2020年8月、コロナ禍の特別な熱い8月が終わります。でも、暑い夏はまだまだ続きそうです。
8月1日に梅雨明けとなり、夏祭りも中止、花火大会も中止、BON FESTAも中止、様々なイベントが中止という薄っぺらい8月となりました。夏になればあった海の家も一軒も無くなっていました。
私のご主人様の故郷、浜松の最高気温が41.1度となり、熊谷の日本一に並びました。
どうせなら日本一になってもらいたかった思いがありますが、埼玉の人に「浜松は浜松餃子が残るからいいのでしょうけど、熊谷から日本一を取ったら何も残らない・・・」と言われました。ま、思いやりも必要!
毎年していた海水浴はしませんでした。海を横目に見ながら、往診しまくりました。
海洋性気候で夜は涼しくなると思っていたら、海水温の上昇で熱帯夜が続きました。
昼間の最高気温も35度を超える猛暑日にもなりました。クソ4つが付く暑さです。
平舘(へだて)地区のラジオ体操にも、出かけた二日間を除き娘のココロと全部出ました。
8月でありながら学校がありましたので、7時からのラジオ体操のために6時55分に出かけて7時15分に戻り、7時25分に学校へ出かける。かなりタイトで、小学生で参加していたのはココロ一人でした。
厚労省の「健康寿命を延ばそうアワード」を受賞できたのは、ラジオ体操のおかげだと思っております。退院したばかりの人を誘い元気になってもらいたいと伝え、物忘れが進み閉じこもり傾向となっている人を誘い心配していることを伝え、みんなでラジオ体操をしました。
田舎はコミュニティーが生きているので、弱り行く人がどこにいるのかがわかります。
そんな人を誘い、行く悦び、待つ人がいるところに行く悦び、自分を心配しているところへ行く悦び、つながっている悦びを感じ、互いに助け合う互助の世界が広がっております。
「おはようございます」という挨拶で一日が始まり、「またね」と言って別れる。すると、次の日が楽しみになります。そんな毎日を繰り返すと、ラジオ体操に行かねばならぬという義務感の向こうにある、ラジオ体操に何が何でも行きたくなるという思いに至ります。
8月、娘たちの誕生月です。母の誕生月でもあります。現在、なぜか長崎の島のお医者さんをやっている私の妹・ガンマーの誕生月でもあります。めでたい月です。
自宅で毎週誕生パーティーを開きました。毎週、ローストビーフをつくりました。そして、グラタンも。
数年前、友人の難病を患っているお母さんから、病気が進行するから最後のサザエご飯になるだろうと海の香りのする美味しいご飯を頂きました。病状の進行が早くないと思い、ユメの誕生日に幻のサザエご飯をリクエストしたら届きました。早速、海の幸を頂きました。最幸!
ステイホーム、新型コロナによる新しい生活様式。家族のつながりが強く・絆が強くなります。娘たちの送り迎え、食事の準備など、ご主人様にお願いすることなどを自分自身でも実行できました。でも、オンラインで行われたプライマリーケア学会がいつの間にか終わってしまいました。
インターネットを上手く用いると用いないでは雲泥の差になる時代を迎えました。
学校が休みの間にゲームをして夜更かしをしているのと、オンラインで授業をバンバン受けているのでは学習力の差が歴然です。インターネットを、うまく使わねば。
8月が終わります。
ラジオ体操、ご苦労様でした。
クソ・クソ・クソ・クソ暑い夏がまだ続きますが、実りの秋が待っています。
8月31日月曜日、朝5時のバスに娘を送りました。弁当の肉も焼きました。
夏休みモードも終了。
秋刀魚を食べて、秋刀魚パワーをもらい、実りの秋への準備です。
カンタキ、看護小規模多機能サービスのことを呼ぶのですが、みなさんは知っていますか?
望むところで生き切ることのできるケアを地域包括ケアと言い、その地域包括ケアが推進できるかどうかの秘密最終兵器がカンタキなのです。そのカンタキを創ることを表明してきました。
自宅で亡くなる直前には、若干の医療的処置と濃厚なターミナルケアが必要です。
そのためのサービスを提供しようとすると、まず介護保険上の月額の基準限度額をオーバーしてしまいます。オーバーしてしまった部分は全額自己負担となってしまうので大変なことになります。
優しいケアマネさんは、限度額オーバーするから必要なサービスを削りましたと言うでしょう。でも、それって必要なサービスを削って良いケアプランと言えるのでしょうか。人生の最後に最高のターミナルケアを提供したいと考えているのに、なかなか提供しづらい現実があります。
そこを解決してくれるサービスが、カンタキ、看護小規模多機能サービスです。
普通はサービス利用するたびに利用料が足し合わせて青天井状態となるのですが、カンタキは包括払いです。つまり、1カ月の利用代が決まっており、その中でサービスを提供することになっています。
包括払いは細かいお金のことを考える必要はなく、最高のターミナルケアを力いっぱい提供することができます。カンタキ、「良い最期だったね!」と言える看取りを演出できるサービスなのです。在宅で看取る場合には、大きな武器となるでしょう。
小規模多機能サービスには、通いと伺いと泊まりの3つのサービスがあります。
デイサービスで通い、お風呂に入り食事を摂ります。自宅にいる時はヘルパーさんがお手伝いに行き、たまに泊りにも来る。そんな在宅生活を丸ごと支えてくれる有難いサービスです。
看護小規模多機能サービスは看護という言葉が入っていますので、看護師がより多くいて医療的処置ができます。吸引などの医療的ケアが必要な人、在宅で看取り行く人を最期まで支えることができます。独りでは自宅で最期を過ごすのが難しい人には、カンタキでスタッフが添い寝をしながら看取ることもできます。
私たちの笑顔グループは、医療法人がグループ内にありますので医療的なバックアップをすることができます。最後の最後まで、看取るまできちんと命を支え切ることができます。命を丸ごとみることにより、責任が生まれ、質の高いサービスを提供することができると考えています。
私のやっている医療は「人生丸ごと応援医療」です。丸ごとという言葉が大好きです。
いのちを守る。つまり、いのちを助け、いのちを元気にし、いのちを輝かせることです。
一つしかないいのちを、大切に、優しく、みんなで支え切ることが私たちのミッションです。
お盆休みが終わりました。夏後半戦でしょうか。それにしても、暑い!クソが4つほど付きます。
盆には、田舎盆と都会盆があるそうです。
盆が8月にあるのは田舎盆、7月にあるのは都会盆と言い、南房総では当然8月にお盆があります。南房総は思いっきり田舎です。
千倉のお盆は、例年、3日間連続の日本一短い花火大会があります。約10分です。
そして、BON FESTAというサンバ・フェスティバルが開かれます。
しかし、当然今年は新型コロナの影響で全てのイベントが中止です。
松永醫院も、お盆である8月13日~15日を盆休みとしています。夏休みですね。
私自身は休まずに働き続けたい派ですが、スタッフを休ませて鋭気を養ってもらおうとこの20年以上を盆休み=夏休みとして来ました。
しかし、私も還暦を迎え、地球温暖化のため猛暑でクソ・クソ・クソ・クソ暑くなったため、自分自身の体力温存のためにも夏休みは必要だと考えるようになりました。
クーラーも思いっきり使うことにしました。寝ている間もソフト・クーラーしています。
本当は、クソ・クソ・クソ・クソ暑い夏には、火照った体を海水に付ければ
「夏って熱くて、気持ちが良い!」という世界が待っています。
しかし、新型コロナのため海の家は閉まり、海水浴場は自粛状態となっています。
今年、私は海に入っておりません。冷たい水を触ると細動脈が攣縮を起こし、手足が白く痛くなるレーノー症状を持っているからです。冷やし過ぎないことが大切です。
海に集まってくる都会の若人たちは、ほとんどがマスクを付けていません。困ったものです。
都会から南房総に新型コロナが運ばれてきているようです。持ち込みではなく、ルート不明な新型コロナ感染症が起こり、市中感染状態となったようです。私の施設にも新型コロナが襲ってこようとしましたが、うまく対処し、乗り切ることができました。スタッフに感謝!
盆休み、娘たちと一緒に戦争について勉強しました。とくに原爆とホロコーストに関して写真集をみたり、NHK番組を観て学びました。プリンエドワード島に行ったことがあるユメとアンネ・フランクを学びました。そして、「赤毛のアン」と「アンネの日記」をゴチャマゼにしている自分自身に気づきました。
それにしても、戦争は悲惨極まりないことが何度も襲って来ます。
男か女かわからなくなった真っ黒になった遺体、子を母親が抱き・妻を夫が抱く遺体、目が飛び出している赤ちゃん、顔の半分が吹っ飛ばされている遺体があちこちにころがっている。。。
目の前で家族が弱り、そして死んでいく風景がいたるところでころがっていました。
親が死に行く、子が死に行く。ただ、それを見守るしかない。
とっても悲しいことが起きているのに、涙さえ出ない。それが戦争でしょう。
ホロコースト、アウシュビッツ収容所で100万人を超えるユダヤ人が殺されました。
ガス室に送られる前に、最後の手紙をガラス瓶に詰め込み地中へ埋め込んだLast Message。
信じられない事実が起こり、考えたくもない、想像したくもない事実が起きていました。
そんな希望もない真っ黒い闇の世界であっても、命あればいつかは夢が叶うことができる。
そんな希望の光を求めて生きている人たちもいることを知りました。アンネ・フランクがそうです。彼女は15歳で短い生涯を終えましたが、彼女の魂は今でも世界中で生きています。
戦争、戦争当事者は思い出したくもない悲惨な事実を語ることができません。
長崎原爆で誰も生きることができないNO MAN's AREAで生き残った父の口から原爆の話を聞いたことがありません。語ることができないほどの生き地獄があったのでしょう。
父を助けてくれた同級生が翌日亡くなっていたことを、父でなく従弟から教えてもらいました。また、被爆から20年以上経って、父の背中からガラスの欠片が出てきたことを覚えています。しかし、父の口から原爆の話を一度も聞いたことがありません。
私は、父が大嫌いでした。だから、父を避け、父のいない東京でやって行こうと思っておりました。でも、私も還暦を過ぎ、父が亡くなった72歳まであと12年となり、今となればもう少し父と話をしておけばよかったかなと思うようになりました。不思議な思いです。
75年前の暑い夏を思い、二度と戦争を起こさない決意を新たにしました。
子供たちのために平和を残す。平和は与えられるものではなく、努力して守るもの。
埼玉県東松山市にある「原爆の図」の丸木美術館に行こうと思います。
あ~クソ・クソ・クソ・クソ熱い。
この熱さに新型コロナウイルスもやられてしまえばよいのですが。。。
盆休み、コロナ越えジョギングで6・66Km走りました。まだ、行ける。もっと、頑張れる!
戦争が終わったのは昭和20年、今年は昭和95年ですので、今から75年前に終戦となりました。
多くの犠牲者を出しました。唯一地上戦が行われた沖縄では多くの市民が亡くなり、長崎、広島は原爆が落とされ、一瞬にして10万を超える市民の命が奪われました。
本日、8月6日、広島原爆投下の日です。人類史上、初めて原爆が使われた日です。
午前8時15分、多くの市民が通学、通勤する時間帯に原爆が落とされました。
午前11時2分、長崎に原爆が落とされた時間です。なぜ、多くの市民を巻き添えにしたのか・・・。
戦争、絶対に起こしてはならないこと。幼い命も含め、多くの尊い命が犠牲になります。
私の両親は長崎原爆被爆者、父は爆心地から500mの誰も生き残れないNO MAN's AREAで生き残り、母は黒い雨に打たれて被爆しました。二人とも悲惨すぎて被爆後の長崎を語ろうとしませんでした。
人間は愚か。
戦争は絶対に起こしてはならないものと言いながら繰り返して来ました。
温暖化で地球が死にかけているのに、温暖化対策が遅々として進んでいません。
タバコ、百害あって一利なし。良いことが全くないのに、国が売らせています。
8月、戦争の臭いがし、夏休みで楽しくて、クソ熱い月です。ゴチャマゼな月です。
過去の戦争の臭いも次第にうすれて、新しい戦争の臭いがしてきているような気がします。
戦争の事実を知る、写真を見るだけで良いかもしれませんが、それが平和へのスタートとなるでしょう。
母の生まれたのは長崎県五島列島の黄(おう)島、現在の人口は30名ほどのようです。
五島列島の福江島には行ったことがありますが、黄島には行ったことがないです。
いつか、一度、母の生まれ故郷へ行ってみたいと思います。
私の住み南房総市千倉町平舘(へだて)地区と赤丸・急上昇で仲が良くなっているところが、
口永良部(くちのえらぶ)島という鹿児島県屋久島の東にある小さな島です。同じ太平洋でつながっております。その口永良部島から、とっても美味しいフルーツが届きました。
風邪をひいた時のクシャミ・・・それは、ハクション
興奮し、血圧が高くなる・・・それは、テンション
オッサンがそこいらの塀でする・・・それはタチション(ご主人様から叱られるかな)
南国トロピカルなフルーツは、パッションフルーツ、トロピカルなイチジクです。
自称グルメでいろいろなものを食べてきた私ですが、生まれて初めて食べました。
甘酸っぱい、トロピカルな、初恋の味がしました。
名前が良いですね。パッション、ハクションではなく、情熱という意味合いが入っております。
マインドとか、スピリッツとか、パッション。ココロが入っており、私の好きな言葉です。
そのパッションとビタミンIアイがたっぷり入っているトロピカルフルーツを食しました。
贈って下さった方は、兼子宮司さまです。心清らかな女性です。
昨年の房総半島を襲った台風15号で知り合うことができました。大切にしたい関係です。
何か、失ってはいけない、大切に残さなければならないものを教えてくださります。
8月1日、長い梅雨が明けました。そして、猛暑が始まり、台風が来ます。
100年に一度の豪雨が、毎日これでもかと1週間毎日降り続き、大きな被害を受けました。
地球温暖化現象によるものでしょう。梅雨前線による大雨の怖さを思い知らされました。
次は台風の季節となります。昨年の房総半島を襲った台風による被害が癒される前に、今年の台風が襲って来ます。
瓦が飛び、屋根が飛び、ブルーシートの世界となりました。まだまだブルーシートだらけで、雨が降るたびに雨漏りし、カビが生え、家が朽ち果てています。
ブルーシートの家、住もうと思えば住める。しかし、3年後に住んでいるかというと無理。
高齢化率45%の地域で、今更、数百万円のお金をかけて家を修理するのは無理。
数千万円のお金をかけて新築の家を建てるのは、もっと無理。
災害があるたびに、高齢者は地域からいつの間にか消えて行きます。
そして、新型コロナ感染症、100年に一度の感染症が襲ってきています。
私たちは、この危機をどのように乗り切り、未来へつなげて行けるのでしょうか。
私の住む安房地域で、新型コロナ発生しました。2件目です。
亀田歯科センターの歯科医師が新型コロナ感染とわかり、大騒動となりました。
その歯科医師は、東京在住のウィークデイは亀田歯科センターで働く常勤医でした。
日曜日、何か調子が悪く37度台の熱発で、風邪でも引いたかなぐらいでした。
月曜日、身体の調子は良くなってきているが念のためPCR検査をしてみたらコロナ陽性と。
亀田では、軽い風邪かなと思うぐらいの症状でも、念のためPCR検査を行うそうです。
新型コロナ感染症の臨床症状は多彩で、無症状、軽い風邪かなと思うぐらいもあれば、肺炎となり人工呼吸器、エクモ(ECMO)管理になる場合もあります。そして、厄介なことは発症二日前から感染力が強いということ。知らない間に他の人にうつしてしまうことです。
今回の亀田歯科センターの場合、新型コロナ感染症であることが分かったのは月曜日、発症したのはその前日である日曜日、感染させる可能性があるのは発症二日前からなので金曜日と土曜日となります。その二日間で診療した患者さん61人が濃厚接触者となりました。
互いにマスクを付けていれば、濃厚接触者、ハイリスクグループに入ることはないです。
しかし、患者さんは歯の治療に来ていますので当然マスクを付けていません。そのため、歯科治療を受けた患者さんたちは濃厚接触者となり、14日間の観察が必要となりました。
今回の新型コロナ陽性となった歯科医師は、非常にまじめ歯科医師だそうです。東京との行き来があるため、人込みを避け、自制した生活を送っていたのにもかかわらず、ルート不明の新型コロナ陽性となってしまいました。真面目な人柄で、標準予防策をきちんとっていたので、2次感染は起きませんでした。
今回の亀田歯科センターの新型コロナの件、きちんとPCR検査を行い、その結果をすぐに公表し、適切に対応したおかげで、被害を最小限に抑え込むことができました。風評被害が怖かったのですが、亀田、医師会などが市民に適切な情報を流すことにより、混乱を収束する方向へ導くことができました。
日本を代表する医療機関となった亀田メディカルセンター、その亀田総合病院の院長が世代交代をして若き院長先生となった亀田俊明先生から一連の新型コロナ事件の説明がありました。スタッフを信じ、スタッフを守ろうという優しい語り口に、未来を感じました。
まさか、東京からの医師が夜の繁華街へ繰り出し、南房総へ持ち込んだのでは・・・
と思った自分自身を反省しています。朝からNHKで夜の繁華街のニュースが流れ、末娘のココロから「キャバクラって何?」と聞かれます。キャバレーとの違いは?何でしょうかね?