房総半島先っちょにある千倉に、チーバくんのアキレス腱にある千倉に、
本日、雪が降っています。
最低気温が、南にある千倉のほうが北にある東京より低くなっています。なぜだろう。
松永醫院の外来に、天才が通院しております。元医学部教授です。
「インフルエンザワクチンを接種しないのですか?」という私の質問に
「ファクターXを知っていますか?その一つが見つかったんですよ。」と。
ファクターXとかHLAとか説明していただきましたが、最初は「ハァ?」状態でした。
その内に、大学時代の免疫とか輸血とかの授業を思い出し、新型コロナで話題になっている、
何故、日本ではそれほど流行っていないのかという話題を思い出しました。
隣の韓国では流行っているのに、何故か日本では新型コロナ感染がそれほど流行っていない。日本も韓国も、新型コロナワクチン接種が同様に行われているのに何故なのか?
そんな日本人には感染予防となる因子・ファクターXがあるからだと言われています。
赤血球の型にA,B,Oがあるように、白血球にも抗原の型があり、HLAとなります。
日本人の約6割にある白血球の型「HLA―A24」を持つ人は、新型コロナウイルスの感染細胞を攻撃するキラーT細胞を多く有しているからだろうと。
患者さんは先生です。患者さんから学ぶところは沢山あります。勉強になります。
教授は教授です。臨床医学ではなく、基礎医学を教えていただきました。
少年平太だったころ、将来は外国に行って研究し、ノーベル賞をとる妄想を持っていました。
2021年、今年は今までにない何かパラダイムシフトの前兆を予感する一年になりました。
2022年、パラダイムシフトするのでしょうか。楽しみです。
とりあえず、心弱い私は2022年1月を断酒してみます。
医師会活動がうまく行っていない中、学校保健担当理事として千葉県医師会から原稿依頼が来ましたので、その文章を皆様にお裾分けしますね。
「教育を通して豊かな日本へ」
世界一長寿の国、お金持ちで、平和で安心安全の国・日本。世界が憧れる国・日本です。
しかし、当の日本人は足りないところを一生懸命探しては不平不満を言う国民になっているような気がします。幸せを感じられない国・日本になっているのでしょう。
小学校6年生の男の子が「将来の夢は何?」とインタビューを受け、「お金持ちになること」と答えています。後ろには両親が立っており、苦笑いしています。これが今の日本の姿でしょう。貧乏であっても幸せを感じている人がいて、お金を持っていても不幸せな人がいます。お金があった方が選択肢が多いような気がしますが、お金を目的にすると失敗するような気がします。
人生の目的は、良い学校へ行き、良い職業に就き、一生懸命に働き、お金や名声を得ることではないです。人生の目的は、幸せになることです。私は娘たちに、「自分独りだけが幸せになることはできない。だから幸せをまず周りの人に配りなさい。ドンドン配りなさい。そうすることにより幸せの渦は、ドンドン大きく、太く、豊かになり、いつかは自分に戻って来て幸せになるでしょう。幸せを回りに配ることを社会貢献というのです。」と伝えています。
私たち医師は、国民が健康的に生きていただきたいと願いながら仕事をしています。しかし、健康的に生きれば幸せになるとは限らないです。人が幸せを感じることができるためには、身体が健やかになると同時に、精神が健やかになる必要があります。精神が健やかになるためには、教育が大切であり、健やかな文化を育てることが大切となるでしょう。
学校医は教育と接しています。学校医は、健診を通して子供たちの健やかなる体を守ることが本業です。学校医は健診業務だけで忙しくなりますが、もう一歩踏み込んで心が健やかになるためのチャンスを拾い上げてみませんか。幸せは自分の足元に落ちていることに気付き、両手で拾い上げるように、子供たちが健やかな心を持つチャンスを学校医として利用してみませんか。そして、豊かな心を持つ地域社会を創りたいものです。
しかし、学校の現場では、先生方はかなり疲れているように見えます。やるべき業務があまりにも多過ぎるからです。ゆとりがないと工夫する余裕が無くなり、知識偏重の教育の現場で心といのちの教育を行う余裕が無くなっております。私たち学校医は、子供たちの豊かな未来を創るために、心といのちの教育を学校と連携しながら行う時期に来ていると思います。学校医は教育の中に入り、教育に参画するポテンシャルがあるからです。
私たち医師は、患者さんから大切ないのちを託されて医業を頑張っております。学校の先生も、親から大切な子供たちを託されて教育をしていると考えています。「託す」という言葉は、相手を信頼して、うまく行かないことも含め、自分の大切なものを委ねるという言葉です。信頼関係が基盤にある、私たちが忘れかけている大切な言葉です。信頼関係ができていなくても、信頼関係を築いて行こうという思いが大切となるでしょう。
テレビを観ていると、新型コロナワクチンを打っているかどうか聞いた教師が平謝りしている映像が流れています。大学、会社では職域接種が行われワクチン接種が半強制されているのに、小中学校の先生は一方的に責められています。おかしいです。差別、いじめにつながるからとのことですが、差別、いじめを起こさせない多様性を教える良いチャンスであり、ワクチン接種できない人がいることを学ぶ良い機会だと思います。
この親あってのこの子という保護者と学校が争うことがあります。10個のリンゴのうち1個が腐っているので10個全部腐っているという保護者の論理で一方的に学校を責め、学校側はただ謝りっぱなしという場面です。この場合、当事者同士だけでは解決につながりません。大切なことは第三者が入ることで、PTA役員が入ったり、場合によっては学校医が入ったり、適切な助言をすることで問題解決できるかもしれません。
教育は、日本の未来を創る国家プロジェクトです。しかし、残念ながら日本国民は豊かになっておりません。今までの教育が間違っているからです。教育と接している学校医は、日本の未来を創る教育を通して、いのちに優しく、心豊かな、幸せを感じられる地域社会を創る可能性を有しております。学校医として社会貢献できることが多いのです。
そう思う私は、豊かな日本の創生を目指し、もう少し学校へ参画しようと思います。
2021年12月22日水曜日、冬至。一年で最も陽が短くなる日です。
夜が約14時間半、昼が9時間半、夜が最も長い日にもなります。
ユズ風呂に入りました。カボチャは食べていませんが、レンコンは食べました。
一年で最も夜の長い暗黒の日ですが、クリスマスの季節でもあり、ウキウキです。
皆さんはサンタクロースに会ったことがありますか。私はサンタクロースにいまだ会ったことはないですが、サンタクロースになったことは数知れずあります。
冬至は、一番陽が短い日、寒さます日、チョイ寂しいような日です。
でも、これから確実に一日一日陽が長くなる日でもあります。
一歩一歩、前を向いて上昇していく初日でもあります。
また、一年を振り返る時期でもあります。
この10年間、新しい事業を立ち上げて来ていませんでした。
地域で、自宅で生き切るためのプロジェクトを立ち上げました。
まだ仮称ですが「おたがいさまプロジェクト」と呼びませう。
でも、最終的な名前はスタッフが付けてもらいたいと考えています。
設計するなどのプランニングから、みんな一緒に考えあうことが大切でしょう。
人に迷惑をかけるような人間になるな!とよく聞きます。これ、強者の論理です。
この論理だと、弱者である障害者、要介護高齢者たちが生きて行けなくなります。
目指すべき社会は、互いに迷惑をかけあえる社会です。おたがいさまの世界です。
振り返る以外にも、未来を考える時期でもあり、年賀状を書く時期でもあります。
苦手な大掃除の時期でもあります。
今年も残りあと1週間ほどの今、私は走り回ります。師走です。
一日、一日、陽が長くなります。
一日、一日、どん底から這い上がって行く季節でしょう。
一日、一日、感謝の気持ちをもって、謙虚に生きよう。
「私はサンタさんの親戚のヘータさんです!」と言う季節。
サンタさんのカッコをして往診する季節。
耳の横に心と書く漢字を、読めない季節でもあります。
マンキチさんは、声が馬鹿でかい、97歳の元気のよいジイちゃん。
妻のツルコさんと二人暮らし。鶴と亀、最高の高齢夫婦です。
私の田舎ヘッポコ開業医としての目標は、夫婦合わせて200歳のツガイを診ること。
マンキチさん、元気よく松永醫院に歩いて通院していました。
「おめぇ~」と私のことを呼び、診察しているとお互いに声が大きくなっていき、最後には「マンキチさん、あんたを診察すると非常に疲れる!」と言い、二人して大笑い。
途中、圧迫骨折をして動けなくなったこともありましたが、介護保険も使わず頑張って痛みをこらえて乗り越えて元気になりました。自分で治す、スゴイと思います。
そんな頑強な、しぶといマンキチさん、軽く100歳を迎えると期待していました。
慢性心不全とネフローゼ症候群を患っていたマンキチさん、風邪をきっかけに全身浮腫が出現し、利尿剤含めいろいろな薬を用いてコントロールをしようと試みていました。
治療半ば、思わず水をガブ飲みし、治りかけていた全身の浮腫みが再び増悪しました。
「オラぁ~、おめぇ~に命を預けてあるからよ。」と言っていた頑強な我慢強いマンキチさんが、「参った。もお、ダメだ。。。」と初めて弱音を吐きました。入院を勧めたら素直に了解を得て、入院となりました。元気になって家に戻って来るための入院です。
入院して全身の浮腫みを取り、肺にたまった水をとろうとするも、血管の中が虚脱して思うように水をとることができません。食欲が低下し食べ物を口にすることができなくなり、足腰が弱くなり、認知機能が低下し、弱って行きました。
入院担当のマツシタ先生から突然の電話があり、入院前の自宅での状況を聞かれました。入院前のADL状況を把握することは大切ですが、実際に聞かれることは今までなく今回が初めてです。入院前は認知症もなく、直前まで歩いて通院し、介護保険のお世話にもなっていないことを伝えました。
マツシタ先生の上級医からも電話がありました。診に来てくれと。
このままでは辛い最期になってしまうだろうと案じて、私を呼んでくれたのです。
嬉しかったです。私と同じ心を持つ医療者です。
そして、久し振りにその病院へ行きました。行く前に鶴と亀の目指せ夫婦合わせて200歳の笑顔満点の外来ツーショット写真をおくっておりました。マンキチさん、食べることもできずまさにDying Man 状態。そのベッドのそばには、私が送った写真が飾ってありました。
病院の、医師の苦しさと優しさを感じました。ありがたい。
担当の先生と話し合って、ベッドしかない病院に入院しているので弱っているのだろうと伝え、あとは老人保健施設夢くらぶへ移り、自宅へ帰る準備をすることになりました。
夢くらぶへ転所したマンキチさん、復活しました。たぶん。
日中は座って過ごすことができるようになり、お風呂にも入り、大きな声で話し始め、歩行器で歩き始め、まだ十分ではないですが食べ始めております。スゴイです。
マンキチさん、家に帰ろう。
人間、目標を持てば頑張ります。
地域医療とは、優しく地域へ突き返すこと。
本日、2021年12月1日をもって訪問看護ステーション、訪問介護ステーション「そよかぜ」は、有限会社「ハイピース」から社会福祉法人「おかげさま」に移管しました。
介護保険が施行した2000年の開設なので、22年目の節目となります。
社長である本吉さんが高齢になってゆっくりしたいという思いを持っていること
新規事業である看護小規模多機能サービスを社福おかげさまで開設しようと計画しているため、訪問看護ステーションと訪問介護ステーションを併設したいと考えたからです。
本吉さんと出会ったのが1996年、だいぶ昔のようで早くも25年が経ったことになります。
本吉さんは元公務員、結婚し千倉に永住しようと考え地元の会社にリクルートしました。
そして、少し早めの退職をし、エネルギー溢れるうちにと次の人生を再スタートさせました。
本吉さんとは、新たなる仲間をつくり、最初に老人保健施設をつくりました。
しかし、その理事長が施設を私物化し始め、医師としては信じられない?を言い、人を裏切り、この人とは永久に交えないと考え、脱退しました。世間からは騙されたと言われました。
最後の会議で、私は決別しようと席を立ち、千倉に戻る車の中で悔しくて涙を流していました。本吉さんは、そんな私の横で寄り添って守ってくれたことを今でもよく覚えています。
それから、本吉さんと二人三脚で介護関連事業を起こして来ました。
一番初めに始めたのが訪問看護ステーション・訪問介護ステーション「そよかぜ」でした。
診察室の窓を少し開けて入ってくる気持ちの良い風、そよかぜ。
往診の途中で吹いてくる気持ちの良い風。そよかぜ。
そんなそよかぜのようなサービスを提供したいと思い、そよかぜという名前を付けました。
訪問看護ステーションを運営するのは、普通は医療法人。ときに社会福祉法人。
会社法人で運営することは少ないです。また、社長が医療でも福祉・介護関係ではない民間の人がなることはほとんどありません。けど、本吉さん、普通の民間人です。
そんな普通の本吉さん、実は普通の本吉さんではないのでした。