Merry Christmas!
サンタさんにも家族がいて、親戚までもいます。
そお、なんと、私、サンタさんの親戚のヘータさんなのです!
今、一年で最も太陽が低い季節、日が短い季節です。
冬至、カボチャを食べました?ユズ湯にも入りましたか?
今年もあと1週間ばかりとなりました。早いものです。
千倉中学2年生の可愛らしい女子5人が、職場体験で松永醫院に来ました。
将来、医療・介護・福祉関係の、命とかかわりあう仕事に就きたいと考えているようです。
隣のスマイル薬局にも女子2人が来ました。
全部で7人、診療所、薬局、あそぼ、おかげさまの現場へ案内しました。
良いことをすると「ありがとう」と言ってくれる仕事に就くと良いよ!
人間は他人のために頑張れる動物だからね!と助言しておきました。
亀田からの研修医・西岡先生が、地域医療の勉強に来ました。
いのちを助け、いのちを元気にし、いのちを輝かせる という優しい医療
10年未来の患者さんの命を守る医療を伝えました。
西岡先生、将来は整形外科を目指したいとのこと。
私は、整形エコーを強く勧めました。痛みのほとんどがレントゲンに映らないのに全員レントゲンを撮り、結果は湿布と痛み止めの処方をもらう現在の整形外科診療に風穴を開けてもらいたい。
筋膜リリース、ファッシア・リリース、ハイドロ・リリースを知っていますか。
痛みの原因はfasciaファッシアにあり、エコーガイド化で生理食塩水を注入し、その炎症、痛みの原因を洗い流し、痛みを取ってあげる治療法です。「エッ、楽になった!」と笑顔で帰って行きます。
南房総市にある安房拓心高校で、いのちの授業もして来ました。
本当は認知症サポーター養成講座でしたが、「認知症は脳がタクワンになること!」だけを伝え、大部分の時間を使い「つながることの大切さ」というお話をしました。
500人ものの学生に、昨年は樋口了一さんの「手紙」というユーチューブを流しチョビ髭の生えてきている高校生が涙を流していたとのことなので、今年は全葬連のユーチューブを流しました。ゴールデンエイジの高校生、涙を流してくれたでしょうか。皆さんにも、お裾分けです。
千葉大学からも社会人大学生が来ました。若いのか若くないのか、気持ちだけは20歳ぐらいで遠い未来を見ている元・少年少女たちでした。どんな人たちか、何を目的に千倉まで来るのか理解せず、「田舎の豊かさとは/生きる原点に立ち返ろう」という題で1時間半吠えました。
夜は真っ暗で、月夜で明るいよ
海に潜れば、クソ熱い夏も気持ちが良いよ
何もない豊かさ、不便な豊かさ、選択肢の少ない豊かさがあるんだよ
忘れてはいけないことを、忘れかけていませんか
大切にしなければならないことを、壊していませんか
つながりって大切だよね いつかは歳を取り、病になり、死にます。だから『絆』が大切
千葉大学関係の先生、緩和ケア病棟の看護師さん、師長さん、ケアマネ、MSWさんたちが来たそうです。いのちに携わるプロフェッショナルだったんですね。これまた、千倉町平舘の堀江区長さんたち、行政の働きかけで、平舘地区のファンが増えたようです。
人生の目的は「幸せ」になること。そして、すでに、世界一の幸せ大国になっているデンマークの人口は580万、千葉県の人口は610万。デンマークより千葉の方が大きいのです。
だから、これからの目標は「デンマーク越え」。世界一、地球一、幸せな社会を創ろう!
9月の台風15号は、今まで経験したことがないほどの暴風台風でした。
瓦が飛び、屋根が飛び、看板が飛び、信号機が斜めに曲がり、車がぶつかっても折れない電柱が根元からへし折られていました。私が住む南房総市千倉町平舘にある天神様の神木も倒れました。
みなさん、口永良部(くちのえらぶ)島がどこにあるか知っていますか。
沖永良部(おきのえらぶ)島もありますよね。口永良部島は、鹿児島県屋久島の東側に位置し、屋久島から船で1時間半ほどかかるそうです。島人口が100人を切っているそうです。
その口永良部島の兼子(かねこ)宮司さんが、台風被害のお見舞いとして島民から集めた3万円を平舘地区のためにと送って下さいました。驚きです。有難いです。つながっています。同じ太平洋に存在する口永良部島と千倉町、つながっています。不思議な縁を感じます。
3万円、結構な大金だと思います。口永良部島の産業、思い当たるものはないです。漁業と農業が主産業だと思います。島民の思いに感謝し、人としての優しさに感謝します。困ったときに差し出される手に温もりを感じ、有難く思い、この恩を忘れてはいけないと思いました。
と思ったら、12月7日土曜日にお世話になった兼子宮司さんが千倉まで来てくださいました。東京までくる用事があるということで、堀江区長さんが強く来房するようお願いをし、実現に至ったのです。その夜、堀江区長さんの自宅で地域の人たちと感謝の会を開きました。
とっても良い会でした。なんでか涙が出ました。心と心が触れ合う会となったのです。
同じ太平洋に面し、黒潮の流れでつながり、魂の交流ができたのでしょう。
お刺身、手作りの料理、どれも美味しい。みんなで飲むお酒もおいしい。幸せな時でした。
12月13日(金)笑顔グループの忘年会がありました。一年間の頑張りをねぎらい、来年に向けて士気を高める会です。今年は台風の被害があり大変でした。とくに館山に事業所のある老健「夢くらぶ」のスタッフの自宅が被害にあいました。お見舞い申し上げます。
笑顔グループ全体のスタッフの人数も150人を超え200人近くとなり、150名ものスタッフが入れる会場は限りがあります。
ということで芳喜楼という美味しい中華料理レストランで、この5年間ほど毎年開いております。横浜までいかなくても、おいしい中華料理が食べられるお店です。
忘年会、今年も盛り上がりました。イントロクイズで曲を流そうとしても、館山鏡ケ浦の花火大会の爆発音しか流れないなどの失敗も多くありました。しかし、そんな失敗など意に介せず次から次へと催し物が流れて行きました。特に他の事業所の良いところを歌に交えながら褒め合うコーナーが良かったです。
忘年会、今年も工夫しまくっていました。忘年会団長は、松永醫院の看護師長、つまり私の上司であるミサくんでした。感謝します。毎年恒例のくじ引きも、ウバタさん、ヒロヤくんからの差し入れもあり、たくさんの仲間が運をもらいました。
一等賞の高級オセチが当たったのは、キミさん。東京でのお仕事を勤め上げ、夫の故郷である千倉へ移り住み義母を看ています。また、看護師として夜勤を月4回以上していただき、仕事場でのもめごともうまく丸く収め、気持ちの良い仕事場にしていただいております。感謝!
そして、今年の2019 Best Stuff Of The Yearは、老人保健施設夢くらぶを超強化型在宅復帰施設としてベッドコントロールしてきたマキさんが授与しました。在宅復帰率、回転率を上げ、ベッド稼働率も上げなければならないので大変だったと思います。感謝!
12月21日土曜日、午前中の松永醫院外来を終えた後、長崎県大村市での会議に出席しました。日帰りです。長崎まで日帰りできる便利な日本に感謝します。
そして、この文章は、その道中の飛行機の中で書きました。
11月30日は、いい看取りの日。
ちょうど一年前、自分の人生、自分の最期を元気なうちに家族で話し合うことを「人生会議」と呼ぶようになりました。
また、11月30日(土)は松永醫院の患者会である「コットン」が開かれました。
25年前私が考えた良い病院のメルクマール
1.MSWがどれくらいいて、どれくらい活躍しているか
2.リハビリスタッフがどれくらいいるか、頑張っているか
3.病院運営に医師以外の専門職が参画しているか(例えば副院長に看護師)
4.患者会が組織され、双方向性の地域医療が実践されているか
医師が良いと思う医療と、市民が望む医療のミスマッチは必ずあります。
そのミスマッチを埋めるためには、MSW、看護師の活躍に期待したいです。
そして、当事者である患者さんと医療者の双方向性の意見交換、工夫をして改善していく営みがとっても大切となります。
そんな意見交換の場を作りたいと考え、松永醫院の患者さんの会「コットン」を作ってもらいました。
名前の由来は、松永醫院がある学区は今では閉校となってしまった忽戸(こっと)小学校で、忽戸(こっと)の患者会 ⇒ こっとん患者会 ⇒ コットン患者会となったのです。
南房総には日本を代表する、いまや世界に通用する亀田メディカルセンターというマンモスがあります。我が松永醫院は、そのマンモスの足元でチョコマカ地域医療をしているアリンコです。いつ踏まれてしまうかと心配しながら、共存共栄しております。
その亀田メディカルセンターには、一体何人いるのかわからないぐらいのMSWとセラピスト、たくさんのスタッフが頑張っています。その前に医師もたくさん働いており、おそらく日本一医師が集まっている地域だと思います。地元イオンで石を投げると医者にしか当たりません。
そんな素晴らしい亀田メディカルセンターで足りないものは患者会。乳がん患者さんの会などはありますが、患者さん全体を対象とした患者会はまだありません。理想の医療を求めている亀田メディカルセンターに患者会がない中、松永醫院にはあるのです。スゴイでしょ!
その患者会「コットン」で、元気なうちにまさかのお話しをしましょう!というACP「人生会議」をみんなで学びました。松永醫院には俳優が一杯います。地域の中に、講演ではなく劇をしろという地域ケアの原点に立ち返り、劇団「夢人座」による寸劇をお披露目しました。
それにしても恐るべき劇団「夢人座」、一体どこで練習をしているのだろうか。
認知症の寸劇「ご飯はまだですか」、「嫁が財布を盗った!」、「あなたは誰?」など今までにもお披露目をしているのですが、一体だれが作っているのだろうか。天才です。
「一人の百歩」より「百人の一歩」。
地域医療とは、地域へ優しく突き返すこと。そして、地域の中へ。
私は優秀なスタッフに支えられている幸せ者です。
(↓当日の資料です)
「人生100年時代に備えて」
2019年11月30日(土)
松永 平太
・1000年前の寿命 ⇒ 26歳
・100年前の寿命 ⇒ 31歳
・現在 男 81歳 女 87歳 平均 84歳
・ガン、事故で死ななければ介護保険を用いて90歳まで生きる
・人類史上経験したことがない超高齢社会を生き切る!
・70歳代:ヤング、80歳代:ヤングオールド、90歳代:オールド
・そして100歳を超えると「た・か・ら・も・の」
・歳を取ればボケるもの 85歳⇒1/4認知症、90歳⇒1/2
・ポックリは最悪! 大切なことは「ありがとう」という言葉
・どんな最期を迎えたいですか
1.ガン 2.寝たきり 3.ボケ 4.ポックリ
・現実的なおすすめは「老衰」枯れて、
・どこで最期を迎えたいですか? 病院? 施設? 自宅?
・食べられなくなったらどうしますか?経験栄養をしますか?
・心臓が止まったら、心臓マッサージを希望しますか?
・寝たきり老人にない国、老人施設のない国、幸せを感じる国
税金で半分持っていかれ、25%の消費税を払う国 ど~こだ?
・昼間に夜の部屋へ行かない ⇒ 『日中離床』
・寝床で食事をとるのは最期の1週間 ⇒ 「寝食分離」
・人間は動物、動かないと病気になっちゃう!
・ベッドで弱る!だから病院に入院すると弱っちゃうよ
・入院しないよう予防が大切
・「人間は100年走る車」だから定期検査は大切!
・畑は亡くなる1月前まで 大地のパワーをもらおう!
・認知症になっても地域で生き切る地域へ
・介護保険を使えば、認知症で独居であっても自宅で最期まで生き切ることができる
・「地域包括ケア」とは「望むところで生き切ることのできるケア」
・子供達は都会で活躍、親は田舎で独り暮らし どの様に看取る
・目指せ『満足死』!
本日 11月30日は いい看取りの日
師走、走り回っております。玲奈先生、ご主人様のいるおかげで走り回っております。
本日、学校保健委員会にて千倉中学校で会議。明日は、千倉小学校で喫煙防止授業。
来週は、千倉中学の子供たちが職場体験で松永醫院に来ます。
500人もの高校生に命の大切さを授業します。研修医も地域医療の勉強に来ます。
週末には社会人大学生も来て、人のつながる大切さを伝えます。
また、忘年会もあり、忙しくて楽しい12月になります。走り回っております。
来年、ジャスカン、Just 還暦となり、60歳を迎えます。
このブログでも書いているので、結構皆さんこの辺りのことをきいてきます。
千葉県医師会からも年男として書いてくれと要請があったので書きました。
みなさんにもおすそ分けしますね。
「理想の地域医療を目指して」
日本は、世界一長寿で、お金持ちで、平和で命の安心安全な国で、世界が憧れる国です。
戦後焼け野原だった日本を短期間で豊かな日本の礎を築いてくれたのは、今の高齢者です。
遊ぶこともせず、働きまくり、お国のために頑張ればきっと老後も安泰であろうと自己犠牲を払ってきました。
しかし、超高齢社会の第一期生として年の取り方、老い方を知らず、社会の片隅で申し訳ないと言いながら寂しく過ごしています。一番大切な人生の最後を辛く生きています。生きてきたことに見合う余生を過ごしていないのです。この現実をどうにか変えたいという思いが、私の開業医としての魂になっています。
開業医としての私のミッションは、目の前の患者さんの10年未来の命を守ることです。
患者さんの今を守ることは当たり前で、10年未来、いやこれからず~っと患者さんの命を守り、老いて寝たきりになろうと認知症になろうと最期の最後まで看取るまで診るつもりです。そして、患者さんの命ができるだけきれいに輝くように、笑顔がいっぱいになるようにと、介護保険サービスを創ってきました。
地域包括ケアとは、望むところで生き切ることのできるケアとも言えます。高齢者は住み慣れた自宅で、地域で最期を迎えたいと願うも、その思いのほとんどが叶えられていません。つまり、日本全国で地域包括ケアと叫ばれているけど、実現できている地域はないということです。私は、今の立派な日本を作ってくださった人生の大先輩方が自分の望むところで生き切ることのできる地域を創りたいです。私の住む南房総市は高齢化率がすでに45%ほどとなっています。世界一長寿の日本の25年未来を行くこの安房地域で、理想の世界最先端の高齢者ケアを実現し、その高齢者ケアを世界に発信して行ければと考えます。
私の寿命は父と同じ72歳と考えていましたが、人生100年時代と設定を変更しました。そして、医師として社会貢献できるのならば80歳、いや84歳まで働くことに決めました。
私が尊敬する先輩医師から開業医としては60歳ごろが一番脂の乗っている頃だと教えていただきました。ですので、患者さんのために1日36時間365日働き、理想の地域医療のために垂直登攀しよう。そして、命に優しく、心豊かな、幸せを感じられる地域を創ります。
安房医師会に書いた文章を皆さんにもおすそ分けしますね。
「人生100年時代」
私の父・松永春二と母が亡くなった歳が72歳、今から20年以上前のことです。
だから、私も72歳で死ぬだろうと考え人生設計をしておりました。
36歳で開業医となり医療の土台を作り、48歳で医学に立ち戻り、60歳で後継者をつくり、72歳で死ぬと計画しました。
ところが人生思った通りにはなりません。
49歳の時、身に覚えがないのですがコウノトリが飛んできて、ポトリと可愛い娘を置いていったのです。
それまでは「いつ死んでも良い生き方」をしていました。その一番下の娘も10歳となり、バレエを一生懸命に習っております。
私は彼女が一人前になるまでは頑張って支えて行かなければなりません。
ですので、「いつ死んでもいい生き方」を「簡単には死なない生き方」にモードチェンジしました。
少し早いのですが降圧薬を服用し始め、認知症予防のサプリメントを摂り、3.9Kmのジョギングを始めました。
つまり、私は100歳まで死にません。人生100年時代の到来です。
現在の平均寿命が84歳です。男性が81歳、女性が87歳です。
若くして癌、事故で死ぬ人も入れて84歳まで生きるので、若くして死ななければ介護保険を使って90歳まで生きることになります。
平均寿命が年々伸びていますので、90歳過ぎて死に始め、私の世代では4人に1人が100歳になると言われています。
高齢者は65歳以上と言われていますが、適切だと思いますか。
私の高齢者の定義は、肺炎になって要介護状態になる危険が高い年齢だと考えています。
70歳代は命が助かれば、ほぼ元気になります。
80歳以上になって命は助かったけどボロボロ状態になる場面を散見します。
つまり、私にとっての高齢者は80歳からです。
私は、70歳代はまだヤング、80歳代はヤングオールド、90歳代になりやっとオールドと言っています。
そして、100歳代は「たからもの」と呼ばれ、みんなから大切にされます。
100歳になると最期の寝こみも短く、苦しまず天寿を全うできます。
問題は、医師として一体いつまで働くかです。
「人生90年もしかしたら100年」時代において、医師としてどのように生き抜くか考えてみます。
65歳で定年になると考えると、医師として40年働き40年近く年金生活で若者のお世話になることになります。
こんな年金システムでは、若者が耐えることができないでしょう。
年金生活は人生最期の10年間ほどが適切かと考えると、医師として働くのは80歳、干支として考えると84歳となるでしょうか。
日野原重明先生は105歳で死ぬ直前まで医師として社会貢献していました。
実地医家のための会の会長をしていた永井友二郎先生は98歳で亡くなる少し前まで医師として頑張っておられました。
歌手の山口百恵のように早目に引退するか、サッカーの三浦知良選手のように現役で頑張るのか、私は後者の生涯現役にこだわりたいと考えます。
人生100年時代において60歳は、残された時間がまだまだあります。
私の尊敬する先輩医師から「今が開業医として一番脂がのっている時期だよ。頑張りなさい。」と助言をいただきました。
私の仕事は、目の前の患者さんの10年未来の命を守ることです。
そして、ご本人の望むところで笑顔とともに生き切り、最期にありがとうと言い残して満足死を達成することです。
そして命に優しく、心豊かな、幸せを感じられる地域を創ることが大切で、そのためには地域の豊かな文化を作る必要があります。
そのために、これから頑張ります。