8月13日から15日までのお盆、毎年、松永醫院は夏休みをとっております。
私は開業医ですので、24時間365日患者さんのいのちを守らなければなりません。だから、患者さんのいのちを支えてくれるスタッフを慰労するために、夏休みにして来ました。
スタッフのための夏休みと考えてきましたが、この酷暑から私自身を守らなければならないと考えるようになってきています。夏休みのたった3日間、されど3日間も、松永醫院を休診できるのは、そばで亀田メディカルセンターというマンモスがいるからです。
患者さんに何かある場合に常に連絡を受けるシステムを作っております。患者さんからの連絡で、病院を受診する必要があるかどうか、必要であれば病院へ電話連絡し救急要請しています。そして、一番感謝していることは在宅の患者さんの命を守る訪問看護師です。
私が学会や様々なことで千倉を留守にできるのは、訪問看護師をはじめとするスタッフのおかげです。訪問看護師は、私にとって目であり、耳であり、脳という中枢神経です。私に変わって患者さんをみて、その情報に基づいて指示を出すことができるからです。
今年の盆休み、8月13日の土曜日は台風の日から始まりました。千倉を留守にする場合、病状不安定な患者さんへ往診に行きます。膵臓癌を患い自宅で最後を過ごしたいと希望し退院してきた患者さんが、急激に疼痛が出現し、水分も摂ることが困難になりました。
土曜日の夜、台風の中、オキシコンチンもオプソも服用できなくなり疼痛で苦しんでいると連絡を受け、薬を砕いて肛門から入れるよう訪問看護師に指示しました。そして、ともに地域医療を行って来たスマイル薬局の吉田くんに連絡して貼るオピオイド薬を処方しました。
急激な癌性疼痛の増悪する中、消化器系癌は貼るオピオイドに早目に移行する大切さを学び、在宅ケア、緩和ケアはチームケアであることを確認しました。土曜日の夜、台風の中、訪問看護師の看護ケアに感謝し、薬剤師の時間を問わずのチームケアに感謝します。
私自身は東京にいたのですが、早朝に千倉に戻り、その患者さんのところへ往診し、ぐっすりと夜寝てくれたことを確認しました。安心し、台風の夜中の出来事に、改めて素晴らしい仲間と理想のチームケアを実践していることを確認し、感謝の思いを持ちました。
千倉に戻ったついでに病状不安定な患者さんがいる老人ホームへ往診に行き、診察をしました。町医者の仕事は、公私の分別、オンオフの分別がありません。
夏休み、休みになっていませんが、息抜きの夏休みになりました。
父が活躍していた昭和の時代、聴診器一本で診察し、治療を行っていました。だから、診療所で診察するレベルと患者さん宅で行う診察のレベルは、そう変わりがありませんでした。開業医にとって、「具合が悪いから往診してくれ」という往診の時代だったのでしょう。
しかし、現在、レントゲン、超音波検査、場合によっては内視鏡検査などを駆使し、診断を付けて行きます。その診断に基づいて、抗生剤投与、酸素投与など治療内容が変わってきます。そして、点滴をしながら様子を診て、暑い夏なら涼やかな診療所で休んでいただきます。
自宅と診療所などの医療機関での治療では、圧倒的な質の差があるのです。死にたくないから、助かりたいから往診依頼が来るのですが、助かりたいからこそ診療所に来なければなりません。簡単に往診依頼に応召することは、重症化させる危険性があり不適切だと考えます。
でも、このことを患者さん、患者さん家族に伝えることは難しいです。忙しい診療時間内に、電話を通して説明することは非常に困難です。「死にたくないなら、とにかく来てくれ。」「救急車を使って来てくれ。」と言うしかないと考えています。
実際、松永醫院ではスタッフが頑張ってくれています。看護師が病状を聴き、これから行うべきことを伝えてくれます。そして、家族がいなければスタッフが代わりに迎えに行き、私が診療し易い環境を整えてくれます。私にも、患者さんにとっても有難いことです。
往診には、緊急往診と定期往診があります。今までお伝えしたことは、病気になり救命してもらいたいという緊急往診です。日頃私が行っている定期往診は、訪問診療とも呼ばれ、定期的に患者宅に伺い、病気の早期発見、病状を安定化させる予防医療、在宅医療なのです。
みなさん、死にたくないなら医療機関に行き治療してもらいましょう。
ただし、脳卒中が起きているかもしれない、骨折しているかもしれない場合、往診で病院受診する必要があるかどうか判断できますので、困ったら電話連絡することが大切でしょう。
暑い夏が戻ってきました。クソが3つ、付きます。
少年平太だったころは、夏が大好きでした。海水浴に行き、スイカの種飛ばし。
東京へ出て行ってから、夏が苦手に、そして嫌いになって行きました。
突然の電話、「私を雇ってくれ」と。職種は?と聞くと医師だと。はぁ?
イタズラ電話だと思いました。医師が応募してくることは想定していなかったからです。
レナ先生からでした。「働く以上、簡単には辞めませんから」と。
でも、その時がやってきました。レナ先生、諸事情で東京へ戻ることになりました。
医師は流れて行きます。いつか来るその日が来たのです。みんな残念がりました。
残念がる患者さんに「10年未来、また戻って来るヨ!」と。そう、思っています。
また、そして、その時が来ました。
特別養護老人ホームに入所しているおバアちゃんから、診察をしている時に「このジイさんは?」と呼ばれてしまったのです。ガ~ン!とうとう、その時が来てしまった。。。
娘が千倉小学校にいたころ、校長先生よりも年上になっていました。なので、学校医として、PTA活動する上で、自分自身が傷つく前に「娘の父親です」と自己紹介し、祖父ではないことを先制布告していました。
初めてジイさん扱いされる。時が経つと、その現実を受け入れ始めています。
映画を観る時に、シルバーチケットで安く観る。すでに利用しています。
シルバーって、何歳以上の人を言うのだろうか。プラチナと言ってくれないだろうか。
いつ、その時が来るのだろうか。
電車の中で立っていたら、席を譲られる。
夜中に白衣を着て、コンビニに行き、すっ転ろんで、迎えに来た妻に「おたくは?」と。
いつか必ず来るその日、ご主人様とお別れをする日。
暑い夏、これから、どんな人生が来るのだろうかと楽しみに思っております。
本日、8月8日は母の誕生日。亡くなって25年、母とも会ってみたい。