~ 理事長のブログ ~

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2020年09月24日(木)

シルバーウイーク2020

シルバーウイークが終わりました。何かと忙しかったです。
暑さ寒さもお彼岸までと言われていますが、ホントその通りです。クーラーも消しました。
敬老の日、軽老の日とか軽労の日とか書きそうになるこのご時世です。



小学校5年生の可愛い女の子に、「おジイちゃん、おバアちゃんをどのように思いますか?」という質問のインタビューをしました。その女の子、「おジイちゃん、おバアちゃん、オシッコの臭いがして、汚いような・・・」と答え、その後ろには両親がニヤニヤ立っています。

これが今の日本のような気がします。
その女の子が悪いのではなく、おジイちゃん、おバアちゃんがどのような存在であるのかを伝えない両親に問題があり、おジイちゃん、おバアちゃんを大切にする文化が薄れてきている日本が悪いのでしょう。

いのちの上流にあるおジイちゃん、おバアちゃんから命が流れて来て私たちへ、そして私たちの子、孫へと命が流れて行きます。人生100年時代の中で、おジイちゃん、おバアちゃんが歳を取り、認知症になり、できることができなくなり、下が弱くなって行きます。

でも、長寿世界一の日本の中で生きている私たちは「ボケたら最期!」とか「ポックリ死にたい!」とか「子供たちの世話になりたくない」と言って、老いを理解していないし、老いの準備も何もしていません。老いが、病院の白い壁で隠され、施設の中に消えて見えなくなっているからでしょう。

おジイちゃん、おバアちゃんは、ション便臭くて、一見汚く見えるものなのです。でも、顔のしわの一本一本に、頭の毛の白髪一本一本に、それまでの人生の重みが浸み込み、苦労があった結果の今があります。私たちは、誰にも訪れる老いを直視し、老いを受け止め、子供、孫たちに老いを教えなければなりません。

私自身、老眼が進行し、遠近両用の眼鏡では使い物にならず、眼鏡を着けたり外したりしています。その結果、訪問診療中に眼鏡を外して椅子の上に置いて診察したら、案の定、眼鏡の上に座ってしまいました。ハズキルーペなら壊れなかったのでしょうが、眼鏡が骨折して心肺停止状態となりました。

この連休中に眼鏡を新調しました。以前、首からかける眼鏡チューンを購入したことがありましたが、娘たちにオッサンみたいでNOと言われました。今回、跳ね上げ式の眼鏡を購入しました。
ご主人様に「オレの眼鏡はどこだ?」と訊くと、「オデコの上よ!」と答えてくれています。



シルバーウイークをプラチナウイークに持ち上げたいと考えています。
長崎県北部にある松浦市の福島という人口2500人ほどの小さな島の診療所に妹のガンマーが町医者として勤め始めました。そのガンマーが車で1200Km走って千倉まで来ました。

ガンマーは外科医、内視鏡的胃粘膜切除術で有名な幕内教授に入局するときに「女性なのになんで外科に入局しようと思うのですか?」と質問され、「体力には自信があるからです。」と答えたら、「外科も頭を使うのですよ。」と幕内教授が言い、結局、入局したそうです。

ガンマー、外科医ですので切ったりはったりが得意なので、島のお医者さんにぴったりのようです。長崎県松浦市の福島ですが、佐賀県伊万里市と橋でつながっております。長崎なのか佐賀なのかよくわからない小さな福島で、ファンが少しずつ増えてきているようで何よりです。

9月20日(日)、「コロナ禍とジェンダー」という題の東大・上野千鶴子さんのオンライン講演を聴き、21日(敬老の日)には18年ぶりの東京医科歯科大学オンライン同窓会を開きました。いや~、懐かしい。千倉という田舎に住みながら、インターネットでつながる時代で便利になりました。

9月22日(秋分の日)、北の大地に行っている息子と松永家のお墓がある富士霊園に行きました。日本のど真ん中にある富士山のふもとだったら、日本国中どこに行ってもスグに集まれると父・母が30年以上前に建立しました。しかし、富士山は遠い。年数回ほどしか墓参りができません。





そして、台風12号。また、また、房総半島を襲って来そうな雰囲気がありましたが、東にそれました。ホッとしています。そう言えば、東京医科歯科大学の同級生で、学卒の歳上でもあり、八丈島で開業している岩淵さん、大丈夫だったかな。ともに元気よく、長生きしませう。

2020年09月11日(金)

大和魂

父・松永春二がよく言っていた言葉「大和魂(やまとだましい)」。大切な言葉です。
この大和魂で、現在私たちが診させていただいている90歳前後の世代の高齢者たちが、第二次世界大戦後の半世紀弱で世界一の長寿、世界第二位の経済大国を作り上げてくれました。

お国のために、自己犠牲を払いながら、戦後の焼け野原から世界が驚き、憧れる経済大国を作って下さいました。これは、奇跡だと思います。
特に男性諸君が、この大和魂で奮闘してくれたからです。

昭和の戦後、男性諸君が「生き残ったのだから、お国のために尽くす」と考え、モーレツ・サラリーマンとなりました。朝6時に自宅を出て2時間かけて会社へ、途中は通勤ラッシュ。仕事をしまくり、残業をしまくり、夜は営業で接待し、自宅に戻るのが午前0時を回って。という毎日を送りました。

休みになれば、1週間の疲れを取るために朝から寝て過ごす男性諸君もいました。また、登山をして夜行列車に乗りながら月曜日の朝に会社へ行く猛者たちもいました。大和魂で日本国中の男性諸君が自己犠牲を払い、高度経済成長を支え、成長感を感じながら、給料も上がった時代だったでしょう。

男は外を守り、女は内を守る。
子供がたくさんいる時代、夫は仕事に出て家族を支え、妻は子育てで家族を守りました。
一家の収入は男だけで、一家の大黒柱として大きく家族を支えていました。

男は大和魂というプライドで生きていました。負け戦とわかっていても、男のプライドをかけて戦いました。家族のために、家族を捨ててモーレツ・サラリーマンにもなりました。
「俺は男だ!」と言って、頑張っていました。「女の腐ったような奴」、もう死語でしょうか。

「大和魂」、これも死語になりかけています。
男のプライドを守るために闘う必要があっても、負け戦とわかっていれば闘わない。
肉食系男子が減り、草食系男子が増え、ガッツいてくる男子が減っています。

「男女平等」と「男女対等」とを取り違えている人も増えています。
男女平等ではありますが、男女対等ではありません。男には男の特性があり、女には女の特性があり、得意不得意があり、互いに不得意を補い、互いに得意を高め合うことが大切です。

男の特性は、大和魂と言うスピリッツで自己犠牲を払い、社会につくすことです。
男のプライドを守るために、命までも捨てる覚悟を持つことです。
そんな大和魂を持つ男に、私はなりたい。


2020年09月08日(火)

いつか行く道

台風10号で被災された方々にお見舞い申し上げます。

嗚呼、尿線が細くなってきた。。。寝たら朝までトイレには行かないけれど、トイレに行こうと思ったら暴力的な尿意が襲ってきて西銀座駐車場の片隅でタチションをしてしまったことがあります。でも、まだ、失禁したことはない。出かける前には念のたにトイレに行くようになりました。

これが歳を取るというものでしょう。しかたないことです。
初めて失禁したときの気持ちは、どう思うのだろうか。
初めてオムツを付けた時の気持ちは、どう思うのだろうか。

20年以上前、ジジ・ババ・ツアーという寝たきり体験ツアーで山中湖へ行ったことがあります。私の腰の上に人形を乗せられて「この人形、落とさないでくださいね!」と言われ、2時間放置されました。この2時間の長いこと。でも、2時間たてば解放されると思い、我慢しました。

その後、ツアーの仲間たちとオムツを付けながら反省会。「人間は動く物と書いて動物。動かないと弱って、病気になり、死んじゃうね!」と言うも、「オムツは便利!トイレに行く必要がないから最高!」と言う人はいませんでした。

反省会が進むにつれ、みんな無口になって「嗚呼~!」と言って沈んで行きました。
中には、トイレの便座に座りながらオムツ内排泄をしていた仲間もいました。
私、ずるいから、トイレの便座に座りながらオムツをずらし、便器内に放尿しました。

オムツ内に排泄することは、尊厳の花ビラをむしり取られるようなものだと思います。
いつの日か、私の生き方次第では、ご主人様に「オムツをしているのだからオムツにオシッコしなさい!」と言われてしまうかもしれません。怒った私はオムツ外しをして、アチコチで放尿しているでしょう。

2018年8月8日、突然の右目の硝子体出血。右目の奥に血がたまり、光を通せなくなり、物が見えなくなりました。ワインをグラスではなくテーブルにこぼし、車を擦りまくり、距離感がなくなりました。視野が、真っ暗⇒赤黒く⇒昆布が泳ぐ⇒ワカメが泳ぐ⇒ヒジキが泳ぐ⇒どうにか視力が0.4ほどに自然回復しました。

しかし、この数カ月で視野に膜がかかっているようになってきたので白内障が進行したのだろうと考え、亀田クリニック眼科ジュンコ先生の外来を久しぶりに受診しました。結果は、目の奥にある黄斑・網膜の前にフィブリン等が付着し、増殖膜を形成する「黄斑前膜」が邪魔をしていることがわかりました。

積極的治療は手術です。眼球を突き刺しながら網膜前にある黄斑前膜を剥ぎ取るマイクロサージャリーとなります。少しずつ症状が進行していますので、経過をみながら次回の眼科受診の時に方針を決定したいと思います。それにしても老眼が進行し、不自由になってきています。目が「上がる」、面白い言葉です。

プチ・ギックリ腰にもなりました。クシャミをするときにテーブルに手を添える、物を持ち上げる時には膝をつく、大切なことですね。車を爽快に降りていたのが、目的地に着いてもサクッと座席から脱出することが難しくなり、腰を伸ばすのに軽い痛みを持つようになりました。

目覚まし時計を少し離れたところに置いているのですが、朝目覚まし時計が鳴ってもサクッと起き上がって消しに行くのが困難になってきています。歳を取っての痛みは、錆びかけた缶からのフタを開ける時にガリガリと音がし、その後はこなれて痛みが取れるスターティングペインです。

私たちは、間違いなく人生の高齢者たちが行っている道の後を追いかけています。
目が上がり、節々が痛くなり、眼科、整形外科がはやっています。
「この道は、いつか行く道」を、遅かれ、早かれ、みんなで辿っているのです。

あと、基礎体温が36度を切るようになりました。基礎代謝が減り、若かった時のような燃え滾る身体は消えてしまったのです。。。節酒するだけで勝手に体重が減っていたのが、なかなか体重が減りません。甲状腺機能が低下してきているようで、甲状腺刺激ホルモンが6ほどに上昇しています。

人生90年、もしかすると100年時代を迎え、歳を取るたびに身体の不都合を感じるようになりました。でも、死なないです。90歳過ぎまで死ねない時代になっているのです。
不都合と上手く付き合いながら、嘆かず、100年生き切る時代を迎えています。






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