2月、母が亡くなり26年が経ちました。早いものです。
大学病院の手術室で最期を迎えました。絶対に失いたくないものを失ってしまった時の悲しみ、子として母に尽くせなかった思い、わだかまりが今でも心の底に沈んでいます。
私は町医者です。寄り添うというニュアンスが含まれる町医者という言葉を大切にしようと思っております。私のミッションは、目の前の患者さんすべての人が「私の人生は幸せだった」と言ってもらうこと。最後の最期までいのちを支え、満足死を達成することだと考えています。
松永醫院のスタッフのお母さんトシコさんは、千倉町の隣の白浜町から通院していました。
千葉県の形はチーバ君という犬になぞられ、千倉町はチーバ君のアキレス腱、白浜町はチーバ君の踵・かかとになります。白浜町は、房総半島最南端の街です。
鴨川の大病院で亡くなりそうになって、私どもの施設・老健夢くらぶへ転所してきました。
夢くらぶでは、日中はベッドから離して車イスで過ごし、スタッフから言葉をかけて刺激を与えているうちに食べられるようになりました。フェニックス・トシコさんの復活です。
そのトシコさんも、次第に食べられなくなり、寿命が近づいてきました。
1月、孫娘のお祝いがあるということで、不幸な出来事は避けたいという要望がありました。
医者の仕事の一つが、いのちの匙加減。点滴をしながらリクエスト達成しました。
2月、点滴は無用な延命処置となりました。最期をどこで過ごさせてあげたいか、家族が集まって相談した結果、白浜の自宅へ帰るという決断をしました。コロナ禍、施設では家族が集まり看取ることは困難です。夢くらぶが、家族の背中を軽く押して自宅へ帰してくれたのです。
火曜日に自宅に帰る提案をし、木曜日に夢くらぶから自宅へ帰りました。
水分は数口しか摂れませんので、余命は数日、長くて1週間。この週末を大切に過ごしてください、来週末はないでしょうと伝えました。ところが。。。。
子供たち全員が集まりました。孫も集まりました。最後の親孝行、婆ちゃん孝行が始まりました。祝い事のあった孫娘も泊まり込んで、毎日顔をパックし、マッサージしていました。顔のシワが1本ほど無くなったと思います。私もやってもらいたいと思いました。
訪問診療、訪問看護、ヘルパーなど在宅ケアを真心こめて提供しました。
訪問入浴サービスも受け、みんなでお婆ちゃんの指の間までも素手で洗っていました。
近くに住んでいる友人たちも、親戚も、最後のお別れをしに来ました。
私は1週間の命だと思ったのですが、トシコさんは気持ちの良い最期に死ぬのはもったいないと考えて10日間ほど長生きをしました。結果として、濃密な10日間になりました。
みなさん、これ以上の親孝行はないほどやり、やることやって疲れ切ったことでしょう。
苦しむこともなく、衰弱が進行し、いのちが枯れてゆく姿を見て、人が亡くなることを受け入れ覚悟する。生まれてきた以上、いつかは死ぬ。そんな当たり前のことを受容させることができました。トシコさんから子供たち、孫たちへのラストギフトになるのでしょう。
土曜日の朝、東京から戻ってきた孫を待ち、子供たち、孫たちが見守る中、トシコさんは最後の一呼吸をして旅立って行きました。皆がそろっている目の前で息を引き取るとは、奇跡でしょう。
より良いQOLを求め、より良いQOD・満足死を達成した瞬間だと思います。
地域共生を支える医療介護市民ネットワークというNPOがあります。
地域医療を実践している病院と在宅ケアを支える診療所が統合されてできたネットワークであり、いのちを支えるケアを提供している人と市民の集まりになります。
NPO地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワーク
私はそのネットワークの理事をしており、「風の萌」という機関誌に自己紹介を書くよう要請がきました。みなさまにも、おすそ分けをしますね。
房総半島先っちょ千倉でいのちを支える医療を提供する町医者・松永平太でございます。
高齢化率50%を超え、世界一長寿の日本の25年未来を行く田舎町です。そばには亀田メディカルセンターというマンモスが君臨し、私はその側で生息するアリンコです。人口当たりの医師数はおそらく日本一で、恵まれた医療環境がある割に介護環境は今一つの地域です。選択肢の少ない豊かな田舎で、患者さんに「いのちを託す!」と言われ「まかせろ」という人生丸ごと応援ケアを提供しています。
「認知症で独居の高齢者が肺炎で入院し、2週間で歩けなくなり、1か月で目の前に現れた子供の顔を見てもわからない状態となる。体も頭も壊れてしまった当事者は家に帰ると吠えるも、不安におののく家族、優しい医療人が集まり、いつの間にか地域から消えて後方病院、後方施設へ移る今の自己決定の尊重クソ喰らえの日本。さあ、あなたならどのようにして自宅へ帰す?」というコーナーをネットワーク東京大会で開いたことがあります。
寝たきり状態、要介護状態は病院で生まれます。「認知症で独居、在宅の限界だ」という医師の呟きが病棟中にこだまし、家に帰りたいという本人の意思を無視して後方病院へ移動して行きます。一か月前までは笑顔でその人らしく暮らしていたのに、たった一回の失敗で地域から消えているのです。自己犠牲を働かせながら豊かな日本を作ってくださった世代が、「こんなはずじゃなかった」と言って辛い最期を過ごしているのです。
「住み慣れた地域で、その人らしく最期まで」という地域包括ケアの浸透度は、在宅死亡率だと考えています。在宅療養が目的で作られた介護保険ですが、在宅死亡率13%(現在、コロナ禍で17%ほど)、目指すべき在宅見取り率は10%を切っている悲惨な状況です。地域医療を行っている皆様は平然と在宅見取りを行っているのでしょうが、地域全体では在宅死亡率は伸びていません。その原因は、病院が無頓着のためか、優し過ぎるためだと考えています。
私は30年以上の経験で「高齢者は日中ベッドで弱くなる」と考え、デンマークに行きそれを確信しました。病院は治療する場であり、療養する場ではありません。その病院に1か月以上入院し、ベッドの上で食事をとる高齢者が、どんどん弱って行きます。入院しているから食べられなくなり、足腰が弱り、認知症が進行してしまうのです。当院に来る研修医には病院の限界を伝え、「地域医療とは優しく地域へ突き返すこと。」「10年未来の命を守りなさい。」と伝えています。
地域医療を実践している病院と在宅ケアを提供する診療所が統合したNPO地域共生を支える医療介護市民全国ネットワークに大いに期待します。地域医療とは地域を豊かにすること。そのためには地域へ出て行き、病院の窓から見えない風景を見て、病院に届かない声を聴くことが大切でしょう。寝たきり老人は病院で生まれます。超高齢社会である日本において、病院は入院期間をより短くすることが重要です。そのためにも、病院と診療所とが質の高い連携をし、地域にやさしく突き返し受けとめる社会を目指せなければなりません。
私は町医者です。目の前の患者さんが「私の人生、幸せだった」と言ってもらうこと、満足死を達成することが、開業医のミッションだと考えています。そのために努力します。
夕食を普通に食べていたオバアちゃんが、突然亡くなりました。
私たちのグループホーム「夢ほーむ」に入居している方です、
グループホームは施設ではなく自宅、入所でなく入居となります。ご注意ください。
人生における最後を私たちに託されて、人生の大先輩たちを看させて頂いております。
突然ロウソクの炎が消えるように、突然シャボン玉が割れて消えるように、命が消えて行くことがあります。「ありがとう」の言葉を残してくれれば、残された者たちは救われるのに。。。
ほぼ、ほとんどの人がポックリ死にたいと言っています。
私がポックリは良くない最期、残された家族が悲しみ、優しい家族ほど悔やみますよと伝えています。本人は苦しまず逝くので良いかもしれませんが、遺族は悲しむからです。
しかも、ほとんどの人が望むポックリは、ほぼ達成することは確率的に非常に難しいです。
死ぬことを考えると、その向こうにある生きることが見えてきます。しかし、ポックリ死にたいと言った瞬間に思考停止してしまい、死への準備という思考が停止してしまいます。
家族に迷惑をかけたくないからと思う人も多いのですが、最期に家族に負担をかけて思い出をいっぱい作った方が、死んでも生きている満足死につながります。最期の親孝行は、残された子供たちへ命の尊さ、儚さを伝えるラストギフト、最後の子供孝行となります。
「ありがとう」という言葉も残さずの突然の死は、残された者には辛いです。
考えれば考えるほど辛くなります。会いに行けば良かったなどと後悔が残ります。
だから、必ず「ありがとう」という言葉を残しましょうね。
私は、将来、ボケて、寝たきりになり、エバって自宅で死んでいくと決めています。
ご主人様に背中をポリポリ掻いてもらい、ご主人様の膝の上で死んでいくと決めています。
ご主人様は「そうなれればいいね。」と。だから、何度でも「ありがとう」と言おう。