この週末、衆議院選挙があります。私の娘、ユメも人生初めての選挙デビューとなります。
若者の投票率が低いと言われていますが、誰に問題があるのでしょうか。若者自身にも問題があるのですが、それ以上に選挙の大切さを教えない親、社会、国、そして教育が悪いからでしょう。
ところで、昨年、国から特別給付金として子供も含め一人当たり10万円を頂きました。
みなさん、この10万円をどのように思いますか。そりゃ有難いですが、その10万円を何に使ったのか覚えていなく、10万円を使ったことにより景気が良くなった実感は全くないです。
10万円の税金を取ろうとすると大きな負担感と抵抗にあうのですが、国民から徴取した大切な税金から10万円をいとも簡単に国民に戻すことが良いことなのかどうなのか検討したいと思います。つまり、経済成長と格差是正、ベーシックインカムのことを説明します。
年収200万円、600万円、1000万円の3人Aくん、Bくん、Cくんがいたとします。
所得税を25%とすると
Aくんの所得税は50万円なので、200万円から50万円差し引かれ、手に残るのが150万円。
Bくんの所得税は150万円なので、600万円から150万円差し引かれ、手に残るのが450万円。
Cくんの所得税は250万円なので、1000万円から250万円差し引かれ、手に残るのが750万円。
数学というより算数の問題ですよ。みなさん理解できますか。
徴取する税金は、50万円(Aくん)+150万円(Bくん)+250万円(Cくん)=450万円
そして、集めた税金450万円をAくん、Bくん、Cくんの3人に均等に150万円ずつ戻す。すると
Aくんの収入は 150万円+150万円=300万円
Bくんの収入は 450万円+150万円=600万円
Cくんの収入は 750万円+150万円=900万円
みなさん、ついてきていますか。頑張って下さいね。
ここで、格差是正の話となります。
税金徴取する前の年収の格差は
Aくん:Bくん:Cくん = 200万円:600万円:1000万円 = 1:3:5
税金コントロールした後の年収の格差は
Aくん:Bくん:Cくん = 300万円:600万円:900万円 = 1:2:3
このように格差是正につながります。これを「ベーシックインカム」と呼ぶようです。
国は、この論理で特別給付金10万円を一律全員に配りました。
現在の選挙活動でも、同様なことをすることを選挙公約にしている政党もあります。
でも、これで、衰退途上国である日本が救われると思いますか。私は知恵を感じません。
私は、国民に給付金を一律に配るのではなく、お金ではなくサービスで国民に戻すことが大切だと考えます。たとえば、保育代を無償化し子育てしやすい社会を創る、教育代を無償化し全ての子供たちにチャンスを与える、社会保障に充てて安心できる社会を目指すことなどです。
税金を上手に使い、社会を豊にし、いのちが安心でき、笑顔あふれる日本を創りたいですね。
1945年、日本は第二次世界大戦で負け、何もない焼け野原の状態から奇跡の戦後復興が始まりました。戦後20年も経っていない1964年には東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通し、高速道路が敷かれ、近代ビルが立ち並ぶようになりました。世界が驚いています。
何故そんなにも短期間にアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になったのか、それは、「大和魂」のおかげだと思います。「大和魂」、良く理解せず私の脳底に沈んでいた、父がよく言っていた言葉です。「日本人としてのプライドを持って人のために生きる」こと。
同級生の多くが戦争で亡くなり、自分自身は生き残ってしまった。だから、亡くなった友人の分まで日本のために生きなくてはならないと考えて自己犠牲を払って来た世代が、日本の高度経済成長を支えて来てくださり、現在90歳代の高齢者となっています。
現在、彼らは次々と寿命を迎えています。一生懸命お国のために頑張れば老後は安泰とだと考えていましたが、現実には厳しい人生の最後が待っています。自宅で寂しそうに、申し訳なさそうに過ごし、歳の取り方、老いて行き方を知らないで、死んでいっています。
戦後の世代は昭和の文化、「男は外を守り、女は内を守る。」男は外で仕事をして、大黒柱として一家を養っていました。普通は子供が3人以上いるのが当たり前なので、女は子育てで忙しく家を守っていました。男尊女卑の文化の匂いがプンプンしていた時代です。
彼らは、朝6時前に自宅を出て、2時間ほどかけて会社へ通勤します。日中は通常通りの仕事、夜は営業で接待となり、自宅に辿り着くのが午前0時過ぎ。こんな毎日を月から土まで過ごし、日曜日は自宅で疲れ切った体を休め、月曜日からいつもの週が始まるのです。
男が一家を養うものだ。夫が妻を養うものだ。男たるものは、家族をリードするものだ。
そんな男のプライドで、社会は動いていたのです。それが大和魂だと思います。
その結果、男により奇跡の戦後復興が起こり、それを女が支えてくれました。
しかし、現在、その「大和魂」という言葉は次第に死語になってきています。
負け戦とわかっていながら、プライドをかけてチャレンジする男は絶滅危惧種。
家族のために家族を捨てて、プライドをかけて仕事をする男は絶滅危惧種となっています。
男女平等と男女対等を履き違えている今の日本社会。男女は平等だけど、対等ではない。
多様性を認めぬ男の存在を認めない今の日本社会。「お前は男だ!」と言うと非難される。
「男とは」と言う多様性を認めぬ昭和の男は消えて行き、日本は沈んで行く。
貧しかったけど伸び行く昭和、多様性という言葉で頑張らないという選択肢が増えた平成。
大和魂という男だから頑張る、頑張らなければならないという文化が消えて行っています。男の存在が見えなくなり、多様性社会の中に埋没し、日本が衰退しているように思えます。
そんな風に、昭和の男である私は憂えています。
生きることに強い女性に、LIFEは預け
男性諸君、大きな夢を描きながら、頑張ろう!
「国民のみなさんが知っている医師3人、その名前を挙げなさい。」と質問されたら
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生、佐久総合病院名誉院長の若月俊一先生、そして諏訪中央病院の鎌田實先生と答えるでしょう。全人的地域医療を実践した医師たちです。
「国民の皆さんが知っている看護師3人、その名前を挙げなさい。」と質問されたら
サクッと3人の名前を挙げることのできる人は、残念ながら会ったことがないです。
「ナイチンゲールとマザーテレサと・・・。」がせいぜいです。それが現実です。
「私は看護師に育てられた医師である。」と言っています。
その看護師のトップに川島みどりさんがいて、川島みどりさんの教えを求めて全国から鼻息の荒い、思い重い、優秀な看護師が集まってきた病院で私の医師人生が始まりました。
川島みどりさん、看護ケアの理念が素晴らしく、医師からも尊敬されている看護師です。
医師からも認められている看護師はいますが、みなさんの周りに医師からも尊敬されている看護師がいるでしょうか。おそらく、残念なことにほとんどいないでしょう。
医療の最終責任者が医師であり、医療は医師の指示に基づき行われることになっています。
そのため、看護師は医師の指示を待つようになります。そしてその結果、トップに医師がいて、その下に看護師がいるヒエラルキーの世界が構築されてしまっています。
「患者さんと医師の考え方が違った場合、あなたはどちらの味方になりますか。」と看護師に質問すると、「もちろん患者さんのそばに立ちたい。」と答えます。「では、実際に患者さん側に寄り添っていますか。」と問うと、「・・・」無言となります。それが現実です。
看護師は医師の付属品のような存在になっているような気がします。マズイ。
看護師が提供する看護ケアとは何なのか。やはり、患者さんに寄り添う看護ケアが大切だと思います。患者さんを励まし、促し、命を支えるケアを提供することだと思います。
医療とは、軍隊のように医師がコマンダーとなり行うものではないです。
医療とは、サッカーのようにチームとなり、医師がキャプテンとなり責任を持ち、看護師は看護師としてのケアを提供しながら行うチーム医療だと思います。
私は、医師も看護師も様々な職種も対等と考えています。それぞれのスタッフが、プロフェッショナルとして最高のパフォーマンスを提供し、それがチーム医療として一緒になった時に無色透明の奇麗な色のチーム医療、チームケアになることを目指しています。
地域へ出て行き、人に寄り添う看護ケアを提供する看護師が増えれば、社会は豊かになります。患者さんのことを思い、医師と対等に話し合える看護師が増えれば医療は優しくなります。看護師が活躍する社会は、豊かになり、優しくなり、いのちが輝くでしょう。
20年以上前から知っている看護師のHJさんが亡くなったという訃報が届きました。
医師が集まっている場で、訪問看護とは、看護ケアとはこうあるべきだと熱く語っていました。「医師の資格さえ持っていたら、私が医師として育てる。」とまで言っていたのです。
HJさん、とっても気になる看護師さんでした。彼女の後には、自分自身も入りたくなるような特別養護老人ホームなどの施設、訪問看護ステーション、小規模多機能サービスを創り、保険収入のない看護外来を実践するなど大きな足跡を残して来ました。
HJさんのような、地域に根差した、地域の人のために看護ケアを提供する看護師がたくさんいると、地域は豊かになるでしょう。私の周りにも優秀な看護師がたくさんいます。医師の指示を待つのではなく、看護師ならではの視点で看護ケアを自立してもらいたい。
松永醫院を受診した患者さんから、松永醫院の外来スタッフはとっても良い接遇をしているというお褒めの言葉を頂きました。その患者さんはほぼ初診で、ボランティア活動もしており、仲間からの薦めもあっての受診でした。松永醫院が褒められること、有難いです。
医療は、患者さんの生活に入り込み、人生にくい込んでいくもの。患者さんの命、人生を治し、守ることです。そのためには、一生勉強しなければなりません。私は医師としてスタッフを育てます。そして、スタッフも私を支え、私を育ててほしい。特に看護師に期待したい。
松永醫院、すでに日本一の診療所になっていると思います。
でも、まだ、まだ、いける。
より良い医療、ケアを提供するために、さらに私たちは努力を続けます。
私が医師としてスタートしたのは、赤の病院と言われる共産党系の病院からです。 2021年10月4日
真面目で優しい職員ばかりで、メーデー辺りになると、「闘うぞ!」とか「勝ち取る!」などと叫び、行列を作ったりとしていました。優しい仲間たちでした。
そんな環境の中で私は育ちましたので、弱者に対する視点が養われました。
世の中には運が付いていない人がたくさんいます。自己責任だけでは片付けられません。
いろいろな命を守るために社会保障があり、命の安心安全を提供し、人生を支えてくれます。
安倍晋三元総理大臣、長期政権となりましたが、みなさんの評価はどうでしょうか。
一見安倍さんが良かったように思えますが、豊かになったと言いますがお金が一部の会社にジャブジャブ集まり滞るだけで、一般の市民の懐までお金が届いていません。
安倍さんが総理大臣をしている間に日本の借金は膨らみ、経済はそれほど伸びませんでした。そして、幸せを感じられる人は減り、社会的格差が広がりました。一億総中流と言われた底力のある中間層が減り、薄っぺらい低中間層が増えました。
日本、豊かになっていません。格差が増長され、逆に貧乏になっております。
私は、安倍晋三総理大臣に対して×だと審判しています。
日本を豊かにし、幸せを感じる国にすることができなかったと考えています。
そんな安倍晋三さんの流れを持つ今の総理大臣である岸田文雄さんに、一つだけ大いに期待したいことがあります。岸田文雄総理大臣は、広島1区出身なので核の悲惨さを知っています。岸田文雄総理大臣が、世界の核全廃への扉を開いてくれることを強く望みます。
ノーベル平和賞を受賞したICANのサーロー節子から、岸田文雄総理大臣へ手紙が届きました。その手紙を、みなさんと共にお裾分けです。
岸田文雄様
第100代総理大臣へのご就任おめでとうございます。広島の代議士である貴殿が日本国のリーダーとなられたことを心強く感じています。
2018年12月に貴殿と東京の自民党政調会長室でお目にかかり核兵器廃絶について意見交換をさせていただいたことを、私はよく覚えています。その前年に核兵器禁止条約が国連で採択され、私は核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞授賞式にて受賞講演をいたしました。そのことを踏まえ、私は、是非とも日本には核兵器禁止条約への署名・批准に向けて踏み出してほしいとの願いをお伝 えしました。
これに対して貴殿は、被爆者の皆さんが現在の政府の姿勢について不満を持っておられることは理解できる、皆さんの言われることには道理がある、今後ともお考えを聞かせてほしいと仰いました。この条約には加われませんという政府の公式見解をただくり返すだけの政治家や役人が多い中、被爆者の声に耳を傾けながら歩みを進めたいという貴殿の姿勢を私はとても嬉しく感じました。
私たち被爆者は、1945年8月の米国による原爆投下によって無惨に命を奪われていった一人ひとりのことを常に思い出しながら、核兵器の廃絶を訴えてきました。
一発の爆弾で、広島の街は完全に破壊されました。人びとは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。その中には、私自身の家族や、351人の同級生もいました。
オスロ市庁舎でのノーベル平和賞授賞式の際にも述べましたように、広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳の甥、岸田英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取って苦しみから解放されました。
彼の死を、あるいは彼と同じように非業の死を遂げた幾多の人たちの死を、決して無駄にしてはなりません。だからこそ私たち被爆者は、世界に対して警告を続けてきました。そのことの意味を、広島の代議士である貴殿は十分に理解されていると思います。
岸田文雄さま、核兵器のない世界をめざすことはご自身のライフワークであると いうこれまでのご発言が本当であるのなら、今こそそれを行動に移して下さい。
核軍縮のためには、今日多くの国際法制度が存在し、さまざまな国際的努力がなされていると承知しています。しかし今日もっとも重要なことは、核兵器禁止条約に加わることです。核兵器を、非人道的でいかなる場合も許容できない兵器であるとして全面禁止したこの条約に、唯一の戦争被爆国日本が背を向けていることが許されるでしょうか。日本がこの条約に加われば、それは世界全体に大きな波及効果をもたらし、核保有国さえ動かします。広島選出の総理大臣がその決断をせずに、いったい他に誰がそれをするのでしょうか。
総理大臣として、核兵器廃絶は日本の最優先事項であること、そして日本は核兵器禁止条約への署名・批准をめざすことを公約して下さい。その上で、来春にウィーンで開催される核兵器禁止条約締約国会議には、最低限オブザーバーとして参加することを表明して下さい。
新型コロナウイルスの蔓延が続く中ではありますが、私は条件が許せば、同締約国会議に参加したいと考えています。ウイーンでお目にかかれることを心より願っております。
貴殿がこれから日本の核軍縮外交を展開されるにあたり、常に広島や長崎の被爆者との対話を心がけてくださるものと確信しております。そして、世界各地の核被害者の声にも耳を傾けながら、政策を力強く前に進めていただきたいと思います。
総理大臣としてのご活躍を心より祈念しております。
サーロー節子
本日は晴天なり。とっても爽やかな、蒼が広がる10月の空です。
東京の高校に通うユメの、久しぶりの学校行事となる運動会が開かれます。
たくさんの友人を作り、たくさんの思い出をつくっていただきたい。
3年前、ユメが将来は社会貢献をしたいので東京の学校へ行き、たくさんの知識と知恵を学びたいと言いました。校長先生の「長い人生の中のたったの3年間ですが、一生通じる考え方、生き方を身につけ、国際貢献できる人間に成長させます。」という言葉で覚悟を決めました。
しかし、実り大きい高校生活になるだろうと期待したところ、コロナ禍のために薄っぺらい高校生活になってしまいました。高校一年生でボストン留学する予定がキャンセルとなり、学園祭が中止となり、修学旅行までもが中止となってしまいました。残念です。
COVID19感染症、人と人とがつながってはいけない疾患。なので、友達と話すのも控え、友達と思い出を作るのも控えなければならない状態が続いております。人生を通じて感化し合える友達をたくさん作る大切な時期なのに、困難で可哀そうに思います。
そんなユメが、1年半ぶりに学校行事で運動会。同じクラスの仲間とバスで移動し、みんなで競技し、みんなでお弁当を食べます。おそらく、マスクを付け、社会的距離を保ち、おしゃべりを控え、黙食でお弁当を食べることになるのでしょうが、良い思い出になるでしょう。
残り半年となった高校生活を出来るだけ実り多くしてもらいたい。2学期は、みんな一緒になり授業を受ける最後の学期です。あと少しとなりました。3学期は、大学受験でそれぞれに活動することになるでしょう。ユメも、どんな受験結果になっているでしょうか。
親である私は、自分の子供を信じるしかありません。
まだまだ未熟で、とろいユメですが、がんばり屋でしつこい性格をしております。
とにかく幸せになってもらいたい。そして、地球貢献をしてもらいたい。
幸せを回りにドンドン配り回り、幸せの渦がドンドン太く早く大きくなり、その幸せの渦がいつの間にか自分に戻ってきて、みんなで幸せになってもらいたい。
そんな社会貢献、地球貢献できる人間になろうね。