~ 理事長のブログ ~

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2021年06月21日(月)

父の日 2021

日曜日の朝、山に登ってみました。私の住む南房総市千倉町の平舘(へだて)地区は、海岸線が南北に走り、海岸、街並み、田んぼ、そして山が並行して走っております。海から山まで歩いて10分かからなく、約1Km四方に人と自然が凝縮したコンパクト・シティーです。



その平舘区の区長さんが、堀江区長さんです。とっても優秀な区長さんです。
相談しがいのある区長さんです。何か問題があって相談しても静かに聞いて、無理なことと思ってもNOとは簡単には言わない。上から目線ではなく、一緒になって悩んでくれます。



堀江区長、常にコツコツと平舘地区のために仕事をしております。お金になりません。
農道に置かれた竹の花びんに花を挿し、台風で荒れてしまった山道の倒木を処理し、枯れ木を集めて歩けるよう整備します。イノシシ捕獲のオリも整備します。コツコツです。



堀江区長とカップリングで鈴木さんが、これまた区長をサポートし、夏のラジオ体操を毎朝行い、区民の茶の間を開き、紙芝居を行い、短期間に厚生労働省の「健康寿命を延ばそうアワード」の準グランプリを取りました。スゴイでしょ。この快進撃は、これからも続きます。

平舘区は、コンパクト・シティーだけではなく、神話の街であり、歴史の街であり、風光明媚な自然と戯れることのできる街です。しかも、車イスの人でも散歩できるユニバーサル・パークの整備を目指しています。そのための思いの共有のために、区長と山登りをしました。

山登りをした後、ビーフシチューを作りました。飛騨牛を用いて、圧力釜で20分ほど炊き、ズッキーニなどの夏野菜を入れ、ラタトゥイユ風に仕上げました。反省点、デカい肉の欠片のため、20分では少し硬い部分が残り、次作る際には30分をかけて炊こうと思いました。



昼前から夕まで用事があり、末娘のココロとお出かけしました。
6月20日は第3日曜日、ほとんどの人が忘れているのでしょうが、父の日です。
人生最後に発する言葉、「お母さ~ん!」。決して「お父さ~ん」と言う人はいません。

夕方、我が家に帰ったら、案の定、父の日のプレゼントがあるとのこと。
日ごろ頑張っているお父さんにプレゼント、疲れが吹っ飛びました。
まずは、長女のユメから、カッパが5匹。なんじゃ!これ!!



末娘のココロからは、段ボールのテープカッターをプレゼント。
よっしゃー!パチパチして、ガンガンたのんで、買い物しちゃおうかな。。。
でも、そんなことしたら、ご主人様からのお仕置きが待っている。。。と思う。



ご主人様からのプレゼントは、故郷である浜松の老舗まるたやの高級チーズケーキを取り寄せていました。私の住む安房地域では、館山にある中村屋という老舗パン屋のカフェモカというアイスクリームになるのでしょうか。DNAに組み込まれた、懐かしい味がします。



なんやかんや、家族で団らん。マグロお刺身、メインであるコロッケと餃子を食しました。
お父さんは、きめの細かい泥になって沈んで行きました。
まさか、これが父の日のプレゼント!と思いながら、カッパを2匹食したのでした。



その夜遅く、グループホームに入居しているツネオさんの命がフッと消えました。
翌早朝、104歳のサトさんが子供に見守られながら自宅で命がフッと消えました。
二人とも、家族、スタッフに見守られながら、穏やかな最期を迎えることができました。

長女のユメが、朝5時発の高速バスなのはな号に乗って東京の学校に向かいました。
いつもの弁当をお見せしますね。私は、肉担当。ビーフシチューと焼き肉を作りました。
そして、いつも感心するのですが、ご主人様が弁当箱に彩りよく入れることです。



ご主人様から頂いたチーズケーキ、インターネットで購入しているのですが
たしか、私の財布から落ちることになっているかと思います。
普通でないことをする勇気を持てと言われているユメからのプレゼント、カッパ。流れる石。


2021年06月18日(金)

MEN LOVE MENS

東京での仕事も、あと1回。足立区北千住、もうあまり行くことはなくなるでしょう。
っと思うので、ラーメン屋巡り、ラストスパートです。皆様にも、お裾分けです。
糖質制限、っん?なんか聞いたことがあるけど、忘れちゃった!

北千住、食べログでNO1は牛骨らぁ麺「マタドール」というお店
今週、食べました。二度目です。入るなり、席を指定させて客を指示する。
まさに、マタドール。闘牛を射止めるように、人を射止めるのでしょう。




「マタドール」のれん分けの店 「みそ味専門 マタドール」



そして、私が北千住で一番おいしいと思う店が「麺屋 音」
豚骨ベースで、魚介系フレイバー交じりが好きです。
アラレが乗っていて、彩もきれいです。



北千住、交通の要所です。常磐線、千代田線、東武線、日比谷線、つくばエクスプレスがあり、半蔵門線につながっております。日光街道の宿場町で、下町気質が残っております。
自宅にお風呂があっても銭湯に入り行く地域で、銭湯の数もかなり多いです。



駅前にはルミネがあり、北千住マルイがあります。
北千住マルイにはよく行き、デパ地下は意外と安く、閉店間際の半額セールで爆買いが趣味。
9階はレストランがあり、その上には「1010シアター」千寿シアターがあります。




健愛クリニックで夜間外来が終わった後、堀切菖蒲園でラーメンを食べて帰ることが一番多かったです。堀切菖蒲園、京成電鉄の駅、グルメな街です。



チョッと離れて亀有へ。ほとんど行ったことがない街です。ここに、ミシュランでも紹介され、食べログでNO1になっている「ののくら」というラーメン屋さんに今週行きました。
並んで入店するまで1時間、食べ終わるまでに1時間半かかりました。



私はロシア人なので、行列を見ると思わず並び、何時間でも待つことができました。
しかし、私はオランダ人とわかったので、今は並ぶのが苦手になってしまいました。
もう、二度と「ののくら」に来ることはないだろうと思い、人生初めてのチャレンジをしました。



ラーメン、醤油と塩の2種類の味があるのですが、どちらを食べるか悩んだ結果
なんと、両方をオーダーしてしまいました。ラーメン2杯を食べるのは初めて。完食。
学んだこと、自分の好みはドロドロ。ギトギトでも、サラサラでもないです。





あと一回、最後に何を食べるか迷います。
人類は麺類。
千住 = 千寿 = 1010






2021年06月10日(木)

トップがポケ

私は、昨日まで言っていたことと、今日言ったことが違い、そして明日言うこともさらに違う!
っと、開き直りモードになって、トップは言う。昭和の時代にはよくあったこと。
6月8日の施設ワクチン接種で、私の一言で周りを振り回していたようだ。。。

ワクチン接種した後、体調を崩す人が出てくる可能性があるから、夜勤、準夜のスタッフは別の日に接種しようと私が言う。私は火曜日の午後に老人保健施設・夢くらぶへ行くように調整しているので、火曜日の午後に打てなかったスタッフに接種しようと言ったようだ。。。

私のモードは、火曜日の午後に老人保健施設夢くらぶで打てたら便利だね!モード。
決して夢くらぶで接種する!と断言した覚えはないです。でも、私が言ったというのです。
覚えがない。当たり前のことですが、無理な約束はしない。迷惑をかけるから。

火曜日の午後、通常は訪問診療をした後、南房総市の行政と生活保護関連で打ち合わせ。
そして、午後3時前に夢くらぶへ移動し、情報交換、少しの診察をし、午後4時過ぎに千倉へ戻ります。今回は、訪問診療をしながらワクチン接種が入りますので、尚更時間が足りません。

ファイザーワクチンの6時間の壁、温度管理の問題がありますので、在宅でのワクチン接種を優先しなければなりません。通常以上に訪問件数が多く、時間がかかるので、夢くらぶへ行くこと自体が困難。その上にスタッフへのワクチン接種など、とてもできるはずがない。

火曜日に夢くらぶでワクチン接種!なんて言っていない。言った覚えはない。
でも、今までのスタッフのリスポンスを見ると、言ったんだろうな。
夢くらぶで接種した方が楽だろうから、呟いたのだろう。独り言だったのに。。。

逆にスタッフ側からみると、理事長が「火曜日、夢くらぶでワクチン接種するぞ!」と言っておきながら、突然「そんなこと、言っていない!」と開き直り、怒り始める。
「こまったもんだ。理事長、とうとう、ボケた!」となります。

トップの独りごとの重さを感じます。
現実的に実現が難しいのに、優しさから出た呟きが勝手に独り歩き。
火曜日の午後に夢くらぶでワクチン、私の日頃を見ていれば難しいと思うはずですが。

でも、理事長がボケた!という情報が流れると、ヤッパリ事件が起きます。
薬を出し間違えた。ヤッパリ、ボケた。
ご主人様を見ながら違う女性の名前を言って、殴られた。ヤッパリ、ボケた。

リハビリテーションに関して、医療保険と介護保険にまたがる事案が起こりました。
周りはケアマネの仕事だと言うも、病院との交渉が必要なので私が動きました。ボケた理事長では危ない。大丈夫か?というムードが漂いました。

認知症の診断は、尊厳にかかわること。
誰かがボケたと言うと、みんなからのボケ扱いが始まってしまう。
そんなヘッポコ・チームケアがあり、危険です。

とはいえ、歳を取れば、いつかはボケてしまいます。
この世には、すでにボケてしまった人、これからボケる人、ボケる前に死んじゃった人の3通りしかないです。だから、遅らせて、ゆっくりと、穏やかにボケることが大切でしょう。



私、既にボケて、おとボケになってしまったようです。ご主人様との会話
「ありゃ、俺の血圧計はどこ?」 ⇒「首の周りよ。」
「オレの眼鏡はどこに置いた?」 ⇒「オデコの上よ。」


2021年06月09日(水)

新型コロナ 施設ワクチン接種

この週末、私たち笑顔グループの老人保健施設・夢くらぶ、グループホーム夢ほーむと 私が嘱託医をしている特別養護老人ホーム花の里の総勢300人を超す入居者とスタッフに新型コロナワクチンを接種してきました。3週間後に2回目を予定します。

特に事故なく、アナフィラキシーショックなく、安全に問題なくワクチン接種することができました。これは当たり前のことですが、有難いことでもあります。準備してくれたミサさんをはじめ、スタッフ全員に感謝します。

ファイザーワクチンのコミナティ、気泡が入りやすいので振動させないことが大切。
なので、松永醫院がセンターとなり、全てのワクチンシリンジ充填を松永醫院にて行い、気泡が入らない状態にして各ワクチン接種会場に配送しました。ここが一番大変なところ。

今回、国から準備されたシリンジは大き過ぎて、0.3mlピッタリを吸い取ることが大変で、固すぎてシリンジを押すのが大変。気泡が入らないように、生理食塩水を加えてユックリ撹拌し、ユックリとシリンジに詰め込む。このユックリがとっても大切なのです。



ワクチン事故は、思いがけず起こります。ワクチンを詰め込んだら、バイアルが余ってしまった。これは、使い終わった空のバイアルに再び生理食塩水を入れて詰め込んじゃった。。。
逆にバイアルが足りなくなっている。これは、原液をそのまま詰め込んじゃった。。。のでは。

介護施設の入居者は、私たちの患者さん。当然、病気だけでなく、人柄、家族関係などを知っております。信頼関係はすでに出来上がっていると思っております。また、看護師とは日頃仕事をしておりますので、阿吽の呼吸。スタッフは、顔がわかり、心がわかります。

そんな関係の中で、新型コロナワクチンの集団接種を行います。当然、スムーズ。
でも、落とし穴が待ち受けていたりもします。人間ですので、勘違いがあります。
常に、ダブルチェック、トリプルチェックを行い、起こる事故を想定して、対策をします。

歩ける元気な認知症の人、1回接種した後、もう一度、列に並ぶ。こんなことが想定されますので、全員、左肩の三角筋に筋肉注射をし、シールを貼る。しかし、中にはシールを?がす人がいるかもしれませんので、左肩裏の服にワッペンを貼ったりもしました。

名前と生年月日を言えない人もいたり、耳が遠くて何でも首を縦に振る人もいますので、本人確認が難しいです。原則本人確認しながら接種しますが、お話ができなく、耳が遠い人もたくさんいますので、接種前後が交わらないように、療養棟ごとに分けて接種しました。



世間の流れがやっと、緊急事態宣言から「早く、多くの人がワクチン接種をしませう!」マインドになってきました。治療薬がない中、いのちを守る唯一の方法がワクチン接種。
ワクチン打てば、再び人がつながることができるようになります。

都会で頑張っている子供たちが、孫を連れて田舎のジイちゃん、バアちゃんに会いに行くことができるようになります。ワクチンパスポートを持っていれば、会うに会えない施設に入っているジイちゃん、バアちゃんに面会できるようになるでしょう。

これから、65歳未満の人たち、12歳以上の子供たちにワクチン接種が始まります。
高齢者に対するワクチン接種は順調に進んでいますので、私は、早く若い人たちへのワクチン接種の門戸がいち早く開かれることを切に希望します。

問題は、12歳未満の子供たちのいのちをどう守るか。接種可能な年齢の引き下げを期待し、子供たちに接する学校の先生方、保育の先生方たちが早くワクチン接種をし、子供たちが感染するリスクを下げることが大切でしょう。

あと、ふと、心配していることなのですが、子宮頸がんワクチン(HPVワクチン)と同様に人生を破壊してしまうような副作用が出てくるかもしれない。。。これは、時間が経たなければわかりません。ですので、「ワクチン接種しない」という選択肢も認めます。

2021年06月04日(金)

25年通った道

目の前の患者さんの10年未来の命をまもること。
目の前の患者さんの10年未来の笑顔を守ること。
そんな風に考えている私が、25年以上通った東京の病院を辞めることを決断しました。

医師としての自分自身の人生を考えると、これからの10年ほどが大切だと思います。
自分の本拠地である千倉で、もっとやるべきことが残り、山積みになっているからです。
残っている仕事を一つ、一つ、丁寧に実践するためには、千倉時間をもっと作らねばなりません。

2021年6月、一つの区切りになります。
色々お世話になった先輩先生方に挨拶と、これからのご指導をお願いしようと思います。
「地域の中で」、「Think globally、Act locally」精神を教えていただきました。

昔を振り返ります。学生時代、医科歯科大学先輩の神林先生の話を聴いて感銘を受け、みさと健和病院へ見学に行きました。見学後の交流会で、院長の三浦先生のバク転を見て、酔っぱらった勢いもあったのですが、入職宣言をしました。1990年ごろだったと思います。



独りぼっちの研修医時代、行き詰まっていた私を目覚ましてくれたのが外科医でもあり、柳原病院院長の鈴木篤先生でした。術後管理、エコー習得など夜遅くまで勉強しました。東大医学部経済学科卒の増子忠道先生からは、医療経済、事業展開のモデルを教えていただきました。

他にも、宮崎先生、高見先生、内村先生など、人間味あふれる先生が多かったです。
看護師からも看護ケアの魂を教えていただきました。川島みどりさん、宮崎和歌子さん、長岐婦長さん、依田さんたちから、優しさと寄り添うケアを教えていただきました。

私が辞めた後は、柳原病院、在宅医療の大御所・川人先生が診て行くことになるでしょう。
健愛クリニックの夜間外来は、院長の山内先生が引き継ぐことになるでしょう。安心します。
患者さんには、「10年後戻って来るから、元気に過ごしてね。死なないでよ。」と伝えています。



現在、最後の診察で患者さんに渡している文章を紹介します。



感 謝



25年間通った柳原病院、健愛クリニックを、2021年6月をもって辞めることを決断しました。急な話で申し訳ございません。
東京医科歯科大学を1992年卒業し、みさと健和病院、柳原病院に入職しました。つまり、私の医師としてのスタートは、柳原病院から始まりました。医師としての知識、技術を習得し、看護師や他のスタッフとのチーム医療、在宅医療などの地域医療を学ぶことができました。また、社会的弱者への配慮、いのちを支える医療、いのち丸ごと守るチームケアなどの文化を学ぶことができました。全ての人に感謝します。
そして、何よりも私を待つ皆様の笑顔を見たくて、25年間通いました。
10年未来の皆様の笑顔を守りたいという思いで、25年間通いました。

私が住む南房総市千倉町は、房総半島先っちょの小さな海岸の街です。
海岸線が南北に走り、朝日が水平線から、夕日は山に沈む、自然豊かな風光明媚な海の街です。夏は海水浴で、冬はお花畑でテレビでも紹介され、人口約1万人の高齢化率約50%の田舎でもあります。東京からは、アクアラインを通って1時間半、2時間あれば千倉へたどり着くことができます。
私は、父の後を引き継いで松永醫院の院長として医療活動をしております。
いのちを守る医療、いのちを支える医療を実践したく様々な介護サービス事業所などを運営し、地域包括ケアの推進、地域共生社会を創ろうと地域医療を行って来ました。
私は、あまりにも時間が足りなくなってしまいました。私は、医師という人生を考えれば、もっと千倉へ集中しなければならないという決断をしました。

10年後、私は東京に戻って来るつもりです。再び、皆様と会いたいと考えています。
ですので、皆様、健康に留意され、元気に過ごされてください。
では、10年後再びお会いすることを楽しみに千倉へ戻ります。

2021年6月




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