~ 理事長のブログ ~

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2022年07月28日(木)

レナ先生

2016年の冬に一本の電話がかかってきました。松永醫院で働きたいと。
事務長が対応したのですが、職種は何ですか?という質問に「医師です」と。
いたずら電話だと思いました。医師が応募してくることを想定していなかったからです。

レナ先生が松永醫院に来たのでした。
松永醫院の外来が2診と複数体制になりました。
すると、余裕が生まれ、診療の質が上がりました。



それまでは、目の前の患者さんに集中しなければならないのに、その後ろで待っている患者さんの顔色をみながら診察していたような気がします。レナ先生が来てくれたおかげで、目の前の患者さんに集中し、訴えを聴き、丁寧に診察することができるようになりました。

レナ先生のおかげで、松永醫院を見学に来る人に私の熱き思いを伝えることができました。
レナ先生のおかげで、2017年デンマークへ視察研修に行くことができました。
レナ先生のおかげで、新型コロナの危機を乗り越えることができました。

レナ先生とケンカしたことがあったかな。無いと思う。
レナ先生は、私とぶつかり合いそうになったら、フッと避けてくれていたような気がします。
私を常にサポートしてくれました。質の高い地域医療を実践することができました。

レナ先生が、いろいろなことで、とうとう東京へ戻ることになりました。
レナ先生と共に働いた6年半、長いようで短い期間でもあります。良い経験をすることができ、良き思い出もたくさんできました。そして、いつか来る時が来た・・・という感です。



レナ先生を慕っている患者さんは、たくさんいます。申し訳ないです。
悲しんでいる患者さんには、「10年後、レナ先生は戻ってきますよ!」「だから、元気よく生きようね!」と伝えるつもりです。

いのちを助け、いのちを支える医療を実践してきました。地域へ出て行き、地域をみて、地域の声を聴くことの大切さを感じ合いました。いのちを支えるためには、無職透明のゴチャマゼケアの大切さを学び合いました。無理せず、私のスピリッツを引き継いでください。

目の前の患者さんの10未来の笑顔を守ろうね。
10年後、待っているね。


2022年07月20日(水)

海の日2022

海の日は、私たちの結婚記念日。
今年で20周年を迎え、現在21年目を共に生きています。早いものです。私を拾ってくれて有難うと伝え、将来は私のオムツを取り替えてくれるようお願いしました。



私がご主人様と初めて出会ったのは、彼女が浜松から出て来たばかりの18歳の時。
私が23歳の時。その当時、松永平太はレモンの香りのする青年でした。現在、お父さんはカレーの臭いがすると娘たちは言っています。スパイシーな臭い、加齢臭がするそうです。

出会った頃は妹のような存在で、まさか将来結婚することになるとは予想できませんでした。江戸川河川敷でテニスをしたり、隅田川の花火大会を見に行ったりしました。また、JR錦糸町の連絡通路でゲロを吐いたことも思い出します。甘酸っぱい青春の思い出です。

私が「将来のお前のパートナーは俺が決める!」と言っている長女ユメに、今の君の歳で人生のパートナーに出会うかもしれないねと言っています。ユメは、「ヘッ?」と。
共に一年間勉強をし、ご主人様も、私も、それぞれの医師への道を別々に進んで行きました。



私が独り苦しんでいる時に、私を救ってくれたのがご主人様でした。
将来、こんな医師になりたい、こんな医療を行いたいと熱く語っていた青年平太を知っていて、私の心が丸裸になれて、胎盤の中にいた時からヘソの緒が繋がっていると思ったのです。

当然、私たちにも夫婦の危機が何度でも襲って来ました。何に怒っているのかよくわからないご主人様が背中で「田舎に帰らせてもらいます。」と言い、子供たちを乗せて浜松へ向かおうとした車の前に仁王立ちした酔っ払いヘータ。「切れる妻、怯える夫」の世界です。

俺について来い!と言って結婚した私たちですが、今じゃ主従関係が逆転してご主人様について行く私。こんなはずじゃなかったと思いながらも、世間では世の常と言っています。昭和の男としては認めたくないです。生きるを守る力が強い女性を感じます。

結婚とは歴史背景の異なる二人が一つになることです。異文化の交流、キリスト教とイスラム教が交わるようなもので、多様性の世界と寛容の世界が必要になります。アドバーシティー&インクルージョンです。「諦めつつ、許し合う」世界、これ大切な人生のKeyword。

エビフライは最後に食べる私。一番の好物を目標に向かって満腹を達成する。
エビフライは最初に食べるご主人様。最高のスパイスは空腹、だから最初に食す。
レシピ通り作るのがご主人様、レシピをほとんど見ずに作るのが私。

開けたら閉める、使ったら戻す、床に物を置かない、整理整頓ができる完璧なご主人様。
社会では「ゴミをまたぐような人間になるな!」と言いながら、家ではゴミをまたぎまくる私。ゴミに気付かないのです。しかも脱いだパンツはオメガ状態、眼鏡にひねりが入ります。

ご主人様は嘆いております、「こんな人だったとは」。「諦めつつ、許し合う」人生のKeyword。
こんな人だった私に20年間も付き合ってくれて有難う。そして、これからもよろしく。
最後に食べようとするエビフライを、嫌いだと勘違いしてとらないでね。


2022年07月15日(金)

重症者数増減ベクトル

新型コロナ、第7波に突入しています。
コロナ禍における目標は、「助かる命を犠牲にしない」。
つまり、適切な医療を提供できる環境を維持することです。

2年半ほど前、大型クルーズ船ダイアモンドプリンセス号で新型コロナ感染コントロールができなかったころ、私は「感染ピークをハンマーで叩き、ワクチン、薬を待つ」と言っていました。感染ピークをハンマーで叩くとは、まん延防止等重点措置などの行動制限すること。

そしてmRNAワクチンであるコミナティが出て、私も既に3回接種し、これから4回目を接種する予定です。インフルエンザワクチンのように効いているような効いていないようなチョッとだけ効くワクチンと違い、mRNAワクチンは発症阻止する強烈なワクチンです。



ワクチンが無いころは免疫が無いため重症化し、志村けんさんのように亡くなるケースが多く、感染すること自体を避けなければなりませんでした。特に独りでは生きて行けない高齢者ケアの世界では、医療介護スタッフが自己犠牲を払い緊張感を持って頑張っています。

新型コロナワクチンを3回、いや2回接種していれば、抗体というミサイルが減ってきてもミサイル製造ラインは残っていますので、BA5株に感染したとしても直ぐに抗体というミサイルが作られ重症化予防することができます。ワクチン接種の意味合いは大きいです。

ワクチンが無いころは、新型コロナに感染ゼロを目指す。
そして現在、新型コロナに感染するのはしょうがない、重症化予防を目指す。
できるだけワクチン接種し、マスクなどの基本的感染予防策を行い、経済を止めない。

今回の第7波、かつてない状態を経験することになるでしょう。
なぜなら、ハンマーを使わないから。ピークがなくなり、ノコギリ状態になるのでは。
私が注目しているのは、感染者数ではなく重症者数。重症者数の増減ベクトルです。

ある施設、入所しているおバアちゃん一人がコロナ陽性となり、肺炎を起こし入院しました。すぐに感染対策し、食堂ではなく療養室で過ごし、食事は一日2回に減らし、入浴ケアは中止しているうちに、食欲低下、脱水、熱発、感染症で入院する入居者が続出しました。

つまり、新型コロナウイルの毒性による入院より、新型コロナ対策のためにケアの質が低下し衰弱入院する方が多いということです。しかも、クラスターが発生すると数百万円の損出が出ます。そろそろ高齢者の新型コロナ対策を変更するべきだと考えています。


2022年07月07日(木)

何もない週末

久し振りの何もない週末でした。太陽の季節、大地の恵みである野菜をたくさんいただきましたので料理し、東京から娘が返ってきたこともあり、久しぶりの家族全員そろう夕食をとりました。何もない、普通の、平常な暮らしに感謝します。





土曜日、何もないので訪問診療、4回目新型コロナワクチン接種しました。
そして、昼寝。30分ぐらいでしょうか、熟睡感ある昼寝で100%充電状態となりました。夕方には南房総エリアをご主人様とドライブに行きました。これまた、久し振りです。

閉校となった白浜町長尾小学校跡地に、無印良品とコラボレーションしたスモールハウスの群れを見つけました。コロナ禍で人と接することが難しい今、家族で尾籠、そんなスモールハウスの見学、実際にお泊りすることができる展示販売所となっているそうです。



2019年、新型コロナが発生した年の9月、房総半島台風で多くの被害を受けました。
車がぶつかっても倒れない電柱が台風でなぎ倒され、家が飛ばされ、ライフラインが寸断されました。被災地の一つ館山市布良(めら)は、未だにブルーシート。。。



NHKの南房総の天気予報、かつては東京でも千葉でもなく大島の天気予報を見ていました。
今は、普通は東京と神奈川となるところが東京と千葉のカップリング、千葉県の中では千葉市、銚子、館山、そして何故か松戸の四地点が表示されています。



千倉の海岸は、真ん中に漁港があり、北側に白浜が広がり、南側に磯浜が広がります。
プロのサーフィン大会が開かれることもあり、サーファーが夜明けから陽が沈むまで波に乗っています。皆さんも、このクソ熱い夏を乗り切るために千倉に来てみませんか。




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