パコソンのちょうしがわるい。
となりのいえにいくのに、アルゼンチンけいゆ。
アレルギーをアルレギーといっているココロをおもいだっす。。。
死の三徴候、心拍停止・呼吸停止・瞳孔散大があるのならば、生の三徴候もあるだろう。
生の三徴候、これを持って生きている。逆に生の三徴候がなくなれば、そろそろ寿命かな。
そんな生の三徴候は「食べること、笑うこと、愛されること」だと、私は考えています。
美味しいものを食べて怒る人はいません。人が楽しく笑うことを怒る人もいません。
美味しいものを食べて、楽しく笑い、思いを共有できるときほど幸せなことはないです。
だから、「食べること、笑うこと、愛されること」にこだわって来ました。
30年以上レストランで腕を振るってきたシェフに来ていただき、赤、白、黄色、緑などのカラフルな料理を作っています。
日頃食欲のない人がペロリと完食、「どんな料理でしたか?」という私の質問に、「横文字だったか、箸と(ハッシュド)ビーフ千倉風?何が何だかわからないけどとにかく旨い!」と答えています。
おやつも全て手作り、クレープシュゼットオレンジ添え。
季節のイベントに合わせて、お花見弁当、チラシ寿司、バイキングなどをもてなしてくれます。
お風呂に入り、みんなで美味しい美味しいと言って食べる昼ご飯、おやつは、至福の時です。みんな笑顔になっています。
デイサービスセンター「あそぼ」に、あるレストラン厨房で責任者をしていた若き天才シェフがやって来ました。
そしたらもう一人、何でかフランスまで修行に行った若き天才フレンチシェフまでもが仲間に入って来て、認知症の人たちに腕を振るっています。
いのちを支える医療とは、「いのちを助け、いのちを元気にし、いのちを輝かす」医療のことを言うのだと思う。
元気になるためにはゴソゴソ動き、ゴソゴソ動けばニコニコになり、生き生きとなり、いのちが輝き始めます。
いのちの輝き具合の目安は、笑顔となります。
私の名刺のトップには、赤字で「日本一、地球一、笑顔を集めるグループへ」と書いてラッパを吹いております。
松永醫院の封筒にも「あなたの笑顔は、わたしたちの力」という文字を入れています。
医療法人と社会福祉法人と会社法人の3つの法人を「笑顔グループ」と名付けました。
マザーテレサは云う「戦争は不幸だが、愛のないのも不幸」。彼女のキーワードは「愛」。
山の中の病院で面会もなく唯ベッドの上で死を待つ人のように、自分の存在を認めてくれる人がいないのは不幸です。
誰かに愛され、存在を認めてもらうことは大切です。
ただ、誰にも愛されない人でも私たちに出会えば、私たちがその人を愛します。
つまり、生の三徴候の3つ目である「愛されること」は、全ての人に保証されることになります。
孤独で生きてきた人でも、私たちと出会えば家族にかわって愛します。
私は、生の三徴候「食べること、笑うこと、愛されること」にこだわります。
逆に食べなくなり、笑うことができなくなれば、そろそろ寿命となりお迎えが近くになります。
最後の最期までいのちを支え、真心を込めてQOD・満足死を達成することが私たちのミッションであり、私のこだわりです。
一年で一番好きな季節は夏!と言っていた高校時代。
夏休みがあり、何もすることはなく朝からボォ~っとし、昼ご飯を食べると海水浴に出かけ、夕方に戻って一日が終る。
木陰に入り、風が吹けば、体も心も伸びきることができました。
東京に行ってから、夏が苦手になり、嫌いになりました。
とにかく暑い。アスファルトの照り返し、エアコンの室外機から出てくる熱風、東京砂漠です。
暑さからの逃げ場がエアコンの効いている場所以外になく、当時エアコンは高級品でした。
海に面している千倉の夏も変わってきています。
海洋性気候である千倉は、昼間は暑くなっても、夜は海で冷やされ涼しくなります。木陰で涼風が吹く世界がありました。
しかし、今、昼は35℃を超える猛暑日となり、夜は暑さでよく寝られません。
ですので、今年から夜でもエアコンをつけて寝るようにしました。
私ももう若くはないので、体力を守るため、体調を整えるために、守りに入りました。
日曜日で自宅にいる場合には、一日中エアコンをつけて過ごすようにしました。
でも、私、在宅医療も行っていますので、締め切って高温になり多湿となっている患者さん宅へも伺っております。
気合いを入れて往診に行き、滝のような汗を落としながら血圧測定をしています。東京ではエアコンが当たり前ですが、千倉ではまだエアコンが贅沢品のようです。
熱中症で入院する患者さんも多いです。脱水で急性腎不全となり血液透析をする人もいました。エアコンが故障し、熱中症になり入院した患者さん、病気は良くなり退院できる体調まで回復しましたが、新しいエアコンが設置されるまで退院できないそうです。・・・?
末娘のココロに、この夏の一番の思い出は何?と聞いてみました。
やはり、バレエコンクールで優勝したことと答えました。それは、私もご主人様も同じ思いです。
頑張った5日間でした。頑張れば頑張るほど、得るものは多いです。未来へつながります。
8月13日から15日まで、千倉は盆FESTA、3日間連続の日本一小さな花火大会が開かれます。港で、砂浜で、花火が打ち上げられます。3日目の15日の花火大会は台風の影響で17日の土曜日に延期となりました。患者さん宅から見た花火大会、夏の終りを感じました。
夏後半戦、あと少し、この猛暑を乗り越えて行きます。
今週は、城西国際大学の学生さんがIPE多職種連携教育で千倉へ地域医療の勉強に来ます。
薬学部、看護学部、福祉総合学部の学生さん5人が来ます。地域医療の魂を伝えます。
週末には一日かけて講習会に参加します。
亀田ファミリークリニック館山の岡田先生が、日本代表として講義をして下さいます。
その前には、頑張っている仲間のいる松戸へ打ち合わせに行きます。松戸、近そうで遠いです。
総合検診という特定健診、高齢者検診、フレッシュ検診で朝7時からの診察へも行きます。
当然、朝7時からのラジオ体操にも娘ココロと一緒にほぼ毎日参加しています。
ラジオ体操も地域医療の一つと言っていますので、城西国際大学の学生さんも参加します。
2019年の夏、思い出多き、実りある夏でありますように。
8月は、熱くて、楽しくて、とても重い月です。そして、8月8日は特に重い日になります。
昨年の今日、右目の硝子体出血で突然右目が見えなくなりました。
右目の眼底に血液が溜まり、光を通すことができないため、手動弁状態となりました。とても不自由でした。
途中、手術を覚悟しました。しかし、ジュンコ先生の眼科外来を毎週受診しながら、結果経過観察をし、視野に大きく昆布が被さっていたのが、ワカメとなり、ヒジキとなり、少し濁った曇りガラス状態となり、だいぶ見えるようになりました。そして、眼科通院も卒業しました。
ちょうど一年前、台風が来ている夜、スシローで流れてくるお寿司を凝視しての硝子体出血。
そしてそれから1年をかけながら、どうにか見えるようになりました。しかし、老眼が進行し、父と同じメガネを外したり付けたりの外来診療。本はまだ読む気になっておりません。
今年は昭和94年。戦争が終ったのが昭和20年ですので、今から74年前となります。
私たちが診させて頂いている90歳の高齢者も、終戦の時は16歳。青春など無く、国のために自己犠牲に働きながら、経済大国日本を作って下さいました。しかし、寂しそうにしています。
8月6日、広島原爆の日。8月9日は長崎原爆の日となります。
父・松永春二は長崎の爆心地から500メートルというNo Man's Area 生存不可能な地で奇跡的に生き残りました。回りには真っ黒焦げになった男か女かわからない死体が転がっていました。
原爆が落ちてから20年以上経って父の背中からガラスの破片が出てきたことを覚えています。
父は72歳の歳で死にましたが、最期は胃癌、GISTという重複悪性疾患を併発しました。
原爆で死なないのだからオレは死なない!と言っていた強い父も、病気でコロッと死にました。
母も原爆投下後の救護で長崎に入り、黒い雨にうたれ被爆しました。やはり72歳で亡くなりましたが、多発性骨髄腫という悪性疾患を併発しました。放射線は50年以上経ってから、癌などの悪性疾患を引き起こすのかなと思います。
「ひろしま」という映画があることを知りました。1953年に作られ、出演者は実際の被爆者であり、原爆の悲惨さを伝え、ベルリン国際映画祭で賞まで取ったそうです。そんな映画があるなんて、当の日本人である私たちは知りませんでした。知らなかったこと、恥です。
戦争の現実、悲惨さを知れば、戦争を絶対に起こさせない気持ちになります。
しかし、その戦争の現実、悲惨さを知るチャンスが減っています。戦争の現実、悲惨さがあまりにも惨すぎて、語ることができない、知ることが怖くてできないという現実もあるのでしょう。
日本唯一の地上戦が行われた沖縄で、国民を守らなければならない兵隊が防空壕に逃げ込んだ女・子ども達を追い出し、自分たちだけ助かった。。。そんなこと、生き残った兵隊が語ることはできません。父・松永春二も原爆のことを一度も語ったことがありません。
戦争は惨すぎて、当事者は語れないのです。
8月は、私の娘達の誕生月です。ユメとココロの誕生月です。おめでとう。
君たちの成長を祈念し、未来に広がる社会を創ります。
いのちに優しく、こころ豊かな、幸せを感じることのできる地域を創ります。
8月8日、館山の花火大会です。おそらく、日本一の花火大会です。
白浜に座り、鏡浦(かがみうら)という鏡のように写る館山湾で打ち上げられる花火。大きな花火の根元から大花全部だけでなく、海面に写る花火の根っこまでも観れます。
そして、8月8日、私の大好きな母・イサヱの誕生日でもあります。
母が亡くなり、早くも22年が経ちます。人生最期、「おかあさん」と呼ぶのか「マミコォ~」と呼ぶのかわかりませんが、「おとおさん」と呼ぶことはないでしょう。
2019年8月、熱い夏です。クソが3つ付きます。
梅雨明け、昨年は6月、今年は7月下旬。昨年に比べて梅雨明けが1ヶ月以上遅れました。
短くて、クソ熱い夏になるでしょう。74年前を思いつつ、未来を考えよう。