしますね。



100歳のオバアちゃんの人生を考えてみよう。今年は昭和99年、終戦が昭和20年だから戦後79年となり、21歳で終戦となります。青春などなく、友人の多くが戦死し、何もない貧しい日本の状態でした。亡くなった友人の分までと自己犠牲を払い、たった25年で何もない焼け野原から経済大国日本をつくりました。奇跡の復興です。国のために頑張ればきっと老後は国が守ってくれるはずだと考え、歳の取り方、老い方を知らない超高齢日本の第一世代でもあります。
人は生きてきたように死んでいく。いい生き方の向こうにいい最期が待っている。いい最期を迎えれば、良い人生だったと言えるだろう。でも、ほとんどの高齢者が自宅で最期をと願うも、「こんなはずじゃなかった・・・。」と言って地域から消えて最期を迎えています。こんな高齢者が寂しい最期を迎えている現状を変えたいという思いが、町医者である私の原動力となっています。いい人生に見合う最期「いい人生だった」と言わせたいのです。
30年以上前、私が住む安房地域で大学病院より大きな病院が地域をつぶすと言われていました。現在、亀田のおかげでいのちの安心安全が日本一となり、若者の働き場所となり、地域創世のモデル地域となっています。社会保障とは地域への重い負担ではなく、いのちの安心安全を創り未来を切り開く投資であることを強く伝えます。
社会保障費が増えると国は沈むという論調があります。これは間違っています。社会保障費が増えて滅びた国はありません。逆に社会保障がすすむ北欧の方が幸せ大国になっています。つまり、社会保障は払いたくない余計な負担ではなく、安心して暮らせるために必要不可欠な負担なのです。今の日本に足らないのは、必要な負担をするという覚悟です。
人生の目的は、幸せになることです。自分一人だけが幸せになることはできないので、幸せを回りに配りあうことで幸せな社会がつくられます。このことを社会貢献とか社会保障といいます。私たちはいのちの負担を覚悟し、幸せを感じられる安心な社会をつくりましょう。

2024年02月08日(木)

まちつくり

まちつくり、町づくり、街づくり
どれもCommunityをつくることです。
それぞれの言葉の意味合いはどのように違うのだろうか。



街づくり、これは家や交通網などのハードを整えることが中心となるのだろう。
町づくり、これは行政的意味合いが含まれ、人の温もりを伝えあえるCommunityつくり。
まちづくり、これはより広く、曖昧な意味合いが含まれ、自然も含めてのCommunityつくり。

自然を何もせずに放置すると、災害が起きたり、災害に弱くなったり、害虫が発生します。
自然は、適度に手入れをしないと危険になり、人が住みにくくなることを教えて頂きました。
人と自然の共生、自然に何も介入しないことではなく、適度に手入れをして共に生きること。

冬は牡蠣の季節。美味しい三陸の牡蠣をつくるために、人は山に登り、山を整備し、豊かな山林をつくりました。豊かな山に降り注ぐ雨が大地の栄養を吸い取り、豊かな川となり、海に流れ着きます。その大地の豊かな栄養を身に付けて、美味しい牡蠣が生育するのです。



私の仕事は地域医療、地域を豊かにすること、地域を元気にすることです。
そのためには地域へ出ていくことからがスタートです。
病院の窓から見えない風景をみて、病院に届かない地域の声を聞くことが大切でしょう。

そして、地域の困りごとを感じて、どのようにしたら解決できるのかを考える。
薬や治療で治せないものがあり、その障害を抱えながら笑顔で生きるためにはどのようなことをすればよいのかを考えて実行する。これが、まちつくり、文化つくりとなるでしょう。

100年経っても生き残っている南房総にするためには、どうしたらよいのでしょうか。
人生100年を健康に、病気や障害を持ちながらも地域で生き切るためには、どうしたらよいのでしょうか。
全ての人が幸せを感じられる地域にするためには、どうしたらよいのでしょうか。

まちつくり、これからチャレンジすることです。
薬で治すことができないこと、医師独りで治すことができないこと、病院内で治すことができないこと。地域へ出ていき、地域の人たちとつながり、行政と協働することでしょう。


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